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太古ステーキ

作者: 栖坂月

お待たせ、かどうかはわかりませんが、宣言通りに去年の最終選考作をこっそりと上げておきます。

これが何かの参考になれば幸いです。

これまた長いのでお気をつけください。

 看板が見える。

 辺境に相応しく、派手さはない。常連客と、時折訪れる珍しい観光客を相手にしている寂れた門構えに、彼は図らずも心が躍っていた。こういう、流行っているとは思えないながらもファンを獲得している店に大きな外れがないのは、地球の内も外も大して変わりがない。まして今回は長距離コンテナ船のパイロットご推薦の穴場だ。キヌロス人との味覚の差を考慮に入れたとしても、期待したくなるのが人情というものである。

「オラァ『テラ』には一度も行ったことがねぇけど、ここのステーキなら大丈夫だ。味の分からんニアーティブ人でもない限り、気に入ると思うぜ?」

「すいません、気を遣わせちゃって」

 黄色い肌をしたテラ人の少年が、青白い肌のキヌロス人に小さく頭を下げる。髪の色こそ褐色系で共通しているが、目の位置や鼻の有無など見た目の違いは明確だ。すでに慣れてしまっているテラ人の彼ならば気になることもないが、時代がもう少し――あと数百年遡っていたならば、互いに奇異の眼差しを向け合う間柄となっていたのは間違いない。

 もっともそれは、鎖国を終えた日本人が黒船から降りる『ガイジン』と出会った程度の意識でしかない。感慨としてなら、むしろ鎖国直後の方が大きいだろう。

 人類が太陽系外へ飛び出した当初、そこには無限に等しい空間が広がっているものだと思われていた。異星人とのコンタクトを果たし、宇宙統合連盟に登録して文明星系と認められたのが一世紀余り昔のこと、人類の抱く宇宙の姿は果てしなく続く闇の海ではなく、土中に掘られた空間の連鎖――さながら蟻の巣のような様相となっている。全てはこれから向かう大きなトンネル、世界扉ワールドゲートによって人間の世界が広がったためだ。

「構わねぇよ。どぅせ飯食うつもりだったんだしな。それに、こんな辺境に旅行してきたお客さんだ。少しは美味いもんでも食ってもらわないとよ。キヌロスの連中はゲテモノ好きとか思われるのも癪だからなぁ」

「そんなこと……キヌロスのご飯は美味しかったですよ」

 少し薄味だったけどという本音は押し隠して、少年は愛想良く微笑む。

「にしてもよぉ、テラ人ってのはナリは小せぇのに勇気あるよなぁ。見知らぬ土地で一人旅なんて、オラなら怖くて仕方ねぇよ」

「でも、お一人で遠くの星系に荷物を届けているんじゃ?」

「仕事なら別もんさ。向こうに行けば誰かが出迎えてくれるし、道だって決められた通りに進むだけのことよ。まぁ、生きている以上は飯も食うしションベンもしたくなるから、たまにこうして寄り道くらいはするけどなぁ」

 ガハハと見た目通りの豪快な笑い声を響かせながら、濁声とは対照的に思える繊細なハンドル捌きで大きなコンテナ船をドックへ導く。その技術は、何度かこの手の船にヒッチハイクで乗せてもらった経験から見慣れているとは言え、素人の彼から見ても見事なものだ。次元を渡るワームホール――世界扉が一部の特権階級の為に開かれていた時代はとうに過ぎ去った今、コンテナ船のパイロットは一時の華を失いつつあるものの、それでも職人気質の頑固なこだわりを抱き続ける印象が世間一般には浸透している。同じような職業に見えても、連絡船のパイロットとは心意気からして違って見えた。彼のようなヒッチハイカーが連絡船を好んで使わないのも、経済的な理由ばかりではない。もちろん、以前に比べて破格に落ちたとは言え、星系を結ぶ世界扉の通過料は子供の小遣いで賄える金額ではないから、実情として正規の連絡船を使用したがらないのも当然の道理ではあるのだが。

 慣性制御によって衝撃を吸収されているせいで体感出来るレベルの揺れには至らないものの、微かに響く振動が腰の辺りを擦ってくる。アンカーによる固定を確認して、少年はベルトを外すボタンに手を伸ばした。

「おぅ、流石に一人旅なんてしてるだけあって、なかなか鋭いねぇ。これでも一応、ほとんど揺れないように気を遣ったつもりなんだけど」

「ははっ、どうも」

「その歳で旅慣れてるたぁ、恐れ入ったよ」

彼の年齢は十九歳、地球人としてはそこそこ一人前である。しかし地球人の中ですら童顔と名高い東洋人の彼だけに、どこへ行っても年端も行かない子供に見られることが多かった。最初の内こそ成人間近の自分を理解させようと躍起になったりもしたが、今となってはむしろその童顔を利用したりもしている。強かな者が得をするのは、時代や場所が変わっても大差のない真理だった。

「じゃあ降りるか。荷物は置いてった方がいいぜ。ここのステーキは美味いだけじゃなくて量もあるからなぁ。美味いもん腹一杯食ったら手荷物なんて忘れちまう」

「確かにそうですね」

 かつて財布を置き忘れた経験のある彼だけに、顔では笑いながらも内心では過去の忌まわしい記憶に冷や汗をかいている。彼は愛用の、ずいぶん使い込んで色褪せた濃紺のバックパックから財布だけを取り出すと、それだけをポケットに突っ込んで厳つい中年男性の背中を追いかけた。コンテナ船は見た目こそ大きいが、パイロットの使用するスペースは驚くほどに狭い。まともなベッドすらないことも珍しくはなく、トイレとシャワールーム以外の個室がないことも多かった。そういう点では、寝室も備えているこの船は随分とまともな部類に属する。

 人となりというのは、その身近な空間にも如実に表れる。少年がこの船に足を踏み入れた時、その数少ない経験と勘を頼ることなく、この船の主に対して好感を抱いた。見た目は人というより鬼のようで、鋭い目付きと盛り上がった筋肉が威圧感を撒き散らしてはいたものの、そこには不思議と恐怖が伴っていなかった。

 良い人だという直感を、数時間の通常航行を経た今になってもまだ疑わずにいる。

 高価な炭を叩き合わせたような音を鳴らしてタラップを降りた二人は、古いというより寂れた感を強く受ける色褪せた通路へと足を踏み入れた。足元を彩るタイルは元々のコントラストをすでに失い、琥珀色に染まる懐古の写真でも眺めているような気分にさせられる。埃か紫煙か、いずれにしても長い年月が蓄積しなければ出ない風合いであろう。

「どぅだい。雰囲気あるだろぉ?」

「え、えぇ」

 彼の率直な印象としては、美味い物を食べさせる店というよりも怪しい品を取引している骨董屋に近い。美味い不味い以前に、食べられる物が出てくるのかどうか不安に思えてくる。特に目の前にある、入り口であるガラス戸の上に設置された光子ネオンの看板が時折点いたり消えたりを繰り返し、入りたくなければ帰れば良いとばかりに自己主張している様が、余計に不安を煽る。もしも少年が、徒歩なり自家用ヨットなりでこの店を訪れていたならば、間違いなくこの場で回れ右をしていたところだ。

「そう不安そうな顔するなって。味は確かなんだからよぉ」

 肩に手を回してポンポンと叩き、何度目かになるガハハを響かせながらキヌロスのパイロットは気軽に言い放つ。ここまで同行しながら雰囲気だけで逃げる訳にもいかず、少年は曖昧な笑みを返すことしか出来ない。しかし彼にも一人異星、あるいは異文化の中を旅してきた自負がある。この程度のことで物怖じしていたら、とても辺境の一人旅など続けてはいられなかったことだろう。

 目を閉じ、一つ大きく深呼吸をして覚悟を決めると、意志の輝きが宿る眼差しを正面に向けて足を踏み出した。そのあまりに大袈裟な様相に、隣を歩いているパイロットが思わず吹き出す。

「おいおい、ただ単に飯食うだけなんだから、そんな気合い入れるこたぁねぇだろ?」

「はぁ、すんません」

「まぁ気持ちはわからんでもねぇけどな。オラも最初に連れてこられた時は、ちゃんとした飯を食わせてくれるのか不安だったからよぉ」

 共感という安堵が少年の表情を綻ばせる。

「けどこの店、ただ古いんじゃなくてオラの親父が子供の頃から変わってねぇんだぜ。こう見えて老舗ってヤツなんだ。まぁ最近、あんまり繁盛してるって話も聞かねぇから、個人的には少しばかり心配だったりするんだけどよぉ」

