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白鳥の水かき〜夏樹と由良(2)

 叫んでから、はっとした。


 ——私、何を。

 選りに選って、『指輪が欲しい』だなんて。


「由良」

 夏樹はゆっくりと微笑んだ。やがてそれは、ちょっと口の端を上げただけの意味深な笑顔に変わって。

「指輪……欲しかったの?」

 その瞬間、形勢は逆転。

 まずい! 由良はくるりと踵を返すと、さっさと元の座席に座ったが、当然夏樹はすぐに追いかけてくる。正面に座り、両肘をついてじっと由良を見つめた。

「ねえ、答えて? 欲しかった?」

 逃げ場が、ない。頬が上気するのが自分でもわかる。

 ええい。


「……当たり前でしょ!」


 こうなれば開き直りだ。しかし照れる由良に夏樹は間髪を入れずジャブを繰り出す。

「あんなに『興味ない』なんて言ってた癖に」

「だって、欲しいなんて気軽に言える物じゃないし!」

「言わなくちゃ分かんないだろ?」

「夏樹、言ったら絶対無理するじゃない!」

 思わず拳を握りしめた。言わなくたって分かってよ、自分だってややこしい性格とは思ってるけど。

「好きな人に、『俺の』って印、つけてもらうんだもん、欲しくないわけないよ……欲しいに決まってる」

 こんなとこで、何言わせるのよ。恥ずかしい。

 ついに耐えきれず俯いた由良に、低い夏樹の声が降りてきた。


「……なんだよ、もう。早く……言ってよ」


 その言い草があまりに甘いので、由良は思わず顔を上げる。

 年下の恋人は、それは嬉しそうに微笑んでいた。

「ああ! 我慢できない!」

 夏樹は叫ぶと、持っていた鞄から小さな袋を出した。白地に金の、店のロゴらしき文字。

 “La Dolce Vita ”

 どきん。

 その綴りに覚えがある。由良が付き合わされたあのジュエリー・ショップの名前。

「由良が悪いんだぞ? 俺はちゃんと誕生日の旅行で渡そうと思ってたのに!」

 夏樹は袋に手をかけた。

 中から取りいだしたるは、ビロードの小箱。

「今朝、受けとってきたばっかりなんだ」

 その小箱をぱっくりと開けると、由良に向けてテーブルに置いた。

 中には一粒のダイヤ煌めくクラシカルな立爪の指輪。


「『俺の』って印、つけてあげる」


 少しはにかんだような表情の夏樹が、由良の好きなよく響く低い声で告げた。


「結婚してくれない? 由良」


 土曜日の午前、いつものカフェ。

 流れるのはマイルス・デイヴィスの「いつか王子様が」。

 目の前には花咲くラテのマグカップ。

 そして、微笑む、愛しい人。


「あ、あ、あの……」


 テーブルに置かれた小箱、燦然と輝く指輪だけが日常にそぐわなくて。


「由良。返事は?」

 夏樹が促すけれど。

 ああ、うまく息ができない。唇が小刻みに震える。

「ゆーら?」

 微笑みながら、テーブルを指先でとんとん、とノックする夏樹。

 すっと息を吸い込んで、由良はようやく口を開いた。


「宜しく……お願いします」


 その途端、わっ! と歓声が上がり、辺りから拍手が起こる。

 気がつけばバーナードカフェにいるお客やスタッフが、皆で由良と夏樹に祝福を送っていた。

「えっ、ええっ!」

 由良はきょろきょろしていたが、夏樹が手を取る。

「やっと念願が叶った」

 由良の薬指に指輪がぴったりとはまる。

「俺、ずっとタイミング計ってたんだぞ。いろいろと画策してたのに、あーあ、青木くんと由良のせいで台無しだよ」

 そう言いながら顔は喜びに輝いている。由良の頭の中を、くるり、くるりと今までの出来事がメリーゴーラウンドの様に巡る。ここのところ忙しそうにしていたのも、もしかしたら、みんな私のため?

「……なつきぃ」

 ぼろぼろと大粒の涙が零れる。

「泣くなってば」

 夏樹が指で涙を拭う。

 ああ、どうしよう。涙が止まらない。由良は広げたハンカチに顔を隠すように押しつけた。


「……あのう」

 海が様子をうかがいながら、トレイを持って現れた。

 途端また日常に戻されて、夏樹はぎろりと海を睨む。

「まだ、何か?」

 邪魔すんじゃねえ、的なオーラをぷんぷんに漂わせた夏樹に、海は思わず身体を引いた。

「すみません。でもおふたり共、朝ご飯まだですよね? これ、僕からお詫びです、よかったら」

 トレイの上には、本日おすすめの梅しゃぶ風米粉バーガーがふたり分、そして甘党の夏樹の分としてマンゴーレモンデニッシュとラテが乗っていた。そのラインナップに夏樹は苦々しい顔で彼を見上げる。

