蜜月〜海と順(4)
「順さんも」
彼は手で”ひと晩限り”の杯を飲み干すように促した。
「飲んで、全部」
海は順が飲み終えるのを見届けると、手を引いて立ち上がった。口当たりがいいので、彼が作ってくれるままに飲み、結局これは何杯目だったろう。動くと酔いが回ってふわふわする。海ががそれに気付いてぐいっと順の腕を引きつけた。ぴったりと身体を沿わせながら寝室に向かって歩いて行く。ベッドに足が当たると、順の帯の辺りを支えながら、タンゴのポーズのように横たえた。
「どうしてこんなに好きなんだろう」
順の髪を留めているバレッタを外すと、順の栗色がかった髪がはらりとひろがる。
「俺があなたを見つけてどんなに幸せか、わからせてあげたいよ」
浴衣の合わせから忍び込む手が熱い。母の浴衣を着て彼に抱かれるという事実が、順の羞恥心を煽る。
「海、浴衣、着替えたい」
「だめ」
海はゆっくりと首を振る。
「順さん、知らないの? 男が好きな人に着る物を用意するのは」
耳元で囁く。
「それを自分の手で脱がせたいからだ、って」
首筋に唇が押し当てられて、一瞬で火がつく。いつになく敏感な身体。
酔ったせい?
それとも夕べあれだけ……愛されたせい?
身を反らしながら強請るように腰も動めく。
一旦足元に移動した海は、キスを爪先から丁寧に施していく。足の指、甲、足首、ふくらはぎ、膝……唇は徐々に、上へ。浴衣の裾が割られて、海の長い指が先へと伸びる。
「気持ち、いいの?」
順の弾む息はスタッカート。恥ずかしい。黙って唇を噛む。順が首を横に振らなければ、それは肯定。海もとうにわかっている。
「もう……熱いね」
言葉に弱い順のために、丁寧に拾い上げては耳元で囁く。
「いい声」
「それじゃうまく愛せないよ」
「ほら、ここ、硬くなった」
「一回、いっておこうか」
捕まるところもなく堕とされて、手が空を切る。
頭をもたげた海が濡れていた自らの唇をぺろりとなめる。その扇情的な仕草に、くらくらした。
海は肩から滑り落ちそうな浴衣ごと順の身体を起こす。膝立ちさせると、自分は横たわって順の足の下に身体を滑り込ませた。順の浴衣も髪も乱れて、肌は染まり、唇は濡れて。そんな順に舐めるような視線を這わせる。
「すっごく、そそる」
帯に海が手を添え、腰を落とそうとする。
「ねえ、して? 順さん」
海は順が弱い上目遣いで甘く強請る。さすがの順も首を振るが、
「できるよ、酔ってるんでしょ」
故もなく促し順を煽る。
「今夜だけ、思い切り俺を愛してみせて」
身体の線をするりと撫で上げながら囁く。
「……『ひと晩かぎり』だ」
押し当てられて、ぶるり、と身体が震える。
そう、きっと酔ってるんだ。
ぐらつく頭で順は思った。
泡盛に、
この沖縄に、
何より……あなたに。
ゆらゆら、揺らめく水面のように順は躍った。
彼の言うままに、自分の思いのままに。
「いいよ、順さん……最高」
彼の手に、身体に、言葉に酔いしれて。
「もう、だめっ……海」
順の身体がぐらりと傾く。
「くっ」
海が持って行かれそうな快感を何とか逃がして入れ替わる。
途端、ふたりの海は怒濤を呈した。
愛しくて、苦しくて、胸がかきむしられる。
この想いを言い尽くす言葉はなくて、
お互いの身体を使ってあらん限りの声で叫ぶ。
狂おしい愛のすべてをあなたに捧げよう。
ふたりはひとつ。
シーツの海の中で……融ける。
「順さん、大丈夫」
「頭……痛い。動け、ない」
飛行機の時間に間に合わないかと思った。走るとがんがんと頭痛がするが、走らないわけには行かない。海が荷物を持ってチェックインぎりぎりに空港に入った。
「もう! お姉さんたちのこと言えないじゃない。もうぼろぼろ」
順がこぼすと、海は「ははあん」と言って頷いた。
「何?」
「姉貴たちもこんなんだったのかなって。良介さんが姉貴のこと離さなかったんじゃないかな。なるほどね、何事も経験だ」
「海!」
懲りない夫を恨めしげに睨むと、海は愉快そうに笑う。
「そうだ俺、お土産買い足してくる。順さん、ジュースか何かいる?」
「じゃあ、シークヮーサーがあったらお願い。」
「了解」
彼は急いで駆けていった。
