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バレンタインは特別〜聖と史緒(1)

「……いた!」


 仕事帰りの夕暮れ、いつもの窓際のカウンター席。

(今日は会えないかも,と思ってたのに!)

 バーナードカフェを覗いた史緒しおは、皮のライダースジャケットに身を包んだ男の姿に、小さくガッツポーズをした。


 自動ドアが開くと、店内にはいつものジャズのスタンダード・ナンバーが流れている。でも今日の選曲は少し違う。数曲に1回は様々なミュージシャンの同じ曲が流れるのだ。


 My Funny Valentine。


 だって今日は2月14日、だから。


「いらっしゃいませ。バーナードカフェへようこそ」

「こんにちは、海くん!」

 史緒のはしゃいだ様子にレジに立つ店員のかいが、にっこり微笑む。窓際の彼に目をやると、

「よかったですね」

 と小声で囁いてきて、史緒もこくり、と素直に頷いた。

「彼、何頼んだ?」

「豆乳ラテですけど。急がないとそろそろ飲み終わるころですよ」

 お節介な海の情報は抜け目ない。

「そう」

 史緒は持っているトートバッグの中身を見ながら、海に話しかける。

「ねえ。ここにお菓子持ち込んだら、だめかなあ?」

 史緒の訴えることを海は察したようで、

「そうですねえ。僕の一存では……どうしましょう、オーナー?」

 脇で話を聞いていたオーナーは、腕を組んでもっともらしくうーんと唸った。

「それって……手作りですか?」

「あ……はい」

 史緒は赤くなりながら頷く。

「仕方ない。手作りのものだけは許可しますか。ただし、あまり他のお客様にわからないようにお願いしますよ? ま、今日は特別に、バレンタインということで!」

 オーナーはにっ、と口の端を上げると、史緒に目配せした。

「ありがとうございます!」


 去っていくオーナーの背にお辞儀を繰り返すと、史緒は海に向き直った。

「じゃ、ラテをトールで!」

「かしこまりました。急いで作ります!」

 史緒にレシートを渡すと、彼は言葉どおり身を翻してキッチンに向かう。温めたマグカップに珈琲、スチームミルク。マシンがしゅう、と音を立てた。鮮やかな手つきで1杯が出来上がる。

「お待たせしました」

「わあ」

 泡立つミルクの上に描かれているのは、幾重にも重なるハート。

「急ぎなのでこのくらいしかできませんが」

 海はぱちんと片目をつぶった。

「おまじないです」

「ありがとう!」


 史緒はマグを抱えて、窓際の席に歩いて行く。

 お目当ての男は文庫本を読んでいた。

「こんにちは、聖さん! ここ、いいですか?」

 史緒が隣に立つと、彼は長めの髪を掻き上げて顔をしかめた。

「お前が来るとうるさいからすぐ分かる。俺の注文とか勝手に訊いてんじゃねえよ」

 広い肩幅、細そうに見えてしっかりとした胸板。ごついベルトをした腰はきゅっとしまっていて、ジーンズに包まれた足は長くしなやかだ。パイロットブーツの先をゆっくりと上下しているのは、食事中も足首を鍛える運動を欠かさないから。


 彼、兵藤聖ひょうどうひじりはいわゆるスーツ・アクターと呼ばれるスタントマン。つまりは特撮ヒーローの変身後の“中の人”だ。


 現在ヒーロー番組では、聖の先輩で常に主役を務めるベテラン・スーツ・アクターがいて、聖は大抵2番手。レンジャーで言えば赤よりは青、である。しかし特撮ファンの間で聖は、赤を演じるスーツアクターに負けず劣らずの人気だ。その理由は、彼の美しいボディ・ラインにある。

 あるとき、彼演じる2番手のヒーローが敵にたたきのめされ、変身をといた全裸姿でうつぶせに倒れているシーンがあった。そのとき現場は山間部のロケだったため、ヒーロー役の俳優のスケジュールが取れず、結局変身後も吹き替えをやったのが聖であった。しかしその裸体、とくにヒップラインがあまりにきれいだと、放映直後からインターネットやツイッターで話題になり、瞬く間に書き込みがなされた。


