花火の恋
「食うか?」
太陽のような笑顔をした天岸陽向が隣の少女の目の前にリンゴ飴をちらつかせながら問いかける。
「いる。食う」
「その前に名前聞かせろよ、名前知らなきゃ迷子にもいけねぇ。俺は名前教えたし」
「知らない変態陽向には教えるなってママが言ってた」
「教えてくれなきゃ、これはあげない」
「変態陽向はよくもので釣るってママが言ってた」
「じゃあいらないんだな?」
「いるけど、いらない」
リンゴ飴への未練を捨てきれない状態で少女はぷいとあらぬ方向に顔を向けるが、どうも目だけはリンゴ飴から離れないようだ。
試しにリンゴ飴を動かしたら、その分だけ顔が動いて面白くなりそうだが、陽向はしなかった。
「いるけどいらないってどっちだよ」
「新しく買う!」
「金はあるのか?」
「……ないけど」
「じゃあ買えないだろ」
「買ーうーのー!」
「いや、無理だっての。たくっ……」
陽向は強引に少女にリンゴ飴を握らせた。
その時、少女の手に握らせるために陽向の手が触れ、途端に恥ずかしくなった陽向は弾かれるように飛び退いた。
その時、握った手からリンゴ飴も離れてしまう。
少女が小さくあっと声を洩らす前に、リンゴ飴は見事地面についてしまった。
「おいおい……」
陽向は呆れたように笑い、反対の手に持った自分の食べかけのリンゴ飴を差し出す。
「一口食うか?」
「……うん」
今にも泣きそうな声で少女は答えた。
食べかけだったリンゴ飴はいつものように甘かったけど、涙の分だけしょっぱかった。
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窓から強い日差しの差してくる気持ちのいい朝のこと。
まるで何かに弾かれたように飛び起きた御堂花火は、そのままベッドから下りて、階段を下りて、洗面所に向かった。
蛇口の下に顔を突っ込み放射。
風邪でもひいたかのように真っ赤だった顔が普通の色になっていく。
「くそっ! 夏祭りが近くなるといつもこれだ! なんであたしが変態陽向のことを考えなきゃいけないのよ!」
水を止め、垂れないようにタオルを被りながら苛立たしげに悪態をつく。
天岸と御堂の関わりは簡単に言えば、赤の他人だ。たまたま御堂が迷子になった時、親が見つかるまで一緒にいてくれただけ。その後、さっさと姿を消してしまった。結局名前は言わなかった、子供なりに恥ずかしかったのだ。
あれから八年、高校一年生になった今でも天岸のことが忘れられない御堂は、彼氏いない歴=年齢になっている。理想とする男性像がよくわからない天岸なので仕方ないといえば仕方ないのだが、本人はそのことがどうもお気に召さないようだ。
しかもこうやってお祭りの度に夢を見てしまうくらい夢中だというのにも関わらずだ。
「変態陽向……」
フルネームで呼ぶと頭が真っ白になるくらい恥ずかしいので、恥ずかしさを誤魔化すために言っていた呼び方で呼ぶ。
太陽のような笑顔をした天岸を想像。
「ひゃう!? はっ! いかんいかん」
真っ赤になった顔をばしばしと水と一緒に叩いて顔を拭く。寝起きのとろんとした気持ち良さが大好きな御堂に取って今朝は幸運な不運だったのだった。
とにもかくにもまるで逃げるように過ぎ去っていく朝の時間をとりもどすように朝食を取った御堂。口の端についたいちごジャムを舐めとりながら立ち上がり、階段を上る。
するとベッドがぶるぶると震えていた。
御堂はベッドにダイブして、布団のなかを弄る。中から出てきたのは携帯だった。
「もしもし!」
「今起きたでしょ?」
「いや、ちゃんと起きてたよ?」
「嘘でしょ? だっていつもこの時間に起きてるじゃん」
「今日は違うの!」
ふうんと疑うような声が聞こえ、次にはため息が聞こえる。
「まあいいわよ。それでね、今日のことなんだけど、今日暇よね?」
「絢ちゃんが私をどういう風に見てるか分かった! でも暇!」
「知ってるわよ。確認よ、か、く、に、ん。それでね? 浴衣だと自転車乗れないでしょ? だから私の従兄弟が会場まで送ってくれるから、私の家に来なさい」
「浴衣でいくの?」
「あんたもよ?」
「私も!?」
「当然じゃない。着付けは私がしてあげるから、浴衣、持ってきなさいよ?」
「持っていかなかったら?」
「小学生の頃の浴衣があった気がするわね」
「持って行かせていただきます!」
「よろしい! 昼ご飯もこっちで食べる?」
「あ、よろしく!」
「了解。じゃ、待ってるからね」
電話が切られてからもしばらく耳に携帯を付けたまま固まる。それからようやく携帯を畳んでベッドに置いて深呼吸。
「浴衣……、どこだっけ?」
御堂の浴衣探しは昼まで続いたとか。
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「あんたが約束を守る意志をみせなければ、私はあんたのオムライスにケチャップをぶちまけるまでよ!」
と、デスコールが響いたのがちょうど浴衣をみつけてエアギターを弾いていた時のこと。電話にも関わらず土下座で謝ったのはその二秒後。
「早く来なさい! 折角オムライス作ったのに冷めちゃうじゃない!」
「ごめんなさい!」
「まあいいわ、早く来るのよ? チンしとくから」
「はーい!」
携帯を切り、浴衣を鞄に詰める。服はどうせ着替えるからジャージの上下、化粧も向こうでしよう。
御堂は鞄を持ち、家を飛び出した。
