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潰れた蟇蛙

掲載日:2026/07/03

 その日、都内のN小学校で、ちょっとした事件が起こった。小学6年生のクラスで、ある盗難事件があったのだ。事件は、放課後のクラスルームで発覚した。

「ない。あたしの筆箱がない」

 叫んだのは、久美子であった。彼女は帰宅しようとして、机の引き出しから、荷物を赤いランドセルに詰めようとし、彼女のピンクのプラスチック製の筆箱が紛失していることに気づいたのだ。慌てて、そこら中も探したが見当たらない。彼女は律儀な性格で、筆箱はいつもキチンと引き出しの奥に入れて置くのだ。ないはずがない。

でも結局、出てこなかった。彼女は、泣きながら帰宅していった。

 それから数日して、今度は、拓也のランドセルに提げたポケモンのストラップが消えた。拓也は隣の席の健太を疑って喧嘩になり、急いで現れた担任の先生が仲裁して、何とか落ち着かせて探したが、健太の所持品からも見つからなかった。その崎坂先生が、これを問題にしているところへ、先刻の久美子が現れて、筆箱の1件を報告し、事態は深刻となった。

 生徒を疑いたくはない、というのが崎坂久枝先生の個人的意見であったが、事態が事態だけに仕方ない。生徒たちを全員廊下に出して、久枝先生は生徒たちの所持品や引き出しを念入りに調べ上げた。

 目的の品物は、意外なところから出て来た。教壇の教師が立つ机の引き出しの奥に押し込んであったのだ。これには、久枝先生も驚いた。とにかく、生徒たちを呼び戻して、出て来た品物を久美子と拓也に確認してもらい、その日は事なきを得た。

 このことは、教員室でも少し話題となり、取り上げられたが、誰かの悪戯だろうということで決着がつき、久枝先生と親しい亀山先生も彼女をなだめるようにして、何とか彼女を鎮めた。

 それから数日して、今度は教員室から大問題が引き起こった。

 教員室の田辺先生の机に置いた、生徒から徴収した学校徴収金の現金袋の束が紛失したのだ。これには、出勤した教員たちも慌てて色めきだった。高額の現金だ。一大事である。急いで、皆で探したが、出てこない。これには、当の田辺先生も参った。教頭から呼びつけられて、こっぴどく叱られた。同僚の教員たちも白い目で見てくる。とりあえず代金は、学校で貯蓄しておいた予備費で賄ったが、問題は紛失した現金だ。誰かが盗んだとしか思えない状況であったのだ。

 それで、例の久枝先生の一件が取り上げられた。関係がないとはいえない。しかし、進展はなかった。事件は、暗礁に乗り上げた。


 そんなある日である。ある児童の保護者から、1本の電話がかかってきた。その児童は、金村仁志という少年である。といえば、あの二件の紛失事件のあったクラスの児童である。電話に出た久枝先生は、詳しく、その母親から話を聞いた。話を聞いて、久枝先生は、驚くと同時に、納得もいった。話によると、昨日の夕方に、自宅のアパートの裏庭で、ひとり息子の仁志が何かをたき火のように燃やしているのを偶然に部屋の窓から目撃し、あとからこっそりと見に行ったというのである。すると、その燃えかすが、通っている学校の徴収金の紙袋と気づいて、慌てて電話したというのだ。

 久枝先生は時計を見て、とりあえずこれから至急アパートまでお伺いすると慎重に告げた。母親も覚悟を決めている口調でお待ちしておりますと返答した。


 金村家のアパートは、六畳一間の部屋であった。部屋の佇まいは、質素であったが、キチンと整理されていた。中央の座卓に緑茶のお椀を差し出され、遠慮しながら、久枝先生は話を切り出した。

「それで、その燃えかすは残されてますの?」

「ええ」

と、母親の美律子は、やや躊躇いがちに紙包みを卓上に置いた。確かに、それは学校で発行している徴収袋の燃えかすであった。

「これを仁志君が燃やしていたんですね?」

「はい、間違いありません」

「ふうむ........................」

と、久枝先生は、

「今、仁志君はどこにいます?」

「友だちと出ていきましたわ、ねえ、先生、うちの仁志がー」

「とりあえず、これはお預かりします。それで、仁志君には、明日、私のほうから、それとなく聞いてみますわ」

「あのう、それで中身のお金のほうは、まだ?」

「ええ、それも含めて当人から聞き出しますわ」

「本当にご迷惑おかけします。なにぶんにもよろしくお願い致します」


 金村仁志は、ごく平凡な小学生である。特別に背が高いわけでもなく、おかっぱ頭の可愛い小学生である。しかし、目のあたりに妙に大人びた、すれたような険悪さも感じられないわけでもなかった。

