一日目 その1
24
昨日、俺の高校で死んだ人の数だ。
巷をにぎわせている殺人集団が、何を思ったか平日の真昼に学校に侵入したらしい。二時間目の授業も中盤に差し掛かり、気の早い奴だと昼の弁当のこととかを考えている時間帯。
標的になったのは俺のクラスだった。
連日の夜更かしが響いた俺は、昨日は一日中家で寝込んでいた。この話は今朝、校長先生から連絡があって初めて知った。
助かったのは、僕を含めて3人。
幸運だった。生き残ることができた。死んだクラスメイトには悪いが、とくに仲のいい奴もいなかったから何の灌漑も湧かない。
朝、校長先生が電話で俺に事件のことを伝えたとき、君が責任を感じる必要はないみたいなことを言われた。はあと答えるしかなかった。なんで学校を休んでいたのに、その学校で人が死んだ責任を取らなきゃならんのだ。
昨日のおかげで一週間、学校は休校になる。急に春休みが来たみたいで嬉しい。
殺人鬼たちは捕まった。この町にはもう殺人鬼はいない。
俺にとっては地続きの日常が、他の人には断絶された日常が、今日もやってくる。
幸い一日寝たおかげで体調は良好。朝食を食べ、久しぶりに本屋でも行こうかと外行きの格好に着替える。デニム生地のズボンをはき、無地のTシャツの上から緑色のパーカーを着こむ。このパーカーは比較的気に入っている衣服の一つで、去年ユニクロで買ったものだ。
財布とスマホと家の鍵をパーカーのポケットに突っ込み、部屋を出る。
僕が住んでいるマンションは十五階建てで、僕はその下から七つ目の階層の一室に住んでいる。建材特有の匂い漂う廊下を進んでエレベーターの前に立ち、下向き矢印のボタンを押した。ドアの上にある表示部分が、十階から箱がやってくることを僕に伝える。
……嫌な予感がする。
安っぽいベルの音と共にドアが開き、予想通り中にいた人影が僕の姿を捉え、一言。
「お、まっちょじゃん。おはよー」
「……おはよう」
言っておくが俺は断じてマッチョではない。運動系の部活にも入っておらず、筋肉がつく気配はない。つける気もない。
中にいたのは、同級生の女子だった。ジャージとサンダルの。
宮田春。こいつの名前。明るく元気な不登校女子高生。いつも紺色のジャージを着ており、理由は「動きやすいから」らしい。ニートが運動なんぞするはずもなく、こいつも例にもれず運動なんかしない。それなのに服に機動性を求めるのはおかしい。
ちなみにこいつも俺と同じクラスで、同じ生き残りの一人。ニートが生き残ってどうする。
ドアが閉まらないうちにエレベータに乗り込み、宮田と対角線上になるようなるべく距離を取って立つ。ちょうどボタンが近いので押そうとして、奇妙なことに気付いた。
「……七階のボタンが光ってるのはなぜだ」
「やだなーまっちょ、わかってるくせに」
うぜえ。
こいつは同じマンションに住んでいるのをいいことに、俺の部屋にちょくちょくやって来ては食料品を奪い去ってゆく。いつの間にか合鍵を作られているようで、学校に行っている間に盗まれるので防ぎようがないのだ。しまいには『ネギが食いたい』とか書置きを残していく始末。なんなのこいつ。俺の家を食糧庫かなんかと勘違いしている。
で、こいつは今も家に忍び込もうとしていたわけだ。
「お前のおかげで毎月、食費がかなりかさむんだが」
思わず苦言を呈したくもなる。
しかし当の本人は欠片も悪びれるつもりなんて無いみたいな笑顔を見せながら、あっけらかんと言い放った。
「ウチに支払い能力は無いからね」
知ってるわニートが。
■ ■ ■ ■ ■
「で、なんでお前ついてくるの」
「いやいや、ほらね? まっちょが悪い人に絡まれたりしないように警護してるんだよ」
マンションの自動ドアを出ると、なぜか一緒に宮田も出てきた。なぜお前に警護されなきゃいけない。
とりあえず、近所の本屋まで歩いて向かう。途中宮田が何度か話しかけてきたものの、「あぁ」とか「うん」とか「そうだな」と言って流しておいた。何を言っていたか知らんが、どうせ間宮のことだ。くだらないことに決まっている。
細い路地が入り組んで軽い迷路になっている住宅街を抜けると、いきなり太い道路に出る。平日の午前、通勤通学の時間帯は過ぎたものの、まだまだ車の通行量は多い。軽自動車にトラックと様々な乗り物が行き交う道路、その横にくっつけられた歩道に踏み出す。歩行者は少なく、遠くに小さくママチャリが見えた。
目的の本屋は、大型ショッピングモールのなかに入っている。この辺は中途半端に田舎で土地代が安いため、そういう大型の建物が多いのだ。
