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蜜月〜海と順(2)

 海はダイビングのライセンスを持っていたが、今回は潜らないと言った。

「せっかく順さんと来てるんだから、一緒に出来ることをするよ。まず、肌が白いから少し灼きたい。いかにも『新婚旅行で南の海に行ってきました!』って風にするのが目標」

 そう言って笑うと、順の手をとり海岸を裸足で散歩する。

 砂浜はどこまでも白く、海の水は魚影が追えるほど澄んだエメラルド・グリーン。息子に『海』という名前をつけた両親の気持ちが分かる気がした。桜色のペディキュアを施した順の足が砂に埋もれて、その上を何度も波が行き交う。

「ほんとにきれいな白い砂。日本じゃないみたい」

 海は屈んでその砂浜に落ちている珊瑚の欠片を拾う。

「珊瑚や貝からできた砂だから白いんだ。逆に本州では火山でできた石の欠片が砂になるから黒っぽくなるらしいよ。バハマかどこかにはピンクの貝と珊瑚で出来たピンクの砂浜もあるんだって」

「砂が白いからうみの色もこんなにきれいなのね」

 順が微笑むと、

「俺は……暗い荒れたうみも嫌いじゃない」

 そう言って海は波間に目をやった。明るく見える彼が時折見せる、憂いを帯びた表情。しかしすぐに順に向けて笑いかけると、

「夕方はサンセット・クルーズに行こっか。それとも夜光虫クルーズ? どっちも行きたい?」

 と繋いだ手をきゅっと握った。


 結局ふたりはサンセット・クルーズに参加した。ドリンク付きで夕日を眺めに行く1時間の船の旅だ。順が選んだのは胸のところがシャーリングになっている、クリーム色のマキシワンピース。昼間の散歩でも肩を出していたので、色白の順の肌は赤く灼けて少しぴりぴりする。潮風に吹かれてずれそうになる細い肩紐を直していると、海が後ろからそっと抱きかかえた。他の人もいるのに、ととがめようとすると、

「きれいだ……順さん」

 薄闇に紛れて左肩のほくろにキスを落とされ、何も言えなくなる。

「もう少しで、日が落ちる」

 海が水平線を指さした。徐々に沈んでいく熱く蕩けたガラス玉のような太陽。もうほとんど沈みかけて、わずかな残滓のような光を放っていると思ったら。

 ——ぴかり。

 太陽の欠片が明るい緑色の閃光となった。

「グリーンフラッシュだ」

 乗客がざわめいた。

 じっと目を懲らすと、緑色の光は水平線にその色をこぼしながら、名残惜しげに消えてゆく。ああ、という感嘆のため息が乗客から漏れた。

「すごい、初めて見た」

 興奮冷めやらぬ様子の海に、順が尋ねた。

「あれは、何だったの?」

「グリーンフラッシュっていうんだ。夕日って普通は波長の長い赤い光しか見えないでしょ。でも空気がきれいだと波長の短い光も届いて、緑色に見える。沖縄でもなかなか見られないよ。見た人は幸せになれるんだって」

 順が彼の腕の中で振り返れば、静かに微笑んで見つめ返してくれる。

 ああ、海。順は胸が一杯になって、背中をそっと海に預けた。

「順さん、かわいい」

 海は屈んで順と自分の頬をぴたりと合わせる。この幸せは身に余るほど。でも。

「……海は、幸せ?」

 ふと、そんな事を訊いてしまう。

「順さんが、幸せなら」

 ためらいもなくそう言う海を眩しく思った。


 ——私でいいの。

 未だにくよくよ思い悩む順だ。

 休みもろくにとれないほど忙しいのに、料理以外何も取り柄がない自分。一方の海は温かい家族の愛に包まれ、何度も家族旅行でこの地を訪れ、有名大学で青春を謳歌して。聡明で明るく美しい彼。

