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 やっぱり五軒家さんは知っていた。

「あのときみたいに、ね」

 康三さんの立てた物音をポルターガイストと勘違いして逃げ出した五軒家さんは、しかし、鳥居をくぐったところでくるりと振り返り、彼女はボクの胸に突き刺さる一言を残して去っていった。

 五軒家さんは妹が交通事故で死んだと言った。しかし、本当の事情は少し異なる。結果としては交通事故だったんだけど、最初は誘拐事件だと思われていたのだ。

 あれは六年前。ちょうどいまのように寒い時期だった。冬休み直前に五軒家さんの妹は忽然と消えて、自宅に身代金を要求する脅迫電話がかかってきた。

 そのとき、ちょうどボクのほうはすでに冬休みに入っていて、康三さんのところに遊びにきていたのだ。山奥の学校で雪も積もるから、夏休みは名古屋市内の学校とくらべて短く、かわりに冬休みは長い。そして、康三さんは子供と仲良くしてくれたし、なんでも買ってくれたし、年末ならクリスマスプレゼントとお年玉が期待できた。

 思い返してみると、あれが五軒家さんのお父さんだったのかもしれない。康三さんにもらった小遣いでお菓子とマンガを買って帰ってきたら、お客さんがきていたのだ。

 下校時に子供が誘拐されたから探して欲しいと康三さんにお願いしていた。いなくなった夜に身代金を要求する脅迫電話がかかってきたが、犯人から連絡はその一度だけで、それから一週間も経過しているが犯人の動きはないということだ。警察も公開捜査にすべきだという捜査員もいれば、あと数日は様子を見たほうがいいと主張する捜査員もいて、かなり難しいことになっているようだった。

 盗み聞きをするつもりはなかったけど、ボクの聴力だと玄関から室内の話し声がみんな聞こえてしまう。

 そして、そのころのボクは思い返すと吐き気がするほどイヤな子供だった。

 ――大神一族はじまって以来の天才。

 当時のボクはそう呼ばれていたのだ。

 大神家の伝承は戦国時代の初期に東三河北部を領有していた大久保春昌が敵に居城を包囲されたときからはじまる。遠江を制圧した今川氏親は永正三年(一五〇六)に三河に侵攻した。大久保春昌の所領は山間部で軍事的な価値は非常に低く、城方の兵は数百ほどだったと伝えられている。

 対する今川氏親は主力をさしむけることはしなかったが、それでも敵方は五千とも、七千という記録もある。周囲を完全に封鎖して持久戦をおこなうことも、力攻めすることも、どちらでも充分な兵力だ。

 地形的に峻険な山城だから守りはかたかったが、兵力の差は歴然としていて、勝ちを拾える可能性は千にひとつ、万にひとつもなかった。

「誰でもいい、敵の大将の首をとってきた者に姫を与える」

 勝ち目のない戦に、春昌は助かるためならどんな約束でもする気になっていた。

 姫の美しさは近隣にも聞こえるほどの評判だったから、もちろん家中では嫁にもらうどころか一目だけでも見てみたいと渇望する者も多かった。しかし、十倍の包囲網を破って本陣までたどりつけるわけがない。

「おおおおおつつっっっっーーーーーーーーーーーーーっっっ」

 そのとき遠吠えが聞こえてきた。大神神社のある山だった。山間部で狭い田畑しかなく、その上にイノシシの食害がひどい近隣の村がオオカミを守り神として、小さな神社を建ててお祭りしていたのだ。

 この地域には小さいながらも統率力が高いボスに率いられたオオカミの群が山奥に住んでいて、あまりにひどく田畑を荒らすイノシシがいると、どこからともなく現れて退治してくれるという伝説があった。

 その伝説にあるボスとおぼしき巨大なオオカミが出現したのだ。そのオオカミは山をくだり、疾風のように敵陣を突破し、本陣まで駆け、敵の大将の首を一噛みで食いちぎって城に戻ってきた。それを見た敵兵たちは恐れをなし、総退却した。

