無くて七癖
癖を持たない人など誰もいない。癖は意識していてもなかなか止められない。
本来癖とは、無意識のうちに繰り返し行動してしまう表面的にはあまり意味のない行動を指す。その種類は多種多様・千差万別であるが、人それぞれ微妙に異なるのがある意味面白い。
しかし無意識のうちに出てしまうもののため、種類によってはそれで恥ずかしい思いをしてしまうこともあるものだ。そして、自分の癖を気にし始めると他のことに集中できなくなってしまう。それが一度気になってしまえば、楽しいはずの場でも我慢大会に早変わりである。
こんなことを考えている俺はと言えば、実は今まさに会社の懇親会の場でその状況に陥っている。
酒もそろそろ回ってみな和気藹々と楽しい話に花を咲かせているというのに、俺はと言えばいつもの癖が出てしまわないかとびくびくしていて全く楽しめない。
お前の癖はどんなものなのかって?
自分の癖など恥ずかしくて人に言えるものではないが、ここだけの話として告白しておこう。
実は俺は、眠たくなると何かを口に入れてしまうという癖である。単に口に入れて寝ているだけなら酔いつぶれているとでも見られて問題ないだろうが、俺の場合にはその口にれるという行為が赤ちゃんのおしゃぶりの替わりになるのである。
そう、口に入れたものを「ちゅーちゅー」と吸ってしまうのだ。
そのせいで子供の頃からその癖で学校では随分といじめられた。だからそれ以降学校で眠くなることがないように常に気を張ってきたし、自然学校や修学旅行などの泊まりがけの旅行は最大限回避してきた。部活動でも合宿に行くような部には決して入らなかった。
恋人もかつていたことはあったが、泊まりがけなどは一度もチャレンジできなかった。それが原因だろうと思うのだが、恋愛は基本的に長続きはしない。
どちらにしても、俺はそのことの恥ずかしさを誰よりも早く気づいていたので、回避すべく最大限の努力をこれまでずっと行ってきたのである。幸いにも仕事を始めてからは出張でもシングルが当たり前で、酔いつぶれるようなことでもない限り醜態を見せることはありえない。接待が必要な部署でもないので、付き合いにの回数も少なくてよい。仮に飲み会になっても、もちろん酔いつぶれるような危険を冒すはずもない。俺は、ほとんど飲めないと言うことで押し通しているのだ。本当はお酒が大好きにも関わらずである。
今日もいつおどおり懇親会などは軽くいなして、ワンルームの自宅に帰ってから一人で飲むつもりでいたのだが、どうしたことか上手く行かないのだ。なぜかしら、俺のまわりに女子社員が集まってお酒を勧めてくる。最初のうちは断っていたのだが、職場の付き合いを考えると多少なりとも口を付けないわけにも行かない。そして、最も大きな問題が俺が密かに好きなあの子もその一員にいるのである。大好きな子からのお酌を断れるほど俺は克己心の強い男ではない。むしろ、弱い自分だと知っているからこそ、醜態をさらす前に憂いを消してきたのである。
「私のお酒が飲めないの!?」
「いや、そんなことはないです。ただ、、」
普段から俺が大好きだと思っている彼女であるが、どうやらしこたま飲んで酔っているではないか。なぜだか俺に絡んでくる。右隣に彼女が座っていること自体は何より嬉しいことではあるのだが、でもそれとこれは別。
「おいおい、さよちゃんのお酌を無視するとはお前も大物だな。」
テーブルの向かい側からは同僚が冷やかしとも、やっかみとも取れる声が飛んでくる。
「飯田さんは黙っていて!私が笹岡さんにお酌しているんだから。」
さよちゃんこと、吉永さんはどうやら絡み上戸らしい。美女の絡み上戸は嬉しいのだが、対処の仕方に困ってしまう。
「あーら、じゃあ私のお酌を先に飲んでよ。」
左から後輩の前山恵子がしゃしゃり出る。
「おいおい笹岡、モテモテだな。この世の春じゃないか。」
