白鳥の水かき〜夏樹と由良(1)
「山猫の手懐け方」の里奈の兄夏樹とその恋人のお話です。
「シスコンてのもさあ、結構考えもんだよねえ」
社食で熱弁を振るっているのは、高梨由良。
聞き役の後輩、道下琉香はつい大きくなる由良の声に、しーっと何度人差し指を立てたかわからない。
「夏樹くんのご両親は離婚してるし、何年も兄妹ふたりきりで暮らしてきて、思いやるのは当然だと思うよ? だけどさ、妹の誕生日プレゼントにイヤリングだ、ペンダントだって毎年アクセサリー買ったりする? しかもよ、毎回付き合わせて、さんざんリングなんかを試させた揚げ句、私には買ってくれたことないんだよ?」
「ごもっともでございます」
琉香は由良の扱いが日に日に上手くなっている。まずは下手に出て聞き手に回るに限るのだ。
「アクセサリーなんか好きじゃないよ? 好きじゃないけどそこまでしたら期待するじゃない。ところがよ、去年の誕生日は週末を利用して一泊旅行。そこでケーキと花束を用意してくれて、それだけだよ? 『思い出の場所だから』って今年も同じとこ予約したらしいんだけどさあ」
「……先輩、もしかして惚気てます?」
琉香はため息をついている。
「え、これのどこが惚気?」
「自覚がない人はこれだから嫌だ」
琉香はずい、と向かいの由良に顔を近付けた。聞き終われば反撃、である。
「大体、先輩も欲しいなら欲しいって言ったらいいじゃないですか。どうせ先輩が『アクセサリーなんて要らない、興味ない』とか強く言ったんでしょ? 欲しくないって言ってるのに、誰が高いお金出してプレゼントします?」
「うっ」
痛い所を。一年後輩の癖に琉香は強気。なんたって最強の守護神が付いているから。
「そんでもって、そんな高い物よりあなたと一緒に居られた方がいいわーん、なんて言っちゃったんでしょう」
「ううっ」
胸を抑えて突っ伏す由良。
「ザ・図星、ですか」
琉香はやれやれとため息をつく。
「旅行なんてへたなアクセサリーより高くつきますよ。何であんなに溺愛されてて、わっかんないかなあ」
「琉香ちゃ~ん」
由良は琉香をじっと睨んだ。
問題のシスコンの彼とは、会社では由良の一年後輩、相川夏樹。
去年の1月に彼が由良の近所に引っ越したのが縁で急接近、付き合い始めてもう1年以上になる。実は由良に近付きたいが為に引っ越しをした、と後になって教えてくれた。
あと10日もすれば7月。由良の誕生日がやってくる。小旅行、一緒に過ごせるのは嬉しいけど。
「乙女心は複雑なんです!」
「だーれが乙女だよ?」
由良の目の前を逞しい腕が横切り、大盛りの定食が乗ったトレイがどんと置かれた。当然の様に琉香の隣に腰を下ろしたのは由良の同期で琉香の恋人である、岡部蘇芳。
「まーたくだらない事言ってんだろ。琉香を洗脳しないでくれな?」
ぽんぽんと子供みたいに琉香の頭を優しく叩く。そう、白熊みたいに大きな彼こそが最強の守護神。琉香はにこにこ笑って蘇芳を見上げている。完全に分が悪い。
由良はやり場のない思いを込めて、ぐさっとフォークをブロッコリーに突き立てた。
その週の土曜の朝、由良と夏樹はいつもの様にバーナードカフェで朝食をとることにしていた。ふたりの週末は金曜から由良か夏樹の部屋に泊まって、翌朝カフェで朝食をとるのが決まりだ。しかしここの所夏樹は何か忙しそうにしていて、今週末も泊まれないと言った。6月に入ってから2度目だ。
「その代わり、土曜の朝はバーナードカフェで待ち合わせしよ? 用事があって10時過ぎになっちゃうけど、ブランチでもいいよね?」