 時代はくだり、大永五年(一五二五)に松平清康は三河統一し、大久保春昌も松平氏に従属することとなった。その清康の孫が徳川家康で、大久保家は戦国、安土桃山、江戸と激動の時代を生き延びることができた。

 話を戻して、今川氏親が三河から撤退したあと約束どおり姫はオオカミに嫁ぎ、六人の子供が生まれ、それぞれが人間の姿をしていながらオオカミの性質も併せ持っていたと伝わっている。昔話や伝説伝承では『鶴の恩返し』や『羽衣伝説』など異類結婚譚はめずらしくもないし、実在するはずがない鬼や河童や幽霊も普通に活躍しているわけで、この大神家縁起もそういうものの一種なのだろう。

 ただ、現実に大神家の一族には並外れた嗅覚や聴力など、特殊な能力を持つ者が少なからずいる。凶暴性が強かったり、狡猾だったり、性格的にもオオカミらしい者も多くいた。あるいは特殊でもなんでもなく、動物としての本来の力を保っているだけかもしれないが。

 実際のところ人間は動物の中でもっとも弱い。例えば体重が人間の半分くらいしかないチンパンジーでも握力は二百kgを超えるらしい。プロレスラーならリンゴを握り潰すこともできるだろうが、チンパンジーは特別に鍛えたりしなくてもリンゴを握り潰す程度のことは簡単にできる。驚くことでもなければ、自慢するほどのことでもない。

 オリンピックの走り幅跳びの選手でさえ七メートルから八メートルが限度。だけどカンガルーは普通に八メートルくらいなら飛べる。

 それは嗅覚や聴覚についても同じ。いまの人間は野生の世界で生きていくだけの能力を完全に失っている。

 本当にオオカミと人間のハーフだったのかはわからないが、その六人が大神一族の先祖ということになり、祖父にあたる大久保春昌から所領として大神神社のある山をまるごともらって住みついたという。

 そして、大久保家とともに信長、秀吉、家康の時代を歩み、明治維新も乗り越えた。

 いまもその山は大神の本家が所有していて、宗教法人としての認可をもらったり、いまの時代に合わせた形になっているが、やっていることは昔と変わらなかった。

 つまり大神神社はできた当時こそオオカミを農業の神様として祭ったものだったが、実際のところは大神一族の者が必要におうじて土地を守り、人を助けてきたのだ。ローカルな地域の守護神というのが大神の立場。

 ただし、特殊な能力があることを知られてしまうと悪用しようと企む者もいるだろうから、あくまで表向きには大神一族は神社の神官だったり巫女でしかなく、裏の動きを極力悟られないようにしているのだが。

 そういう一族にあってボクは戦闘能力に関しては並レベルだけど、微妙な臭跡を追ったり、かすかな物音を聞きわけることに突出した才能があると将来を期待されていた。

 大神一族に代々伝わる訓練方法で試してみても、五歳のときには一族中で最も高い点数――それも圧倒的な高得点を叩き出していたのだ。まだ、実戦に参加したことはないものの、本家の嫡子という血筋の上に、絶対的な能力を持つ天才児というのがボクの対する揺るぎない評価。