今度は斜め前に座る先輩の蓮山さんからも冗談めかして突っ込みが入る。
結局押し切られるように、吉永さんに注がれたお酒を飲むハメになってしまった。
-ええい!元々おれは酒も強いのだ。ただ失敗しないようにと皆の前では飲まないようにしていただけだ。課の綺麗どころにここまでされているのだから、寝てしまわないように細心の注意を払えばやていける!-
半分ヤケのようにも感じられるが、これでも自分の酒量を確認することはまだできている。グラスに口は付けるものの大きく飲み込まないように注意を払うように一歩踏み出した。しかし、それでもやはり怖さが前面に立ち場を楽しむにはほど遠いレベルであった。
俺が神経をすり減らしながら、それでも場の雰囲気を壊さないようにギリギリの緊張感で時間を過ごしていようとも、周囲のテンションはお構いなしに上がり続ける。
-うちの課はこんなにテンション高かったっけ?-
そう思うくらい今日は皆絶好調でお酒も進んでいる。ただ、みんながこれだけ酔っていれば俺のことに注意を払うものもそれほど多くあるまい。もっともだからと言って緊張を解くつもりなどさらさら無いが。逆にまわりが酔って乱れれば乱れるほど、冷静になって周囲を観察する余裕はできてきた。
そういえば、皆十分に酔っているせいか様々な動きをしているものだ。
例えば、蓮山先輩はさっきからずっと左耳の後ろの髪の毛を人差し指と親指を使ってクルクルと巻いている。男性だから髪の毛は短いのに、クルクルと巻き続けるのには意味など有りはしないが、ちょっと可愛い仕草にも見える。確かに、自分の髪の毛を触ってしまうことってあるものだ。
左隣に座る前山はと言えば、ビールを注ぐ時瓶の底の方を持って注いでいる。これは癖なのだろうかそれともマナーだろうかわからないが、俺も良くそうしてしまう。ふと親近感が湧く。
向かいに座る同僚の飯田はといえば、さっきから無意識に割り箸を使ってペン廻しを続けている。いやいや、あまり軽いものを使うと上手く行かないんだって。実際、さっきからぽろぽろ落としているじゃないか。俺もペン廻しは良くするが、割り箸ではさすがにしないぞ。
緊張しながら右隣を見れば、吉永さんも随分と酔っているみたいだ。それにしても酔った姿も随分と素敵である。やはり美人はどんなときにも美人なのだと納得する。そういえばさっきから頻繁に指を口元に持って行っているようだが、これも癖なのだろうか。
どちらにしても酒の影響で皆が普段隠している癖が少し現れているのかも知れない。
人の癖を見て安心したわけではないかも知れないが、予想以上に酒が回ってしまったみたいである。ちょっと危ないのでトイレで休憩をしようと席を立とうとすれば、吉永さんからまたお酌だ。見事なタイミング、、、と言いたいが少々困った。ただ、この艶っぽい姿を目に焼き付けたくなって応じる。
「お、ついに笹岡眠り始めたぞ。」
「静かに。そーっと様子を見るの。」
「さて、どんな癖が現れるのかな。」
笹岡の周りにいた皆が一斉に注意を彼に向ける。
「あら、お箸を口元に持っていったぞ。」
「どうするのかしら。」
「おお、吸い始めた。ちゅーちゅーだって。」
「でも、ちょっと可愛いかも。」
「この程度なら、隠す必要もないのにね。」
飯田が続ける。
「しかし、俺たちがみんなで笹岡の癖のマネをしていたのには最後まで気づかなかったな。ちょっと残念。俺頑張ったのに。」
「こいつ、自分の癖を隠そうと必死になってちょっと無理していたからな。だから、癖なんて気にしなくても良いと思わせようとわざとアピールしてみたが、自分の癖って気づかないものだな。」
と蓮山先輩。
「でも、このことはやっぱり黙っておきませんか。隠しているものを暴くのってやっぱりいやだなぁ。」
前山が続ける。
「でも、この癖やっぱり可愛いかも。母性本能くすぐられるわ。」
夢うつつの中でそんな声が聞こえてきたような聞こえてなかったような。




