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1章 未知なるドアを開けたなら

意味もなくあたりにストレスを撒き散らして。嫌がらせを幾度となくそれを繰り返した。

正直どうにでもなれと思っていた。

だがそれは間違いだと気づかされてしまった。そんなことは無駄だと諭された。

彼女のおかげで俺は見事に更正し、わりとランクの高い高校に行けるようになったのだ。

彼女は俺が高校に入学する前に転校してしまったのだが、それでも俺は彼女に感謝を忘れたことはない。

そんなわけで、俺は友達ができ、よい生活を送れている……はずなのだが、今この状況を見ると、どうも信じられなかった。

俺が今現在に至るまで、ある程度回想させてもらいたいと思う。


そう、それは今日の朝の出来事だった。仲のいい田山雄司君という友達がいるのだが、その田山君が部活勧誘が終わった三日後に俺のところに来てこう言ったのだった。

「あんな部活、認められてるのかよ!? マジあり得ねえ! 疑いをもたず所属していた俺が馬鹿だったよ!」

……と。

この言葉だけだったら彼の印象は悪くなってしまうかもしれないけど、彼は彼でいいやつなのだ。 まあそんなわけで、俺はその部のことについて田山君に詳しく聞こうと思ったのだが、彼は口を渋り、その活動場所しか教えてくれなかった。

そうして、田山君が教えてもらった部室の前にいるというわけだった。

「っていうか、部室って多目的室かよ。随分と人数がいる部活なんだなー」

そんなことを呟きながら、俺はその多目的室のドアノブに手をかけようとして、一瞬緊張がはしる。いや、ちょっと様子を見て、パパッと帰ればいいのだからそこまで焦る必要はないはずだ。

俺はドアノブに手をかけ、力を込める。

そのときであった。


『ふっふっふ、わ、我が闇を解放する時がきたようだな……』


……? 今聞こえた声は何だったんだろうか? 痛いことを言っていた気がするが……

と言うか今のは女子の声だったような……。そんなことを考えている間にも多目的室での会話は続く。


『……貴様程度が粋がった程度で所詮我に勝つことはできんよ』

『普段の私ならば……な。だが今は(えっと次のセリフなんだっけ……)』


『夜である今は、この私の支配下だっ!!』


……ぶっちゃけ今は昼間だけどね。

内心でつっこんでみたりもするのだが。そんなことに意味はなくて。というか高校生にもなって女子二人はいったい何をしているというんだ。だが俺が考えている間も会話は続く。

『貴様が奪った我が右目を……』

『右目じゃなくて左目』

『そうだった、ごめんね。えっと…、貴様が奪った我が左目を返させてもらおう!』

『お、いいねー。じゃ私も。……ふん、そこまで言うのなら見せてみろ、貴様の真の力を!』

わー、なんだこのちゃばん。

聞いてるこっちが恥ずかしくなってきた。

……しかしこんなことを毎日やっているんだとすれば、田山君が退部したといってもあり得ない話ではない。

『喰らえっ! えっとー、うーんと、ブラックバス☆』

何故外来種の名を!?

『くっ、貴様、それは古代ローマ、それすなわち魔法が創造された当時もっとも恐れられたというかの秘奥技かっ!」

ブラックバスってそんなにすごいのか!?

……この人たちの会話はわけが分からない。

『なら私の最終奥義を見るがいい! シュバルツ・the・ゲート!!』

そう言ったかと思うと、なんか今度は地面に誰かが倒れたような音が聞こえた。

何だろうな、と思い、ドアに耳をちかづけてみると、


『いやっ、あん、変なところ触らないで……』


――!? 何だろうな、いま聞いてはいけないような声が耳を通り抜けたような気がしたんだが、気のせいだよな。うん、そうだよな。


『いいじゃないか! 真那加も一人では出来ないんだし?』

『……うん、だから、優しく、お願いします』

――!? 今度こそヤバい! マジヤバいよこれ!

理性ではここを離れろと危険信号を出す。だが男の本能がここにとどまり続けろと言う。

だってーしょうがないじゃないかー。

それが男の性ってものだろう。それに……ここで引いたら、もったいない気がする。

いや、待て。あるいは単に服の着替えが一人では出来ないような服を着ていて、それをもう一人が脱ぐのを手伝っているのかもしれない。……それはそれで危険だな。

だが、そう考えていたことが間違いだった。

ドアノブに手をかけながら会話を聞いていたために、ドアにが前に押ささってしまったのだ。

俺は勢いに耐えられず、地面に頭を打ってしまった。

「いっててて……、なんでここのドアは押して入る形なんだよ……」

俺はそう呟き、そして気づいてしまった。

広い部屋の真ん中で、ゴスロリのような格好をしている女子と執事のような格好をしている女子がいまして。ゴスロリの方の女子は、とても綺麗なストレートな黒髪で、ゴスロリがよく似合っていた。大きな瞳が特徴的で、その端正な顔は恥ずかしさのあまりか真っ赤にしていた。執事の方は、茶色の髪を肩くらいまでのばしていて、その瞳は鋭かったが、彼女も顔を真っ赤にしていた。まあそんな二人は俺の予想通りに服を脱がしあっていたようで。つまり……、あられもない姿というわけで。

俺は何も言えず、はは、と苦笑を浮かべることしか出来なかった。

彼女たちも何も言わない。ただ、口をずっとパクパクさせているだけだった。

意外にもこんな形で田山君が言っていた部活と出会ったのであった。


「きゃぁぁぁぁっっ!! なんで、こんなときに……! この変態、変態!」

「たぶんそんな扱いなるだろうとは思ってましたよ! すいません! ラノベの主人公の気持ちが少しでも分かる自分が恐ろしい!」

「いいから後ろ向けーっ!」

執事らしい格好をした女子に言われ、俺はようやく後ろを向く。……何でだろう。悪いことをしたのはわかってるけど、後悔はしていないような気がしない。

その代わり、後ろにいる女子たちの好感度が滝のようにだだ下がりであることは間違いないだろう。

「……いいよ、こっち向いて」

ゴスロリ女子がそう言ったので俺は後ろを振り向く。そんな俺を迎えてくれたのは本人たちよりまず執事のパンチだった。

顔面違わずクリーンヒットだった。

「今のは忘れてくれ。着替えを見られたとか……結構恥ずかしいんだ」

「わっ! ぼ、暴力はよくないよー美冬!」


「……はっ! 今まで俺は何を!!」

俺はガバッと、体を起こす。どうやら俺は気絶していたようだった。

辺りを見回してみると、ゴスロリの格好をした女子と執事の格好をした女子がいた。

「………………」

うーん、何で俺はこんなところにいたんだっけ? 確か田山君から部活を辞めたと聞いて、それから……それから……なんだっけ?

まあいいか。思い出せないということは、大したことでもないのだろう。

「……あのもしかしてあなたたち二人が俺を助けてくれんたんですか? ありがとうございます」

俺は二人にお辞儀をしたが、ゴスロリと執事はなにか、ばつが悪そうな顔を浮かべていた。 あれ? おかしいことしたかな俺?

「俺、あなたたちに悪いことしたんですか?」

「う、うん。したにはしたけど……。いや、わ、忘れてるならいいんだ。は、はは」

「ん? やっぱり俺悪いことしたんですか! じゃあ何らかの形で責任とります! 俺は何をすればいいんですか!」

そう言うと、執事の格好をした女子がニヤリと笑みを浮かべていた。

……気のせいだろうか?

「じゃあそこまでいうんだったら頼みごと、きいてくれない?」

「はい、俺ができることでしたら」

「我ら仮装部に、入部してくれないかい?」


……ん? かそうぶ? かそうぶ、かそうぶ……仮装部!

「そうだ思い出したぞ! 田山君が言っていた部活を見に行こうと思っていたけど、その部室内で厨二的な声が聞こえたかと思えば、今度はいやらしい声が聞こえて――」

再び執事的な女子に正拳突きを繰り出されるはめになった。今回はきちんとガードしたが。

執事の格好をした女子はその手を引くと、

「……中々やるな」

「そりゃどうも」

俺は軽く言葉を返す。執事的女子はキッ、と俺の方を睨んだが、何かを思い出したらしく口を開いた。もっとも睨みっぱなしではあるが。

「私たち仮装部は一応歴史ある部活なんだが、何故か人気がなくてな……。部員が足りないから、入部してくれる人を探していたんだ」

「はぁ……、じゃあ先に聞きたいことがあります。いいですか?」

「ああ。別に構わないけど」

「さっきまで何であんなことしてたんですか?」

俺が質問すると、やけに渋った表情を浮かべた。ゴスロリと執事が視線を合わせる。そして意を決したかのように、執事の方が言った。

「コスプレしたら、厨二的行動してみるべきだと思って」

「……それってあなたたちが今まで活動してなかったと捉えてもいいんですよね?」

俺の返答に、彼女らの頭の上に『!』が浮かんだようだった。自分の発言ミスに気付いたようだった。執事は観念したかのように答えた。

「……そうだよ。私たちは今年になってこの部を作ったんだ。当初は四人だったんだが……。今は訳あって二人になってしまった。今は何とか目をつぶってもらっているおかげで部は存続しているが、本当は部は三人で初めて成り立つんだ」

「……二人は何で辞めたんですか? 一人は田山君ですよね?」

「ああ。そうだ。あの子はいい子だったんだがなぁ……」

そう言って執事は遠い方を見ていた。田山君のことを思い出しているのかもしれない。

いや、田山君死んでないから! そんな思い出し方紛らわしい!

「うちの部にはもう一人……瑠璃島梨里という、まあ変人でクラスメイトがいてな……、あいつは極度な年下好きなんだが……」

「まさか、その餌食に!?」

「……言い方は失礼だと思うが、その通りだな。あいつは、田山君はひどい目に遭った」

「どんな目に遭ったと言うんですか!? 俺はあいつの親友です! 聞く権利はあるはずです!」

俺は真剣に執事に訴えた。執事は目を閉じ、分かった、と言った。その表情は、ひどくつらそうなことを語るときのようなものだった。

そして、彼女の口から真実が告げられた。


「田山君は……、女装を幾度となくさせられたんだよ。梨里の手によって」


……………………………。

確かに苦痛なんだろうが、うまく反応できない!

「一日中、田山君は梨里に追われ、正直似合いもしない服を着せられ、彼の精神はほぼ崩壊していた。そこを私たちが――」

「そこはフォローしたんですよね!? ねえ!」


「正直、似合ってないぞと私、三木谷美冬は言ってしまった。ゴスロリの方の彼女、黒埼真那加は苦笑いだった」


「最低だあんたらぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

見事に俺の親友の心を折るような真似しやがって! しかも今さらっと本名出しやがった!

執事の方――えっと三木谷さんか、は困ったような表情を浮かべて、

「いや、私たちはわざとやったわけじゃないんだ。ホントに」

「だからそれが問題なんだよ!」

あれ、おかしいな。珍しくここまで苛立ってきた。一発殴ってやりたくなってきた。

そこまで思考して、俺は首を振った。

――待て。考えるな駄目だ。俺は彼女と約束したんだから。

「……大丈夫?」

「え、あ、いえ大丈夫です」

心配してしまった。危ない、危ない。また自分の世界に入ってしまった。これは俺の悪い癖だ。

「まあ、田山君が退部した理由も分かりますし、それから瑠璃島さんが退部した理由も予想出来ます。追っかけですよね」

「まあ……そうだよな」

「それで、俺にどうしろと言うんですか」

「入部してくれ」

「断る」

「美少女が二人もいるぞ」

「確かに惹かれるが、断る」

「性に正直になれよ!」

「だが断るっ!」

「もっと熱くなれよ!」

「むしろ願い下げだぁぁぁぁぁぁぁっ!」

もう……この掛け合いやだ。俺は漫才やってる訳じゃないんだぞ。

「待って二人とも!」

俺と三木谷さんの会話に割って入ってきたのは、今まで黙っていたゴスロリ少女の黒埼真那加さんだった。

「強制させてまで入らせちゃ駄目だよミーちゃん。やっぱり自分の意志で入ってもらわないと意味ないよ」

「ん……まあ、真那加がそう言うなら」

強気だった三木谷さんは渋々ではあったが、黒埼さんの言葉を聞いた。

どうやら力関係は三木谷さんより黒埼さんの方が上のようだ。

でも先程の服の着替えさせあいのときは三木谷さんが主導権を握っていた気がするが……。

ヤバい。思い出してしまった。今でも鮮明に――

「おい、お前。何かエロいこと考えてないか?」

「い、いえ全然考えてないですよ!」

エロくはない……はずだ。うん、エロくない、エロくない。

「それで君、名前なんだっけ?」

そして急に脈絡もなく、黒埼さんは俺に質問してきた。俺は戸惑いながらも答える。

「か、鏑木燎哉です」

俺がそう返すと、黒埼さんは満面の笑みで答えた。


「私は2年3組の黒埼真那加! よろしくねりょー君!」


……何だろう。

黒埼さん、いや黒埼先輩の笑顔を見ると、胸のうちが温まるような、そんな感覚がした。恋とかそんなんじゃなくて……本当に、微笑ましくなるというか明るい気分でいられるというか。

