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ゲッチャバック!〜玲子と龍彦(3)

 夕方になり、彼は約束どおり玲子を呼びに来た。

「わりいな、お待たせ。なんか飲むか?」

「何もいらないわ。お酒なんか飲んだら絡んじゃいそうだし」

「……違いない」

そのうち真澄が顔を出して、今日は私も泊まるから、と言いにきた。

「玲ちゃん久しぶりだもん、龍彦と積もる話もあるでしょ。おかあさんのことは任せて?」

 すまない、と姉に言うと龍彦はまたキッチンに下がる。新しい麦茶のグラスだけトレイに乗せ、来いよ、と言うように親指をくいっと動かした。


 案内された部屋は客室のひとつのようだった。板張りの清潔そうな部屋で、テーブルセットもベッドもシンプルな木目調。大きな窓からベランダに出ると、そこにもデッキチェアと白いテーブルが置かれている。

「今日は、ここに泊まったらいい。夕飯は後で用意してやるから。たいした部屋じゃないが、まあ、景色だけがご馳走だ」 

 彼が言うようにそこからは夕暮れの海がよく見渡せた。この浜は波が荒いことで有名で、それを目当てにサーファーたちがやってくる。逆巻くような大波が頭をもたげ勢いよく打ちつけると、白く泡だってさあっと引いていった。そろそろ帰るのだろうか、薄紅の空の下ボードを抱えて浜を横切ってゆく若者たちに、遠い日の龍彦の姿がだぶる。


「座りな」

 グラスをテーブルに置くと白いデッキチェアを玲子のために引く。素直に座ると、その横に彼が腰掛ける。

「賢ちゃんと千春の結婚式、呼べって言っといて出なかったんですって?」

「ああ、出るつもりだったけど」

 彼は自嘲気味に微笑んだ。

「お前はともかく、夏樹と里奈まで来るっていうんじゃ……行けねえよ」

「パーティでのあの子たちがやったゲームのこと、聞いた? なかなかの見物だったわよ。もちろん、千春と賢ちゃんもとっても素敵だった。実は私もね、あの子たちに内緒で行ったの」

「玲子は子供達に恥じることなんてないだろ」

 そう言ってくれる龍彦を裏切るような自分が情けない。玲子はそれでも逃げることはすまいと、彼の目を逸らさなかった。

「聞いてない? 私あなたと別れてから放蕩の限りをつくしたのよ。お酒に溺れて、家に代わる代わる男を連れ込んで」

 龍彦の目が泳いだ。さすがに賢たちもそこまでは話さなかったのだろう。

「夏樹が大学の頃、見るに見かねて高校生の里奈を連れて出て行ったわ。最低の母親よね、もうあの子たちには私しかいなかったのに。だから私も母親失格なの」

 玲子は唇をきゅっと結ぶと遠くの水平線を見つめた。龍彦は何も言わない。

「ねえ、あの子たちの結婚式には、出る?」

「……さあな」

「さあなって。ふたりが来たってことは出席してって言いに来たんでしょう?」 

 波間を見遣って押し黙る龍彦に、玲子は畳み掛けた。

「……龍彦は精一杯やってる。私ヘルパーやってるから、患者さんのベッドサイドを見れば、家族がどれだけがんばってるかわかるのよ。お母さん、とてもきれいになってた。パジャマやシーツも清潔だったし。男の人がほとんどひとりであそこまでするの、並大抵じゃないわ」

 彼に届くように声に力を込める。

「過去はどうであれ、今のあなたに恥じることなんて何もない。それにあなたは一生あの子たちの父親なのよ」

「……お前と、何事もなかったように両親面して式に出ろってか? 父親であることには間違いないが、家族をぶっ壊したのも他ならぬ俺だ。俺には親としての資格はない。あいつらにも、そう言ったよ」

「龍彦」

 懸命に孤高を保とうとする彼が哀しい。本当は人と群れるのが好きで寂しがり屋のくせに。どんなにか子供達と暮らしたかったろう。

 ——そして、私のことも……たまには思い出してくれた?