 オトとの関係でも評価を上げた。

 ボクが大神一族はじまって以来の天才だとしたら、オトは大神一族はじまって以来の狂狗だ。

 母親の乳首を噛み千切り、父親の指を喰い千切る。まだ歯の生えてない生後間もなくのころから、顎の力だけで指の骨くらいなら簡単に砕いてみせた。

「粗暴なところだけ大神の血が色濃く出たな。手に負えない失敗作だ」

 幼かったボクには祖父ちゃんの言葉は半分もわからなかったが、鉄格子のはまった狭い部屋に独りぼっちで寝ている赤ちゃんに同情した。

「この子は?」

「音瀬ぢゃ。おまえの母さんの妹の子供だから、イトコだな」

「オト……」

 ボクはためらいもなく鉄格子の中に両手を差し入れた。

 その瞬間――。

 寝ていたはずのオトがいきなりボクの目の前に現れた。ワープとか、物理的な法則を無視したようなスピードで、気づいたときには右手を噛まれていた。

 カリカリカリカリ…………………………。

 骨が軋む。

「だいじょうぶだよ、仲良くしよう」

 左手でオトの頭を撫ぜた。

 パクッと大きく口が開いて、ボクの右手は自由になった。うっすら赤くなっているが、ケガまではいってない。

 そして、オトはボクに撫ぜられて、うれしそうに目を細めてアウアウと叫んだいた。

「奇跡ぢゃ……狂狗の攻撃を耐えしのぐ防御力………………あってもおかしくないはずぢゃが…………………………」

 祖父ちゃんが唖然としてボクを見る。ボクは皮膚、筋肉、骨も人間レベルをはるかに超えているらしい。

 それ以後、オトはボクと一緒のときだけ座敷牢から出ることを許され、一緒に訓練――という名の遊びをよくやっていた。祖父ちゃんが裏山になにかを隠し、それを探し出すという、臭跡を追う訓練が多かったけど、家の近くだと簡単すぎるから、難易度を上げようと三つも四つも山を越えたところに隠すようになった。

 たぶん、祖父ちゃんは真剣にボクの能力を高めようと指導してくれていたのだと思う。

 ところが、ボクはお弁当を持ってピクニック気分でオトと一緒に山で遊んでいただけだ。しかし、それでも全問正解というか、百点満点というか、祖父ちゃんが隠したものを見つけられないことは一度としてなかった。

 だからこそ、大神はじまって以来の天才と呼ばれ、自分でもそれを当然の評価だと――つまり慢心していたんだろう。

 だから、五軒家さんの妹がいなくなったという話を耳にしたときも、康三さんよりもボクが探したほうが早く子供を見つけられると、すぐに神社を飛び出した。もし途中で誘拐犯と出会ってしまったとしても、相手を積極的に攻撃して取り押さえるのは難しいかもしれないけど、逆襲されて死んだり大ケガを負う恐れは少ない――誘拐犯がオトの顎の力なんか問題にならないほどの強力なライフルで武装していて、そのライフルを完璧に使いこなせる射撃の名人でない限り。

 大神神社では行方不明者の生還を祈願するときは、その人の身に着けていたものを持ってくることとされていた。そして、無事を願う加持祈祷をするようなふりをして、こっそり裏で臭跡をたどって探すのだ。

 このときも玄関先に五軒家さんのお父さんが持ってきた、誘拐された子供の靴が置いてあった。そのにおいをしっかり嗅いだから臭跡をたどるのは簡単。康三さんとの話から学校の帰り道にさらわれたらしいので、追跡の起点は小学校の校門だ。

 ただし、誘拐された日の夕方からしばらく雨が降っていたため、においが流れてしまったらしく、臭跡をたどるのには警察犬も失敗している。ボクは生意気にも警察犬とどちらが優れているか勝負するのも面白いなどと思っていた。

 そして……。

 小学校から十分ほど歩いた住宅街の十字路でボクは血まみれの女の子を見た。

 幻視や過去視の能力はない。だから、それはボクの頭の中の勝手な空想。でも、ゴムの焼けるにおいと、むせるような血のにおいで、その十字路で起きたことを生々しく思い描くことができた。

 急ブレーキの軋むような音。

 おびえた顔をした女の子。

 タイヤはアスファルトにこすりつけられ。

 へこむバンパー。

 女の子はグシャと潰れる。

 血がドクドクと流れた。

 ――それからの記憶はない。

 あとで康三さんに聞いた話だと、ボクはふらふらと神社に戻ってきて、いきなり康三さんに五軒家さんの家の電話番号を尋ねたらしい。そして、問題の十字路を調べるように電話で伝えると、そのままばったり倒れて三日ほど起きなかったという。