「さすが男キラー。ほぼ初対面に近い男のハートを奪ったか」

「なっ! ち、違うよミーちゃん! 私はただ……」

「いいよ、いいよ。分かってるから」

俺が考えている間に二人はそんなことを言っていたが、俺はある決断を下した。

あくまで、今現在の、現状での決断だ。

「……黒埼先輩」

俺は真剣な表情で先輩に声をかける。

「だめっ!」

「言う前に真っ向から否定されたっ!?」

「え、あ、違う違う。私が駄目だって言ったのは呼び名のこと」

「え? よ、呼び名?」

「うん。呼び名」

黒埼先輩は目をつぶり、何かを語るように言葉を紡いだ。

「名前って大事だと思うんだ。名前は、自分が生まれた証でもあるでしょ? だからそれを蔑ろにするのはいけないかなーなんて思うんだ」

「……分かりました」

俺は一息吸い、ふう、と息を吐く。……今考えてみると、女子の名前を読んでいたのは彼女ぐらいだったな。

「真那加先輩」

「うん! よろしくね、りょー君!」

そう言った真那加先輩の笑顔はやっぱり輝いていて。綺麗だなって素直に思ってしまった。

「おいおい、私を除け者にすんなよ。燎哉、私のことは美冬先輩と呼んでくれ。私も真那加と同様2年3組だ」

「はい、分かりました。美冬先輩」

「それで燎哉。さっき言いかけたことって何だったんだ?」

美冬先輩にそう言われ、さっきの決断を思い出した。いきなり否定されたから、すっかり忘れていた。

先程と同様に息を吸い、ふう、と息を吐く。


「俺を、仮入部させてもらえませんか? 入部はそれから……考えますから」

「後輩再び来たぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


いきなりドアを開けて入ってきたのは、制服に猫耳をつけているという極めておかしなセンスの女子だった。だが、ピンクに染めているであろう髪と、その整えられた顔立ちが、何故か可愛らしさを感じさせた。

おそらく3人のなかでは一番スタイルがいいだろう。……ってそんなことはどうでもいい! というか見かけの話からどうして結論がスタイルうんぬんのになっているんだ!? ……はっ、まさか先程の美冬先輩との掛け合いで『性に正直になれよ!』と言われたからか? ……いや、まっさかー。

それより重要なのは目の前にいる変な女子の正体だ。

「真那加先輩、あの人……誰ですか?」

「あの子はリリィちゃん。瑠璃島梨里ちゃんだよー」

俺は先輩の言葉に驚かざるを得なかった。

だってこんな可愛らしい女子だぞ!? 見かけ変だけど……。それでもこの人が瑠璃島梨里さんなんて信じられない!

「ふふ、そこにいるのは紺色の瞳をもつ1年5組の鏑木燎哉くんじゃにゃいか! 胸が高なるワンッ」

ああぁぁぁぁ。間違いなくこの人だ。この人が瑠璃島梨里さんだ!

ていうか何で俺の名前知ってるの!? というか語尾は統一すべきでは?

瑠璃島先輩は俺の方に目をやると、にっこりと笑って俺の方に寄ってきた。

「リョーちゃんも失礼なんだにゃ。見かけで判断できるものじゃないでヤンス」

「はぁ……。すいません瑠璃島先輩」

「駄目にゃ!」

「駄目っ!? 何が!?」

「呼び名にゃ! まなちーとみーちゃんは名前で呼んで、にゃんを名字とは許せないんだなーしかし!」

「そんな剣幕のしかしは初めてだな、しかし!!」

にゃんとは自分のことを指していて、しかしは新たな語尾、なのだろうか。

……おかしいな、どこかでその語尾きいたことあるような気がするんだが、気のせいか?

「分かりました。梨里先輩。これでいいですか?」

「駄目にゃ!」

「もっと上を要求されている!?」

梨里先輩は残念そうに首を振った。くそっ、何か腹立つな。

「にゃんのことはあだ名で呼ぶといいにゃ」

「あだ名……ですか? 俺が考えるんですか?」

「いやいや、にゃんが既に考えてきてるワンッ」

梨里先輩は満面の笑みを浮かべ、その名を告げた。


「孤高の狼……ファンウォンウルフにゃ!」


厨二きた! しかもネーミングセンスに疑いを抱かざるを得ない! それにあんたの格好は狼じゃなくて猫でしょうが!!

……ああ、何か突っ込み所が多すぎてさばききれたか不安だ。

「じゃあ間をとって瑠璃猫先輩でいいですか?」

「にゃあぁぁ……、まあそれでいいにゃ」

梨里先輩改め瑠璃猫先輩はどうも納得いかないような、そんな表情をしていた。

もっと厨二的なあだ名をつけるべきだったのだろうか?

「ところでりょー君」

俺と瑠璃猫先輩の掛け合いの中に何の躊躇もなく入ってきたのは、真那加先輩だ。……どうでもいいがこの人、話すタイミングが自分中心のような……気のせいか?

「さっきの話。仮入部してくれるって本当に?」

「はい。……何か先輩たち見てると何かほっとけないなーと思って。まああくまで仮入部です。入るか入らないかは部の様子を見て決めますよ」

そう言った俺の言葉に反応したのは何故だろう、瑠璃猫先輩だった。

あ、あれおかしいな……、瑠璃猫先輩の目がおかしいぞ? 何か獲物を狙うような、そんな目をしているなー。うわぁーしかも、真那加先輩と美冬先輩はまたか……、みたいな顔して目をそらしてるし!

もしかして、俺ちょーピンチ?

「リョーちゃんがにゃんのことをそんなに思っていてくれるなんて嬉しいにゃ。大好きにゃ!」

そう言ったかと思うと目の前が真っ暗になった。そして息がっ、苦しい……!

そこで俺は気付いた。俺は瑠璃猫先輩にハグされているということに。

というか胸がっ……! 胸で息が!

ここで確認しておきたいのだが、俺を含め、背の高さの順は俺、瑠璃猫先輩、美冬先輩、真那加先輩となっている。ちなみにスタイルがいい順は瑠璃猫先輩、美冬先輩、真那加先輩である。

「いやいやリョーちゃん、それは違うブヒッ。私がシークレットブーツ履いてるだけにゃ! 本当の背はミーちゃんよりちっちゃいブル!」

偽装かこんちくしょう! というか何故俺の心を呼んだ!?

っていうかそんなことを考えている間に、息がっ……!

「ふふん、本当にリョーちゃんはかわいいにゃー。そんなリョーちゃんには女装が似合うだなー、しかし。ミニスカートとかフリフリなやつとか可愛く……ってあれ? リョーちゃんの顔が真っ青で息してない?」

「死んじゃうよ! 梨里ちゃんさすがにやり過ぎだよ!」

「いやにゃ! 絶対に手放さにゃいんだなーしかし! 例え世間に見離されようが非難されようが、にゃんは絶対女装させることを諦めないワンッ!!」

「いいから自重しろぉぉぉぉぉぉ!!」

そんな美冬先輩の悲鳴を聞いて、俺は意識を失いました。


「すみませんでしたにゃ。ちゃんと反省するにゃ」

瑠璃猫先輩は土下座して俺に謝った。

だが個人的に言わせてもらうと、別に構わなかった。顔が胸にうまると言う、貴重な体験をしたから。

「……意外とリョーちゃんがむっつりだって分かったにゃん」

ぼそっと瑠璃猫先輩が呟いた気がしたが、俺には残念ながら聞き取れなかった。うん、残念、残念。

「しかし、仮入部とはいえ来たんだから、嬉しい限りだな」

美冬先輩がそう言い、真那加先輩もそうだねーと笑みを浮かべて答えた。

「にゃんも言い忘れてたにゃ。リョーちゃんが仮入部するならにゃんもするワンッ。しかし、にゃんも仮入部にゃ。リョーちゃんがやめたらにゃんも速攻でやめるにゃん」

「了解だよ、梨里ちゃん」

真那加先輩は笑顔で答え、そして高らかに宣言した。


「今日から正式に、仮装部の活動を開始するよ!」


そうして俺の変わった日常は、幕を開けようとしていた。「え!? お前仮装部入ったのか!?」

次の日、俺は田山君に昨日あった事実を告げると、そんな反応をした。……もっとも全て話した訳じゃない。話せないことの方が多い気がする。

「まああくまで仮入部だけどね」

「……瑠璃島先輩の被害にあったか?」

「……田山君ほどじゃないけど、瑠璃猫先輩にはひどい目に遭わされた」

実質窒息死しそうだったしね。

……あれ? 田山君が何故かポカンとしている。何でだ?

「瑠璃島先輩のこと、あだ名で呼んでるのか?」

「え、ああ。真那加先輩や美冬先輩には名前で呼べと言われた」

「……正直その二人の先輩の方は覚えてないんだよな……」

「? どういうこと?」

「瑠璃島先輩の印象が強すぎて……」

田山君が酷すぎて俺は何も言えなかった。

「ま、俺はもうやめたからどうこう言う権利はないけど、何かあったら俺に言えよ」

やっぱり田山君は優しい人だな、と思った。


さて、授業後の放課後、多目的室にて部活があるということで、現在俺は部室の前にいた。

何をやるかは知らされていない。

真那加先輩が楽しみにしてて、としか言わなかったので正直今日は不明ということで少し不安を感じる。

……しかし、今度もまた昨日みたいなことならなかったらいいな。

とか考えながら俺はドアを開けた。

目の前に広がった景色は昨日のようなサービスシーンではなく、普通に先輩たち3人が待っていただけだった。……少し残念がっている俺がいるのは何故なのだろう。

「むっ、またリョーちゃんがむっつり発動してるにゃ」

「だから何で瑠璃猫先輩は俺の心が読めるんですかっ!」

「にゃんは読心術と千里眼を心得ているにゃ。だから変な妄想はにゃんの前ではよすにゃ」

くっ、何というスキルだ。瑠璃猫先輩の前ではおちおち妄想できないという訳か! ……ってあれ? どうして心に考えていないことを俺は口走っているんだ? これが瑠璃猫先輩の能力か!

「いや、そこまでの力はにゃんにはにゃいにゃ」

「にゃ、ばかりで何を言っているか分からないっ!」

「そんなことはにゃいにゃ!」

「だったら復唱してみてください! 斜め7つ、何とかなるさ、成せばなると進んだならその中に中々の花があったんだな!」

「にゃにゃめにゃにゃつ、にゃんとかにゃるさ、にゃせばにゃると進んだにゃらそのにゃかににゃかにゃかのはにゃがあったんだにゃ!」

「もはや人語ですらねーじゃねーかっ!」

某ライトノベルネタを使ったことは許してください。俺は人気なライトノベルをある程度読んでいるので、現実で使いたいな、って思うことがある。

「遅れましたけど真那加先輩、美冬先輩。こんにちはです」

「こんにちはー」

「あいよー」

「んにゃ!? にゃんには挨拶なしかにゃ、しかし!?」

「さっきのやりとりが挨拶がわりです、瑠璃猫先輩」

ぶすぅと、瑠璃猫先輩は頬をふくらませたが、俺はそれをスルーし、真那加先輩の方に視線を向けた。

「今日は皆さん、制服なんですね。コスプレだと思ったんですけど。……まあ、瑠璃猫先輩は猫耳をつけたままですが」

そう言うと、先輩たちはお互いに顔を見合い、そして悪そうに笑みを浮かべた。

「まあ、今日の放課後にお楽しみがあるからな」

そう言って美冬先輩はニヤリと再び笑った。

俺には何を狙っているのか分からず、ひとまず話題を変えてみることにした。

「……それで先輩、今日は何をするんですか」

俺は特に考えもせず、先輩に聞くと、先輩は笑顔でこう答えた。


「今日は、親睦会だよっ!」


……はぁ、親睦会……。

「え、もしかして意味が伝わらなかった?」

「いや、意味は分かりますが、具体的には何を……?」

俺がそう聞くと真那加先輩は胸を張り(張るような大きさも無いとは思うのだが)、答えた。

「円卓会議にて親睦を深めるの!」

「だから詳しくって言ってるんですが」

「ん? 円卓会議は円卓会議だよ?」

……くそ、何の悪意もない純粋な顔で言うな真那加先輩! その可愛さに心が揺らぎかけた!