親友、如月絢奈の家まではそう遠くない。自転車で爆発的な加速と華麗なコーナリングをすれば五分弱でつけるだろう、そんなテクニックを持たない御堂でも十五分くらいでつける。
行く途中、ちらほらと浴衣の人が目に付くと、祭が楽しみで楽しみで仕方ない気分にさせる。
如月の家に着き、チャイムを鳴らす。
「自己新!? やりますわね……」
「世界で、戦ってますから。って、なんでやねん!」
華麗にツッコミをいれたところで中に入る。如月はオムライスを取るためにキッチンへ。
中はとても広くて綺麗で整っている。それが当然だと主張しているような感じだ。
座ったらオムライスを持った如月が戻ってきて、御堂に作ったオムライスを御堂の前に置く。
「ん? ディーイーエーティーエッチ? ……DEATH! 絢ちゃんひどいよ!」
「ごめんごめん、あんまり来るのが遅かったから、つい。気にしないで、いつものことだから」
「わ、わかっ……えー!?」
二人はコントのように楽しい時間を過ごしながら夜を待った。
日も落ち始め、そろそろ祭に行く時間になってきたところで、御堂と如月は着物に着替えた。
如月は嗜みだとかなんとか言って完璧なきつけを披露。一回だけ挑戦した御堂は、着物の端を踏んで華麗な側転をしてしまったので、如月に全てをまかした。
着物が着れたところで、後は如月の従兄弟を待つのみとなったのだが、なかなか来ない。
如月がすぐに電話すると、どうやら友達を乗せるから遅くなるとのこと。
「まあ仕方ないよ」
「そうだね、大学生だし、付き合いがあるよね」
ぷくっと頬を膨らませる。拗ねているようだ。
にやにやと如月のことを見ていたら、死んだ魚でも見るような目で見返してきた。その顔が、とっても怖い、と御堂は震え上がった。
「ぐぅ! ス○ウターが壊れんばかりの眼力だ!」
冗談で遊んでいると、ようやく車が到着した。
「お待たせ」
その車から降りてきたのは、どこか如月のような雰囲気を持った男だった。仏頂面がまた似合っている。
「さて乗った乗った、すぐ出発だ!」
「はあい」
明るく返事をして後ろに乗る。大きな車なので、どこかゆったりとした気持ちになれる。
祭に向けて車が発車した。
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会場は少し離れた神社の境内で行われる。この辺りではそれなりに有名な祭なので、必然的に境内は込み合っている。
如月の従兄弟とその友達は車を止めてからくるということで、御堂と如月は先に祭を楽しむことに。
「いやー、毎回来てるけど、やっぱり混むね」
「人がゴミのようでしょ?」
「まったくだよ」
一番手っ取り早く前に進むために人の流れに従って歩く。
「あ、リンゴ飴買っていい?」
「あんたはいつも買うわね? そんなに好きなの?」
「いや、べたつくからあんまり好きじゃない」
「何で買って――――何かあるわね?」
獲物を見つけたようにきらりと光る目が御堂を捕らえた。
やられた、と御堂は思う。逃がしてくれるような優しい友達なら親友にはならなかっただろう。それくらいには如月のことを信用している。
「絶対、言わないでよね?」
だから八年前の出来事を纏めて話す。話し終えて恥ずかしさの余り顔を覆う御堂を尻目に、如月は金縛りにでもあったかのように動けない。天岸陽向。その名前に覚えがあるからだ。
「花ちゃん、よく聞いてくれるかしら?」
「ど、どうしたの?」
「実はね――――」
「――――え?」
祭にきた人々の声で聞き取りづらかった如月の声をはっきりと拾った御堂だが、理解するのが追いつかずしばらく呆然として、それからあうあうあたふたとすることになった。
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いつかの日、迷子の少女と優しい好青年が話していた場所、そこに一人分の人影があった。前よりも背が高くなり、ぱっと見ただけでま記憶とは一致しないが、そこにいるということは天岸陽向本人なのだろう。
御堂はどきどきしながら話しかけられないでいた。
すると、御堂に気付いた天岸が太陽のような笑顔を向けて、いつかと同じようにリンゴ飴を差し出した。
「食うか?」
「食う」
つい生返事してしまう。
リンゴ飴を受け取った御堂は、しかし食べずに持つだけだ。
「話があるんだって?」
「……はい」
「なんだよ?」
御堂は口を開かない。ただ恥ずかしそうにもじもじとするだけだ。
その姿をどう見たのか、天岸はまた太陽のような笑顔を御堂に向けて言う。
「そうしてると女の子みたいだな!」
「女の子だ!」
「冗談だよ、大きくなったな。……少女A」
「何故犯罪者のような扱い!? 名前で呼んでくださいよ!?」
「だって名前教えてくれなかったし」
あ、と息つく間もなく、言葉を繋げようとして、どんと爆発音が響く。
綺麗な花火が夜空を輝かせていた。
「たーまやー!」
何かを言おうとして開いた口にリンゴ飴がつく。大きくて入りきらないのでかじる。甘い。
「好きなんだな、リンゴ飴」
「大好きです、――――」
花火の音は、他の花火の音に消されてしまった。
けれど口の中に広がる甘さは偽ることのできない確かなものだった。
「何か言った?」
「変態陽向に釣られるのも一興って言った」
「なんじゃそりゃ」
どん、とまた花火が夜空を彩った。