 警察が十字路を捜索して犯人を割り出した。ルミノール試薬は二万倍に薄めた血液でも反応するので、雨で洗われて事故現場に見えないような場所であっても、そうと知った上で調べれば簡単にわかってしまう。さらに地道な鑑識捜査の結果、ぶつかったときに車体から剥がれた塗膜片が残っていて、そこから車種を特定し、あとは修理工場への聞き込みで該当車両の割り出しに成功した。

 犯人は飲酒運転で子供を轢いてしまい、怖くなって死体を車に乗せて山に遺棄したと供述した。行方不明だと通学路になっている道を調べるだろうから、脅迫電話をかけて誘拐だと思い込ませて、警察の捜査を攪乱しようと企んだ悪質な事件だった。

 三日後、目を覚ましたボクは集中してにおいを嗅げなくなっていた。なぜか血のにおいがしてきて、脳裏に車に撥ねられた女の子が浮かんでしまうのだ。

 大神一族で近年まれにみる最高の嗅覚と聴覚を持つと期待されたボクは並以下の能力しか発揮できなくなり、他人と争うことは苦手で、特に血の流れるようなことは絶対にダメになった。

 祖父ちゃんからは引退したサラブレッドのように扱われている。つまり遺伝子としては高い能力があるはずだから、ボクの子供はきっと優秀なはずだと期待されているのだ。

 天才と狂狗。探索能力の高いボクと、戦闘能力の高いオトの組み合わせならば、大神一族の歴史の中で史上最強の子供が生まれる可能性がある、と熱くなってボクたちの婚約を決めてしまったのも祖父ちゃん。祖父ちゃんが言い出したら誰にも止められない。

 そして、五軒家さんのほうは妹を失い、なにかのはずみで犯人逮捕に大神神社がかかわっていると感じた。はっきりわかっているのならボクを尾行するような遠まわりな手段ではなく即座に神社に乗り込んでくるはず。

 彼女の祖父や父親はある程度の事情を知っているのだろう。特殊な能力については秘密にしているが、それでも少しは漏れてしまう。五百年にわたる大神一族の歴史は権力者などと適当に折り合いをつけてやってきた歴史でもある。

 ただし、大神神社は頼りになるばかりではない。なにしろ土地の守り神の血を受け継ぐ者として誇りがあるから、うまく利用して利益を得ようなどと近寄るとヤケドする。そのために『当番衆』というものがあるらしい。

 らしい、というのはボクも実態を知らないからだ。

 本来は掃除や警備の当番といった、神社の雑用を交代でやる係みたいなものだったらしいが、それは社務という専門の役職ができて、いつのころからか当番衆はなにかあったとき『処置』する役割を担うこととなった。

 処置がどんなものかも正確には知らない。能力を発揮できなくなったといっても、血筋からいえば大神本家の跡取りはボクだから、そのうち指揮したり、命令したり、なにかを決断しなければならないかもしれないが。

 普通の神社であれば人を助けるのも、罰するのも神だ。しかし、大神神社は大神一族が人を助ける。ということは、同時に罰するのも大神一族がやっている――らしい。

 神に仇なす者には天罰を。

 足を滑らせて崖から転落したり、川でおぼれたり、自殺するのは、神がくだした天罰。その実態は当番衆が処置としてムニャムニャ……というわけ。

 五軒家さんは犯罪に巻き込まれた同じ学校の生徒を救いたいと思っているはずだが、しかし同時に聖スポのスクープも狙っていてボクを尾行していたようだ。一石二鳥な作戦だけど、学校新聞のネタにしたら祖父ちゃんは顔を真っ赤にして怒るだろうな、たぶん。

 難しいことになった。


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