「そんなに前からやってるんですか」

 キヌロス人の寿命はテラ人に比べて倍近くある。もちろん生きている環境が違うので単純比較は出来ないが、少なくとも目の前にある寂れた店がずっと以前からこの状態であったことは間違いないだろう。彼の、というより地球人の標準的な感覚から見れば、廃業する間際の店であるとしか思えないところだ。

「まぁとにかくよぉ、食えばわかるって」

「そ、そうですね」

 まだどこか不安の抜け切らない顔をしながらも、大きな背中を追うように敷居を跨ぐ。手動のドアは何処の文化圏でも普通に見られるが、これほど無骨な滑車の音が似合う店は、少なくとも彼の記憶にはない。次いで目の当たりにした店内も、積み重ねたイメージを崩すことがない。フロア全体を網羅し切れていない照明の下に、飾り気も手入れも足りていないテーブルが乱雑に並んでいる。その上に並ぶ調味料や食器を納める棚は薄汚れ、所々テープか何かで補修されている物もあった。物持ちが良いという印象など突き抜けて、面倒臭がりとしか感じられないレベルですらある。

「空いてるなぁ。まぁこの時間なら無理もないか」

 入り口から一番遠い席に数人の客が頭を寄せていたが、他に客と思しき人影は見られなかった。それどころか、レストランであれば居て当然とも思えるウエイターやウエイトレスといった姿すら、どこにも見付けることが出来なかった。

 荒くれ者の集う西部劇のバーにでも迷い込んだかのように眉根を寄せる彼を尻目に、勝手知ったる我が家とばかりにパイロットは進路を傾ける。お気に入りの席でも決まっているらしく、その歩みには微塵の躊躇も見られなかった。慌てて後を追いかける彼と共に、壁際の席――比較的新しいテーブルと思われる傷みの目立たない席へと腰を落ち着けた。

「これがメニューだけど、読めるか?」

「あ、はい。僕の翻訳機、視認機能も付いてますから、多分大丈夫です」

 笑顔で透明なファイルに納められたメニューを受け取り、その文字を追いかける。手書き風の文字に少しばかり戸惑ったものの、電脳で変換された文字列はいつも通りに馴染み深い大和言葉へと変換されている。ただ固有名詞が多いせいか、具体的な料理のイメージまで辿り着ける物は少なかった。

 しかし、メニューを眺める彼の表情を渋らせているのは、その奇怪な文字列ではない。

「どうした? やっぱり読めねぇのか?」

「いえその……」

 少し躊躇った後、声のトーンを落として続ける。

「思ったより高いですね。僕、あまり持ち合わせがなくて」

 そんな困り顔を見るなり、パイロットは大きな口を開けてガハハと笑った。奥で食事をしていた一団の一人が何事かと視線を向けるが、すぐに興味を失ってナイフの動きを再開する。音楽の一つすら鳴ることのない店内はすぐに元の静寂を取り戻したものの、薄暗い店内で焦りから狼狽している彼の仕草が、まるで狙いを定めている天敵に気づかず餌を貪る鼠のように浮いて見えた。

「んなこと心配してたのか。もちろん奢ってやるよ。ヒッチハイカーが金持ってねぇことくらい知ってらぁ」

「いやでも、それじゃあ悪いですよ」

「いいっていいって。昨日競竜で穴を当てちまってよぉ。こう見えて今のオラは結構金持ちなんだぜぇ?」

「けいりゅうって何ですか?」

「ノガードレースの順位を当てる、まぁギャンブルさね」

 ノガードというのは大きな蜥蜴のようなナリをした大型の生き物である。乗り物や食料として流通していることは、少年も予備知識として知っていた。テラの文明に当てはめると競馬に近いものであろうことは、賭け事の一切に興じたことのない彼でも何となくわかる。

「とにかく金はあるんだ。心配すんなって」

「はぁ、すいません。ご馳走になります」

 このまま押して上機嫌に水を差す方が問題だろうと判断し、彼は素直に頷くことにする。実際の話として、サイドメニューを除いては財布の体力を半分くらい削り取られる値段が乱舞している。経費削減のためのヒッチハイクで余計な出費をしたとあっては、そもそも何のためのヒッチハイクなのかわからない。いずれにしてもこの場合、パイロットの厚意に甘える以外の選択肢は残されていなかった。

「で、どれが食べてぇんだ?」

「と言われましてもですね……」

 改めてメニューを眺め、少年は唸る。

「値段なんて気にしねぇで、食べてぇの注文してくれよ。ここのステーキは他では食べられないってぇのが売りなんだ。せっかくこんな辺境まで足を運んだんだからよぉ、今食っとかないと後で後悔しちまうぜぇ?」

「はぁ、そうなんですか」

 曖昧に頷いてはみたものの、彼の表情は晴れない。それもその筈で、値段に対する遠慮が皆無という訳ではなかったものの、困惑の本質的な原因は別のところに存在していた。一瞬、何でも良いからと適当に安いメニューを指定しようかと思ったが、ここまでお膳立てをされてそれも失礼と思い直し、メニューをジッと見詰めたままおずおずと口を開く。

「あの……イラカシャムって何ですか?」

 イラカシャムのステーキとある以上、何かしらの肉であろうことは少年にも予想出来る。しかし固有名詞があまりにも特殊過ぎて、肝心の全体像が全く見えてこない。ステーキと付いていなければ、動物なのか植物なのかさえわからなかったところだ。

「確か聞いた話だと――」

「柔らかく、しかし歯応えのある上質の肉質です。淡白でありながら締まった食感がなかなか癖になるとご好評いただいております」

 突然横から割り込んだ声に驚いて振り返ると、場末の薄暗い食堂には不釣合いなタキシードを身に纏ったウエイターが、針金でも通しているのではないかと思えるような直立不動で待機していた。近付いてくる足音が鳴ったという記憶は、少なくとも彼にはない。キヌロス人と同じように両目が近く鼻が無く、しかし明確に違う青黒い顔には笑顔が浮かんでいるものの、それはパイロットの破顔とは対照的と言えるほど無機的で、どこか仮面のような印象を受ける。気配どころか存在感すら希薄に思えるタキシードは、かつて暗殺を生業にしていましたと言われても驚かずに済むほど、生物としての何かが欠けて見えた。

「おいおい、驚かすなよ。ボーズが唖然としてるじゃねぇか」

「これは失礼いたしました。テラ人のお客様は初めてでしたので、少しばかり浮かれてしまったようです。お許し下さい」

 張り付いた笑顔に変化はない。その様子に少しばかりむず痒い思いをしながらも、少年は気を取り直して笑顔を取り戻す。

「あ、いえ……やっぱり、この辺りでテラ人って珍しいですよね。でも、良く一目でわかりましたね?」

 キヌロス星系とテラ星系との空間的な距離は六千五百万光年の彼方にある。単純に空間軸の隔たりを見ても、実際に二つの星系が単一の航路によって直線で結ばれることは難しい。また新参者である地球にとっては止むを得ない事情ではあるものの、この二つの星系がどちらも辺境に属していることも大きな理由の一つと言えるだろう。一度大きな星系を経由しなければ行き来をするための手段すら存在しないのだ。この二つを行き来する場合、最低でも三つのゲート――世界扉を抜けなければ辿り着くことが出来なかった。テラから観光に訪れるには、あまりにもコストパフォーマンスに難がある。ただ、それが二つの星系が直線で結ばれることのない最も大きな理由であるかと問われれば、否と答えざるを得ない。

「私は以前、一年ほどテラで過ごしたことがあるのです。仕事の方が忙しかったもので、あまりのんびりと観光をしていられる余裕はなかったのですが、秋の色めきと雪景色は今でも鮮明に憶えております」

「へぇ、マスターがテラに行ったことあるなんて初耳だぜ」

 テラ人の少年よりも、パイロットの方が身を乗り出した。

「もう五十年ほど昔の話です。若気の至りというヤツですよ」

 連盟の標準時間による一年は、地球時間の五割り増し程度である。

「おいおい五十年前って連盟暦でだろ。そりゃテラが連盟に加盟してから大して時間経ってねぇじゃねぇか。世界扉だって、まだ安定期に入ってなかった頃だろうによぉ」

「ですから若気の至りなのですよ。今なら、とても怖くて尻込みしてしまうでしょうな」

 世界扉というのは時空に掘った穴そのものである。それは空間ばかりでなく、時間の繋がりとも密接な関わりを持つ。不安定な世界扉は時間的なズレを起こしやすく、その固定化を行う作業は四半世紀にも及ぶとされていた。そして、世界扉で繋がった宇宙というのは、単純にトンネルで繋がれた空間を指すのではなく、時空を超えた文明圏の連鎖というのがより正確な姿と言える。このキヌロス星系とテラ星系では、地球時間に換算して二千万年程度の隔たりがある。単純に此処からテラ星系を目指したとしても、そこには人類の痕跡すら見付けることが出来ない。人類にとって、文明人にとって、宇宙とはもはや空間ではないのだ。それはまるで電子ネットワークのように、意志あるものの連鎖によってのみ成立する仮想世界に近いと言えた。