「リョーちゃんはホントにキャラがぶれまくるんだなーしかし」

「ほっといてください、瑠璃猫先輩。俺だって世界の声みたいなものには逆らえませんから」

瑠璃猫先輩は厨二病? と首をかしげていたが、特に触れるようなことはしなかった。だって、俺自身でさえ自分のことが分からないのだから。

まあ、今はそんなことを考えるより、その円卓会議についての方が重要だ。

「……まあ、先輩たちに聞いてもまともな回答が来るとは思っていないので。真那加先輩、始めちゃってください」

それはさすがに失礼だよう、と苦笑いを浮かべつつ、真那加先輩は右腕を天に向け、

「え、えっと……、我らの始祖となりうるであろう計画、『エンブレム・プリズン』を開始するよ! ……確かこんな名前だったよね、美冬」

「真那加、そこは『エンブレム・プリズン』じゃなくて『血の星屑(ブラッドスターダスト)だろ。そっちの方が格好いい」

真那加先輩のかぶれ厨二病に、美冬先輩の残念なネーミングのもと、円卓会議は始まったのだった。


現在、広い多目的室の中心に机が4つくっつけてあり、そこに俺含め四人が座っていた。そして机の上に置いてあるのは……見たこともないすごろく?

「真那加先輩、これは、何ですか?」

「ん? すごろくだよ」

……期待通りの返答ありがとうございます。

しかしすごろくのマスをよくよく見てみると、自分の恥ずかしい過去を赤裸々に語る、などといった罰ゲーム並の内容で全て埋まっているのだが……。

「燎哉、これは『仮装部すごろく』と言って、私が作ったんだ」

「へえ、『仮装部すごろく』ですか……ってええっ!? 美冬先輩が作ったんですか!?」

完成度たけぇなおい!

「ああ、いや、間違った。この言い方だと勘違いされてしまう。言い直そう」

「そうですよ。さっきの言い方だと先輩が一人で作ったみたいなニュアンスを受けますよ」

「私の父の会社で作らせたんだった」

「ほら、自分の力じゃなくて会社の……ってええっ!?」

「……リョーちゃん、今日二度目のええっ、にゃ」

瑠璃猫先輩の指摘には反応しないとして。

え? 美冬先輩、親の会社に作らせたの? わざわざ?

「リョーちゃん、そこは突っ込むところではないワンッ」

「……瑠璃猫先輩も、俺の思考に突っ込みをいれないでください! キリがないですよ!」

「自分の頭が他人より残念なことを認めたにゃ! そんな人初めて見たブヒ」

それはしょうがないことだと思う。ヤンキーから更正したばかりである俺は、本当に残念だ。

今も自分らしさというものが分かっていないし、そもそも自分がどんなキャラであるのかすら分からない。

だが、そんな俺でも分かっていることがある。

それは――

「ミーちゃん、これ本当に前言っていたやつなの?」

「ああ。これで親睦会がスムーズに進むぞ。燎哉と梨里は取り込み中だから先に一回やっとこう」

「うん、そうだねぇ」

「長くなりそうだからって、勝手に置いていくんじゃねえぇぇぇぇぇ!!」

やる気があるのかないのか、分からない先輩方だった。「じゃあ、この『仮装部すごろく』について説明するぞ」

美冬先輩は一息ついて、説明する。

「ルールは簡単だ。先にゴールしたやつが勝ちだ。だけどこれは勝ち負けが重要じゃなくて、マスの中のイベントをやることが大切なんだ。まあ、あくまで親睦会だから、気楽にやっていこーぜ」

という訳で四人ですごろくをすることになった。

順番は美冬先輩、俺、瑠璃猫……いや、すごろくをする前に何故か猫耳から犬耳にシフトチェンジしていたので現在は瑠璃犬先輩か。もっとも本人曰く、『にゃんは頭につけた耳によって能力を変えることができるワンッ』とのことらしいが……見物である。というか一人称はにゃんのままなのかよ。

そして最後に真那加先輩だった。四人でじゃんけんをしてストレート負けした人は初めて見た気がする。

「じゃあ私からサイコロ転がすぞ」

美冬先輩はサイコロを手のひらに乗せ、転がせる。出た目は1――

「ふぅっ。……6だ」

「ちょっと待ってください、美冬先輩! 今息吹きかけましたよね!? 少ない数字が嫌だから目を変えましたよね!? さりげなくですらないですよ! 堂々とやりましたよ!?」

俺がいきりたって美冬先輩に抗議すると、美冬先輩は不敵な笑みを浮かべた。

「勝利を勝ち取るためなら……手段をいとわない」

「勝ち負けどうでもいいんじゃないんですか!?」

前言撤回しろよ!

「そういえばりょー君知ってた? 美冬って、本当はお嬢様なんだけど、特別扱いされるのが嫌でここに来たんだってー」

「へー、そうなんですか」

俺は普通に返すと、辺りは沈黙に包まれた。

……え? 俺、何か悪いこと言ったか?

「……燎哉、正直今までで一番驚く場所じゃないのか?」

「いや、ラノベでもいるじゃないですか? 何か、お嬢様が隠れている、みたいな。いつか現実で起こるんじゃないかと思ってました。まあ、厨二的に言うのなら、『この出逢いは、起こるべくして起こったのだよ』……ですかね」

俺が少し恥ずかしそうに試しに言ってみると、真那加先輩と美冬先輩は口をあんぐりとしている。そして口を揃えて言った。

『りょー君(燎哉)は、正式に次期厨二部長!』

「そんな肩書きはいらねーよっ!」

息を揃えて言ったと思えばそんなことかよ!

「ってあれ? そういえば部長はだれなんですか?」

「ん? 今の厨二部長はリリィちゃんだよ。だって私たちの知らない言葉たくさん知ってるし」

「そっちの方を聞いてるんじゃないですよ! ……はぁ、なんか真那加先輩と話してると俺のペースが乱れる」

後半はやや当たりぎみに言ったのだが、真那加先輩はうん? と首をかしげるだけだった。

……くっ、この人は3人の中でもっとも普通な人であるのに一番話しづらい!

「ああ! この部の本当の方を言ってたの?」

「そうですよ、先輩」

「それは私だよ。美冬が副部長」

でしょーね。もう、何で分かりきっていたことを俺は聞いたんだろう。

「……あの、そろそろ戻ってくれワン。みっちゃんがお嬢様だってところからだんだんそれてるにゃ」

あろうことか瑠璃犬先輩に注意されてしまった。俺と先輩二人は少し落ち込みつつも、ひとまず瑠璃犬先輩の言う通りにすごろくに意識を戻した。

「えっと。私が6を出したんだよな」

「そしてしらっと改竄を貫こうとしてるよ! 諦めてないよこの人!」

と、俺は叫んだのだが、全く聞かれず、美冬先輩は駒を進めてしまった。

「うーんと、何々。『自分の可愛らしさをアピールしよう。前にいる人の机の下から顔を覗かせ、頬を赤らめ目をうるうるさせながら上目使い。そのために一回休み……』

再び沈黙が辺りを包んだ。だって、美冬先輩の前の席の人は、俺なんだから。


「じ、じゃあお、俺だよな。サイコロ振るの」

精一杯気丈に振る舞おうと俺は奮起したが、無理だ! 俺には出来ない!

だって、先程出たマスの指令をかっちり守ってる美冬先輩が俺の足元にいるんだもん! めっちゃ可愛く上目使いしてんだもん! 何の悪意をもってこんなマス作ったんだ美冬先輩とこの社員は!

……やべぇ。今一瞬美冬先輩にときめきかけた。

まあ、そんな煩悩を俺は振り切り、サイコロを振ることにした。

「1、2……5だ」

俺はそのマスに書いている事項を見てみた。

そこには。


『執事、メイド、デスペラードエンブレムのどれかにコスプレ』


な、なんだって!? 選択肢少なすぎだろ! 最後のやつに至っては何なんだデスペラードエンブレムって!

そう考えていたとき、隣から、なんとも言えない、ただ心の奥が圧迫されるような、そんな恐怖のオーラを感じた。

俺は体を震わせながら、隣を見る。そこにいたのは。


至福と恍惚が折り交わったような、そんな表情を浮かべている瑠璃犬先輩だった。というか息荒くないか?

「……ふふ、このときを待ってたワン。にゃんの出番がやってきたコン。さあ、覚悟するワン、リョーちゃん。選択肢は2つに1つにゃ! メイドかデスペラードエンブレムか!」

「執事を選ばせろぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


というわけで多目的室の中にある小部屋にて着替え中。なんだこのテンポの速さ。実際言うと俺は抵抗を試みたのだが、あっけなく瑠璃犬先輩に拘束され、コスプレすることを余儀なくされた。

……なんだけど。

どうして瑠璃犬先輩も一緒にいるんだ!?

「ワン? にゃんがいるのは不服かにゃ?」

「不服も何も……」

察してくれよ! 俺だってこう見えてれっきとした男子なんだ! 密室に男女二人っきりだなんて……

「分かってるにゃ。にゃんも高ぶる心を押さえるのが精一杯だワン」

「心を読むな! というか息荒い!!」

「でも後輩をコスプレさせるというシチュエーションの方が萌えるにゃ!」

「変人だ!! この人紛れもなくアブノーマルだ!!」

そういった瞬間、ほんの一瞬、本当に僅かに傷ついたような表情を浮かべた。が、すぐに表情が戻り、手をわぎわぎとさせていた。

「恥ずかしがることはないワン。さらけ出すにゃ。その全てを!!」

「いやぁぁぁぁぁっ!」


……まあこんなやり取りはやったけど、特に何も起こってないよ。うん、本当に何も起こってない。

「しっかし、ここまで似合うとは思わなかったにゃん。かっこいいワン」

先輩のレクチャーを経て、執事の格好をしてみたのだが、中々さまになっているようだった。

「しかしワン、メイド服の方が萌えるのににゃ」

「それだけはお断りです。」

「ちなみにデスペラードエンブレムはただの学ランにゃ」

「何故それを先に言わなかった!」

瑠璃犬先輩は、にゃはははと笑みを浮かべ、俺の方をじっと見つめた。

その彼女の瞳に吸い込まれそうな感覚がした。

「な、なんですか、先輩」

「黒髪もいいけどにゃ、やっぱり地毛が一番ワン。若干染めきってないとこがあったんだなーしかし。……たぶんリョーちゃんは金髪の方が似合うにゃ」

――気づかれてる、か。この人は本当に千里眼を持っているのかもしれない。俺の過去すら、見えているのかも。

「でも……、こうした方がいいじゃないですか。世間的に。それに俺、更正したときにそれを手伝ってくれた女の子に言われたんですよ。そうした方がいいって」

「早苗千紗、ちゃんかにゃ」

「っ! どうして彼女の名前を!? ……いえ、この話は今しなくてもいいですね」

「リョーちゃんに、分かってないようだからいっておくにゃ」


「自分を偽ることに、何の意味もないよ」俺は先輩の言葉に驚かざるを得なかった。瑠璃犬、――いや、瑠璃島先輩がそんなことを言うなんて。それに今語尾になにもつけなかったような――

「リョーちゃんはもう立派に友達も出来てるし、普通に過ごしてるにゃ。もうその約束は果たしているにゃ。だったら、親からついだその髪を、もうさらしてもいいと思うワン」

……どこまでこの人は見抜いているのだろうか。俺の過去まで知っているのか。

「……それを言うなら瑠璃犬先輩もじゃないですか。髪をピンクに染めてるし」

「にゃはは、にゃんのはキャラ作りであり、隠すためワン。もっとも、仮の自分を作るという点では同じブル」

「仮の……自分……」

「別に今のリョーちゃんの姿を否定する訳じゃないにゃ。でもそろそろ自分の本当を見せてもいいんじゃないかにゃ。……ごめんにゃ。会って間もないのいうというのに」

いえ、別に。と返したかったのだが、その言葉は口から発せられる前に消えてしまった。

無言の状態が続く。

先に口を開いたのは瑠璃島先輩だった。

「でも本当を見せられる場所がここじゃダメかにゃ?」

「え?」

「まなちーもみーちゃんもいい子だにゃ。過去がどうであれ、今のリョーちゃんを受け入れてくれるワン」

「……瑠璃島先輩」

「だから次のマスで別のコスプレをすることになったら迷いなくフリフリなやつでよろしくにゃ」

「いいこと言ったと思ったら一気に落とすようなこと言いやがって!」

にゃははは、と笑う瑠璃島、いや瑠璃犬先輩に何故だろう。今は怒りを覚えなかった。自分の視野が広がったような、そんな感覚がするのだ。

「瑠璃犬先輩」

「ん? なんだワン?」

「……ありがとうございます」

先輩は少し照れたような表情を浮かべ、なんのなんのと言った。

……さて、戻るか。


ながーい!! と真那加先輩でさえそう言ってしまったほど時間が経ってしまったようだったが、本当にさまになっているらしく、それで許してもらった。……そんなに似合っているのか?