二車線の道路を横目にひたすら直進する。途中二つか三つ信号があって、運悪く全て足止めされた。三つめの信号に引っかかった時ふと後ろを見ると、宮田が何かを期待するような目で俺の方を見ていた。
「食いもんならやらんぞ」
「ひどいっ」
見え見えである。こいつの頭には基本的に食い物とゲームしかないのだ。どうせモールまでついて来て、なにか食い物をねだる魂胆だったのだろう。入口近くのアイス屋とか、ファストフード店とかで。毎月ゲームに食費代までつぎ込んでいるらしい。正真正銘の馬鹿だ。
宮田は目に見えて落ち込みながら、ジャージの裾をつまんで弄んでいた。放っておいて前を向くと信号が青になっており、白線が引かれたアスファルトの上に右足を踏み出す。少し歩くと、後ろからぱっこぱっことサンダルの音が聞こえた。まだついて来ているらしい。もう無視して進む。
信号を渡って少ししたら、件の大型ショッピングモールが見えてきた。ピンクのロゴを建物に大々的にプリントしており、デザイナー大儲けだなと思った。
入口の自動ドアが恭しく左右に開くと、中からひんやりと冷房の効いた大気が足元をなでる。後ろの宮田が「さむぅ」とつぶやいているのが耳に入り、それと同時にモール店内から軽快なBGMが聞こえてきた。
入口の近く、アイスクリーム屋。様々な種類のアイスから好みのものをいくつか選べるようになっていて、家族連れやカップルが店の前に設置された休憩スペースに陣取っている。
「あーつかれたー」
後ろのジャージが何やら騒ぐ。ダダをこねる小学生か。おんぶはしねえぞ。
「ねーまっちょ、疲れたからアイス食べない?」
「なにお前がおごるみたいな言い方してんだ。どうせ俺持ちだろ」
「だーってつかれたんだもーん」
「おまえさっき寒がってたじゃねーか」
俺は聞き逃さなかったぞ。
言われた間宮は自分の失敗に気付いたようで、さっと僕から目をそらす。
「俺、本屋行くから」
「冷たい……まっちょ冷たい」
「マッチョ言うな」
周りのお客さん引いてるじゃねーか。
■ ■ ■ ■ ■
本屋に着いた。二階のエスカレーターを降りてすぐにある、モール内で一番でかい店舗面積がある
インクと紙の匂いが微かに漂う、なんとなく落ち着く空間。ここの本屋は品ぞろえも良くポイントサービスも気前がいいので、よく利用させてもらっている。
「うう、けちまっちょ。けっちょ」
後ろの間宮がうじうじ拗ねていた。ここに来るまで何度も食べ物をねだり、そして俺にことごとく断られているのだ。宮田のぼさぼさの頭が、俯いたままグラグラと揺れている。そこまでショックか。あとケッチョってなんだ。
「悪いが、今日お前に使える金は無い」
「じゃあ明日ね」
「なんでさも当然そうに人にたかれるんだよお前……」
はあとため息。
「とりあえず俺は小説コーナー回るから、お前は好きにしとけ」
「え、マジで?」
「ただし常識の範囲内でだ」
「えー」
「範囲外で何しようとしてしてたんだよ」
「ふふふふ、ひ、み、つ」
唇に人差し指を当てて色っぽく言おうとしているが、その体つきで色っぽさを出そうとするのは無理があると思う。しかもジャージにサンダルと女子力皆無の服装に身を包んでいるのに何をしようというのか。
なんというかこう、ウザいと思う前に、憐れみの感情が湧いた。
「や、やめて! ウチをそんな憐れむような目で見ないで!」
憐れむような目だよ。
「……じゃ」
「うう……いってらっしゃい」
間宮を置いて本屋に入り、文庫本コーナーを見て回る。十分ぐらい回っていると好きな作家の新刊が出ていることに気付き、手に取ってレジに持って行く。
その途中、パーカーのスマホが震えた。なんだと思ってとってみると、一通のメールが来ていた。知らないメールアドレスだ。
件名:間宮です
本文:助けて
それだけのメールだった。
あいつ、いつの間に俺のメアド手に入れたんだ。教えてないのに。
軽い恐怖を覚えながら、返信のメールを打つ
件名:Re:間宮です
本文:どうした
間宮からの返信は早かった。
件名:Re:Re:間宮です
本文:一階の■■■■に来て
たしか、イタリアンの店の名前だ。バイキング形式のレストランで、結構繁盛しているらしい。場所も知っているが入ったことはない。
件名:Re3:間宮です
本文:なんで
今度の返信には少し間があった。
件名:Re4:間宮です
本文:助けて
……どうにも胡散臭い。
なかなか理由を説明しようとしない。
件名:Re5:間宮です
本文:だからな
そこまで入力して、突然天井のスピーカーから放送が入った。
『本日お越しの、まっちょ様。本日お越しの、まっちょ様。間宮様がお待ちです。一階カウンターロビー前までお越しください。繰り返します。本日お越しの…………』
死にたくなった。