「それであの、イラカシャムというのは……」

「食べていただけるのが最も理解が早いと思われます。百聞は一見に如かず、テラの諺にもありますよ」

 彼としては食材の肉質や味ではなく、どんな生き物であるのかに興味があったのだが、流石にこれ以上質問を重ねるのも失礼かと思い、仕方なく口を噤む。とはいえメニューに視線を戻したところで固有名詞の乱舞は止まらない。何一つイメージが固まらないまま、得体の知れない生き物が思考のアチコチで暴れ回っていた。ここが地球であったなら、まだ言葉の持つ響きからイメージを搾り出すだけの勇気も出ようというものだが、さしもの彼も見知らぬ土地ではイメージも上手く湧いてこない。

「で、何食うか決まったか?」

「えっと……」

 迷い、視線を泳がせ、ふと気付く。

「そちらは何を頼むんですか?」

「オラはいつも通り、ウパムの香草ソース焼きだ」

「じゃあ、僕もそれで」

 無難な選択に安堵した少年とは対照的に、中年パイロットの表情は渋い。

「おいおい、せっかくの機会なんだし別なの頼まんでいいのかぁ?」

「はぁ、ですかね」

 現物が目の前にあれば勇気を出してみようとも思うところだが、何一つ情報のない現状では曖昧な笑みを返すのがやっとというのが本音だ。

「それならば、先程名前の挙がったイラカシャムのステーキにしてみては如何です? テラ人の方にも食べやすい料理であろうと思われますが」

「まぁ、ウパムよりは癖がないよなぁ。オラとしては少しばかりパンチに欠ける気がするけどよぉ。どうする、ボーズ?」

「……じゃあ、それで」

 この期に及んで対案を出せるほどの知識も経験もない彼には、頷くことしか出来ない。とはいえマスターと呼ばれたウエイターだけでなくパイロットからも悪くないコメントが得られたことは救いだった。

「畏まりました。少々お待ち下さいませ」

 恭しく、あまりにも場違いで丁寧な一礼を残し、マスターは機械仕掛けのような直線的な動きで踵を返し、厨房へと姿を消した。

「さとて、あとは待つだけだが――」

 そんな前置きをして、中年パイロットが身を乗り出す。

「ところでボーズはどこまで行くつもりなんだ? どっか決まった目的地でもあんのか?」

「あ、いえ」

 お得意の愛想笑いはそのままに、瞳に真剣な輝きだけを宿らせて応じる。

「行ける所まで行きたいっていう、ただそれだけの旅です」

「じゃあ、ずぅっと放浪し続けるつもりなのかい?」

「そうではなくて、二十歳になったら戻るつもりなんです。それまでは好きにさせてくれっていう約束でして」

「ハタチ……テラ人は二十歳が一つの節目なのか?」

「まぁ、地方によっては十八歳だったりもしますけど、少なくとも僕の住んでいた所だとハタチが節目ですね」

「そっかぁ、キヌロス人だったらまだまだヒヨっ子だ。テラ人は自立が早いと聞くが、こうして目の当たりにすると納得出来るってぇもんだ」

「キヌロスの成人って何歳なんですか?」

 自らの功績を誉められたのならともかく、種族全体に対する世辞というのはむず痒く感じられるものである。安易に頷く気にもなれなかった彼は、質問を返すことで照れを誤魔化した。

「そぅさなぁ。ウチの方は特に曖昧だけど、年齢で言うなら三十くらいが一応の節目だな」

 地球とキヌロスにおける一年の時間を考えれば、更に二割程度は上乗せして考えるべきである。

「何だか羨ましいですね。そのくらいの方が、僕は丁度良いような気がします。テラの学校は慌しくて好きになれませんでした」

「まぁ、こんなとこまでフラフラ一人旅しているような猛者にとっちゃ、学校なんてどこでも狭くて忙しいだけの場所だろうさ」

「もう少し寿命が長くなれば変わるのかなぁ……」

 地球人の平均寿命は、現在百歳を超えている。アンチエイジングの技術も進み、現代の六十代がかつての三十代程度の若々しさを保ち、八十歳くらいまでは健康に不備を生じないことが普通になりつつある。それでも、連盟の平均から見れば決して高い方ではなかった。穏やかであることを是とする知的生命体としては、まだまだ忙しない存在であると認識されている。

「まぁ、寿命が長くても自立が早いユーディア人みたいな連中もいるからなぁ。一括りにゃあ出来ねぇよ」

「ユーディア人?」

 名前だけではイメージが湧かず、少年が聞き返す。

「さっき注文聞いてったマスターだよ。ひょっとして、キヌロス人だと思ってたか?」

「あ、いえ、違うとは思ってましたけど……だけどユーディア人ってあまり聞かないですよね。結構色々回ってきたつもりだったんですが、初めて聞いた名前です」

「名前だけは有名だと思うがな。放浪の民とか、住んだ星が地元とか言われてる母星を持たない連中だ。まぁどこにでも居る反面、何処に行っても少数派の筈だから、会わなきゃ一生会わねぇだろうなぁ」

「へぇ……」

 実のところ地球にも住んでいる。マスターもかつてその内の一人だったのだが、少年はそれを旅行で訪れた観光客と思ったようである。

「あぁ見えて、連盟創立の頃から居る古い血筋らしいぜ。今の世界扉ネットを張り巡らせたのはユーディア人だって説もある。まぁそれは幾ら何でも大袈裟な噂だろうが、連中が世界扉の技術を個人レベルで持ってることは確かだ」

「あんなの個人で掘れるものなんですか?」

「気付かなかったか? 裏に小せぇけど歪みがあんだよ」

「そうだったんですか。そういうの、何だか便利そうですね」

「まぁ、どこにでも行けるってぇ代物じゃねぇけどな。仲間が分散しがちな連中だから、ああいうのが必要なんだろうぜ」

 地球人にとってはまだまだオーバーテクノロジーという感のある世界扉だが、進んだ科学にとってのそれは当たり前の道具でしかない。無論、だからといって軽々しく使える代物になることとイコールではないものの、炎が現代においても火事を引き起こすように、使い手の修練に応じて道具の本質が変わる訳では決してない。ユーディア人にとって世界扉が庭の片隅に掘った井戸のようなものだとしても、そこに潜む危険や弊害は太陽系で厳重に管理されているものと大差ないというのが実情だ。ただ身近になった分、その扱いに遠慮と配慮が欠けることにはなる。もちろん、そう出来るだけのシステム的な裏打ちがあればこその話ではあるのだが。

「と、来たみたいだな」

 そう言われて振り返った少年の視界に、二つの皿を両手で支え持つユーディア人のウエイターが入ってくる。注文を受けた時と変わらない笑顔の仮面は、相変わらず表面に張り付いたままだ。本人はサービスのつもりなのかもしれないが、何か裏がある笑顔に思えて素直に受け取れずにいた。

「お待たせ致しました」

簡素でかつ丁寧な物言いと共に、二つの大きな皿がそれぞれの眼前に並べられる。一抱えほどもある大皿というだけでも圧倒されるところだが、その白いキャンバスに相応しい野趣溢れる一品が鎮座している。香りや添え物に若干の違いこそあるが、二つともソースを絡めて焼いただけという代物だ。問題は、その厚みが五センチ近くあるという驚愕の事実である。実際に食べてみるまでもなく第一印象だけで食べ切れないことを確信させられてしまったとしても、この場合は生来の小食を責めるのは酷と言うものだろう。

「セットのお飲み物は、今お持ちしましょうか?」

「オラァ食後でいいや。ボーズはどうする?」

「あ、じゃあ僕も食後で」

「畏まりました」

 恭しく頭を下げ、マスターは厨房へと戻っていった。その態度には一見すると何一つ怪しい素振りなど見られない。しかし彼には何か含んでいるかのような雰囲気が感じられて仕方なかった。まるで万引きするのではないかと疑念の眼差しで見られているような、むず痒くなる居心地の悪さが首の後ろ辺りをチロチロと舐めている。もちろん、やましいことなど何一つ抱えていない彼が気にする道理もないのだが、一度気になり始めると喉に引っかかった小骨のように意識を纏わり付かせるのが人間という生き物である。

「どうした? やっぱ口に合わねぇか?」

 感覚に思考を奪われて呆然としていた彼を、香辛料の入った瓶を振っていたパイロットが心配そうに見詰めている。例え奢る立場でも、否奢る立場であるからこそ、自分だけが美味しい思いをするというのは気が引けるものだ。