という訳で、すごろく再開。相変わらず美冬先輩が上目遣いであるのは考えないようにするとして。次は瑠璃犬先輩の番であった。

そう先輩の番なのだが……

「……先輩? 何をやっているんですか?」

「話しかけるんじゃないワン!! 今計算してるにゃ!」

意味のわからない不思議ポーズをとって、すごろくを睨んでいた。

どうも瑠璃犬先輩に話しかけられる状況だとはとても思えないので、真那加先輩に聞くことにした。

「……瑠璃犬先輩、あれどうしたんですか?」

「計算してるんだよー」

「……何の計算ですか?」

「サイコロの出る目を。周りのあらゆる条件を計算に入れて、角度、高さを正確に出し、自分が出したい目を好きに出せるの。それが犬耳の能力」

「確実ならそれは単なるインチキだろ!」

「ただね、その犬耳にも弱点があってね」

「計算が50パーセントの確率でしか当たらない、とかですか?」

「見てれば分かるよ」

真那加先輩にそう言われたので、隣を見てみると。


再び暴走している瑠璃犬先輩の姿があった。さっきみたいな興奮状態ではない。

ただ静かに、ただクールに――痛いことを呟いていたのだ。

「ふぅん……。にゃんの手にかかればこんなこと造作もないにゃ。そう神に愛されている、否! 愛などという言葉では到底足りないほどの力を秘めているこのにゃんであるからこそ可能なのワン!!」

「厨二な発言が目立ってくる」

「ものっすごく残念な反動!」

「……にゃん。望んだ通りに3が出たにゃ」

「嘘ぉぉぉっ!?」

俺はそこに書いてある内容を見てみると。


「目の前にいる人に水着を着てもらい、セクシーポーズを決めてもらう。……だにゃ」

「そんなことのためにあんな複雑そうな仕草してたのか! っていうか美冬先輩のところの社員は変態しかいないよ! このマスに俺が止まっていたらどうしてたんだ! ……待て。瑠璃犬先輩の前ってことは――」

「そうにゃ。にゃんはそれを狙ってわざわざ犬耳つけたにゃ。あーあ、疲れたにゃ。マイブームはやっぱり猫耳にゃ」

そう言って猫耳につけ替え、ふぅと息をついた。

いや、そんなことに注目している場合じゃない。

問題はそう、簡単なことであり、もっとも大事なことだった。

「わ、わわわ、私がみ、水着着なきゃいけないの?」

「はい、そうです! これがルールですから真那加先輩!!」

「リョーちゃんの仮入部を祝ってと思って軽い気持ちでやってみたんだにゃ。……ここまで正直だと思わなかったにゃ」

「だって仮入部の際、性に正直になれと言ったのは美冬先輩です!」

「私に責任を押し付けるのか!?」

今まで(机の下で)黙っていた美冬先輩が反応したが、なにぶん机の下だったために頭をぶつけてしまった。

だが、美冬先輩はまだ諦めていないようで、頭を押さえ、机の下にいながらも言った。

「だけど真那加のなら許す! 私も見たい!」

「あれ!? 私のフォローしてくれるんじゃないの美冬!」

残念ながら美冬先輩も俺達の味方だった。

真那加先輩は恥ずかしい思いをするのが嫌なのか、顔を真っ赤にし、ブンブンと顔を振っていた。なんとかわいらしい。

瑠璃猫先輩も真那加先輩のそんな姿に見かねたのか、妥協案を提案した。

「にゃら、にゃんが用意してもらったゴスロリでどうにゃ? これなら着なれているし」

ブーブー。ブーブー。

俺と美冬先輩によるブーイングがもちろん発動されたが残念ながら真那加先輩によって否定されてしまった。本当に残念だ。

そそくさと別室へと去っていく真那加先輩の姿を見て、……とてつもなく惜しい気がした。

「心配いらないにゃ。まなちーは絶対にあの服を着てきてくれるでヤンス」

「はぁ……」

なんだかよくわからないが、あまり期待はしないでおくことにしよう。瑠璃猫先輩だし。


数分が経って、真那加先輩はやってきたのだが、先程恥ずかしがって顔を真っ赤にしていたときよりさらに真っ赤にしていた。あんまり見ないで……と言って、両腕で体を隠すようにしていた。その反応が瑠璃猫先輩にはセクシーポーズと捉えられているようで、それで許されているようだ。

それはともかく。

何故俺がここまでの反応を示しているかというと。

そう。今の真那加先輩の姿は。

――かなり露出度の高いゴスロリだったのだ。

へそなんかもう丸見えで、下着やらそんなものと同じような感覚を得てしまう。

フリフリであるがゆえに水着らしさを感じさせないが、よくよく生地を見てみると、水着のそれと同じであった。

胸はまあ……、すいませんだが、彼女の姿にときめかずにはいられない。

「き、きき、きききき」

「どうしたのりょー君!? き、しか言ってないよ!? それにみーちゃんも悶えて! どうしたの!?」


『キタァァァァぁぁぁぁぁっ!』


もう、やばい。かなりテンション上がってきた。美冬先輩も、同様のようだ。

先輩も一時的に机のしたから出てきて、俺同様がっちり手を握り会う。

「俺、仮入部して、初めてよかったと思いました! あと瑠璃猫先輩が偉大なる人だと思ったのも今が初めてです!」

んにゃ!? などと瑠璃猫先輩の反応が見えたが無視無視。

「私も同感だ!! 真那加と同じ部にいてよかった! 色々なコスプレが用意できる我が三木谷家に生まれてよかったと思っている!!」

それもどうなのかな!? と真那加先輩のつっこみが入ったが、美冬先輩は全くの無視だった。


『ふははははははははははっ!』


二人の上がりきったテンションは鎮火するのに10分以上かかったと、あとで真那加先輩に聞いた。

「はぁ……疲れた……」

美冬先輩が机に伏せてそう呟いた。他のメンバーもほぼ同様である。

真那加先輩の水着以降のすごろくは、自分たちの紹介を折り交ぜつつ、口では言えないような……うん。思い出したくもない。

あ、一応確認しとくけど、今はみんな制服。

真那加先輩はふぅと、息をつき、それから改めて言った。

「でもみんな。楽しかったよね?」

真那加先輩の言葉は、全く否定出来る訳がなかった。ハチャメチャでしょうもなかったけど、確かに面白かった。

ただ唯一気がかりであるのが、誰一人として自分の過去に触れるようなマスには一切止まらなかったということだ。

神は何を目論んでいるのか――などと厨二的な言葉をわざとらしくも考えたりするが、このメンバーならいずれ明かしてくれる。そしていつかは自分も――

「さあって気を取り直して、今日のお楽しみにいくとするか!」

わざとらしく元気を出しているようなところは指摘しないとして。美冬先輩は席を立ち、高らかにそう宣言した。

「お楽しみって、なんですか?」

俺がそう聞くと、美冬先輩はいい質問だ、と格好つけて返す。真那加先輩も瑠璃猫先輩もニヤニヤしている。一体何なんだ?

そう思っていると、美冬先輩がしれっと言ってしまった。


「メイド喫茶に行くんだよ」


……というわけでメイド喫茶『アリス・クリスティアーノ』、通称アリクリに到着。

いやいやちょっと待て。確かに部活に来たときにお楽しみがあるとか言っていたような気がするが、これはあまりに予想外だ。俺はあくまでもラノベを多少読む程度の高校生であり、このような趣味は決して――

「ま、真那加先輩はメイド喫茶は何回も言ったことがあるんですか?」

このなんとも言えない感情を紛らわすため、真那加先輩にそう聞くと、

「ううん、初めて。とっても緊張する。私たちの中で行ったことあるのリリィちゃんだけだし」

「そうなんですか?」

「んにゃ。とは言ってもそこまでは言ってないワン」

瑠璃猫先輩はそう答えたが、ううん……不安だな……。

そんな俺の様子を見てとったのか真那加先輩は、俺に声をかける。

「でもねりょー君。私楽しみでもあるよ」

「……どうしてですか?」

「そりゃあ行くんだったら楽しまなきゃ、っていうのはもちろんなんだけどそうじゃなくて――」

「んにゃー、さすがに店前に長居しすぎじゃないかブル。そろそろ中に入ろーキャン!」

……せっかく真那加先輩が何か言いかけたていたのに。瑠璃猫先輩にさえぎられてしまった。

くそ、何を言いたかったのか分からないじゃないか。


店内に入ってみると、よくテレビでやっているようなものとは違い、バーのような感じだった。お酒は置いてあるし。でもその傍らにはフィギュアなども置いてあるわけで。やっぱりメイド喫茶なんだな、と思った。

俺が物珍しそうに見ていると、店の奥からメイド服を着たメイドがやってきて――まあメイド喫茶だしね――、

「おかえりなさいませ、ご主人様」

と声をかけられてしまった。ただこの『アリス・クリスティアーノ』だけかもしれないが、『おかえりなさいませ、ご主人様』のご主人様、ってところは下がるんだな。まあどうでもいいけど。

先輩たちを見てみると、瑠璃猫先輩は慣れているかのようににゃはにゃは、と返しているし、美冬先輩は本物のメイドだ……! と興奮しているようだった。

もっとも、真那加先輩は俺と同様で、居心地悪そうにしていた、というより自分は場違いなんじゃないかと思っているようであった。

……まあ、普通そうだよな。

店に入ったなり入場料として300円取られた。くっ、ジャンプ一冊は買えるなちくしょう。

まあ席の並び順は左から瑠璃猫先輩、美冬先輩、真那加先輩、そして俺といった感じだ。目の前にはメイドさんがいるが、どうも話しかけずらかった。

名前はみたけ、というらしく、まあもちろん偽名だろうがとても可愛らしい女の子だった。おそらく同年代だった。

「みたけちゃんって、可愛らしいらしいねぇ」

「ありがとうございます、ご主人様」

「はは、その通り。みたけちゃん嫁にならないか?」

「これまでにない誉め言葉、嬉しいです!」

……このやり取りしてるの、言っとくけど俺じゃないよ。

美冬先輩だ。

すっかりハイテンションになってる。瑠璃猫先輩も普通に萌え萌えケーキとか頼んでるし。

俺と真那加先輩は、見事に居心地悪く縮こまるように座っていた。

ここの店だけではないようだが、メイド喫茶というものは必ず一品頼まなくてはいけないようで、俺と真那加先輩は一番安いアイスココアを頼んだ。……隣の二人はヒートアップしているようだったが、どうも乗り気になれない二人だった。


「あーあ、楽しかったなーメイド喫茶」

「……先輩はそうですよね。なんせメイドさんを口説いていたんですから」

「ち、違うぞ! あれは礼儀かな、と思っただけだ! 私の本命は真那加だから!!」

「い、いい顔で言わないで美冬! は、恥ずかしいよ!」

そんなやり取りをしながらメイド喫茶を出た。

俺と真那加先輩は特に何をしたわけでもなく、ただ頼んだアイスココアを飲んで、それで終わってしまった。

「……みーちゃんがあまりにもテンションが上がっているから、真実は言わないでゲス」

「どういう意味だ、梨里?」

「時が来たら話すにょろーん」

「何故新しい語尾が次々と!?」

などと言ってみたものの、やはり残念だと思う気持ちは変わらなかった。店に入る前に真那加先輩が言っていた、当たり前のことすら出来なかった。ちっとも楽しむという行為が出来なかった。


帰り道についてなのだが、真那加先輩とは結構近所であることを知った。なので途中、美冬先輩や瑠璃猫先輩とは別れたが、真那加先輩とは一緒に帰っていた。

最初の何分間かは、会話は生じなかった。

「……せっかく行ったのに、あんまり楽しめなかったね」

真那加先輩がそう言うのに、約10分はかかった。

「……俺も同じです。もう少し楽しみたかったです」

それからまた沈黙が現れる。だが今回はそれが破られるのにそう時間はかからなかった。

口を開いたのは、真那加先輩だ。

「――店に入る前に言おうとしたこと。今言うね」

突然ではあったが、俺は静かに、はい、とうなずく。

「メイド喫茶も人を楽しませるのが仕事だから、どんな感じかなーって楽しみだったんだ」

「真那加先輩……」

「私たち仮装部も、それが一番の理念だから」

――そんなこと、初めて聞いたよ。

内心そう思いはしたものの、決して口には出さなかった。

隣にいる真那加先輩が、何か思い詰めるような顔つきで、そこにいたからだ。

意を決したように、先輩は言った。

「……私、中学の頃にいじめられてたんだ」

「…………………」

「何が理由だったか忘れたし、思い出したくもないけど、その時に助けてくれたのが美冬だったの。そのときみーちゃんが言ってくれたんだ。『つらいんだったら笑って楽しいことをすればいい。つらい人がいるんだったら楽しませてあげろ』って。私、その言葉に助けられてここにいるんだ。だから仮装部を立ち上げたんだ。仮装をすることでみんなが楽しんでくれたら、それでいいなって。……もっとも仮装のことなんて最初はわからなかったけど、高校に入ってすぐ、梨里ちゃんが友達になってくれて。それで助かったんだ」俺は何も言わない。

