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日本隆起

「大変なことになるかもしれん!」

モニタを眺めながら呟いた荻島教授の声は震えていた。

「まさか、どこかで地震が発生するのですか?」

助教の飯田慶子が問い返す。普段から茶化し気味に話すことも多く、からかうように大袈裟なフリをする癖のある荻島教授だが、今日の声のトーンはどうも少し違う。

何か嫌な予感がした。

「地震が発生するかどうかは大きな問題じゃない!」

「えっ?」


 荻島教授は、政府が進めてきたスロースリップ計画(SS計画)の中心を担ってきた人でもある。地震国の日本を巨大地震から解放しようと計画されたこの国家プロジェクトが始動して既に10年が経過する。少なくとも計画が順調に進行し、結果として現実にプレート境界での歪みが急激に縮小した。その効果がはっきりと表れたかどうかを10年程度の期間で判断するのは困難ではあるものの、日本列島に生じる微小地震の数も目に見えて減少するに至っている。

 地震の周期は非常に長く予測が困難なため現在までの結果をもって確実な成果を断言することはできないが、それでもなんらかの効果があったのは間違いないと信じている。しかし、学生時代から荻島教授の普段を知る慶子からすれば、釣り好きの気さくなおじさんというイメージがあまりにも強かったので、これほど大きなプロジェクトに関わること自体に違和感が大きかった。未だに凄い人物だという感じが全く湧き上がらない。


「地震も起きるだろう。しかし、そんなこととは比較にならない大問題が発生するかもしれん。」

「地震よりも大変なことですか?」


慶子には意味がわからなかった。

「大地震の抑制は成功したんですよね?」


成功かどうかをこの短期間で評価できないのは百も承知ではあったが、それでも研究者としての直感がその成功を確信させていたのも事実である。


「これまでのタイプのものはな。」

「では、新たな問題が生じたと言うことでしょうか。一体何が?」

「SS計画は順調だよ。順調すぎると言っても良い。」

「では、予測できなかったことが生じていると仰りたいのですね。」

「ああ、そうだ。私のミスだ。こんなコトが起きるとは。」

「今は、何をシミュレーションされていたのですか?」


性格は陽気であるにもかかわらず、研究に関しては秘密主義の荻島は自分の研究経過を普段はあまり話すことがない。だから慶子も荻島がどんなモデルの解析を行っていたかはよくわからない。


「基本的には今まで計画してきたモデルの検証をしただけなんだ。」

「摩擦や地盤の変動については、想定誤差の範囲を超えていないことは今もGPS観測で検証されていると思いますが。」

「そうだ、全く問題ない。順調すぎるくらいだ。」


 SS計画とは、日本列島と太平洋の間にある地震の巣たるプレート境界において、歪みを溜め込ませるのではなくゆっくりと吐き出し続けることを計画したものだ。地盤内に特殊な薬剤を注入することで、プレートの接触面における摩擦を大きく低下させることにより大地震を防ごうというものである。

 最初は学会において相手にもされず馬鹿にされたものだったが、小規模実験の成功に政府与党の政治家たちが飛びついて流れが激変した。その背景には、東京オリンピックが開催を獲得したことも強烈な追い風になったのは間違いない。結果として日本は問題なく二度目の夏季オリンピックの開催をすることもできた。


 どちらにしても、マイナーな研究が一気に陽の目を浴びて荻島教授は一躍時の人となった。しかし、その性格とは合わないのだが、目立つことを嫌う教授は相も変わらず観測結果と睨み合いの日々が続けていた。観測データを調べては、モデルを調整して新たな解析を続ける。その繰り返しが平穏な日常でもある。


「では、何が問題なのですか?」


慶子も同じ観測データを用いて自らの研究に利用していたため、荻島教授の言わんとしていることには大いに興味を惹かれている。一体何が起ころうとしているのだ?


「これまでは、単純にプレート境界面の摩擦が極端に低くなった場合の影響のみを調べていたんだ。マントルの動きに対する地殻の抵抗が小さくなれば、当然その派生現象として生じるプレート境界型地震はほとんど無くなるだろうことはその通りだった。そしてひずみの開放に伴いプレート内のいわゆる直下型地震も計画初期を除けば数が非常に少なくなった。」