 順は父も亡くなった母も大好きで尊敬しているが、自分の生い立ちに引け目を感じるのはこんな時だ。


「順さん、着いたよ」

 クルーザーはいつの間にか船着き場に到着していて、海に手を引かれて降りた。陸に降り立った瞬間、また抱き込むように肩を引き寄せる海に苦笑する。

「甘えん坊になっちゃった?」

 照れてわざとからかうように言えば、海は意外にも真剣な眼差しを向け、順の肩を押すようにして部屋へと急ぐ。歩調を合わせると小走りになった。

「きゃ」

 部屋に入ったとたん、足がもつれる。期せずして海の胸の中に飛び込んだ。

「……順さん」

 順の頭の上で、海はふうと大きい息を吐く。

「何かあったの、海」

 ずっと一緒にいて、何も気分を害することはなかったはずだ。沖縄に着いたばかりのあのご機嫌な海はどうしたのだろう。 

「……くそっ、あいつ、順さんをじっと見て」

「あいつ?」

「船に乗るとき、前にいたでしょ。オレンジ色のポロシャツの男。俺がいるのに、順さんをじろじろ見つめてさ。嫌な気分だった」

 だからずっと抱きかかえていたのか。でもそんな男、心当たりがない。

「気のせいよ、きっと」

「順さんは……無防備で、無自覚だ」

 海はじっと目を逸らさず、順の頬から顎へすっと指を滑らす。ぞくり、と順は震えた。

「たぶん、今までは賢さんやあの男たちが守ってたんだろうけど」

 海は乱暴に舌打ちする。

「それすら腹立たしい時があるよ」

「あの、男たち?」

「……真也さんや、誠也さん、それから……周平さん。周平さんもきっと順さんが好きだったんでしょう?」

「えっ」

 順が焦がれていた真也、ずっと順を想っていた誠也。そして順自身、周平が自分を好きだったと知ったのは去年。彼から、高校時代の昔話として告白されたから。なぜ海が知ってるの? 

「わかるよ、順さんを見る目がなんとなく違うもん。そりゃ昔の事で、真紀さんって恋人がいるのもわかってる。でも理屈じゃないんだ。誠也さんのことだって、こないだのパーティでやっと里奈ちゃんと恋人になって、俺がどれだけほっとしたか分かる?」

 海の訴えは止まらない。

「お客さんでも順さん狙いの人は掃いて捨てるほど。だから俺、忙しくたってまめにランチに通ってたんだ。もちろんサンドイッチも好きだけど、一番の目的は牽制だよ」

 ふう、と息を逃がして目を上げた。

「おかしいよね、自分でもどうかしてると思う。順さんのことになると見境がなくなる」

 海の、順を見下ろす視線が変わる。彼の中の男が、煙るように匂い立つ。

「もう、俺のものだから。絶対、誰にも渡さないよ」

 荒々しく手首に吸い付いて、赤い印を残す。

「……いいね?」

 細められた眼は猛獣が獲物を狙うよう。順は息を飲んで見つめるしかできなかった。

「抱かせて。ここ忙しくて全然順さんに触れてない」

「今日一日ずっと触ってたじゃない」

 彼の迫力が怖くて、わざと軽い口調で言えば、いきなりベッドに倒される。

「あっ」

「抱かせてって言ってんの。煽ってる?……順」

 ぎらりと目を光らせて呼び捨てる海に、背筋が震える。

「そんなこと言うと、優しくできないよ?」

「……やっ」

 あやとりをするように両方の肩紐をとられて、むき出しの肩に熱い舌が這う。ぐい、とシャーリングの胸の生地が押し下げられた。背中のホックも外されて灼けていない白い肌が露わになる。

「あの、海、お風呂入りたい。それからもうお食事にいかないと」

「どうでもいい、そんなの」

 呻くように言って、順の胸に顔を埋めた。

「あっ、あ」

 前触れもなしに硬くなった頂を口に含まれて、身体が跳ねる。順だって久しぶりだ。刺激が強すぎる。何かが急に迫り上がってくるような感覚に身を捩る。

「俺でいっぱいになって。たくさんあげる、順さん」

 迷いのない手が順の肌を這う。時に彼の愛撫は執拗すぎて、心では応えても身体で応え切れない。

 でもそれが愛情の差だなんて思われたくない。

 きっと彼より、愛してる。

 だからついていくんだ、どこまでだって。

「海。もっと、来て」

 順は海にしっかりとしがみついた。

 そんな順の健気さが、海の胸を打つ。

「順さん、俺を殺す気?」

 時化のような海の動きが、一瞬凪いだ。

「少し、ゆっくりにしようか。その代わり」

 耳元に、熱を帯びた吐息が落ちる。

「……長いよ?」


 快楽は単なる手段。

 深く繋がることでお互いを実感するんだ。


 あなたは私の。

 あなたは俺の。


「順さん、好きだよ」

「ん……海」

 波のような満ち引きの中で、名前を呼んで。

 果ててもなお、また波は来て。

 ふたりはお互いを離さなかった。

 ——空が明るんでも。


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