そう言って微笑む顔を見て、不覚にもきゅん、としてしまった。夏樹の表情にはどこか少年のような可愛らしさがあって、低い声とのギャップにいつもやられてしまう。私が弱いって絶対わかっててやってるんだ、あれは。心の中で呟きながら、由良はカフェに到着した。
「いらっしゃいませ。バーナードカフェにようこそ」
”ラテアートバリスタ”というバッジをつけた背の高い店員が挨拶をする。
「おはよう。青木くん。とりあえずラテのトール、ラテアートはお任せで」
常連の由良は、彼をネーム・プレートの名前を呼ぶようになっていた。”ラテアートバリスタ”のバッジをつけた店員は訓練を受けており、頼めば無料でラテの表面に絵を描いてくれる。土曜の朝彼がいれば必ずお任せで頼むラテアート。今日の彼はいつにましてはりきっていた。しかもこの時期だというのに、肌が黒く焼けている。
「なんか久しぶり。ここのとこ土曜日出てなかったんじゃない? どっか行ってた? 肌真っ黒」
青木と呼ばれた男はにっこり笑って、
「おはようございます。ええ、ちょっと旅行に行ってたもので。今日はいつもより遅いですね、彼氏さんは?」
と尋ねた。他意はないのだろうが、つい赤くなってしまう。何も『いつも週末お泊りして、その朝一緒にご飯食べに来ますよね』と言われてるわけじゃない。ないのだが……。
「後で来ることになってるんです。その時に朝ご飯も一緒に頼むから」
何となく言い訳がましくなってしまう。
「……ちょうど良かったです。ちょっと伺いたいことが」
彼は小声でそう言うと、由良をそのまま受け取りのカウンターの方に誘導した。彼は注文をうけた商品を作るふりで、カップを出しながら囁く。
「お客様の彼氏さん、”相川夏樹さん”てお名前ですか?」
「え!」
由良が固まった。その反応を見て、青木はにっこりと笑う。
「やっぱりなあ。似てると思ったんだ」
「どうして彼の名前を知ってるの?」
慌てる由良に夏樹は、ちょっと待って下さい、と言ってラテを作りに行く。しゅーっというスチーマの音に由良の心がかき乱される。
「お待たせ致しました」
ことり、と置かれたラテの表面には、それは可憐な花一輪。
「ごゆっくりどうぞ」
意味深な笑みと共に渡されたレシート。彼は指をくいっと動かす仕草をする。
「?」
ひっくり返せ、ということだろうか。由良はラテを片手にいつもの席に着くと、そのレシートをひっくり返した。そこには走り書きのペンの文字。
『彼氏のいい写真あります。ご希望の際は、bluesea-not-bluemachine@xxxxxxxxxにメールを。 青木』
「……!」
ダフ屋か! 心の中で突っ込む。うう、怪しい。
でも夏樹の写真て何。知りたい。
あの店員さんとは付き合いも長いし、悪い人じゃなさそうなんだけど……。
数分間の葛藤の末、ついに由良は誘惑に負けた。
「えい!」
メール送信。青木を見ると、彼はカウンターで客にラテを渡していた。そしてメールの受信がわかったのだろう、胸を押さえてにっこりする。
「ちょっと倉庫行ってきまーす」
彼は裏に下がってしまう。由良はどきどきして時を待った。
——ブ、ブ。
マナーモードの振動にどきりとして携帯を開ける。
出た、bluesea-not-bluemachine。
『これはこないだの火曜日の写真です。彼氏さんにはくれぐれも内密に。青木』
どきどきしながらスクロールすると、ひらひらの白いシャツブラウスに身を包んだまるで70年代アイドルのような夏樹のバストショット。
「うっ」
由良は、思わず口を押さえた。
——やーん、何これ、かわいいっ!