「あ、いえっ」

 気になることは否定出来ない。しかしとりあえず、目の前の料理と恩人に罪はない。そう気持ちを割り切って、少年は笑顔を作った。まずは意識を昼食へ戻す為にとばかり、大きく息を吸い込んで立ち昇る湯気を鼻孔に通していく。

 肉から染み出る脂の風味と、少しばかり酸味のある独特の香辛料の香りが混ざり合い、唾液と同時に食欲を引き出してくれる。湯気の向こう、パイロットの食べている皿からはもう少し癖のある、青臭いウコンのような香りが漂ってくるが、少年の目の前にある一皿は極めてシンプルな料理であるせいか、肉の放つ甘味と旨味がダイレクトに伝わってくる。店構えや見た目から、もっと強烈な匂いを放っていると思っていただけに、どこか意表をつかれたような気がしていた。朝食をしっかり食べていたこともあり、あまり空腹を訴えていなかった彼の身体が、美味しい物と悟って自然と前のめりになる。

 左手に鳥のクチバシを模したような赤い大きなピンセット――和塗りを施されたトングのような食器を、右手には意匠の施された銀色のナイフを持ち、食欲に任せて突進する。ソースが全体を覆ってはいるものの決して明度も粘度も濃くはなく、クリーム色をした焼き色がそのまま見える。牛とは違う。豚と鳥の中間か、少し鳥に近い。

 が、これが何であるのかなど忘れたまま勢いで食べてしまおうという流れが、視界から入ってきた情報によって止められる。ただそれは、嫌悪や拒絶といった感情ではなく、単純な戸惑い、あるいは迷いと言えるものだった。

「何だ、オイ。肉の上でフラフラしてよぉ」

「えっと、ちょっと大き過ぎて、何処から手を付けたら良いものかと」

「あー、わかるわかる。特にイラカシャムは大きいからなぁ」

 ガハハと笑ってから肉を口に放り込み、好きなとこから切り崩せと助言をくれる。少年は笑顔を返しながらも、改めて真上から肉の塊を観察してみた。厚みだけでも十分に驚かされたが、その面積も十分に驚愕すべきものだ。彼の顔と同じくらいの大きさはあるだろう。見ただけで満腹感が得られそうな代物である。しかもこれは、大盛りでも特盛りでもないのだ。ちなみにパイロットの食べているウパムはもう少し薄く、大きさ的にも一回りは小さい。それでもステーキとして考えればかなりのボリュームに見えるが、いずれにしてもイラカシャムは『当たり』だったと言えるのかもしれない。

 ともかく彼は、食べ切れる云々は後回しにしようと考え、端を摘んでナイフを当てると、軽くゆっくり引いてみた。するとあまりにアッサリと、手応えすらないほどに肉は切れていく。さりとて摘んだ感触として中身がスカスカという印象もなく、軽く滑らかな食感を想像させた。思った以上の肉質に驚きつつソースを絡め、そのまま口へと運んでみる。

 やはり反応が気になるのかパイロットも口と手を止めて見守る中、最初の一片がテラ人の口へと吸い込まれていく。数度の咀嚼を繰り返した後、彼の頬は大きく跳ね上がった。

「美味いっ」

 零れる笑顔につられるように、手を止めていたパイロットも破願する。それまでとは少し違う、どこか安堵したような穏やかな笑みだ。自信があったことは事実だが、実際に反応を見るまでは不安もあったのだろう。違う星で生まれた違う種族の嗜好など、違って当然のことである。例えそれが僅かな共通項であったとしても、共感という喜びを得るには十分だった。

「そうかぁ、美味ぇか」

「はい、とても美味しいです」

 想像以上の味に、少年は勢い良く言葉を重ねる。

 事実、それは地球で売り出したとしても人気を博するであろうと思われるほどの美味しさであった。彼の数少ない、浅い経験と照らし合わせての判断となるが、味の印象は鶏肉に近い。鳥と豚、あるいは知っていたなら鯨の中間地点にあるような肉質である。淡白でありながら弾力に富み、軽い食感でありながらしっかりとした歯応えを返す。肉汁も脂も多いが、どちらも嫌味なしつこさがなく、それが全体としての淡白さに繋がっていた。ナイフで切れやすく、筋がほとんどないのも特徴だ。しかもその肉質が、大きな扇形全体を隈なく支配している。鳥からこれほど大きな部位を抜き出そうと思ったら、ダチョウでも難しいところだろう。

「これ、ずいぶん大きい動物ですよね?」

 淡白で食べやすいこともあって、矢継ぎ早に肉を運んでいた左手を止め、少年はふと生じた疑問を口にする。扇の弧の部分は間違いなく外皮のすぐ内側だ。皮がどの程度の厚みだったのかまではわからないが、肉厚だけで二十センチはある。これが胴体の肉だったとしても、牛より大きな生き物なのは間違いなかった。

「だろうなぁ。どんな動物なのかは知らねぇけど、以前聞いた話だとイラカシャムのステーキは首の肉を使ってるってぇことだったなぁ」

「首ですかっ?」

 さすがに驚くのも無理はない。この扇が外周を形作っているのだとしたら、牛や象の胴体ほどもある首を有した生き物だということになる。部位によって太い場所もあるだろうが、相当に大きな生き物であることは疑いようがなかった。

「こんな大きな生き物、キヌロスに住んでいるんですか?」

「いやぁ、そんな話は聞いたことねぇなぁ。つぅか、ここの肉は自家製たって聞いてたんだが」

「自家製って、そんな大きなお店じゃありませんよね?」

「まぁ、裏にあった井戸が牧場にでも繋がってるんじゃねぇか?」

 世界扉を称して井戸と呼ぶのは、連盟共通の認識である。そしてこの店の外見的要素を考慮に入れる以上、その程度の発想が限界なのは仕方のないことでもあった。そもそも、目の前に並ぶ料理を楽しむ上においては、さほど重要な情報ですらない。ただ、何の肉を食べさせられているのかわからないという、一抹の不安が潜在的に存在しているだけのことだ。

 若干の不審を内心に押し込めて気を取り直し、充実した食事と改めて正対する。東洋人の彼としては、パンなりご飯なり何かしらの主食が欲しいところではあったものの、諸星を放浪する内に食生活の変化にも慣れてきた。何より肉だけでこれだけの大ボリュームだ。食後に出される飲み物ですら喉を通るか疑わしい。

 とにかくと意識を切り替え、彼は食事を再開した。淡白でありながら濃厚なイラカシャムのステーキは飽きが来ず、口に含んで良し、噛み締めて良し、喉を通して良しと食事としては極めて優等生だった。彼も久しぶりと言えるガッツリと手応えのある食事に遠慮なく舌鼓を打つ。

「美味いなぁ。ホントに美味いですよ」

「そう言ってくれると嬉しいねぇ。連れてきた甲斐があったってぇもんだ」

 そう言って微笑むパイロットが、ふと気付いたように切り分けた肉片を持ち上げる。

「何なら、こっちも食べてみろよ。ちょいと癖はあるが、悪くもねぇと思うぜ?」

「ありがとうございます。じゃあこっちからも……」

「おいおい、そんなにたくさん寄越すなよ。自分の分がなくなるぞ?」

「いえ、とても食べ切れないので」

 渡りに船とばかりに、全体の三分の一ほどをごっそりと移動する。味に不満がないだけに、残すという無礼は避けたかったのだ。

 量という不安要素に一先ずの安心感を得て、少年は赤黒い色をした肉片へと視線を向ける。ナイフで突いた感覚としては、イラカシャムよりも少しばかり硬い印象を受けた。身が締まっている、ということだろう。持ち上げて鼻先まで移動すると、青く涼やかな香りと鼻孔をくすぐるようなスパイシーな香りが同時に漂ってくる。香草焼きの名に相応しく、独特の香りを放っていた。ウドやタラの芽といった山菜を塩胡椒でソテーしたような匂いと言えば比較的近いかもしれない。

 思っていたよりも香りが強く、鼻先で何度か裏返しながら躊躇した後、思い切って口の中へと放り込む。最初に感じたのはその歯応えだ。弾力に富み、肉の繊維に粘りがある。イラカシャムに比べると硬い印象だが、同時に濃厚な肉汁が噛む度に溢れ出し、力強い食感を演出していた。また、香草の香りが効いていて尚、獣らしい臭みが喉の奥から鼻孔へと抜けていく。脂身はやはり鳥に近い感覚を残してはいるものの、こちらはより獣、もし彼に食べた経験があったならば熊肉に近いと感じたであろう。