順はまた空港でぼんやりと辺りを眺めた。来たときと同じ風景なのに、身体は南国に馴染んでしまっていて。昨日の朝、部屋付きのバスタブでふたりで海を眺めながら、海も話していた。
「2日いると、もう身体も気持ちもバカンスモードになって解けてくるでしょう。自然と笑顔になって、ゆったりとして。今回はもう帰らなきゃいけないのが辛いな」
海は後ろからしっかり順を抱きしめて言った。
「また、来ようね」
帰れば、仕事が待っている。またなんて、いつになるかわからないけど。
「また、来たいな……」
順の呟きは発着のアナウンスに掻き消された。
「この湿気! こっちがまだ梅雨だって忘れてましたよ」
海がぼやきながら皿を洗っている。
ここは相変わらずのJune。
新婚の特権で、バーナードカフェから1週間の休みをもぎ取った彼は、順の家に引っ越しの残りの荷物を運んだり、Juneの手伝いをしたりと甲斐甲斐しく働いていた。
「うわあ、ばっちり灼けて!」
3階の婦人服 “フルムーン”の店長木暮美和がやってきて、海の黒さに目を丸くした。
「順ちゃんはあんまり灼けてないわね。赤くなってすぐ褪めるタイプだ、羨ましい。ところで、結婚式の写メ、いる?」
「要ります、要ります!」
海は、美和の携帯を覗き込んだ。
「皆衣装すごかったんだね、こんなにチェックできなかったよ」
「ふふーん。木暮美和頑張りましたよ。古着屋さんに行ったり、貸衣装屋さんに行ったり、当日来た人にも貸し出したの。私のおすすめは、この里奈ちゃんのお兄さん」
「ああ、夏樹さんて言ったっけ」
確かに、里奈に面差しが似たかわいい顔立ちの彼は、昔のアイドルのようなフリフリのブラウスが良く似合う。
「木暮さん、ありがとう。ご苦労様でした」
「いいえ、楽しかったわ」
「木暮さんの携帯、画質いいよね」
海がどんどん写真を見ていくと。
「あ、これは、だめっ!」
美和が慌てたところで、海が携帯を取り上げる。そこには美和の彼である森が、上半身裸で寝ている写真があった。
「おお、セクシー。火曜の朝の隠し撮りですか。木暮さんもなかなかキテるね」
「な、なんで月曜の夜、森さんが泊まりに来るって知ってるの?」
「当てずっぽう。ひっかかった!」
海は楽しそうに笑った。
「とりあえず、結婚式の写真は皆送ってくれます? 木暮さんの彼の写真は遠慮しとく」
「はいはい」
美和が写真を送信していると、
「青木海さん、こちらですかー?」
荷物を持った宅配便の男が現れた。
「あ、はーい」
どすん、と下ろされた荷物は重そうで。
「いつの間にこんなたくさん、お土産買ったの?」
順は段ボールを開ける海を覗き込んだ。
「はい、これ木暮さんと智ちゃんとこに。紅芋タルトとちんすこう。誠也さんとこにも後で持っていこう。それと賢さんと千春さんには泡盛」
海がごそごそと出してくるが、順には気になることがあった。
「海……泡盛、多くない?」
海はにっこり笑って、
「うちの親父の分もあるよ?」
と言う。
「それでも、いったい何本あるの?」
明らかに多いそれは、もしかして。
「順さん、泡盛好きになったでしょう? また『家飲み』しよ?」
いたずらな瞳が輝く。こんなところで、何言ってるの! 順は酔った自分の痴態を思い出し、一挙に赤くなった。
「あーら、ラブラブねえ。ん? 順ちゃん、すっごく赤いけどどうしたの?」
「何でもないでーす」
と海がとぼける。順はぱちん、と海の腕を叩いた。
「何だ、順。穏やかじゃないな」
父親の賢がふたりを覗き込んだ。
「賢さんは新婚旅行どこ行ったの?」
美和の答えに、賢は片目をつぶって、
「もったいなくて、教えてやれないな」
と笑う。
「いいわねえ、どちら様もお熱いことで」
「いえいえ、木暮さんも負けてないでしょ」
ふと窓の外を見れば、ぽつりぽつりと傘の花が咲いている。
「あら、また雨だ。お客さん来ないかなあ」
「でもまあ、雨もないと。恵みの雨だよ」
賢は雨に合う曲をかけようと、レコード棚を探った。
雨の日は、優しいあの人の気配がする。
Juneの幸せの6月はずっと、続く。
Fin
これで海と順の話はおしまいです。また別のカップルが書けたらお目にかけたいと思います。それまで、しばしごきげんよう、なのです。読んでいただきありがとうございました。