「……さすがだね、青木くん。僕が注文しようと思ってたのと、ぴったり」

「恐れ入ります」

 彼は深々と頭を下げる。

「でもなー、俺たち、ここで晒し者になりながら飯食うんだ〜」

 夏樹はまだ気がすまないのか、当てつけがましく海にぼやく。

「青木くーん、自分が幸せだからって、やってくれるよな?」

「本当にすみませんでした!」

「……ま、でもこんなプロポーズも、俺たちらしくていいかもね」

 夏樹は、自分の薬指をしげしげと眺めている由良を見て微笑む。

「じゃ、これは遠慮なく頂くけど、これで済むと思うなよ? いつか仕返ししてやるからな。覚えとけ」 

 夏樹が冗談交じりに凄むと、海は恐縮して何度も頭を下げた。



 夏樹は、その足で由良を連れて神崎ビルに出向いた。

「このビルで働いてるの?」

「そう、1階の“ブルーム”っていう店」

 ここまで来たら、一刻も早く由良に里奈を会わせたい。

 入って中程にあるヘアアクセサリーの店“ブルーム”は、只今夏仕様。ヨットの帆のように張った布に、商品が飾ってある。ドットのリボンや貝殻、クリア・ビーズなど夏らしい素材が盛りだくさんで、店員おすすめのポップもついている。


「Rina’s choice! 人気のバナナクリップにマリン柄登場! つけるだけで気分はリゾート! 夏のお出かけで差をつけちゃおう!」


「ベタな煽り文句だな。なにがRina’s choice! だよ」

 夏樹は苦笑する。

「お! 夏樹さん!」

 中から微笑みながら出てきたのは、波打つ黒髪を小さなコインやビーズが散りばめられたシュシュで束ねて、片耳に大きなリングのピアスをした男。マリンはマリンでも海賊みたい。身のこなしもしなやかで、何とも言えない大人の男の色気を醸し出している。

「あ、真也さん。いつも妹がお世話になってます」

 夏樹が挨拶する。わあ、ということはこの壮絶なイケメンが店長? 由良はまじまじと真也を見た。これは売り上げが上がりそう。

「いいえ、先日はどうも。すみませんね、不肖の弟が手間かけて」

「いえ、うちの妹こそ」 

「お、この綺麗な方が、夏樹さんの彼女かな?」

 と真也が由良に視線を向けた。『綺麗な人』だって。こんな美形にそんな事言われたら、お世辞だって悪い気はしない。さすがサービス業は違うなあ。由良は変な所で感心した。

「……高梨由良です」

「初めまして。店長の神崎真也です。里奈ちゃんには本当によくやってもらってます。その上あんな厄介なうちの弟まで面倒見て貰って」

「?」

 さっきから出てくるこの店長の弟というのが分からない。 

「あれ、聞いてないのかな?」

「あ、はい」

 頷く由良に真也はにっこり三日月のように微笑む。

「うちの弟がねえ、里奈ちゃんのこと大好きな癖にぐずぐずしてるもんで、夏樹さんに里奈ちゃんの恋人役になってもらって、一芝居打ったの。夏樹さん、そりゃあもうアカデミー賞ばりの演技力でね。見事弟の闘争本能に火を点けちゃったわけ。そこからはもう早い早い。あっという間に婚約して、今は同居してる」

「じゃあ、あの写真て!」

 由良が叫ぶと、だから言ったろ? と言わんばかりの目で夏樹が頷いた。

「あの新郎の青木海くん、ま〜あ、やらかしてくれましたよ」

「海が何か?」

「俺ら“バーナードカフェ”の常連なんですけど、あいつ今朝、俺がいない隙にあの時の里奈との2ショット写メを、こいつに送りつけてですねえ」

「ああ、木暮さんが大量に撮って海に送ったやつだな」

 真也はふふ、と微笑んだ。

「木暮さんてうちの奥さんの勤めてるショップの店長さんでね、今回スタイリストしてもらったんだけど、特に夏樹くんは素材がいいから俄然はりきっちゃってねえ。かなりご満悦で、パーティの間も半分恋人そっちのけで激写して、お仕置きされてたからなあ。しかし、そんなことがねえ」

「全く、侮れませんよ、青木海。危うくこっちは大乱闘に」

「乱闘なんかしてませんってば!」

 由良がぺしっと夏樹の二の腕を叩く。真也はその薬指の輝きを見逃さなかった。

「あれ、でもその指輪……もしかして?」

 探るような微笑みに、夏樹は頭を掻いた。

「まいるなあ、真也さんには! はい、その流れでプロポーズしちゃいました!」

「そう! よかったね !おめでとう!」

 ふたりはがっちりと手を握り合わせた。

「じゃあ」

 真也は由良に向き直った。

「君も僕の妹になるってわけだ! 素敵な妹が増えて嬉しいな。よろしくね? 由良さん」

 満面の笑み。うわっ、すっごい威力。結婚してるらしいけど、なんなのこの無駄なフェロモン駄々漏れ状態は。由良は思わず見とれてしまう。

「……ところで、里奈はどこですか?」

 夏樹が訊くと、真也は、ああごめん、と笑った。

「昼休憩中だよ。2階のJuneに行ってごらん?」

「どうも」

 夏樹は頭を下げると、ぐっと由良の背を押し、階段に向かって歩き始めた。


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