 確かに癖は強い。しかし同時に、強い旨味がそこにはあった。

「うん、こっちも美味しいですね」

「そりゃ何よりだ」

 パイロットは心底嬉しそうだ。

「こっちも首の肉なんですか?」

「いや、確か太腿の肉って言ってたかな」

 ステーキを見た限りにおいては全体像が浮かばないが、強い弾力は発達した筋肉を連想させる。太腿の肉ということは、かなり脚力の強い動物なのだろう。なまじ全く分からないことが、激しく想像力を刺激する。そしてこうなってくると、余計にその全体像を知りたくなってしまっていた。

 ウパムの香草焼きを胃に納めた彼は、再びイラカシャムへとナイフを向ける。脂分は似たような料理ながら、放つ香りと口に入れた時の重さがまるで違っている。食べ比べてみると、改めてイラカシャムのステーキが食べやすいものであることが理解出来た。

 ところが、柔らかい肉質と調子に乗って食べていた矢先、奥歯にガリという硬い感触が当たる。勢いを削がれ、何事かと思いつつ出してみると、それは小さな骨の欠片だった。

「おぅ、当たりが出たか。そのステーキは首の骨周辺の際どい所を使ってるらしいからな。たまに骨が残ってるんだよ。まぁ気にすんな」

 ガハハと笑うパイロットに頷いて、大皿の端へと運びかけた右手が、到達直前でピタリと止まる。ふと思い立った彼は、懐からハンカチを取り出すと、その中に出てきた小骨を包んだ。イラカシャムやウパムが特殊な固有名詞である以上、判断材料としては心許ない。骨の欠片とはいってもDNA鑑定くらいには使えるかもしれないし、そこまで行かなくとも土産話の小物としては上等だ。キヌロスでの思い出を締める逸話としては、面白みもあるだろう。

 ただ、それだけが理由かと問われれば、否と答えざるを得ないだろう。

「お飲み物をお持ちしました。どうぞごゆっくり」

 相変わらずの笑顔が張り付いたユーディア人のマスターは、やはり何かを抱えている。

 再度聞いた肉の正体もアッサリと受け流された彼は、自分の口にした生き物の全体像を何としても形にしなければと、この時明確に決意を固めたのである。それはもしかしたら、見えざる意志による必然であったのかもしれない。少なくとも後の彼は、そう思えてならなかった。


 一年後、彼は無事に生まれ故郷――地球へと戻った。長旅を終えて世間から離れた息子を心配する両親の勧めもあって大学へ進学し、一般社会へ適応するための訓練期間へと突入する。社会の歯車であることを内心では馬鹿馬鹿しいと思いはするが、そうすることでしか一般社会で人生を積み重ねられないのも事実である。しかしそういった中にも、否そういった中であるからこそ、人は楽しみというものを貪欲に見出し没頭する。大学という場が彼にとって心底楽しい場であったなら、あるいは喉に引っかかった小骨の存在など忘れてしまっていたかもしれない。

「はいよ」

 古風な呼び鈴に返事をしながら、玄関へと歩いていく。

「よ、ちょっといいか?」

 ドアを開けると、そこには見知った顔が立っていた。

安普請のアパートで辛うじて一人暮らしを維持しながら、気乗りのしない講義に顔を出すという毎日を繰り返している彼にとって、友人の存在は一服の清涼剤を遥かに凌ぐ生き甲斐である。しかしそれでも、こうして自宅を訪れる客人というのは滅多に居ない。そもそも大学に行けば嫌でも顔を合わせるような相手である。休みの日に用事でもない限り、このような形で訪問を受けることはなかった。彼自身、自宅アパートがみすぼらしいことを自覚していたから、呼ぶこともなかったほどだ。

「どうしたんだよ、こんな時間に?」

 その日は休日ではない。午後から講義が入っていたし、その講義は目の前に居る友人も取っていた筈だ。そしてそんなことを失念するほどズボラな性格でないことは、彼も十分に承知していた。だからこそ、あの小骨を委ねたのだから。

「話があってな」

「なら、今から学食にでも行くか?」

「いや、出来ればあまり人には聞かせたくない話だ。問題なければ少し上がらせて欲しいところだけどね」

「汚いぞ?」

「心配するな。ウチも大して変わらん」

 そうまで言われて、しかも奇妙なほど真剣な眼差しを向けられて断れるほど、彼は無粋な人間ではなかった。また更に言えば、話の内容には察しもついている。この友人との間に内緒の話が存在するとしたら、あの小骨の調査以外に思い付く要素は皆無だったからだ。それにしたって大袈裟だろうと思えるところではある。彼はただ単純に、その正体を知りたいだけだったのだから。

「まぁいいや。そこまで言うなら上がってくれよ」

 断る明確な理由を失い、かつ不自然に思えるほど真剣な友人の態度に興味が湧いたこともあり、彼は気を取り直して招き入れる。客人などもてなすどころか訪れた経験すら数えるほどしかない彼が、そういった準備を整えている道理もなく、安い茶葉で入れた緑茶を形の違うカップに注いでリビング兼寝室へと足を踏み入れる。すると、いつもなら遠慮を欠片ほども感じさせない友人が、正座で待ち構えていた。久しぶりに訪れたから、という程度の様相とは明らかに違っている。

「で、何かわかったのか?」

 二つのカップを並べ、小さなテーブルを挟んで向かい合うように座る。

「わかったんだが、わからなくなった」

「言ってる意味がわからないんだが……」

「とりあえず聞きたいことは山ほどあるが、まずはコレだ」

 持っていたファイルケースを開き、中から一枚の紙を取り出す。そこには大きな蜥蜴と称するには明らかに不自然な形をした爬虫類が描かれていた。

「これは?」

「お前の望んだ調査の結果だ」

「え、わかったのか?」

「あぁ、判明した」

「ホントかよっ。え、この絵がそうなの?」

「そうだ。少し前のものだが、復元された骨にCGで肉付けを行ったものだ」

「へぇ……何だか恐竜みたいだな。でも何だか納得したよ。アレが首周りだとしたら、こんな感じの生き物じゃないと想像つかないもんな」

 太い四本の足で大地を踏み締めている茶色い身体は、比較対象物を近くに描くことなく勇壮な雰囲気を放っている。象のような足、キリンよりも遥かに長く太い首、ザラついて硬質的に見える外皮、どれを挙げても太古の恐竜に酷似して見えた。

「で、この生き物はどこに住んでるの?」

「地球だよ」

 友人の放つ言葉の意味が、彼には正確に呑み込めない。

「どこかの動物園にいるとか?」

「そうじゃない。お前もさっき言っただろう。コイツは恐竜なんだ。お前が持ってきたのは恐竜の骨だったんだよ。ちなみに名前はマシャカリサウルス、全長は十三メートルになる竜脚類の恐竜だ。それなりに大きいが、竜脚類としては大きい方じゃない。主に南米に分布していて――」

「ちょっ、ちょっと待てよ!」

「どうかしたか?」

「どうかするだろっ。それじゃあ何か? 僕は宇宙の反対側で地球の恐竜のステーキを食べてきたってことなのか?」

「そういうことになるな」

 にべもない返事に愕然と肩を落とし、頭を抱える。そんな様子を眺めつつも、友人の口は止まらなかった。

「問題はむしろここからだ」

 友人の眼差しが、更に鋭さを増す。初夏の日差しを受けて、昼寝をするには丁度良いと感じられるような温暖な室内の温度が、それだけで涼やかな高原を走り抜ける風を思わせるほどに変化した。

「そもそもどうして、あの小さな骨の欠片からここまでの事実が判明したと思う?」

「どうしてって、DNAを調べたからだろう?」

「その通りだが、遺伝子の配列パターンだけでは絶対的な結論を導き出すことは出来ないよ。俺とお前でも遺伝子には違いがある。同じ配列パターンを持った生物が、この宇宙に何種類いると思っているんだ」

「つまり……どういうことだ?」

「要するにだ」

 目の前にあるお茶を含み、その苦味に少しばかり眉根を寄せてから、改めて言葉を続ける。

「配列パターンが同じというだけなら、マシャカリサウルスのような外見をした生き物をデータベースから引っ張り出し、多分この生き物だろうと伝えた筈だってことだ。遺伝子ってのはなぁ、生物の設計図であって型式や製造番号じゃない。ある程度の判断材料にはもちろんなるが、お前であることを断定するためには、比較対象となるお前の遺伝子が必要になる。それがなければ、人間か、あるいは人間に近い生物であろうとわかる程度だ」

