これから考える
「おい、飯田。社長が今年の社のキャッチコピーを今日中に考えろって言ってたぞ。」
同僚である人事課長の高木が、にやにや笑いながら話しかけてきたのは年始早々の会社の廊下であった。
業界でも中堅どころの会社であるが、ワンマン社長体制であることからこうした頼みは企画課長の私に突如として投げかけられるのが常である。これまでも思いつきで何度も苦労をさせられてきた。
「えっ、またかよ。今度は突然どうした。これまでそんなの無かっただろうに。」
やれやれという態度で高木の視線を受け止めると、面白そうな想像を返してくる。
「おおかた。プロ野球のキャッチフレーズに感化されたんだな、あの社長。なんか、最近流行じゃないか。」
「おいおい、当事者でないと思って気楽に言いやがって。社長が流行に敏感なのも全く考えものだ。」
「ま、頑張って励んでくれよ。陰ながら応援しているからな。」
肩を三度強く叩かれ高木は去っていった。
やれやれ、おそらく席に戻れば専務あたりから呼び出しだろうと考えながら課に戻ると、それどころか社長と専務が待ち構えていた。内容は察したとおり。今年の社のスローガンを簡潔な形で示すことが命じられたのだ。しかも、きわめて特殊な条件付きで。
二人が出て行った後、課員達はざわめきたっている。何せ社長はワンマン。気に入らない内容であれば容赦なくペナルティが与えられるのだ。これまでは、幾度かの難題に独りで対処してかろうじて及第点を与えられてきた飯田ではあったが、今回は時間がなさ過ぎる。やむを得ない。10名弱の課員を集めてみんなの知恵を借りることとする。
「今回は皆の力を借りたい。いや、借りないと厳しい。だから今日の仕事は後回しにしていい。俺が認める。」
「とりあえず社長を唸らせるようなアイデアを期待しているぞ。時間は、、、あと3時間だ。」
課をあげてのブレインストーミングが始まった。打ち合わせコーナーにアルバイトの女性を除いて皆が雁首を揃えている。そして、誰が持ってきたかわからないがテーブルの中央には電子辞書が一台置かれている。
「『乾坤一擲』ってのはどうでうかね。」、課一番のチャラ男である三船が口火を切る。
「それって、一か八かってことでしょ。まるでうちの会社が危ないみたいじゃないの。あなたの人生訓と一緒にしないでよ。」
「それよりは、『脚下照顧』の方が良いんじゃない。世界的にも経済が不透明な時期だからこそ、しっかりと足固めをしようって意味で。」女性でもリーダー格の橋本洋子が反論。
そこから、様々な言葉の応酬が始まった。そう、社長からの条件は四字熟語でスローガンを表せというものなのだ。皆が、スマホやらノートパソコンを駆使して調べに入る。いくらなんでもよく知られたそれではあの社長が満足するはずも無い。
「こんな時代でもウチは業績伸ばしているのだから、あまり反省ばかりって感じの言葉はどうかな?」
「同じ自分を見つめ直すという意味では、『克己復礼』なんてのもあるわよ。これは、社会規範を守りましょうってものみたいよ。」
「もっと夢がほしいから、『積善余慶』ってほうが良くない?良いことを積み重ねれば、思いもかけない良いことが起こるっていう意味だし。」
「だったら、足下を見つめながらも大胆にって意味で『胆大心小』ってのもあるぞ。」
普段は目立たない係長の宮尾が喧々がくがくの議論に割って入る。
「係長、それ地味ーっ。なんか、格好良くない。」
「じゃあ、本業に専念しようってことで『一意専心』ってのもある。」
宮尾はあっさり却下されたのが不満らしい。
しかし、彼の言葉はあっさり無視され議論は進む。
「まず会社の現状を再認識しましょうよ。大手には負けるものの、ここ数年不況にも関わらず着実に業績を伸ばしているわよ。」再び橋本洋子が仕切りはじめる。
「でも、去年はもう一つだったですよね。」若手女子社員も恐る恐る声を出す。