美冬先輩もいいところあるじゃないか――なんて素直な感情も口にしない。そんなことを言えるような状況じゃないから。

「……ごめんね。急にこんな話して。……でもりょー君にも話しておかなきゃ、ってなんとなくそう思ったんだ」

「真那加先輩……」

「……たまに不安になるんだ。こうやって一人のとき、美冬がもし隣にずっといなくなってしまったらどうしよう、なんて考えちゃうんだ。誰かに依存するとかそんなんじゃなくてね。でも、本当に怖くなっちゃうんだ」

「……なら、俺が側にいますよ」

「……え?」

口が勝手に、そう動いてしまった。だがもう、今さら止められない。止める気もない。

「美冬先輩が側にいれないときでも、俺が側にいます。先輩が悩んでいたら相談に乗るし、危険な目にあったら必ず側に行きます」

そこから再び沈黙。

それを突き破るのは、真那加先輩の笑い声だった。

「……先輩?」

「あははっ、ははっ! ……うぅ、ごめんね笑って。でも、危険な目でも助けにいくって小説の主人公みたいだね」

先輩の言っている意味と笑ったことの意味を理解して、俺は急に恥ずかしくなった。顔が熱くなっていく。

「りょー君、顔真っ赤。……でもかっこいいよ」

そう言うと、私の家ここらへんにあるからと告げ、去ってしまった。

一人ぽつんと残される俺。

はぁ、と息をつき、改めて自分と先輩の言動を見直す。

――綺麗事を言ったけど、俺、入部するとは一言も言わなかったな。

そう。本当に彼女のことを思うなら、入部するのが一番だ。なのにそうしなかった。

仮入部という立場にいる俺は、まだ仮装部という組織に入るのを恐れているのか。

自分を否定されるのが怖いのか。そんなことを言うような人たちではないのに。

そして、真那加先輩。

彼女も、昔から逃れて今ここにいる。

「はぁ……、どうすればいいのかね、俺は」


仮の姿でしかない俺達は、どうしようもなく不器用なのだという結論が、脳の全てを支配していた。……なんだこれ。

俺こと鏑木燎哉は、そんなことを内心にて呟いていた。

真那加先輩に放課後収拾をかけられたので、何だろうと思い、行ってみたらこの様だった。

……この様とか言っていても埒があかないので状況説明。

猫の着ぐるみを着た瑠璃猫先輩に、真那加先輩(ゴスロリ)と美冬先輩(僧侶? みたいな感じ)が小判(もちろん偽物であり、チョコ)を投げ、それに見向きもしない、というのを何度も繰り返していた。

――なるほど、猫に小判か。

って納得している場合じゃない! 事件は、現場(部室)で起きているんだ!


「……で、何をやってるんですか? 先輩たちは」

現在俺の前に三人の先輩たちを正座させていた。

……別にこういう性癖な訳じゃない。あまりの先輩たちの意味不明な行動を見たら、体が勝手に動いてこうなっていた。……言い訳ですねすいません。

「んで、先輩たちは一体何をやってるんですか。はい、そこで猫の着ぐるみを着ている瑠璃猫先輩」

わざわざ言わなくていいにゃ……とぼやきつつ、瑠璃猫先輩は答えた。

「まず、まなちーが今後の部活の方向性を考えるべきだと言ったにゃ」

「はぁ」

「そこでみーちゃんが仮装の種類をどこまでいいか、と提案したワン。もちろんメイド服やゴスロリなども含めてらしいでヤンス」

「…………はぁ」

「さらににゃんがじゃあ着ぐるみとかもありじゃない? 的なノリで言ったらこうなったにゃ」

「………………はぁ?」

「うぅ、にゃんの行動に対しての反応が一番ひどいにゃ……」

しょぼんとする瑠璃猫先輩……、可愛いな。

って俺はいつからこういうキャラになったんだ。

「……分かりました。じゃあ真那加先輩。概要を説明しちゃってください」

「ん? 梨里ちゃんの言った通りだよ?」

……くっ、相変わらずだな真那加先輩!! 手強い!ならば!


「……というわけで話し合いましょう、その方向性とやらについて」

円卓会議。これが一番だ。流れにそっていけばだいたいのことは分かる。

「いや、方向性はもうきまってるんだよ」

美冬先輩は、隣にいる真那加先輩の髪をいじりながら言う。

……抵抗しないのな。真那加先輩。むしろ嬉しそうだ。というか可愛い。

「……リョーちゃんはいつから自分に素直になったにゃ。にゃんの影響かにゃ?」

「また人の心を読んで……、まあそう言えなくもないですね。瑠璃猫先輩がとどまるところを知らないから、自分も少しくらいいいかなーなんて」

「……なんという責任転嫁にゃ。しかし、その責任はにゃんがきちんととるでヤンス!」

「というと?」

待ってろワン! と言って、個室の方へと行ってしまった。

仕方がないので先程の話に戻すとしよう。

「美冬先輩、方向性がきまってるんだよ、とは一体?」

俺がそう聞くと、美冬先輩は真那加先輩の髪を、ゴスロリにはいかがなものかと思う三編みにしながら答える。

「いや、楽しませるために仮装部があるんだから、みんなが楽しめたらそれでいいっていうのが結論」

「……そうですよね」

「だが別問題が1つ」

「何ですか?」

そう聞くと、美冬先輩は今までに見たことのないような複雑そうな表情を浮かべた。

……もしかして、重い話なのか。

真那加先輩にはいじめ、という過去があった。瑠璃猫先輩は何かまでは分からないが、執事コスプレの際に先輩のキャラじゃない先輩を見た。あの人にも何かしらの、自分を隠さなければいけない何かがあるのだろう。

俺は息を深く吸う。

人の苦しい過去ほど、聞くのがつらいものはない。

美冬先輩が口を開く。そこから出た言葉は。言葉は。


「私と燎哉だけ固定コスがないんだよな……」


―――――――は?

「いや、真那加は基本的にゴスロリだし、梨里は動物系何でもアリコスプレだからいいんだけど」

「いや、瑠璃猫先輩も決まってないじゃないですか」

「けど燎哉と私にはそれがない」

……こ、この人、人の発言を聞く気があるのか?

見事にスルーしやがって。

美冬先輩はやれやれと言って、続ける。

「そこで、固定コスを決めるのが今日の円卓会議だ」

「はいはい! リョーちゃんのはにゃんが提案してみるにゃ!」

隣にいる瑠璃猫先輩が手を挙げ、テンション高くそう言った。

瑠璃猫先輩がテンション高いと俺に被害加わるような……

「桜ヶ丘高校の制服に、ギターなんてどうにゃ?」

「軽音部っ!?」

「んにゃ、じゃあ赤い帽子に黄色いネズミをつれている――」

「それはどこぞの目指せポケモンマスター少年ですかっ!?」

「リョーちゃんはいちゃもんが多いブル。だったらメイド服に猫耳、ウェーブがかった髪をツインテールにし、ドリル状で長さは腰くらい。……どうにゃ?」

「あんたの方がに・あ・う!!」

それもアニメのキャラだろうが!

……駄目だ。瑠璃猫先輩と話しているとどうもペースをもっていかれてしまう。

向こうが言ったことに対してつい反応してしまうのだ。……なんか俺、一生瑠璃猫先輩に勝てない気がする。

「一生はさすがに言い過ぎにゃ」

瑠璃猫先輩は俺の心を見透かすように――いや、見透かしているのか、そう言った。

「……冗談にゃ。ちゃんとにゃんはリョーちゃんのコスを考えているワン」

「瑠璃猫先輩……!」

「にゃんは……リョーちゃんのかけがえのない先輩にゃ」

「瑠璃猫先輩ーっ!!」

仮装ではなくコスと固定しているところに疑問を感じるがそんなことはどうでもいい!

今俺は猛烈に感動している! あの瑠璃猫先輩が、俺にまともなものを用意してくれているなんて!

「さあいくにゃリョーちゃん。個室に既に用意してあるにゃ」

「はい、行ってきます!」


着替えが終わった。……うん、終わった。俺の男としての人生も終わった気がする。

白いブラウスに赤色のタイ、その上に黒のジャケット。下は赤と黒のタータンチェックのスカートだった。そして頭には金髪のウィッグ。

「俺は女の子か! 見事に騙された!」

「く、くくっ……!に、似合いすぎにゃ。にゃんの千里眼でも見えないものもあることがわかったでヤンス!! にゃは、にゃははは! すごいにゃ、本当に! しかも一番すごいのは何にもメイクしてないことにゃ!」

にゃははは! と本気で笑いながら語る瑠璃猫先輩。くそっ、人の気も知らないで!

そうして辺りを見回すと、俺は気づいた。

真那加先輩は満面の笑みで可愛い……! と言ってるし、美冬先輩は……口ではなんとも言いがたい舞を披露している。

あれはもしかして……テンション上がってきた証拠なのかっ!?

美冬先輩がギロッとこちらを見る。いや、ギロッとっておかしいだろ。どれだけの眼力だ。

「燎哉……いや燎子ちゃん!!」

「燎子ちゃん!?」

「もう……我慢できない!!」

美冬先輩がそう言ったかと思った瞬間、体に重い衝撃を感じた。

その正体はすぐに分かった。

美冬先輩の、抱きつきだ!

「燎子ちゃん、もっと触らせてくれ、抱きつかせてくれ!」

「ゆ、百合を発動しないでください! というか色んなところが当たってる……!」

主に胸とか。

「にゃんも我慢できないにゃ!!」

瑠璃猫先輩も来た! この後輩好きめっ! ってまた胸当たるから!!

先輩たちにもみくちゃにされている間に目の端で捉えたもの。


それは何故かぶすっとしている真那加先輩で。すねているように見える真那加先輩で。意を決したかのように俺の方に向かってくる真那加先輩で。


え? ちょ、待って真那加先輩まで。これ以上はまず、まず、まずいって!


ってあああぁぁぁぁぁ…………では改めて円卓会議をということで。

とはいっても先程よりみんなのテンションがだだ下がりなのだが。

真那加先輩は残念……と口にし、美冬先輩は燎子ちゃん……と口にし、瑠璃猫先輩は女装似合ってたのに……と口にした。

いや、末尾二名本気で未練がましい。

現在の俺の格好普通の制服だし。

「……あの、そこ二名元気だしてください。そんな姿見てるとさすがにきついです」

そう言うと、二人は虚ろな目で俺の方を向く。

思わず俺はたじろいてしまう。

「……燎子ちゃんのいない砂漠の夜は心の芯まで寒さが染みる」

「……リョーちゃんの水着姿見たいにゃ」

「欲が見えますね、完全に。それに美冬先輩には真那加先輩がいますし、水着姿なんてお断りです」

私がってどういう意味!? と聞こえた気がしたが今はひとまずスルーの方針で。

「問題は美冬先輩がさっき言った通りで、俺と美冬先輩の固定コスがないことです。……どうしますか、コレ」

『女装』

「……先輩二人はいい加減にしてください」

見事にシンクロして言いやがって。こっちの気も知らないで。

と、思っていると真那加先輩が地味に胸の前で挙手しているのを視界に捉えた。

……真那加先輩ぐらいの謙虚さが二人にあればいいのに。

「……聞こえているにゃ」

「くっ、読心術かっ」

手強いやつめっ!

……まあ、カッコつけてみたけどなんとも言えないことは置いておいて。

「真那加先輩、何か提案があるんですか?」

「提案、というほどのものでもないんだけど……」

真那加先輩はチラッと美冬先輩の方を見て答えた。

「美冬には女の子らしい格好をしてほしいんだよね……」

ガタッ。

……もちろん美冬先輩。

「真那加の頼みならば! いや、でもな……」

言葉を渋る美冬先輩。なんか新鮮だった。いや、でも前にも見たか。

胸の前で丸かと思えばばつを手で作ったり。

……さっき俺の女装を見たときと同様に動揺しているようだった。

狙った訳じゃないよ。洒落を言う気なんてなかったよ!

「でも俺も美冬先輩の女の子らしい格好を見たことがないです」

「……見たいのか、私の、女の子らしい格好」

「はい、ぜひ。絶対可愛いですよ」

そう言うと、美冬先輩は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

……何でだ? 俺が変なことでも言ったのだろうか? でも当たり前なことしか言ってないよな……

「鈍チン」

瑠璃猫先輩の発言だ。

また人の心を読んで。でも鈍チンってどういう意味だか。

美冬先輩はようやくこちらに顔を向け、とは言ってもまだ顔は真っ赤なままなのだが、返答した。

「……り、燎哉が言うんだったら、一回だけ。女の子らしい格好をしようかな」

「そのセリフを待っていたワン!」

瑠璃猫先輩は今までのローテンションを払拭したかと思えば急にハイテンションになり、そう言いながら頭につけた猫耳を外し、別の耳をつけていた。

――あれは、狼の耳?