 与えられた情報を頭に詰め込みながら、彼はことの本質を導き出そうと試みる。

「ということはつまりだ。僕の持ち帰ったアレの遺伝情報は、何万年も昔に滅んだ筈のマシャカリサウルスにソックリだったってことか?」

「そうじゃない」

 友人は明確に首を横に振り、グッと身を寄せる。

「ソックリじゃない。同じだったんだ。この意味がわかるか?」

「まぁ、何となく……」

 同じ人間であっても、遺伝子が完全に適合する確率は数兆分の一であると言われている。判定の方法や遺伝環境により誤差は生ずるものの、ほとんど居ないという一般認識は変わっていない。それが全く別の場所で、違う生物から同じ遺伝情報の得られる確率という話になると、どれほどの桁が並ぶのか想像することすら難しい。

 あり得ない話ではない。しかし同時に、果てしなく起こり得ない偶然であることだけは疑いようがなかった。

「もしかしたら、全く同じような形をした生物が、未開惑星に棲んでいるのかもしれない。その可能性は否定出来ないし、その中に偶然、地球に残っていた過去のデータベースと同じ遺伝情報を有した固体が現れたのかもしれない。それを偶然お前が食べて、骨の欠片を持ち込んだという訳だ」

「何か偶然というか……」

 まるで台風に飛ばされてアメリカに行ってきたなどという話でも聞かされたかのような感覚に、彼は大きく首を傾げる。すでに冷め始めたお茶を口にして気分転換を図るが、それでも気持ちがスッキリと落ち着く様子はない。無論、それは当然の結果であろう。分子運動が一斉に同じ方向に集中して身体が飛び上がるくらい、荒唐無稽な話なのだから。

「もちろん、公式非公式を含めて一応は調べてみたさ。しかし大型の爬虫類、あるいは似たような姿をした生物が生息しているという情報はあっても、マシャカリサウルスに近いモノとなるとかなり限られる。言うまでもなくその大半は未開惑星だし、おかしな生肉業者が出入りしているなんていう痕跡もなかったよ。まぁお前の話を聞く限りにおいては個人経営の小規模経営みたいだからな。こっそり出入りくらいはあっても不思議じゃない」

 そこまで口にした友人の表情が、一段苦味を増す。

「だがいずれにしても、これほど離れた場所で、しかもこんな形で同じ型の遺伝子が発見されるというのは腑に落ちない話だな。そもそも遺伝子配列というのは生じた環境が違えば自ずと違ってくるものだ。環境の違う他星で地球型の生命体が見付かったのだとしたら、小さなニュースくらいにはなっていそうなものだろうに」

「ということは、まだ知られていないか――」

「もしくは、知られないようにしているか、いずれかだな」

 当時の彼から見ても、あの時のユーディア人のマスターは腹の底に何か得体の知れないモノを抱えているような雰囲気があった。それが何であるのか、当時も今も見当はつかない。しかしそれでも、そういった引っ掛かりがあったからこそ、持ち帰った小骨を忘れもせずに調査しようと思ったことも事実であろう。

「あ、もしかして」

 記憶の欠片を穿り返しつつ、何か一つでも解明に役立つ情報がないかと模索する彼の脳裏に、小さなひらめきが訪れる。

「クローンとか、ないかな?」

「まぁ、普通はそう思うよな。ウチの教授もそれを疑っていた。地球を訪れて化石を極秘に入手し、そこから遺伝子を取り出して培養し復元する。研究機関ですら、公的には小型の恐竜に限られるもので、マシャカリサウルスなんていう十メートルを超えるような恐竜の復元は完全にアウトだ。もちろんそれ以前の話として、食用にクローン再生するなんていう目的自体が問題外な訳だが」

「でも、これならあり得る話だよね」

 納得は出来る。少なくとも彼にとっては、得体の知れない偶然に巻き込まれるよりは遥かにまともな状況だ。明確な犯罪行為の方が安堵出来るというのが、いささか気分の悪さを伴ってはいたが。

「確かにあり得る。可能性としては最も高いだろうな。だがお前の話だと肉は一般流通していないと言っていたよな。だとしたら、それだけの大きな生き物を育てる環境が必要になる。そういった設備があったという記憶はあるか?」

「設備はなかったと思うけど、そういえば」

 彼はふと思い出す。あの小さな食堂の裏には、個人で掘った世界扉が空いているとパイロットから聞いた。彼自身がそれを視覚で確認出来た訳ではないが、もしその話が本当であったなら、その先にマシャカリサウルスを飼っている牧場となる惑星が存在していたとしても不思議ではない。

 明確さに欠ける話であるため少しばかり悩みはしたものの、このまま捨て置くには重要過ぎる材料と判断して、彼は友人に経緯を添えて説明した。

「なるほどな。では仮にそれなりの環境を整えていたとしようか。それでもまだ疑問は湧いてくる。細かいことを挙げればキリがなくなるが、一番重要なのは一つ、どうやってマシャカリサウルスの遺伝子、この場合は化石だろうな。それを手に入れたかだ」

「それは多分、直接地球に来た時じゃないかな」

 マスターは過去に一度テラに滞在したことがあると話していた。その時に手に入れたと考えるのが妥当な判断である。

「それはいつだ?」

「えっと……五十年前とか言ってたっけ。でも、キヌロス暦じゃなくて連盟暦の五十年でいいのかな。あ、地球の世界扉が安定期に入ってないって言ってたし、多分合ってると思う」

「そうか。やはり、だとしたらおかしいな」

 友人の口元が大きく歪む。まるで誰にも解けなかった暗号を一目見た瞬間に解いて見せたかのような、優越感と自尊心に満ちた顔付きだ。どうやらこの友人は、師である教授とは違う意見を有しているようである。そしてこの瞬間、どうしてわざわざこのような中途半端な時刻に、誰にも聞かれたくない素振りで彼の元を訪れたのか、判明したように彼には感じられた。

「実はな、このマシャカリサウルスの化石は二百年前にクリスタルキューブ保存されている」

 聞き覚えのない単語に、彼の眉根が激しく寄る。

「知らないか? 透明な樹脂の中に納めて、琥珀に閉じ込められた化石みたいな感じで永久保存する技術だ。現在、完全復元されたほとんどの化石が、その処理を施されている。もちろん、その処理をされてしまった化石は簡単には取り出せない。つまり五十年前――地球での年月に換算すると九十年くらい前の話になるだろうが、その頃にユーディア人が訪れたところで、手には入らないんだ」

「で、でも、なくなったわけじゃないなら、何とか取り出して秘密裏に手に入れたとか、そういうことなら――」

「そうだな。可能性はある。もし完全復元された固体に一卵性の兄弟がいたとすれば、そちらの骨を持ち出したというなら十分に可能だ。だがそういう話はなかったと思うし、そもそも恐竜の骨が欲しいってだけなら、もっと他に手段はあったと思うぞ。目的が目的だから、公にしたくなかったというのはわかる。だが保存処理を施されたような管理の行き届いた固体に手を伸ばすだけの理由にはならないだろう。管理の甘い、例えば中央アジア系の化石を狙った方が確実だと思うがね」

「それは……そうかもしれないけど」

 偶然か、それとも何かしらの必然か、この段階でそれを判断するのは難しい。しかしことの発端が例え偶然であったにせよ、調査から生ずる疑問が彼らを悩ませていることは紛れもない必然だった。わからないことが目の前に転がっている、それだけは明確な事実だ。

「ちょっと調べてみないか?」

「何を?」

 この時安易に頷いてしまったことを、彼は遥か後に至るまで後悔することとなる。雉も鳴かずば撃たれまい、好奇心というのは猫ばかりでなく、人間の人生すらも時として狂わせるものである。

彼らの手は、六千五百万年の彼方に向けて伸ばされた。そこにある真実を掴むために。


 夏季休講、俗に言う夏休みを利用して、男二人組という色気のないコンビはキヌロスへの長旅を慣行した。その目的は唯一つ、イラカシャムとマシャカリサウルスの関係を解き明かすことである。基本的に乗り気でなかった彼も、友人の強引さに折れて同行を余儀なくされ、旅費のほとんどを出してくれるという好条件だったことも手伝って、キヌロスへと抜ける最後の世界扉を脱する頃には気分が高揚していた。

 ところが、意気揚々と訪れたキヌロスで問題の店へ向かおうとした彼らは、いきなり出端を挫かれることとなる。名前も場所も曖昧だった店だが、星系の辺境にポツンと孤立していたために一定の知名度はあり、判明にあまり手間はかからなかった。問題は、その店がすでになくなっていたことだ。

 一応のためと確認するためにタクシーを飛ばしてみたものの、教えられた空間には何もなく、店舗の土台になっていたであろう小隕石の欠片どころか、世界扉の痕跡すら見出すことが出来なかった。そこでステーキを食べた一年前の出来事が脳内の幻だったのではないかと、一瞬本気で考えてみたくなるほどに何もなかったのである。