「お母さんと真澄さんから聞いたわ。借金の代わりに私たちと縁を切れって言われてたこと」

「……ちっ、お喋りめ」

 彼は罵りながら俯き、手で額を覆うようにした。彼の陽に焼けた二の腕が何かに耐えるようにきゅっと締まる。

「少しは未練はないの……子供たちに」

 龍彦は答えの代わりに、はっ、と笑うように息をついた。言わせるな、と言うことだろう。

 でも譲れない、もう譲りたくない。

 何より訊きたかったことを、今、訊くんだ。


「私に……未練はないの」


 沈黙が続いた。

 我ながら自惚れた台詞だと思う。

 でもあの時、何も言わずに別れたあの時の二の舞はしたくない。

 

 今日会って、分かった。

 今でも、この愚かな男を、

 どうしようもなく愛してる。


 彼が受け入れてくれないなら、会うのは……きっと今日で最後。

 だから、後悔しないように、なりふり構わず、全部さらけ出すんだ。


 祈るように彼を見れば、

「ばぁか……言えるわけないだろ、そんなこと」

 呟くような声が返ってきた。玲子は安堵の息を吐く。

『言えるわけない』ということは、拒否じゃない。

 その僅かな望みに縋り付いた。

「あの時なにも言わなかった分、今、ここで話して」

 玲子は龍彦の腕にそっと触れた。それだけで彼はびくっと震える。

「何も言わないなら、私たちはここで終わるのよ」

 玲子は身を乗り出して彼に訴えた。

「もう、二度と会えないかもしれないのよ?」

 泣くまいと思っていたのに涙が出る。駄目だ、泣いちゃ。だって……。

「泣くなって。俺がお前の涙に弱いって知ってるだろ」

 龍彦は親指で玲子の涙を拭う。だから泣きたくなかったのに。彼は困った顔をして、悪い、と呟いた。

「……ここまできたら、最後までカッコつけさせてくれよ。馬鹿な男のつまんない矜持ってヤツだ、見逃してくれ」

 玲子は闇雲に首を振った。

「そんなことのために私を捨てるの? 私はそんな価値のない女? こんなに……」

 きっ、と彼の瞳を睨んだ。


「あなたを愛してるのに!」


 龍彦はまるで殴られたように顔をしかめた。

「言って! あなたの本当の気持ちはどこよ? 最後なら、ここで吐き出して。ふたりだけよ、ふたりしかいないわ。誰も責めない。愛して欲しいなんて言わない。だから本当のことを話して!」

 ああ、また涙が流れる。

 神様、お願い。

 もう一生わがままなんて言わない。

 今、ここで力を貸して。


「……もうこんな気持ちのまま、死んだように生きていたくない!」


 流れる涙をそのままに、玲子はじっと龍彦を見据えている。龍彦は大きく息をつくと、玲子に目を合わせた。


「……昔っから、お前には敵わねえんだよなあ」


 龍彦はあきらめたように微笑んだ。

 太陽は傾き、少しずつ今日の終わりを知らしめるーーもうすぐ、日が落ちる。水平線にじんわりと朱紅の夕陽が滲んだ。

「……ずっと、お前たちのことを考えない日はなかった」

 龍彦は自分の腕に触れている玲子の手に、そっと手を重ねた。

「俺にとっては、後にも先にも、お前以上の女はいない」

 微笑みながら手を握りしめた。

「とことん惚れてる……昔も今もだ。今日だって『そっちに行くらしい』って賢から聞いて、用もないのに何度も駅に車を走らせた。ようやくお前が歩いてる後ろ姿を見かけた時は息が止まりそうだったよ。わざとふざけて声をかけたけど、本当は中坊みたいに緊張してた。お前、全然昔と変わんない。きれいで、健気で、気が強くて。俺みたいなクズを愛してるなんて、めまいがするぜ……畜生! これで満足か!」

 そう言って、手を離すとそっぽを向いて胸ポケットから取ったサングラスをかけた。

「龍彦」

 顔を覗き込む玲子を振り払うように背を向ける。

「龍彦」

 返事もしてくれない。たぶんその顔は真っ赤だ。意地っ張りの背中にそっと身を寄せた。あの頃より痩せて、昔粋がってつけていた香水の代わりにほのかな柔軟剤の匂いがする。何もかも違うと思うのに、彼自身から立ち昇る気配はまるで変わらない。しっかりと逃がさないように後ろから縋りついた。ああ、これが、私の愛する人。どんな人と抱き合っても味わえなかった、深い深い充足感。

「龍彦……!」

 また涙が溢れて、子供のようにしゃくり上げた。


 離したくない、もう絶対に。

 もうこの人なしの人生なんていらない!