——ブ、ブ。
二通目のメールが来た。由良はわくわくして開けてみる。すると、今度は全身写真だ。
白いフリルのシャツの下は、きらきらのバックルのついたベルト、裾の広がったベルボトムパンツにエナメルの靴。うわあ、似合う、似合いすぎる。しかし次の瞬間、その脇に立っている女の子が目に止まった。淡い杏色のふわっとしたワンピース、つややかなロングヘア。柔らかそうな頬、濡れたような唇、なのに眼差しはどこか凛として……すっごく可愛い。じっと目をこらすと、彼の手は彼女の肩に回り、しかも愛しそうに微笑みかけているではないか。何、何これ! さらに顔を画面に近づける。
「……!」
彼女の耳と白いデコルテには、赤い珊瑚の薔薇。
——妹に買うからと由良に選ばせた、三月の誕生石。
そんな。
思わず、がたっと立ち上がる。どうやってこの写真を手に入れたの。そのまま青木のいるカウンターへ向かおうとすると、
「由良、遅くなってごめん!」
夏樹が走ってきた。
「お腹空いた? 俺ぺこぺこ……って、え?」
由良は涙目になって夏樹のシャツの胸を掴んでいた。
「どうした?」
「……これ、何?」
携帯画面を夏樹に向けた。まるで『ひかえおろう!』の印籠みたいに。
夏樹は思わず目を見開いて仰け反った。その動揺は半端ではない。由良はシャツを掴んだまま、彼を揺さ振った。
「嘘、だったのね? 妹さんに選ぶ、なんて。どうして選りに選って私に選ばせるような残酷なことするのよ!」
「え? 待って! 何か勘違いしてる? 大体この写メどこから」
夏樹は慌てて由良の肩を掴んだ。
「勘違いじゃないでしょ! この娘の肩に置いてる手は何よ! この期に及んで言い逃れ?」
「お客様!」
ただならぬ様子に、店員の青木が飛んでくる。
「すみません! 僕が……」
割り込んで入って来た青木の顔を見て、夏樹が動きを止めた。
「君って、あれ……ああ!」
しげしげと日に焼けた顔を見上げた。
「そうか、あの日もどこかで見たと思ったんだよ! 新郎の、青木……海! ていうか、犯人はお前か! 新婚旅行から帰った早々、仕事中に何やってんだ!」
「すみません! 喜んで頂けるかと思ったんですけど」
平謝りの青木海に夏樹は容赦なく吠える。
「勝手に写真送ってんじゃねえ! 由良も何でこんな奴にメルアド教えた!」
怒っていたはずの由良はぽかんとした。
「どういうこと?」
あのねえ、と夏樹は海を親指で差して言った。
「こないだの火曜日、俺有給とったでしょ? あれはこいつの結婚パーティーだったんだよ!」
「えっ! 青木くん、結婚したの?!」
辺りがざわついた。海はつい先日まで大学生だった筈。ふと見れば薬指に指輪。日に焼けた肌。
「それって」
「すみません。ハネムーン焼けです。3日しかなかったんで、沖縄ですけど」
「うわ〜!」
初々しい微笑みに思わずオバサン的な反応をしてしまう。若い花婿!
「ちょっと、由良さん?」
置いてけぼりの夏樹が肩を叩く。
「あ、で、その写メと青木くんの結婚がどう関係するの」
「だから、これが結婚パーティーの時の写真なんだよ! それからこれは」
そう言って写真の娘を指さした。
「正真正銘、俺の妹」
「嘘。じゃあなんで肩組んでるの? あま〜く見つめたりして! 大体青木くんの結婚式出る程親しいんだっけ?」
「これは、話せば長い事ながら、妹の幸せの為に必要なミッションで……」
歯に物が挟まったような夏樹らしくない言葉に、由良はぷい、とそっぽを向いた。
「言い訳なんか聞きたくない!」
「聞いて、由良?」
「聞かない!」
由良は子供のように首を振る。
「このアクセサリーを選んだ時、私がどんな気持ちだったと思ってるの? ジュエリー・ショップに連れて行って、散々指輪を試させて、『似合うね』とか言ってその気にさせて! 私だって、私だって!」
ぐっ、と夏樹を睨み付けて叫んだ。
「夏樹から指輪が欲しかったわよっ!」