「俺の好みの格好にしてやるぜ、美冬野郎!」


………………………。

…………………………………………………うん?

言ったの俺じゃないよ。瑠璃猫先輩。いや瑠璃狼先輩。

……………………!?

どういうこと!? 何今の幻聴!?

「さあその服を脱ぐんだぜ! 俺が既に手元にお前に似合う服を用意してあるんだぜ!」

「いやまて梨里! 狼耳は禁止だろう!」

「そんなことは知ったこっちゃないんだぜ!」

そう言った瑠璃狼先輩は見事に美冬先輩に襲いかかってる。というか押し倒してる。

……どうなっているんだこれは一体。

訳が分からないよ。

ふと隣を見てみると、巻き込まれんとしているのか真那加先輩がいた。

せっかくだから真那加先輩に聞いてみる。

「瑠璃狼先輩……、キャラ変わりすぎじゃないですか?」

「うん、その質問には答えるけど、りょー君は後ろ向こう。見ちゃ駄目だよ」

俺はそれに従い、後ろを向く。

当たり前だ。もし前を向いたままだったら、狼耳の少女が茶髪少女の制服を脱がし服を着せようとするシチュエーションが目の前に広がっていたのだから。

現在もくっ、離せ!! 、ふっ断るぜ! なっ……! そこは……だ、駄目だろ! かまわないかまわないぜ、女同士だからなんだしなんだぜっ! など聞こえてくるし。

……それはそれで見たい気がする。

いや、こんな下心はどこかに投げておいて。

どうしてこの部は百合百合なんだ。

「あのね、狼耳をつけると男らしくなって、力が強くなるみたい(本人談)。だから、語尾には必ず〜ぜがついて、人を呼ぶときには〜野郎ってなるみたい」

なにその可愛くない瑠璃狼先輩。いやでもそういうのもありか……?

というかこの部に仮入部してから俺の性癖が行方不明な気がする。

「でもやっぱり反作用があって」

「何なんですか?」

「女の子大好きになって、服を着せさせたがる」

なんとひどい。絶対反作用を狙ってやったな瑠璃狼先輩。


「ふぅ……、やっと終わったんだぜ」

どうやら決着はついたようで、そちらを向いてみると瑠璃狼は狼耳を外し、猫耳に戻した。

美冬先輩の姿は見えない。机とかぶって。

……まだ倒れているのか?

「絶対似合ってるから、驚くにゃよリョーちゃん」

にゃはは、と笑って瑠璃猫先輩は地面に倒れているだろう美冬先輩に手を差しのべる。

その手に掴み、立ち上がった少女は。

美冬先輩。

うん、美冬先輩。それには違いない。

でもそうじゃないとも感じてしまった。

赤を基調とした色のドレス。 それはさながら貴族のパーティーに参加する際に着るようなドレスで。

とてつもないくらいに似合っているわけで。

やっぱりこの人はお嬢様なんだな、と感じさせられてしまった。

「にゃはは、驚いたかにゃリョーちゃん」

「そりゃあ……とても綺麗で驚きましたよ」

「じゃあ……もっと驚いてもらうにゃ」

瑠璃猫先輩の意味不明な発言に、当然俺の頭上にはクエスチョンマークが浮かぶ。

だがそれはすぐに破られそうな気がする。

燎哉……と呼ぶ声がした。美冬先輩かと思い振り向くと、


「わたくし、この格好似合うかしら? 正直に心情を吐露しますと不安で……」


「誰だこのお嬢様は!?」

美冬先輩だよ。自分でも突っ込める。でも言わなきゃいけないぐらいに驚いた。

だってあの美冬先輩だぜ? どこにお嬢様らしさがあったか疑問であったくらいだし。

美冬先輩も俺の発言に驚いているのか、唖然としている。

これはいかん。

「い、いや、とても似合ってるから驚いているんです。でもその口調は……?」

ああ、と納得したようで答える。

「普段はこういった格好をしておりますので、つい家での口調となってしまうのですよ。しかし似合っているのならよかったです……」

……へ、へぇ?

よく分からん事情だな。

そう思ったかと思うと、恥ずかしそうにそそくさと脱がされた制服をもって個室に向かい、ものの数分で帰ってきた。

もちろん制服。

「やっぱり学校でドレスはやめといた方がいいな」

「ええ、そうですね美冬先輩……」

キャラの変化の差に、俺の身がもたない。

……ものの数分だったのに、先輩たちの新たなる面を見て、今後の俺の適応力が問われるとか考えちゃいました。「はぁぁ……」

時刻12時45分。学校的に言うなら昼休み。俺は大きくため息をついた。

昨日はなんだかんだで決められず、今日の放課後も集まることとなった。

……気が重い。

「どうした? 深いため息なんかついて」

「田山君……、いや実はさ……」

昼飯を食べながら昨日の経緯をざっくり、いやかなりはしょり概要のみ伝えた。

田山君は成る程、とうなずき、

「ま、頑張れよ」

それしかないよね。たぶん俺と田山君の立ち位置が逆だったとしても、俺は間違いなくそう言うよ。

「燎哉君ーっ、ちぇすとー!!」

不意に背後からそんな声が聞こえた。速攻振り向き、防御体勢をとる。

何でって? 決まっているだろう。

――パンチが、飛んでくるんだから。

ゴゥっ! と音をたてて俺の腕にパンチが当たった。いやこれ絶対パンチの音じゃないだろ。

だがまあ俺はヤンキーだったので、自分より強い相手とも会ってきたので、パンチの威力の軽減の仕方は自然と体が覚えていた。

……それでも痛いや。

「相変わらずとはいえ急に殴りかかってくるなよ如月!」

「んー? だって私のパンチを受け止められるのは燎哉君しかいないんだよ」

「さらっと怖いこと言うな。俺は欲求不満の捌け口か」

あはは、と笑ってごまかす少女――如月美久里。

この少女は俺のクラスメイトであり、俺が二番目に作った友達だ。

確か入学して3日たった頃に彼女が自分にパンチを繰り出してきて、それで気絶しなかったから友達になった。

……あれ? これ大分はしょった。まあでもきっかけはこんなもんだったはずだ。

黒い髪をシュシュでポニーテールにしている。

若干つり目で、少し好戦的に見えるが、天真爛漫でほとんどなにも考えていないようなやつだ。

真那加先輩のは天然だが、こっちはただの馬鹿だ。

「しっかし燎哉君はよくパンチ止められるなー。どこかで鍛えてたの?」

「教える義務はない」

「なんかそのセリフはカッコいいね! 今度秘密を言いたくないときはそれ使おうかなー」

うんうん、とうなずいて如月はシャドーボクシングをし始める。

……再び殴る気か。

まあそれは置いておいて。

このクラスにも、俺がヤンキーであることを知っているものはいない。そもそも自分から話してさえいない。

俺の過去を知ることで友達が離れていくなら、それは殴られるより怖い。

だから、知っているのは昔の中学の連中、俺の素性を見抜いている瑠璃猫先輩。そして俺をどん底から救いだしてくれた――千紗。

「うーん、大丈夫かーい燎哉君。……返事がない、ただのしかばねのようだ! なら一発いれて!!」

「待て待て。俺が多少黙っているからって殴ろうとするな」

そう返すと、如月はシャドーボクシングを止め、はぁぁとため息をついた。

いや、呆れているのは俺の方なんだって。

「そもそも、何でお前はそんなに殴りたがり屋なんだ」

「ストレス解消! そしてスキンシップ!」

「そんな危ない関係があってたまるか。それにストレス解消なら人形殴ればいいじゃないか」

「やだよ。人形が傷ついちゃう」

「俺はいいのかよ」

「そもそも人形だったら一発で穴あく、というよりさながらロケット団の気球のごとくパーンって」

「どんな恐ろしいパンチを繰り出しているんだよっ!?」

俺はそんな恐ろしいやつのパンチを受けていたのか……?

逆に俺の方が何なんだ。

「あー、燎哉君には本気だしてないよ。本気出したら、高確率でこの校舎崩壊するし。そもそも大好きな燎哉君を私が殺すわけないじゃない」

「……へいへい、そりゃ嬉しいことで」

そんなわざとらしい言葉をもらってもな。

などと思って、再び飯を食べようとしたが、それは強制中断させられた。

如月によって後ろから目隠しされているからだ。というか思いっきり胸当たっている!!

如月は1年5組の中でもスタイルがいいと評判だし、……瑠璃猫先輩といい勝負か?

って何を考えている俺は!?

「燎哉君は鈍いからなー、私の言っている意味がわかってないんだろうな。……そんな悪い子には、えいっ」

かぷっ、と。

噛まれた。首もとを。誰に、如月に。

俗に言う、甘噛み。

「ちょ、や、やめろよ如月!」

「ふぁ、ふぁなさふぁい!」

目隠しされた状態であるが、体をぶんぶんと揺らして、如月からの呪縛から逃れられた。

同時に目隠しも外されたので、グワッ! と勢いよく後ろを振り向く。

「どういう意味でこんなことすんだよ如月!」

「分からんうちは答えないよ燎哉君!」

「わからないから聞いてんだよ!」

「……じゃ、じゃあ名前で、み、美久里って読んでくれたら教えてあげるよ」

「……何で?」

「な、何でってそこは聞かないものでしょう! 燎哉君の鈍感!!」

そう言って如月はそっぽを向いてしまった。

なんか俺、悪いことでも言ったのかな?

「……いい加減気づけよお前も」

田山君がぼそっと言うのが聞こえた。

なんのこっちゃ。


結局そんなこんなやっているうちに昼休みが終わってしまい、現在は放課後となっていた。

なんと時間は経つのが早いのだろう。

俺は仮装部に向かおうとしたのだが、おあいにくそれは塞がれてしまった。

教室の扉の前に立ちはだかるのは先ほどのポニーテール天真爛漫理解不能少女の如月美久里と、俺の三番目に作った友達の志筑夜影だ。

夜影はまあ……今まで会った中でもっとも電波だ。

背は小さく150いくかいかないかぐらいの身長で、小柄な少女。

前髪パッツンで、髪型はボブにしている。

そこまではまあ普通だとしてもここから先が問題だろう。

右目を包帯で隠しており、左目には赤色のカラーコンタクトを入れている。

そして何より芝居がかった口調だ。

それはまあ、そのうち分かるだろう。

「……んで、何の用? 俺部活行くんだけど」

「ちょっとしか時間とらないから! ね?」

「『否』。必要最低限と訂正。これからどのように未来への軌跡が描かれていくか未知数であり、未明であり、未然」

……うん、こっちの意味不明なこと言っている方が夜影だ。

こんなことを無表情で長々言っているのが夜影ね。

「分かった。すぐに終わるなら用件を聞く」

「あ、あのさ、今月の末に宿泊研修があるじゃない? それで一緒の班になってくれないかな、って」

「あー、そんな話もあったような……」

宿泊研修。そうだ、4月の末にあるのか。

学校的には大方早めに行ってとっとと仲良くなろう、みたいなノリなのだろう。

「いや、別に構わないけど」

「やった! あんがとね!」

俺の手を握ってにっこり微笑む如月に思わずドキッと……するわけ……うん、しかけた。

「でも何で俺なんだ? 他のやつでもいいだろ?」

「り、燎哉君を誘いたいから誘ったの!」

「……ふーん」

よくわからないや。

などと思っていると、ツンツンと胸を叩かれた。夜影だ。……別に胸じゃなくてもよくね?

「『愛』。それしかない。分からぬあなたは無知であり、恥だ」

「俺はお前の言っている意味の方が分からないよ夜影――」

「ちぇすと!」

俺が言った瞬間、顔に向けてパンチが繰り出された。危うく顔に当たりそうになるところでなんとか右手を駆使し受け止める。

「何で夜影は呼び捨てで私は名字!?」

「突っ込みか今の! 随分危なっかしいな! ……特に意味はないよ。ただなんとなくだよ」

そう言うと、如月は拳を戻し、

「じゃ、じゃあ用事は済んだから。また明日!!」

そう言って如月は去っていった。夜影も同様である。

「……とりあえず部活いくか」部室に着いて、何か奇想天外なことが起きていたとしても驚かないと決めていたのだが、無理だった。

だって、今度は瑠璃猫先輩が男装だもん!