 突きつけられた現実に対し、それでも諦めきれない彼らは一縷の望みを求めて、あの時一緒に食事をしたパイロットの所属している運送会社を訪れた。これは当時携帯端末で撮った記念写真に写っていた会社のロゴから導き出されたもので、一緒に写っている写真を受付に見せたところ相手も特定出来た。生憎と件のパイロットは半年前から関連会社へ出向となっていたため会うことは出来なかったものの、そのパイロットの顔見知りから情報を集めることには成功した。

 幸いと言うべきなのか、例の店はパイロット達にとって有名な馴染みの店だったらしく、マスターの言動やメニューの詳細まで憶えている者も少なくなかった。ただ、友人の用意した二枚のサンプル画像――片方はマシャカリサウルスで、もう片方は二足歩行の肉食恐竜――を見せた返答に芳しいものは一つもなかった。とはいえ味や肉質は憶えていても、その全体像に興味の湧く輩は極めて少数なのも無理はない。ちなみに二人ほど、競竜にも用いられているノガードの食感に似ているというコメントはあったものの、それが恐竜を示す材料とするには乏しいと言わざるを得なかった。

 しかし一方で、店を畳むタイミングと経緯には首を傾げる者が多かったことも事実である。地味に続けてきた店であり、儲かっているというほどではないにしても、取り立てて苦しい経営状態ではなかったと思われていただけに、突然の閉店と、誰に行き先を告げることなく姿をくらませたことには少なからぬ不審の声が上がった。味自体は評判も高く、有名店ではないにしても特定のリピーターは確保していたし、だからこそ細々とながら続けてこられたとも思えるだけに、店を畳む何か明確な理由があるのではないかと思うのも道理である。定期的に通っていた者達は皆、そこでしか味わえなかった楽しみが失われてしまったことを惜しんでいた。

 それがもしかしたら自分の来店によって引き起こされたかもしれないと思うと、彼としては居た堪れない。ホテルに戻るまで、否ホテルに戻ってからも、その表情はどこか浮かないものだった。

 思い悩む彼の横で、持ち込んだ端末を広げた友人が何やら調べ物に勤しんでいる。しかし思うように運ばないのか、その表情は溜め込んだ生ゴミの袋を間違って開けたかのような顔のまま動かなかった。もっとも、真実に近付けるであろうと期待を膨らませての訪星直後に頓挫とあっては、大きな落胆を抱えるのも無理からぬ話だろう。むしろ残された滞在期日を無駄にしないためにも、この先どうするのかを考えるべきだろうと判断して、一つ小さな溜め息を吐いた彼は友人の背中へと歩み寄った。

「……さすがに六千五百万光年の彼方だな。これしきのデータ検索にこんな時間がかかるなんて」

 と、慰めの言葉が喉の奥に引っかかったことを知ってか知らずか、背中を向けたままの友人が呟きを漏らす。

「何してるの?」

「テラのネットに繋いでる」

「調べ物?」

「あぁ、とりあえず座れよ。わかっていることを整理してみよう」

 そんな友人の言葉に頷きつつも、彼の胸中は放置されたまま一晩置かれたお茶のように冷め切っていた。安いホテルの一室に申し訳程度に用意されている小さな丸いテーブルを挟んで向かい合うように腰掛けると、宙に投影されているホログラムディスプレイ上の情報が変わっていないことを視界の端で確認した友人が、待っていたとばかりに口火を切った。

「お前はがっかりしているようだがな。俺は今回の状況、ある程度は予想していたよ」

「予想してたって、もう店がないかもって思ってたのに、わざわざこんな所まで来たって言うの?」

 無駄足と知っていたかのような発言に少しばかり腹を立て、彼の語気が強くなる。

「もちろん、今でも店をやっているかもという予想もあったし、俺もそれを望んでいたさ。直接会ってぶつけてみたい疑問もあったし、何より例のステーキを食べてみたかったからな。だけど、もしこれが何かしらの犯罪で、テラ人のお前が訪れたことが都合の悪いことだったなら、こうなるかもしれないとは思っていた。あの店のユーディア人は疑われたかもしれないと察して逃げたんだ。あの運送会社で話を聞いて確信したよ」

「確かにそう思えるけどさ。僕達以外、誰もそんな風に思ってなんかいないよ。あのユーディア人のマスターだって、疑われた『かも』なんて理由で店仕舞いするとも思えない。周りの人達もそんな風に思っていたなら、まだわからなくもないけどさ」

「確かにな。偶然訪れたテラ人のヒッチハイカーが一人現れただけで店仕舞いとか、用心深いを通り越して臆病ですらある」

 自らの意見を簡単に変えるような発言をしているようにも聞こえるが、その表情に浮かんだ不敵な笑みに変化はない。友人には何か、彼には見えないものが見えているような、そんな素振りが窺えた。

「お前は、あのユーディア人のしていたことの、何が問題だったんだと思う?」

 だから彼は、突然のように発生した友人の疑問に面食らいながらも、それが彼自身の求める回答に行き着くかもしれないと思い、とりあえずは目の前に転がっている問題に頭を悩ませてみることにする。

「何がって、やっぱり化石を無断で持ち出したことと、それを利用してクローンを育てたことじゃないかな。もちろん、その肉で商売しようってことも問題だと思うけど」

「確かに化石の持ち出しは制限されているが、化石の全てが管理されている訳じゃない。持ち出せる化石もあるし、仮に制限下にある化石を持ち出したところで罰金を取られる程度だ。まして遺伝子が必要なだけなら、大きな化石そのものを持ち出す必要性は皆無だろう」

 困惑する彼の様子を観察しつつ、友人は更に続ける。

「クローンについてはグレーと言わざるを得ないし、倫理的には糾弾されて然るべきものだが、星系によってはクローン培養の認められている場所もある。地球で犯罪だからと言って、それがそのまま適用されるかと問えば、明確な罪であると断言出来るレベルにはないだろうな」

「どっちの味方なのさ」

 自らの意見を否定されて口を尖らせる彼に、友人は楽しそうな笑みを返す。

「つまりだ。尻尾を巻いて逃げ出すのに明確な理由が思い当たらないにもかかわらず、現実としてユーディア人は姿をくらませた。このチグハグな状況はすなわち、どこかに誤りがあるということなんだと俺は思う」

「誤りってどういうことなの」

「まぁ、まずはこれを見てくれ」

 そう言いつつ友人が取り出したのは、運送会社でも見せて回っていた二枚のCGプリントだった。その内の片方、マシャカリサウルスの方はかつて彼も見せられた物だ。

「……これ、あっちでも見せてたよね?」

「生きている姿をどこかで見たことがあれば、それが手掛かりに繋がるだろうと思ったからな。とはいえ予想通り、誰も知らなかったんだが」

「こっちはえっと、マシャカリサウルスだっけ。でもこっちは?」

「マプサウルスだ。体長十三メートルになる二足歩行の肉食恐竜で、マシャカリサウルス同様南米に暮らしていた。こちらはアルゼンチンで発掘されている」

「あのさ、一つ良い?」

 彼は表情に浮かべた困惑の度合いを一段階引き上げて、友人を見据える。

「僕には、このマプサウルスっていうのが突然出てきたように思えてならないんだけど」

「調べてみてわかったことだが、キヌロスの固有名詞には人名を付けるような習慣が乏しい。チョモランマが語源的に『大地の母神』という意味を有するように、何かしらの翻訳を当てられることが多いんだ。一方ユーディア人の固有名詞には地球圏の人間では聞き取りの難しい発音の語が混ざっていることが多い。もちろんこれらは一般的相対的な話であって絶対的な真理ではないが、イラカシャムという単語を見た時に少し違和感があったのは確かだ」

「違和感?」

「マシャカリと似ていると思わないか?」

 改めて頭の中で比べてみると、類似性が皆無とも思えない。特に『シャ』という音は特徴的であろう。

「そう言われると」

「マシャカリの綴りはМAXAKALI、これを逆さにするとILAKAXAМ、つまりイラカシャムと読める。同様にお前の世話になったパイロットの食べた肉はウパムだったから、単純にUPAМだろうと判断してМAPU、すなわちマプサウルスのことだろうと思ったのさ」

 彼の口から、思わず感嘆の声が上がる。しかし友人はその喝采を受けることなく、傍らに置いた端末の画面を回転させて彼へと向けた。

「だから今、あの会社で聞いたメニューの固有名詞を片っ端から引っ繰り返してテラのデータベースに検索をかけていたんだ。そもそも言語が違うから不安もあったが、それでもかなり引っ掛かった。予想していた通り、そのほとんどが南米で見付かっている恐竜ばかりだったよ。いくつか当てはまらないものもあったけどな」

