その9-2 それは超簡単なこと
メリーゼの隠れ家。
加賀と黒瀬はその薄暗い廊下をゆっくりと歩く。
二人が向かうのは、およそ三時間前、黒瀬がメリーゼを刺した部屋。
黒瀬の言う通り侵入者がいるとするならば、まずはそこを確認するべきだろう。
床を鳴らさないように、気配を殺して二人は歩く。
どこで侵入者と鉢合うかは分からないが、加賀の気持ちは穏やかだった。
標的の潜伏場所に侵入し、奇襲をかけて相手を殺す。
そんなことは、元の『世界』では日常茶飯事だった。
今更緊張することもない。
ましてや今は、黒瀬がいる。
何を不安に思うことがあるのだろうか。
そうして、その部屋の側に辿り着く。
扉は、開いている。
加賀と黒瀬がこの隠れ家を出ていくとき、この扉を閉めたかどうかは……覚えていない。
加賀の後ろに着く黒瀬に、チラリと視線を向ける。
すると、黒瀬はニヤリと唇を歪め、ナイフを持ったまま、右手の親指をグッと立てて見せつけた。
「…………」
さっぱり意味は分からなかったが、コンディション抜群だということは何となく読み取れた。
それを準備万端だと勝手に解釈して、加賀は開いた扉の隙間からそっと顔を覗かせる。
室内。
黒瀬がメリーゼを刺した部屋。
血を流したメリーゼが孤独に放置された部屋。
そのはずの、部屋。
しかし。
しかしそこには。
その部屋には――誰も、居なかった。
何も、存在していなかった。
床に転がっているはずのメリーゼも、消えていた。
侵入者らしき姿も見られない。
その気配も感じない。
加賀はゆっくりと室内に足を踏み入れる。
それに黒瀬も続く。
「んー、加賀先輩、誰もいねえっすね」
「問題なのは、メリーゼちゃんの姿もないってところだけどな」
血だまりは残ったままだ。
這った様子もない。
まさに、その場から『消失』してしまったかのよう。
「うーん、おかしいっすねー。メリーゼちゃんもそうっすけど、侵入者の気配も、なんか急に無くなった感じがするっす」
「ふぅん……?」
侵入者とやらは黒瀬の勘違いだったと考えても、メリーゼの姿がないというのは、見過ごせない。
「……とりあえず、家の中を周ってみるか」
と、加賀と黒瀬はメリーゼの隠れ家をくまなく捜索した。
しかしどこにもメリーゼの姿はなく、侵入者も確認できなかった。
「…………」
あるとすれば。
メリーゼが『何か』の魔法を使った。
この世界には召喚魔法なんてものがある。
ならばその延長として瞬間移動のような魔法があっても不思議ではない。
瀕死の状態で、そういう魔法を使ったという可能性も十分にある。
メリーゼの死が確認できていればその線は消せるのだが……。
あと考えられるとすれば……侵入者は黒瀬の言う通り存在してメリーゼを連れてどこかへ消えた……といったところか。
「……せめてメリーゼちゃんが完全に死んだかどうかは確認しておくべきだったな」
「んー、確かにそうっすね。うん、食べ残しはダメってことっすかねぇ」
分かりにくい例え話をしつつ黒瀬は床に座りこんだ。
「だけど加賀先輩、一つ分かるのは、侵入者はメリーゼちゃんを大切に思ってるってことっすよね」
「ん? どうしてだ? それも女の勘か?」
「うーん、いやいや、そうじゃないっすよ。んまぁ、超簡単なことっすけど」
黒瀬にしては珍しく、直感的なものではないらしい。
クルクルと手に取ったナイフを回しながら黒瀬は続ける。
「たぶん、私が侵入者の気配に気づいてたのと一緒で、侵入者の方も私たちの存在に気付いたんすよ。だから、魔法だか何だかを使って慌ててこの場から消えたんじゃないっすかね」
「うん? どうして慌てて消えるんだ?」
「そこが、メリーゼちゃんを大切に思ってるんだろうな、って思う理由っすよ」
座ったままの姿勢で、黒瀬は言葉を選ぶようにして話す。
「えぇっとっすね……侵入者は、メリーゼちゃんが生きているにしても死んでいるにしても、一刻も早くこの場から遠ざけたかったんじゃないっすかね」
「ふぅん……なるほどね」
侵入者がメリーゼを大切に思っているからこそ、加賀たちとの接触は避けたかった……ということだろうか。
一刻も早く延命措置を取りたかった……もしくは、蘇生魔法、なんてものが存在するのなら、それでメリーゼを生き返らせたかった……とか。
何れにしろ、メリーゼのことを最優先にした。
侵入者はそれを、選択した。
……そういう考え方をすると……。
『政府』。
メリーゼは『政府』に追われていると言っていた。
それは何となく、『政府』にとってメリーゼが邪魔な存在だから……とか、そういうイメージでいた加賀だったが……もしかすると、それは真逆だったのかもしれない。
すなわち、『政府』にとってメリーゼが大切な存在だった。
だからこそ、メリーゼを追っていた。
「あと、加賀先輩。そこから導ける答えがもう一つあるっすよ」
にっこりと、黒瀬は微笑む。
笑顔のままで、ナイフを床にザクリ、と刺す。
「そんな優しくて思いやりがあって、甘くて生ぬるい連中は、超簡単にぶっ殺せるってことっす」