「……玲子。でもな」

 後ろから回していた手をそっと剥がされる。

「俺にはお前を愛する資格なんてない」

 まるで自分を説き伏せるような言い方だ。

「俺に関わればお前はまた不幸になる。俺の手を取れ、とはどうしたって言えねえんだよ」

 惚れてるって言っときながら、その煮え切らなさは何? 苛立ちが募る。

「じゃあ、あくまで私次第ってわけ?」

 玲子は挑発に出た。

「別れを切り出したのは、あなたからよ! なのに私から動けって? 女にだって女の矜持があるわ。それともあなたは、女に何もかもお膳立てしてもらうのが好きな、腑抜けなのかしら!」

 追いつめられて、龍彦の舌打ちが聞こえた。サングラスを投げ捨てる。

「……くそっ、どこまで煽れば気が済むんだか!」

 玲子の肩をむしり取るように掴み、向き合うようにさせた。見つめ合って初めて分かる、彼の情欲に燃えるような瞳。玲子は喜びに震えた。

「いいのか? 俺はお前たちを捨てた、ろくでもない男だ。借金はないけど余分な金は一切ない。こんな田舎で、口は達者だが寝返りひとつ打てない母親と同居してる、50絡みのバツイチだ。しかもちょくちょく小姑が顔を出すときてる。こんな悪条件、そうそうねえぞ?」

 しかし玲子も負けてはいない。

「おあいにく様、私はあきらめが悪い女よ。未だに売れない小説を書き続けてて、とっくの昔にふられた男が、今でも馬鹿みたいに恋しいの。しかも料理は下手だし、家事する時間があったら小説書いてる、札付きの問題物件。でもね、介護ヘルパーの資格が売りよ。お母さんの面倒をみてあげられるわ。これって運命だと思わない? 神様がここに来いって言ってるのよ」

「……そんな、お前をただ働きの家政婦みたいにしたくねえよ」

 龍彦の優しい言葉に微笑みながら玲子は言う。

「じゃあ、報酬をいただこうかしら。住み込みで24時間勤務。ヘルパー業務と、扱いづらいあなたの調教も含めていくらで雇ってくれる? 私は高いわよ?」

 そう言う玲子の目が潤んでいるのを、龍彦は見逃さなかった。にやり、と笑って。

「……じゃあ、三食昼寝付きで、晩酌込み。それから、俺の溢れんばかりの愛情とキスも付けよう。どうだ?」

「のった!」

 気の利いた言葉を返したかったのに、それだけ言って抱きついた。

 しっかりと抱き返してくれる頼もしい腕。

 市場に買い出しに行き、重い食材を運んでは料理を作り、母親の身体を持ち上げてその身体を拭き、シーツを替え……そんな日常で鍛えられた、彼の両腕。今までの人生の全てが、ここでしっかりと抱き合うために作られた、悪戯なシナリオ。

「知ってるか?」

 身体全体から彼の声が響いて、うっとりする。

「何?」

「今日。七夕だぜ」

 そうか。7月7日だったんだ。会うことだけに必死で、そんなこと思いもしなかった。空はすっかり暮れ、星が瞬き始めている。今日なら、一年越しの逢瀬も叶いそうだ。

「私たち、随分老けた織り姫と彦星ね?」

「馬鹿やろ。俺はともかく……お前はきれいだ」

 そんなわけないのに。それでも耳元の囁きにぞくりとしてしまう。龍彦は抱きしめたまま、そっと玲子を立たせた。

「つやつやの髪」

 髪を撫でつける手は熱く。目を合わせたまま縺れるように部屋になだれこんだ。ベッドにそっと横たえられる。

「色っぽい脚」

 ふくらはぎに音をたててキス。背筋に痺れが走る。

「……あっ」

「かわいい声」

 恥ずかしくて泣きそう。まるで彼と出会った頃の小娘だった私みたい。

「敏感な耳」

 耳たぶの後ろに口づける。

「んっ」

「全部、覚えてる」

 そう言った彼の瞳は、情熱に溢れながらも穏やかな海原のようで。本当に、溺れてしまいそうだ。身体をなぞらえる手も、体中に落とされるキスも、懐かしくて、切なくて。身悶えしながら堕ちて行く、なんという幸福。

「……ねえ、あれは偶然?」

「なに?」

「車でかかってた、あの曲」

 彼は自分のアロハシャツのボタンを手早く外しながら、ああ、と言った。

「あれは全くの偶然。だけど、玲子が車に乗った途端 あの曲が流れて、どきっとしたよ。お前を取り戻せって何かにけしかけられてるみたいだった」

 シャツをひらりと脱ぎ捨てて、灼けた肌を晒した龍彦が幸せそうに微笑みながら玲子の上に降りてくる。


 ふたりがもう一度出会えるように、

 まるで仕組まれたような七夕の夜。


 取り戻すんだ。

 ふたりの愛の日々を。


 潮騒の聞こえる、

 何にもないこの町で。


 GETCHA BACK!



Fin

玲子と龍彦のお話はこれにてお開きです。遅い七夕で申し訳ありませんでした。また不定期ですが、別なカップルのお話を書いてゆきたいと思います。パーティはなかなか終わりません。またお会いする日を楽しみに。愛をこめて!

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