状況を黙ってみている飯田は、スローガンは別にして結構な満足感を覚えていた。スローガンと言っても英語も何でもOKだとすれば議論は発散する。そして、社員が会社の現状を再認識する場としても有効だし、専務に最終的に説明するのは飯田なので比較的気楽な状況だからこそ、活発な意見のやりとりが出来ている。
自分の課のオープンさを再認識して、思わず笑みがこぼれそうになる。このメンバーなら今年もやっていける。そんな確信が湧き起こってきていた。
『雲蒸竜変』、『創業守成』、『眼光紙背』の3つが議論の結果残された。
「最後は課長が決めてください。」係長である宮尾の影は薄く、橋本洋子が仕切っている。
「わかった。あとは俺が決める。みんな、ありがとう。」
『雲蒸竜変』とは、英雄や豪傑がチャンスを得て世に出る事のたとえである。雲が群がり起こるのに乗じて、ヘビが竜となって昇天するという意から来ているらしい。会社が今後の飛躍を目指す上での喩えとしては面白い。
『創業守成』とは、事業を新しく始めることはたやすく出来るが、それを維持して発展させていくことは難しいということを示している。これまでの成功に甘んじることなく、きっちりと足固めをしていこうという意味になる。現状を見直して、これからを考える上では堅実だが意義ある言葉だ。
『眼光紙背』とは、書物の字句の奥にある深い意味まで読み取り理解することである。鋭い視線が文字はおろか、紙の裏にまで達するほど徹底的に洞察力を働かせて読み込むの意となる。この読みがたい社会動向をきちんと見据えようという少し斜に構えた、しかし面白い言葉である。
様々なことに思いを馳せて少々悩んだ後、飯田は専務の部屋を訪れた。
「『雲蒸竜変』をスローガンとして提案したいと思います。」
社会の動きが激しい今こそ、これまで蓄えた力を存分に使ってもっと飛躍しようという意味、加えて干支の「竜」を含んでいることなどを説明した。
話を聞いた後に、専務がゆっくりと口を開いた。
「お前が推薦するのであれば何も言わん。これを社長に持っていこう。」
専務と二人で社長室に向かい、飯田は同じことを繰り返す。
社長は少し難しい顔を見せて押し黙る。
ひょっとして、受け入れられなかったか。
緊張が走る。
おもむろに社長が話し始める。
「語感が良いのも、発展を示しているのもわかった。だが、そのために皆が何をするのかがわからなくてはスローガンとしてどうなんだ?」
飯田が見るに、社長がなんだか気弱そうな感じにも見える。思うところはあっても自信がないのだろうか?
「はいその点は考えたのですが、元来スローガンとは具体的な行動内容を示すよりは心理的な方向性を示すべきものだと思いますし、具体的な行動は社員の一人一人が自分でこれから考えるのが重要かと思います。」
「だからこそ、未来への良いビジョンをスローガンとして与えるべきだと考えました。」
「うむーっ。もう一度考え直そうとは思わないか?」
社長が念を押すように繰り返す。
「御命じになられるなら再検討しますが、現状での私達が考えたものとしてはこれがベストだと信じています。」
社長は深く考え込む。何を迷っているのだろうか。
「わかった、わかった。もういい。」
「では、これで決定と言うことでよろしいですね。」専務が何か嬉しさをかみ殺している感じに見えた。
「仕方がない。」
「今回はワシの負けだな。」と忌々しげに社長は専務に向かって言葉を投げ捨てるように発した。
「飯田君、ご苦労だった。」専務が飯田に向かって笑顔と共に握手を求めてくる。
「社長の予想を超えたのですから、彼への臨時ボーナスも考えてくださいよ。」と社長に対しても声をかける。
そして、呆然として言葉の発せない飯田に専務が嬉しそうに退室を促すとともに社長にも念押しをする。
「じゃあ、もう退室してくていいよ。それから社長、彼へのボーナスも忘れずに。」
あまりの意外な状況に茫然自失で扉に向かう飯田の後ろ姿に向かって社長が大声で叫んだ。
「これから考える!」