「んにゃ? 遅いワン! リョーちゃんはクラスの女の子たちといちゃついていたのかにゃ?」

「別にいちゃついていた訳じゃありません」

「女子といたことは否定しないのにゃ」

くっ……かまをかけられたか。

瑠璃猫先輩とはいつ会話しても向こうのペースに乗せられるのがおちなので、やはりここは真那加先輩に聞くことにした。

「真那加先輩、瑠璃猫先輩はどうして男装しているんですか?」

「りょー君が来る前に、りょー君が似合うコスプレを考えてたの」

「え……?」

あまりにもまともな回答に思わず唖然とする。

瑠璃猫先輩の男装といっても、俺が前回着た執事の格好であり、美冬先輩に見てもらっているようだった。

……何故着ているかはやっぱり意味不明だが、俺のことを思って素直に行っている行動と捉えても間違えないだろう。

……なんか、嬉しいな。

「あのね、やっぱりみんなで話してたんだけど、執事の格好が一番かなーって。りょー君はまだ仮入部だけど、楽しんでくれるのが一番だし」

真那加先輩はいつもと変わらぬ笑顔で語りかけてきた。

本当に嬉しそうな顔で笑って。

――あなたのその笑みも、仮であるはずなのに。

中学の頃の傷を、まだ背負っているはずなのに。俺よりも重い過去を引きずっているのに。

俺は他人であるはずなのに。

どうしてこの人は――いや、なんでここの人たちはみんな、優しいんだ。急に胸の内からあふれでてきた言葉。止まらない。

「――何でですか」

「え?」

思わず口に出してしまった。真那加先輩も突然のことに驚いている。

これはいけない、と思ってなんでもない、と返すつもりだった。

だけど、体は正直だった。いや、これは言い訳だ。たぶん、心の裏でずっと言いたかったこと。

「なんで、そこまで自分であることを貫けられるんですか」

「りょー君……?」

俺と真那加先輩との間にある空気が異様であることに気づいたのか、美冬先輩と瑠璃猫先輩もこちらを向く。

だけど、止める気はなかった。

「……俺は弱い人間なんです。昔はその弱さに負けて、ヤンキーだったんですから」

言ってしまった。

でも口は止まらない。

真那加先輩の反応など関係なしに。

「父が日本人、母がイギリス人のハーフで、俗にいうクォーターなんです。だから、俺、本当は金髪なんですよ」

その髪は黒く、仮初めの姿であるが。

「その容姿のせいでよくからかわれて。周りの期待通りにヤンキーになって。暴れて。……現在でようやく更正して先輩たちにも会えたのに、まだおびえているんです。先輩たちにこの事実を話したら、遠くに行ってしまいそうで。そんなことはないって、頭では理解してるのに」

急すぎる。急展開すぎる。脳はそう告げている。だけど、口は止まらない。全てを語り尽くすまで。

自分がいかにひどい存在で、どれだけ弱いか。今になって知る。

せっかく千紗が更正させてくれたのに。

自分を受け入れてくれようとする人たちを遠ざけて。

何も変わっていない。

真那加先輩たちの反応はない。

沈黙。

その二文字がこの場を支配していた。

……耐えられない。

そう思ったら、体は勝手に動き、部室を飛び出していた。

逃げるように。避けるように。


俺は机に伏せて、ぼーっとしていた。現在は朝であるが、その時点で既に、今日、部活に出る気はなかった。

昨日のこともあったし、なんとも気まずい。

瑠璃猫先輩は、俺のことをどう思っただろう。

俺の心が読めるというのなら。

俺のことを、なんと思っただろう。

「燎哉君、呼んでる人がいるよ」

如月が俺のところに来たかと思えば、それだけ告げて去っていった。

誰だろうな、と思って廊下に出てみると、待ち人は予想の範囲内の人物であり、予想外を身に纏っていた。

そこにいたのは瑠璃島先輩で。猫耳も何も、つけていなかった。


「リョーちゃん、話があるの」


事の重大さが、身に染みるようであった。


現在俺と瑠璃島先輩は校舎の屋上にいた。

なんとも落ち着かない。猫耳のない瑠璃島先輩だなんて。

そして違和感と同時に、威圧感も感じていた。

猫耳のない瑠璃島先輩は、素の姿の瑠璃島先輩は、妙な畏怖を感じさせた。

「やっぱ耳がないと違和感ある?」

そう言って遠慮がちな笑みを浮かべる瑠璃島先輩。違和感以外の何物もないが、正面からそうは言えないだろう。

「リョーちゃんが昨日自分の傷を話してくれたから、私もある程度話しておきたいと思って」

「……私、ですか。瑠璃島先輩が」

「一人称のことも含めて話すよ。もっとも私はずるい人間だから、全部は語らないよ」

「……はい」

「じゃあまず先の前提として。私は天才なの」

「……はい?」

急に何を言い出すんだこの人は?

とまず頭に浮かんだが、その考えはすぐに消えた。

瑠璃島先輩の表情は硬く、冗談を言えるような顔などしていなかったのだから。

「もちろんリョーちゃんが読んでるラノベのキャラみたいにじゃないよ。例えば某人間に興味ない人みたいに超越している訳じゃないし、某知ってることだけさんみたいに化け物な訳じゃない。でも、全てのステータスが異常なの」

……どうでもいいけど、どうして瑠璃島先輩は俺の読んでるラノベを知っているの?

「努力に勝る天才なし、だっけ。あれのせいでどれだけ悔やんだことか」

「? どういうことですか?」

「自分が努力をしなければ、誰かが自分を追い越してくれるだろうって。そう思ってた。だけど、そんなことはなかった。何をやっても私は勝って、負けたことなんか一度もなかったよ」

勝ち続けること。それは凡人にとっては嬉しいことなんだろう。

でも勝ち続けることに、虚しさを感じてしまう。

行き過ぎた才能は、そんなにも嫌なものであるのか、凡人の俺には分からないけど。

それで瑠璃島先輩が苦しんでいることぐらいは、凡人の俺でも分かった。

「だから私は思い付いた。猫耳をつけたりして才能を、キャラを分割出来れば――」

本当の自分は隠せる、か。

「以上! これより先は一方通行なので通れません! ……本当はもっときっついお話があるんだけど、今は話せないや」

瑠璃島先輩は曖昧な笑みを浮かべた。

「……でも、ここまで話したのはリョーちゃんが初めてなんだ」

「……そうなんですか?」

うん、と返す。そして先輩は続ける。

「まなちーさ、この前ざっくりリョーちゃんに自分の過去を話したよね?」

「……はい」

「私は元々まなちーのことは知っていたけど、当人から聞いたことはなかったよ。でもね、そんなまなちーがリョーちゃんに話したってことは、まなちーがリョーちゃんに気を許してるってことなんだよ」「気を許してる、ですか」

そんなことを考えたことはなかった。

先輩が語った過去も、瑠璃島先輩たちには言っているものだとばかり思っていた。

だけど、違っていたのか。

「私たちにはリョーちゃんが必要なんだ」

「……部の存続のためですか?」

「……、リョーちゃんは確信犯なのかな。分かっていてそんなことを言うんだ」

本当は分かってる。俺が必要とされていることくらい。

でも、受け入れられない。

「リョーちゃんもたぶん、私たちが必要。本当はリョーちゃんが考えていることよりも簡単なことかもね」

瑠璃島先輩は何かを悟っているような表情を浮かべる。

そんな先輩に、その場しのぎの回答をした。

「……今日の放課後までに、決めさせてください。そこではっきりさせます」

そう言ってみたものの、瑠璃島先輩は俺の心を見抜いているのだろう。

瑠璃猫先輩に出来るのだ。瑠璃島先輩が出来ないはずがない。

だが、瑠璃島先輩は見透かしたようなことは何も言わなかった。じゃあまたここで、とだけ言って去っていってしまった。

俺は呆然としていて、正気を取り戻すのに1分はかかった。


「ろすとっ!」

教室に入るなり、如月のパンチが迎えてくれた。

俺はギリギリのところで受け止める。というか掛け声が変わってる!

「っ! ったく危ないな! 何が目的だよ!?」

「強いて言うんだったら、私が知らない人に連れていかれたから、何かあったのかなって」

と普段は浮かべないような、本当に心配がっている表情を浮かべていた。

――何かあったというのなら、昨日からだけど。

でも、心配されているという事実は何故か俺の心を安心させた。

「……如月」

「ん? 何?」

「今日の昼休み、空いてるか? 話したいことがあるんだ」

俺がそう言うと、如月ははっ、何かに気づいたようで、顔を赤らめ、あからさまに取り乱していた。

……なんだっていうんだ一体。

「……ま、まさかとは思うけど、こ、告白とか?」

「ん? 告訴? なんで俺がそんなことを――」

「ろすとっ!」

再びパンチが飛んできた。先ほどのより威力が高い気がするのは何故だろう。

「……まあ、燎哉君だしね。聞き違いも充分にあり得ると思ってたけど」

「なんか言ったか?」

俺がそう言うと、何でもない!! と何故か怒り口調で言って、でも手ではピースサイン、つまりOKを示していた。

「ありがとう、如月」

「……まだ何もやってないよ」

それだけ言い残して去ってしまった。

でも、如月は俺のお願いを聞いてくれた。

本当に有難い。

心の底からそう思っていた。


時は経ち、昼休み。

先ほど瑠璃島先輩といた屋上には俺と如月がいて。

俺の目の前には豪勢な料理が出されていた。

「……なにこれ?」

「何って……弁当」

「いや、それは分かるんだけど、どうして弁当?」

「これから話すことって、重い内容なんでしょう? だったらご飯食べながらの方が気が楽じゃない?」

どうやら如月なりの気遣いであったようだ。

向こうがその方がよいと考えているのなら、そのようにしようと思う……のだが。

「この量は一人前じゃないだろう。お前1人で食べるのか?」

「そんなわけないじゃない。燎哉君と私ので二人分」

「お、俺の分!? いや、いいよ。俺も弁当持ってきてるし……」

「……じゃあ、家に持って帰る」

「わ、悪かったな。本当に」

「そして捨てる」

「もったいないだろう!!」

「……り、燎哉君に食べてもらおうと思って持ってきたけど、そうだよね、ごめん。燎哉君の都合も考えないで」

うわぁぁぁ、めっちゃ目うるうるしてる!

本気で泣きそう!

……でも俺も弁当食べなきゃ、水羽に絶対なんか言われるし……。

まあ、放課後に食べればいいか。

「分かったよ。食べる」

俺がそう言うと、如月はうって変わって満面の笑みだった。

さっきのうるうるはどこにいった!?

策士、策士かこいつは!?


というわけで如月の弁当を頂くことになった。

まずは王道な卵焼きをひとつ。

「…………!」

「どう!? 美味しい?」

めちゃくちゃ不味い。

なんて展開はなく。

普通にうまい、というかやばい。めっちゃうまい。

どういうことなんだろう。暴力少女が弁当作るのうまいとか。

反則じゃね?

「美味しいよ。本当に」

「本当!? よかった……作ったかいがあったなぁ……」

彼女のその呟きにより彼女の家族内の人物が弁当を作っているという可能性は皆無となった。

なんということだ。

それからは結局如月の作った弁当を食べるのに夢中で、ろくに真面目な会話などしなかった。

その最中、如月があーん、と恥ずかしそうにたこさんウィンナーを運んできたので食べたら、妙に嬉しそうだった。

何を喜んでいるのだろう。水羽にもたまにやられるぞ。

というわけで。話を開始したのは、食べ終わった後だった。

「如月、ぶっちゃけた話をするが、聞いてくれるか?」

「うん、ぶっちゃけた話をされるが、聞いてみるよ」

こいつには遠回しに言っても無駄だと思う。

……通じないし。

だったら何故こいつを呼んだ、と言われたら答えられないが、如月に聞いてもらえばはっきりすると思ったのだろう。

「俺さ、実はクォーターなんだ。日本人とイギリス人のハーフの子なんだ。だから俺、本当は金髪なんだ。でも、その見かけでヤンキーだとずっと思われていて。それで俺は去年までヤンキーだったんだ。……どう思う、如月」

「髪染めてるのもったいないなーって思う。燎哉君は金髪似合うと思うよ」

……人が決心して言ったのになんか着眼点が違う。

「あ、だからか。私のパンチ受け止められるの。納得した」

「そこじゃなくてさ、問題は――」

「別になんとも思わないよ」

予想だにしない言葉が返ってきたので、俺は思わず口を閉じる。

如月の方は普通の顔で、

「別に昔がどうだったからって今の燎哉君は今の燎哉君だし、わ、私がすすす、好きな燎哉君だよ。でも、ヤンキーだった燎哉君がいたから友達になれたのかな……」

驚き。

それが脳の全てを支配していた。

神経の末端から末端まで。

「正直に言うと、燎哉君が何に対して悩んでるかなんて私には分からない。でもね、燎哉君がみんなに嫌われているとしても、私がずっと味方でいる」

如月は柄にもなくそんなことを言った。

茶化そうと思ったのだが、彼女の目を見て、やめた。

本気であったから。

本気で俺のことを考えてくれている、目だったから。

「ありがとな」

俺がそう言ったと同時に、学校のベルが鳴った。

「ろすとっ!」

「うおっ!? あぶなっ!」

「授業始まっちゃうから戻らないと!」

「それ言うために俺に殴りかかったの!?」

如月といると、気が楽だなーって思う。

それって気を許してるってことかもしれない。

……怪我はするけど。



放課後になってしまった。


………放課後になってしまった。


…………………うん、放課後。


結局考えはまとまらず、放課後になってしまった。

どうしようものかと考えていたが、そもそも瑠璃島先輩とはどこで会うのか話していなかった。

自分の教室の机にて深く思考している最中、廊下にて真那加先輩を見た。

方向的には真っ直ぐ家に帰るような雰囲気であった。

「……行くか」

ふと、そんなことを考えてしまった。今日はどうやら部活はないようで、真那加先輩は家に帰るようだった。

……勢いでついてきてしまった。どうすればよいのだろう。

このままではストーカーじゃないか!