「何でそんな安直な名前にしたんだろう」

「さぁな。考えるのが面倒だったのか、それとも彼らなりの美学でもあったのか、いずれにしても結果的には軽率な名前だな。あるいは宇宙の反対側から客が来るとは、単純に思っていなかったのかもしれない。まぁいずれにしてもだ――」

 言葉を止めて組んだ手の上に顎を乗せた友人の口は、不自然なほど滑らかに動いて見えた。

「お前が食べたのは、間違いなく恐竜だったんだろうな」

 そう結論付けた友人の口角が大きく持ち上がる。

「しかしだ。もしこれが本当に恐竜だとしたら、大きな矛盾が生ずる」

「どんな?」

「考えてもみろ。マシャカリサウルス一体の遺伝子ですら手に入れるには高いハードルを越える必要があったんだぞ。それがこれだけ何体もという話になると、どうやって入手したと思うんだ。それと仮に何かしらの方法で手に入れたとしてだ。これらの恐竜を育てる環境はどうする。大型の施設を秘密裏に造るか、それとも辺境の外れにある未開惑星をフォーミングするか、いずれにしても相当な投資になることは間違いないし、相応のリスクを伴うことになる。とても個人商店が、それも肉を焼いて提供する程度で賄える金額だとは思えないね」

「ユーディア人同士でコミュニティを作って協力して、とかじゃ駄目?」

「それならば尚のこと、流行らないステーキハウス程度の事業に収まっていたのは不自然じゃないか。盗んだ遺伝子を培養して商売する、一見するとあり得る話に思えるが、何もそんな面倒をしなくとも肉くらい手に入るだろう。偶然見付けた未開惑星にだって、食べられそうな生き物くらいいるだろうしな」

 少なくとも、地球の恐竜に拘る理由は皆無である。仮にそれだけの価値を見出していたのだとすれば、今度は鮮やか過ぎる引き際が腑に落ちない。何かが違う、そう明確に感じさせはするものの、その何かが見えないという気味の悪さが、彼の眉根を引き寄せた。

「……何が起こってるんだろう」

「仮説なら一つある」

 腕を組んで胸を張る友人に、彼は前のめりに身を寄せた。路頭に迷ったかに見えたこの出来事に、一筋の光明が見えたと感じたからというのはもちろんある。しかしそれ以上に、この散らかって見える状況をどんな形で纏めようとするのかに対する純粋な興味が、今の彼を急き立てていた。

「それはどんな?」

「なぁに、簡単な話だよ。その店の裏にあったという世界扉は、地球に繋がっていたってだけのことだ。もちろん、六千五百万年以前の地球にな」

「え、それって……」

 つまり、地球にいた恐竜を直に狩っていたということである。極めて簡単な理屈だ。

「これなら新しく環境を作る必要なんてないし、そもそも化石を盗む必要もない。もしかしたら地球と知らずにいたかもしれないって可能性も……いや、それはないか。料理の名前だけを見ても、知っててやっていたと考えるのが妥当だろう」

「じゃあ、僕が食べたのって本当の?」

「あぁ、正真正銘太古の恐竜だったということになるな。未開惑星への過干渉、生物や物質の持ち出しは基本的に禁止だ。まぁキヌロスも地球も辺境だし、目が届かないと判断してのことだったんだろうな。まさか六千五百万光年の彼方からヒッチハイカーが来るとも思ってなかっただろうし」

「なるほど」

 深く頷いて納得する彼を見ながら、友人は不意に眉間の皺を深くする。

「ただ、だとしても行き過ぎているとは思うけどね」

 彼の「何が」という問いに、奥歯に挟まった肉の繊維が取れないような、気持ちの悪さを抱えたまま言葉を続ける。

「お前が恐竜の正体に気付いていた素振りを見せていたのならともかく、単なる観光客が肉を食べただけで地球産だと断言出来る道理もないだろう。専用の施設を有していたというほどの投資でなかったとしても、店一つを潰してまで逃げ出す理由には不足だと思うがね」

「確かにそうだね」

「それに、だ」

 仰け反って褐色の天井を見上げ、一つ大きく嘆息する。

「お前の食べた肉と、博物館に展示されている化石標本の遺伝子が同一なのはどう説明する。肉だけ回収して捨てた死骸が化石となって発見されたのか、それとも一卵性の別固体が化石になったのか、どちらにしても矛盾はないさ。あり得る可能性だ。だがそれは、別の宇宙で自分と全く同じ遺伝情報を持つ誰かに出会うことと大差ない偶然だと思わないか。いやそれだけじゃない。ヒッチハイクで偶然キヌロスを訪れたお前が、たまたま拾ってくれたパイロットに連れられて偶然あの店を訪れ、肉に紛れた小骨を気紛れで持ち帰り、そこに不信感を抱いて俺に依頼し、似た生物はいないかと地球のデータベースに検索をかけた。いつもの俺なら、間違いなくキヌロスのデータベースにかけただろう。でもあの時は、何故か迷うことなく地球のデータベースで検索したし、当たった時に喜びはあっても驚きはあまりなかった」

 友人の顔は蒼い。それこそキヌロス人のようですらあった。

「お前の持ち込んだ小骨と展示されたている化石が同一の個体なのか、それとも一卵性の兄弟なのかはわからない。だがいずれにしても、何かこう引き寄せあう力みたいな、まるで怨念みたいな何かが働いているんじゃないかと――」

 呆然としている彼の顔を見て、友人は自嘲気味に笑う。

「いやすまん。忘れてくれ。科学の徒が言うべき言葉じゃなかったな」

「あ、うん」

 素直に頷きはしたものの、彼は終生友人の言葉を忘れることはなかった。否、忘れることなど出来なかった。


 それから十年後、彼と周囲の人間にとってのみ大きな出来事だった事件は、地球人にとっての大事件となって表面化することとなった。彼はそれを端末の画面で見て、報道番組で聞き、自分の気紛れが大きな岩を転がり落としたことを知る。

 ユーディア人は組織的に犯罪行為を繰り返していた。世界扉を掘り、未開惑星で獲物を狩り、それを売って生計を立てる。それは彼らからすれば当たり前の、統合宇宙連盟などというヒヨっ子の集団が出来る以前から行われていた伝統的商法だった。ただ、後になって大きな顔をし始めた連中が、身勝手な理屈でけしからんと難癖を付け、それを犯罪行為だとして押し付けてきたに過ぎない。

 だが、いくら先人とはいえ虐げられて生きるのも問題が多い。そのため彼らは、その行為が見付からないよう細心の注意を払うようになった。用心深く、臆病にもなった。慎み深く、疑り深くもなった。そして何より、自らの痕跡を消すことに執心した。

 六千五百万年前のテラは、良い狩場だった。しかしテラが連盟に加入して、その名が知られるようになると、狩りは難しくなる。そしてあの日、偶然訪れたヒッチハイカーを装ったテラ人がユーディア人コミュニティのステーキハウスを訪れたことで、疑心は明確な不安へと取って代わる。彼らは新たな伝統に則って、自らの痕跡を消しつつ姿をくらませることを選択した。

 周囲との関連を断ち、店を畳み、店舗や備品を処分する。狩りに使用する道具も大半は闇に葬り、この時代の彼らの痕跡を抹消するために小隕石をテラへの軌道に乗せた。こうして全ての下準備を終えたことを確認すると、世界扉を閉じて仲間の下へと身を隠したのである。

 そう、小隕石の落下は、人為的な工作だった。

 後の調べで、他の星系でも起きていた謎の大絶滅の実に三割が、ユーディア人の仕業であることが判明したのである。

 これが何の、あるいは誰の意志であったのかは、神でない彼にわかろう筈もない。しかしそれが、彼という存在を利用したとするならば、恨み言の一つくらいは並べさせてもらいたいものだと思ったところで、それを非難される謂れはないだろう。この先一生、太古に横たわる歴史観の一つを潰した張本人として生きるのは、さすがに夢見が悪過ぎる。

 世の中の摂理ほど、不条理なものはない。

 大人になるほど、知らなくて良いものを知る機会が増えるのも、また道理だ。


 いずれにしても六千五百万年前の浪漫は、こうして滅びたのである。


以上で公募落選シリーズ(?)は終了です。

来月は企画用の習作でも上げましょうかね。

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[一言] 感想は苦手なのですが、1つ。 映像的、文化的、時空的なSFが順番に原始的な比喩と生活感で地に結びつき、主軸の理論展開も含みがありつつ繋がっているように感じました。 私は面白かったです。しか…
[一言] こんにちは。 楽しく読ませていただきました。ナントカ星とかナニナニ人とか大好きです。緻密な世界設定、遺伝子についての詳しい描写によって、ストーリーがリアルに感じられました。  肉の正体につい…
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