「じゃあ、計画通りなのですね。」


荻島の沈んだ声は今も変わらない。

ただ、慶子にとっては荻島の心理状態よりも何に気づいたの方が知りたかった。


「とすると、その先には何があるのですか?」

「プルームテクトニクスにあるコールドプルームは知っているな。」

「はい、東京直下にも小さなものがあると想定されている、、、」

「プレート速度の検討結果から、もっと巨大なメガリスが日本海の下部マントル内にある。」

「そんな報告はどこからも聞いていませんが。」

「一部の者たちしか知ってはいない。」

「しかし、コールドプルームもマントル内に沈降していくのではないですか?」

「その速度についていくつかのシミュレートしていたんだ。」

「まさか!?」

「そうだ、プレートの沈み込み速度よりもかなり遅い。」

「プレートに押されて加速するということはないのですか?」

「そこまでわからん。ただ、最悪の場合には困ったことが発生する。」

「プレートとの衝突ですか?」


「いや、それもあるが地殻の移動速度がそれほど速いわけではなく、衝撃力が発生するというものもなないだろう。ただ、、、」

「ただ、、、?」

「メガリスの大きさが私たちの予想通りであった場合には。」

「どうなるんですか?」


「日本が隆起する。」

「沈没ではなくて??」


「これまではプレート同士の摩擦によって速度が大きく抑制されていたために、プレートとメガリスの速度差があまり大きくなることはなかった。」

「しかし、それを開放してしまった。」

「そうだ。そして、メガリスに接触したプレートは摩擦こそ起こさないが、移動速度を急激に低下させる。そして、その反動で地殻が盛り上がる。」


荻島教授は席を立ち、コーヒーメイカーでお気に入りの豆をひき始めた。少し落ち着いてきたのかもしれない。


「それで、隆起はどの程度発生すると予測されるのですか?」

「あくまで以前の予測に過ぎないが、、、。あと10年ほど先にそれが始まり、100年間で平均約20m隆起すると計算している。」

「年間20cmということですね。」


思ったほど動揺していないなと自分で思いながら、慶子は聞き返した。


「これが何を意味するかわかるかね?」


少し間を置き、自ら入れたコーヒーを口にした後荻島教授はおどけた口調で聞き返した。


「その過程で新たな地盤のひずみが発生することが考えられますね。」

「うむ、それもある。」

「それ以外には、、、?」


慶子には即座に思い当たる答えはなかった。


「海水準変動からすればレベルは大したことないのかもしれないが、現代文明が経験する中では最も急速の変動の一つだろう。」

「確かに、これほど急速で大規模な地盤変動は聞いたことがありません。」

「そうだ、そしてこれによりマントルの動きや形状に変化が生じ、それがマグマ溜まりの位置や大きさに変化が生じさせる。いや少なくとも大きな刺激を受けるだろう。」

「ということは、火山活動が活発化するということですね。」

「あくまで仮定に仮定を重ねた結果ではあるがな。」


大変な話である。富士山の噴火も囁かれ続けている現時点、慶子はひそかに大地震の抑制が逆に火山活動も安定化させるのではないかと考えていたからである。


「特にどのあたりの火山が影響を受けるのでしょうか。」

「これももっと突っ込んだ解析をしたところだが、日本の南東側の太平洋ではないかとないかと考えている。」

「とすると、太平洋プレートもしくはフィリピン海プレートのあたりということですか。」

「あくまで私の作った地盤構成モデルによるシミュレーションの結果に過ぎないがな。」

「では、日本列島全体の火山活動が活発化するということではないのですか!?」


島々に住む人たちには申し訳ないが、慶子は少し安堵した。日本国中の火山が激しく活動を始めたとすれば、日本という国家の存亡にもかかわりかねない。そして、このプロジェクトを推し進めた荻島教授をはじめとする先生方は国を滅ぼした張本人ということになってしまう。


「これも私の妄想と言えるかもしれない予測だが、その結果日本の南にかなり早い時期に大きな島が生まれる。」

「超巨大火山の誕生ということですか?」

「それはわからないが、現在の調査の結果からはそこまでの大きなものは出てこないと思ってはいるが。」

「では何が大変なのでしょうか?」

「新たに島ができるのではないかと予想される場所は、日本の排他的経済水域の近くだけどその内側ではないんだよ。」


慶子にも教授が何が言いたいのかがわかった。


「すなわち、新たな領土戦争が始まるかもしれないということですね。」

「硫黄島と大東島の中間あたり。万が一、飛び地のようにここにできる島を他の国に抑えられては、日本の安全保障上の大いなる脅威となるかもしれない。」

「でも、その情報をどこよりも日本が早く掴んでいれば紛争は回避されるのではありませんか。」

「確かにな。だが島ができると予想される場所は何か所もある。」

「公海上とは言え、日本が先に調査して宣言すれば容易に他の国に占領されるということもないと思います。現状での予想を早期に政府に伝えましょう。」


しかし、荻島教授の反応はいま一つ芳しくない。むしろ、困惑しているといった風体にも見える。


「巨大地震を克服した日本がさらに排他的経済水域も広げられるチャンスなのですから、まずは調査体制をきちんと作り上げてもらいましょう。先生!」

「いや、、、うむぅ。」

「何を躊躇われているんですか?」


荻島教授は何か吹っ切ったような雰囲気で話し始めた。


「実は、ここまでのことは既に少し前にはわかっていて、政府にも伝えてあるんだよ。」

「えっ?そうなんですか?全く知りませんでした。」

「まあ、国家的な秘密だったので誰にも話したことはなかった。」


教授が寂しそうに笑ったようにも見えた。


「でも、それでは何が大きな問題なんです?」

「シミュレーションの前提となるデータに間違いが見つかった。」

「どんな間違いなんですか?」

「プレートとメガリスの衝突地点の推定とその後の挙動なんだが、私が以前予想していたよりも重心を外れている。というか、メガリスの大きさを見誤っていた。」

「それは、メガリスが回転すると言うことでしょうか?」

「さすが、飯田君だ。物わかりがよい。このメガリスの回転により、日本はいっそう隆起が進行し、それに応じて日本よりも北西側のユーラシアプレートがじわじわと陥没する。」

「それは、、、」

「何度も見直した結果だ。まず間違いがない。」


その先は言うまでもないことであった。

あとは、マントルの熱により沈み込むプレートがマントルと同化することで、プレートがメガリスを回転させないことを祈るしかない。この後の教授の言葉に同意した。


「きっと明らかになるのは何十年も先の話だ。気づかなかったことにしておこう。」

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