「俺はどうすればいいんだ!!」

「あ、りょー君! ……こんにちは」

見つかってしまった。

大声を出してしまったがために。いや、もしかしたら俺は見つけられることを望んでいたのかもしれない。

とカッコつけた理由を自分の脳内にあげることでなんとかごまかす。

「真那加先輩、……相談があるんです。……歩きながらで、いいですから」

おい、何を言っているんだ俺の口。

「……うん、いいよ」

承諾されてしまった。


真那加先輩にも、俺の過去を話した。

さすがに三人目ともあって、意外と気が楽であった。

話を聞き終わると、真那加先輩は息をふぅ、と吐き、それから口にした。

「驚いた。りょー君にそんな過去があったなんて」

「……でも事実です」

「…………私と同じ、なんだね」

「何がですか?」

「周りからの反応で孤立して、誰かに助けられて。……もっとも私はりょー君とは違って、ミーちゃんと会うまで自分というものがなかったけど」

そっちの方が苦しいだろうけど、周りに迷惑は与えないから世間的にはましな方だ、とは言わない。

ここは静かに、真那加先輩のことを聞くべきだ。

「りょー君も過去を話してくれたから、私も話そうと思うんだ」

普段存在する笑顔は、どこにも見当たらなかった。


真那加先輩の昔話は、二年と半年前、つまりは中学二年生の頃の出来事であった。

先輩は、苛められていた。

特に何をしたというわけではないだろう。きっかけなど存在しない。

ただクラスというものには、必ずいじめというものが存在する。

容姿、性格……。理由をつけようとすればいくらでも挙げられる。

いじめがあればこそ成り立つものと言っても過言ではない。

その当時の対象が、真那加先輩だったのだ。

最初は小さなことから。

あの子は内向的であまり仲のいい人がいないんだ――。

最初はこの程度の認識だったそうだ。

ところが、日を増すごとに変化する。

あらぬ尾ひれまでついて、他学級まで伝わっていく。

詳しい内容は真那加先輩は知らないそうだ。

聞いてはいたのだろう、と俺は思う。

だが、その内容はあまりにも先輩にとって酷であるが故、封印しているのだろう。

そういった噂が流れる中、真那加先輩は身動きが取れなかったそうだ。

噂は鎖となって、真那加先輩を拘束する。

何をしようと、噂が彼女の足を引っ張るのだ。


当然真那加先輩はずっと1人であった。そのため周りから助けを求めるような真似は出来なかった。

クラスはそんな彼女を対象に、いじめを行った。

最初は仲間はずれ。

何をやろうとも彼女は一人。体育の授業でも、給食の時でさえ、彼女に声をかけるものはいなかった。

エスカレートすると、嫌がらせが起きた。

それはひどく古典的なものであり、真那加先輩の心を傷つけるには充分であった。

椅子の上に画鋲が置いてあるのは普段通り。

彼女のよそった給食はとらない。

先生は見てみぬ振り。


そんな生活の中、真那加先輩は幾度となく死ぬことを考えたそうだ。

しかし、自分が死ねば両親が悲しむ。

そう思い、常に死にためらいを持っていたそうだ。

そうしたある日真那加先輩は遂に気をおかしくし、暴れた。

クラス内で暴れた。

ぷつっと。キレてしまったのだろう。

だが、その行為が彼女を追い詰める決定打となってしまった。


ある日のことであった。

先生たちからも問題有りと認識され、両親も呼ばれ、クラスのみんなに先生は説教し、いじめはなくなった、ように見えた。


本人たちが反省もしていないのに、いじめが終わるはずがなかった。

自分に非を感じない限り、人は歩みを止めることなどないのだから。

真那加先輩は校舎裏に呼び出された。

その頃の真那加先輩は、ほぼ人生を諦めていて、どうにでもなれと思っていたそうだ。


真那加先輩は、そこで、幾度となく体を痛みつけられた。

そこには男女の差はなく、ただ純粋にいじめを楽しんでいるようであったらしい。

そこで真那加先輩は気づいた。

――可哀想だな、と。

誰かを踏み台にして楽しむ。そんな行為をするのは悲しいことだと、そう悟ったそうだ。

俺も同類だと思う。そいつらと。

気づくと、真那加先輩を痛め付ける手は止まっていたそうだ。

目の前には茶髪の少女がいて。

その少女は言った。


『この子は私の嫁にする! 嫁に手を出すなよ!』


紛れもなく、美冬先輩だった。


「……それ以来、ミーちゃんが私の側にいてくれて。当時からミーちゃんは有名だったから知ってたけど、一回も話したことなくて別のクラスだったのに」

「……どうして美冬先輩は赤の他人である真那加先輩を助けたんですか? お互い知らなかったんですよね?」

「それが、苛められているのを直視出来ないし、それに私が可愛かったから、って理由だって」

後半の理由のほうが美冬先輩らしいなと思う。

「だから、そんな美冬のためや私と同じような待遇の人を楽しませてあげたい。そう思ったんだ。前にも同じようなことを言ったような気がするけど」

真那加先輩は少し辛そうに、だが俺の目をみて言った。

この人は俺とは違う。俺よりも強い。

そこから俺が何を言おうとしたかわからない。

だがその言葉はタイミングがいいのか、いや最悪のタイミングで消された。

「あれ? 黒埼じゃん」

そう背後から聞こえ、後ろを振り向くと、そこにいたのは女子高生二人組だった。


何者だ、と聞く前に隣にいる真那加先輩の反応をみて理解した。

――同じ中学か。

俺は震えている先輩を庇うように先輩の前に立つ。

「何? 黒埼のくせに彼氏出来たんだ。羨ましいねぇ、ひゅーひゅー」

一人の女子がそんなことを言った。

くせに、と言った。

完全に下に見ている物言いだ。

「黒埼は逃げるように、ランクの高い高校行ったからね。一緒に行ったのは三木谷さんくらいでしょ。馬鹿にされなくてせいせいしてるでしょ」

……やめろよ。

先輩の傷をえぐるような真似は、するなよ。

「あんたの彼氏に言ったの? あんな子だって知られたら、別れちゃうの決まりだもんね」

…………やめろよ。

お前らの勝手な思い込みだろ。先輩に押し付けるなよ。

「黒埼は――」


「やめろっつってんだろうが!!」


俺の声が、辺りに響きわたる。周りからの視線が俺の方に向けられている。

だがそんなことはどうでもいい。俺は目の前のことで手一杯だ。

「な、何を急に大声出してるのよ」

「先輩はな、お前たちのせいでどんなに傷を負ったのか分かってるのか!? いや、分かってないからやったんだろうな」

まくし立てるように言う。向こうは何か言おうとしているが、そんなものは遮ってやる。

「真那加先輩はお前らみたいな奴よりよっぽど立派だよ! 苦しい時期もあったのにさ! 足掻いてるんだよ! 周りに流される奴等より立派だ!!」

「……黙って聞いてたら随分ひどいことを言って。あんたの彼女はあんたが思うような人間じゃ――」

「黙れよ」

俺の剣幕に、思わず女子高生たちはたじろく。

本気だ、俺は間違いなく本気だ。……ここまで本気になっているのは久し振りだな、と自分でも思う。

「まずお前らは勘違いしているようだから、一つ言っておく」

「……か、勘違い?」


「俺はこの人の彼氏じゃない。執事だ」


……………………………………………………………………………………………………………………。

たぶん文章であれば三行文くらいの沈黙が、その場を支配していた。

女子高生二人はもちろんのこと、真那加先輩も呆気にとられていた。

正直俺も恥ずかしい。だが、この発言により、俺の固定コスが執事になるのは間違いないだろう。それに、これで俺の方に言葉のベクトルが向けば。

真那加先輩は傷つかない。

「な、何を馬鹿なことを言ってるの? あは、ははは! 頭可笑しいんじゃないの?」

「俺のことを馬鹿にするのは構わない。その代わり金輪際先輩には近づくな」

俺がそう言うと、二人のうちの一人が、

「近づくなんて変な言い方しないで。まるで私たちが好き好んで近づいたみたいじゃない。やだやだ。思い込み激しくて」

と返したと同時に、俺の拳はそう言った彼女の目の前にあった。

何も思わず、殴りかかっていた。

こいつらは許せない、と。これぐらいやらないと気が晴れない、と。


バンッ!! と。拳がぶつかった音がした。

だけどその拳は届かなかった。

防がれたからだ。ある人物によって。

「……ここで殴ったら、お前のほうが問題視されるぜ燎哉野郎」

そう、瑠璃島先輩、いや瑠璃狼先輩だった。

正直言うと瑠璃狼先輩じゃなくてもよかったと思う。本人であったほうが真剣さが感じ取れるし。

瑠璃狼先輩は、俺の中では最早ギャグになりつつあるんだから。

……それぐらい本性はさらせないということなんだろうか。

だが、彼女の到来が俺の頭を冷やした。

俺は彼女の手から拳を引く。

女子高生二人は恐れを感じたのか、その場から逃げ出した。

俺はその二人の後ろ姿を見つめる。

あー、せいせいした。

瑠璃狼先輩は耳を外し、猫耳に付け替えると、俺と真那加先輩から離れた。

……結果を見せろ、ということか。

俺は真那加先輩の方を向く。そして呆気にとられてた。

泣いていたからだ。

俺はどうしようか迷ったが、優しく先輩の頭を撫でた。

先輩は小さくありがとう、と呟く。構わないですよ、と返した。

しばらくして落ち着くと、俺は手を戻し、先輩の目を見て、言った。

「……言ったじゃないですか。俺は先輩の側にいるって」

「う、うん……」

「……そろそろ泣き止んでください。見ているこっちが辛いです」

「じゃ、じゃありょー君、借りるよ」

何を? と聞く前に先輩が俺の胸に飛び込んできた。

「な、なな。何をするんですか!?」

「……落ち着くと、思って」

驚いてしまったが、先輩がそうしたいと思っているなら、そうさせてあげよう。

「……真那加先輩、決めました。俺」

「…………うん」

息を深く吸い、そして告げる。これが俺の答え。


「仮入部を、やめます。そして正式に部員にしてください」


そうだ――、俺はこの一言を言うために先輩を追っかけたんだ。

今になって、気づいた。


この一言で感動した真那加先輩が泣き止むのは、当分先のことであったが。


先輩たちと別れる際に、俺は告げておいた。


明日の俺を、楽しみにしておいてください――と。

黒く染めている髪を、戻そうと思う。

そして金髪執事になって、彼女の側にいよう。

そう誓う。

そして殴りかかった自分の弱さを噛み締めて、だ。


「ただいまー」

「お帰り、りょうにぃ!」

家に帰ってきたかと思ったら、玄関で妹――鏑木水羽が待っていた。

俺とは違い、髪の色は朱色に近い茶髪だ。

その髪をツインテールにしている。

つり目な彼女の俺同様の紺色の瞳が、俺を捉えていた。

「りょうにぃ、弁当どうだった? 今日は普段より力を入れてみたんだけど」

「…………弁当?」

「うん、弁当」

「……………………………あ」

そうだ、今日放課後に食べようって――

「……まさか食べてないの?」

「いや、あは、あの如月が、ね?」

そう言ってみたものの、水羽の反応はない。

手にしているのは、洞爺湖の木刀。

どこの銀さんだ。


「こんの、大好きだからいっぺんしねぇぇぇぇ!!」


兄に対していきなり木刀振り下ろしやがった!

俺は真剣白羽取りで、ギリギリ受け止める。


……そう、これが我が妹、鏑木水羽。

常に木刀を所持している中学三年生。

彼女の二つ名は『木刀少女』。

またの名を、『矛盾少女』。


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