 教員室に呼び出された仁志は、最初から妙に落ち着いた雰囲気があるのが、久枝には意外であった。

「仁志君、変なこと聞くけど、最近、おうちではどんな様子なの?」

「おうち?」

と、仁志は不思議そうに首を傾げて、

「まだ、母さん、スマホ買ってくれないんだ。うちが貧乏だから。ぼく、欲しいもの、いっぱいあるのに」

「そうなんだ。じゃあ、おこづかいもきびしいね?」

「うん、でも今度、自分でスマホ買おうと思うんだ。スマホショップ行ってさ」

「ふうん、じゃあ、仁志君、そのお金はどうしたの?」

 すると、仁志はしまったという顔をして、黙り込んでしまった。それきり、沈黙である。彼女が何を聞いても答えない。これには、流石に久枝も参った。

 仕方なく彼を帰すと、久枝はひとり机に向かい、ボンヤリと考えているのであった。


「クレプトマニアか...................」

と、夜に、自宅のパソコンの画面を真剣に見つめながら、久枝はひとり、ポツリと呟いた。どうやら、盗癖は、ある意味で一種の精神疾患らしい。仁志君に何があったのだろうか?

 その夜、疲れた久枝は久しぶりに飲みつけない酒を飲んで酔いつぶれて、いつの間にか寝込んでしまった。


 それからまた、しばらくして、次は学校近くのコンビニで事件があった。あなたの学校の生徒が万引きをしたという知らせを受けて、もしやと思った久枝が急遽、コンビニの奥にある事務室を訪ねると、事務所を担当していた店員の前に、ちょこんと平然とした顔をして、仁志がパイプ椅子に座っていた。

「何も、言わないもので...........」

と、担当の店員の男も困り顔で、

「小学生らしいので、警察もどうかと思ったので、とりあえず、この子がただ学校の名前は何とか教えてくれたんですがね、うちとしては困るんですよね、小学生といっても、こんなことされちゃ」

 テーブルの上には、ポツンと彼の好物のアンパンマンのスナック菓子の袋が置かれてある。それから、久枝が店員に平謝りで謝罪して以後気をつけて指導する旨を伝えて、何とか放免してもらい、黙り込む仁志を連れて、コンビニをあとにした。

 帰り道の途中で、久枝は、何度も仁志に盗んだ理由を優しく尋ねたが、やはり彼は黙り込んでいた。

 ただ、何度か、彼が小声で、

「だって..........................」

と、呟くのが聞こえたが、彼女には、その意味が理解できなかった。


 そして、ついに被害は久枝自身に起こった。彼女の持つハンドバッグから、鍵束のついたキーホルダーが消えたのだ。無論、彼女自身がうっかりと紛失した可能性もある。しかし、その日に限って、何の理由か分からないが、仁志が何度も教員室に出入りする所を同僚の教員たちに目撃されていたのだ。もしかしたら、仁志君かしら?

 放課後に、久枝は、さっそく仁志を教員室に呼びつけて、今回は直接に問いただしてみた。

「ねえ、仁志君、あたしのキーホルダー知らないかしら?もしかしたらと思って」

すると、仁志はその場に立ったまま、しばらくモジモジとしていたが、やがてポケットから彼女のキーホルダーをスッと取り出すと無言で彼女に差し出した。久枝は驚いたが、出来るだけ優しい口調で、

「ねえ、仁志君、どうして盗んだりしたのかしら?ねえ?」

 しかし、やはり無言である。久枝は困り果てて、ジッと仁志の瞳を見つめた。彼の眼は、逃げようとはせずに、彼女を見返してきた。それは何かを主張していた。そして、最後に、大声で、

「僕のうちのこと、本当に分かるのかよ!」

と叫ぶと、教員室を飛び出していった。

 久枝は呆気に取られた。

 しばらくの間、久枝は考えた。そう、彼の家は決して裕福ではない。彼の母親である美律子は安い給料のパート勤務の身の上である。だから、仁志が鍵っ子であることも知っている。そして、それ故に彼らの暮らしが苦しいことも、良い食事すら取れないことも、そして、今回の紛失した学校徴収金も、母親が苦しい家計から捻出せねばならないことも容易に想像はついたのだ。彼の病気とは、もう少し根深く付き合わねば。

 常軌を逸した少年心理の奥深さを、改めて思い知らされた久枝であったのだ.................。


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