『兵藤聖のケツを見たか』

『あの尻は神だ』

『これから彼を“聖さん”でなく“美尻さん™”と呼ぶことにする』


 それからというもの、特撮マニアの間で彼の通称は『美尻さん』となった。彼が出演する番組が始まると、サイトには『美尻さん』というスレッドが立つ。俳優として注目されるのはいいが、それが身体の一部分とあっては聖も面白くない。『美尻さん』と直接声をかける恐れを知らぬファンもいて、彼は徐々にファンに頑なな態度を取るようになった。

 大体スーツアクターなので、顔出しは時折で、敵にやられてしまう一般人の役などで出演するくらいだ。それなのに聖の顔を覚えているのは相当コアなファンなのである。


 なので、特撮好きの史緒がこのカフェで彼を見つけて驚喜しながら『聖さんですよねえ!』と寄ってきたとき、聖は思い切り不機嫌な顔をした。

 しかし史緒はめげない。昔から少女アニメより特撮が好きな子だった。幼い頃イベント・ショーで間近に戦う姿を見て、終了後の握手会で手袋越しの固い握手を交わしてから、憧れはさらに強くなる。その中でも聖は別格で、しなやかな身体から繰り出す切れのあるアクションと、スーツを着てもわかる豊かな演じ分けに感動し、彼の出演作は全てチェックしていたのだ。


 所属するプロダクションの道場がこの近くにあり、稽古終わりに聖はよくバーナードカフェに立ち寄る。珈琲を飲むのは、アクションや演技で高ぶった自分をクールダウンするための儀式のようなものらしい。

 実際の彼は、かなりストイックで内向的だった。いつでも身体のことを考え、食事もトレーニングもきちんと自己管理をしている。芝居や映画を見たり、本や新聞を読んだりと演技の勉強をかかさない。一方で、素顔はシャイ。語気も荒く、史緒がくればうっとうしそうにするが決して無視はしなかった。話を聞いてくれたり、帰り際にぼそっと励ましの言葉をかけてくれたり。時折見せるぶっきらぼうなやさしさに、史緒はとことんまいってしまったのだ。

 だから彼が何と言おうと、会えば明るく挨拶し、彼の傍を離れない史緒なのだった。


「あれ」

 聖のマグカップを見ると空だ。彼はいつも無駄な時間を過ごさず、飲み終えればさっさと席を立つのが常。しかもさっき『声が大きい』と言っていたということは、史緒の存在を認識していたはずだ。史緒が嫌なら席を立てばいい。もしかして……。

「待っててくれました?」

「んなわけねえだろ。本が面白いとこなんだよ!」

 噛みつくようにそう言うと、少し赤い顔でまた本へと視線を落とした。

「聖さん……」

 史緒は胸がいっぱいになる。

 勇気が、出た。

「あの……今日、バレンタインですよね? これ、作ってきたんですけど」

 トートバッグから、お菓子の入った袋を出す。黒い袋に青いリボン。いま聖のやっている『伝奏戦隊メロディアス』の『レガート・ブルー』のイメージカラーである。

「ここにね、ほら、ブルー・フルートのストラップもつけたんです!」

 リボンのところに、フェルトで作った青いフルートのストラップがついている。彼の持つ武器はフルートをモチーフにしているのだ。

「……へえ」

 彼はそのマスコットを手に取り、しげしげと眺めたあと、袋を開けた。中には小さな茶色い塊。取り出すと、ところどころに黄色い粒々の入っているブラウニーだった。

「俺、あんまり甘い菓子は……」

 ためらう聖に、史緒は首を振る。

「そんなに甘くありません! バターも卵も使ってないんですよ! 私最近ヘルシーなレシピを教えてくれる料理教室に通い始めたんです! こう見えて、このブラウニー、小麦粉にお豆腐と豆乳、油もオリーブ油しか使ってなくて! 甘みは、柚子ジャムが大匙1杯。しかもね、ふた切れしか入れませんでしたから!」

 彼のきれいなヒップラインは伊達ではない。努力の賜だと知っているから、史緒は必死でレシピを考案したのだ。

「ね、少しでいいから、食べてみてくれませんか?」

 必死の願いに、聖は怯む。

「でもなあ、カフェに持ち込みは、まずいだろ」

 律儀な聖がレジの方を見ると、海とオーナーが『全て分かっている、気にするな』と言うように、うんうんと頷いている。

「……マジかよ」

 聖は手の中のブラウニーと史緒を見比べて、ふう、吐息を吐いた。

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