婚約者が聖女を選んだので、私は王都の明かりをお返しいただきます
王宮の大広間に、音楽が流れていた。
白絹の幕。金細工の燭台。磨き抜かれた大理石の床。
王国中の貴族が集う建国記念夜会の中央で、王太子ユリウス・レグナードは、一人の少女の手を取っていた。
少女の名は、リリア・ベル。
神殿が見出した、新たなる聖女である。
そして私は、その二人の正面に立っていた。
「エレオノーラ・アルヴェイン」
王太子殿下の声が、大広間に響いた。
談笑していた貴族たちが、一斉に口を閉ざす。
私、エレオノーラ・アルヴェインは、静かに顔を上げた。
「君との婚約を、今この場で解消する」
広間がざわめいた。
嘲笑。驚愕。憐れみ。好奇心。
それらの視線が、針のように私へ突き刺さる。
けれど、私は泣かなかった。
この場で涙を流せば、アルヴェイン公爵家の名に泥を塗る。
それに、涙なら、もう三日前に枯れていた。
「理由をお聞かせ願えますか、殿下」
私がそう尋ねると、ユリウス殿下は眉をひそめた。
まるで、私がまだ口を利くこと自体を不快に思っているようだった。
「僕は、真実の愛を見つけた」
殿下は、隣に立つリリアの肩を抱いた。
リリアは白い聖女服に身を包み、不安げに私を見ている。
その姿は可憐で、儚く、そして守られることに慣れた少女そのものだった。
「リリアこそ、この国に必要な女性だ。聖女であり、誰にでも優しく、穢れを知らない。君のように冷たく、規則と契約ばかりを口にする女とは違う」
誰かが、小さく笑った。
私の背筋は、自然と伸びた。
「そうでございますか」
「ああ。君は王妃に相応しくない。よって僕は、君との婚約を解消し、リリアを未来の王妃とする」
「殿下」
私は、静かに言った。
「それは、王家の正式なご決定でございますか?」
ユリウス殿下は、鼻で笑った。
「当然だ。僕は王太子だぞ」
「国王陛下も、ご承知で?」
「父上には後ほど僕から説明する。反対などされるはずがない。聖女を迎えるのだからな」
「王妃陛下は?」
「くどいぞ、エレオノーラ」
殿下の声に苛立ちが混じる。
「最後まで可愛げのない女だ。君はいつもそうだ。王宮の予算、神殿への供給量、騎士団の防護紋章維持費。そんなものばかり気にして、僕の心を一度も見ようとしなかった」
私は、思わず笑いそうになった。
見ていた。
何度も見ていた。
あなたが公務を抜け出すたび、私は代わりに書類を整えた。
あなたが夜会で失言するたび、私は貴族家へ手紙を書いた。
あなたが聖女に贈り物をするため予算を崩すたび、私は穴を埋める方法を探した。
見ていたからこそ、分かってしまったのだ。
この方は、王になってはいけないと。
「承知いたしました」
私は、深く礼をした。
大広間が、しんと静まり返る。
「殿下のお望み通り、婚約解消をお受けいたします」
ユリウス殿下の口元に、勝ち誇った笑みが浮かんだ。
「ようやく分かったか」
「はい」
私は顔を上げる。
「では、婚約に付随して締結されておりました、アルヴェイン公爵家と王家の魔力供給契約も、本日この時をもって解消いたします」
広間の空気が、凍った。
ユリウス殿下が、ぽかんと口を開ける。
「……何を言っている?」
「婚約が解消されましたので、それに伴う支援契約も終了いたします」
「そんなもの、後でどうとでもなる」
「なりません」
私は、淡々と答えた。
「王都結界、神殿聖域、王宮魔道灯、騎士団防護紋章、貴族街の浄化水路。その基礎魔力の七割は、我がアルヴェイン公爵家が管理しております」
リリアが、不安げにユリウス殿下を見上げた。
「ユリウス様……?」
殿下は顔を赤くした。
「脅すつもりか!」
「いいえ。殿下が婚約を解消なさる。私どもも契約を解消する。ただそれだけでございます」
「王家に逆らう気か!」
「逆らってはおりません。契約書第三条二項に基づく、正当な終了手続きです」
私がそう言った瞬間、広間の入口から重い足音が響いた。
「娘の言う通りだ」
振り返らずとも分かる。
父、アルヴェイン公爵だった。
銀髪を後ろへ撫でつけた父は、ゆっくりと私の隣へ並ぶ。
「ユリウス殿下。アルヴェイン家は、これまで王家との縁戚関係を前提に、王都維持事業へ過剰なまでの魔力を供給してまいりました」
「公爵、これは王太子命令だ!」
「まだ王ではございませんな」
父の声は、冷たかった。
「そして、たとえ王命であろうと、正式な契約なく我が家の魔力炉を使うことはできません」
「魔力炉など、王宮にもある!」
「ございますな。三十年前の旧式が」
父は、わずかに口角を上げた。
「半日も持てばよろしいが」
大広間の天井で、魔道灯が一度だけ揺らいだ。
まるで、その言葉を証明するように。
「エレオノーラ」
ユリウス殿下が私を睨んだ。
「本気でこの国を困らせるつもりか」
「困らせる?」
私は首を傾げた。
「殿下は、聖女様こそこの国に必要だとおっしゃいました。でしたら、私どもは不要でございましょう」
「それとこれとは話が違う!」
「違いません」
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
けれど、もう戻らない。
「私は、王太子妃となるために十年間学んでまいりました。王都の結界維持も、神殿との折衝も、魔力供給量の調整も、殿下の隣に立つために必要だと信じておりました」
私は、リリアを見た。
彼女は怯えていた。
可哀想だとは思う。
けれど、それだけだった。
「聖女様。未来の王妃となられるのであれば、明日からはあなたのお役目です」
「わ、私……?」
「はい。神殿聖域の維持、王都結界の再調整、騎士団防護紋章への定期供給、貴族街浄化水路の魔力循環。どうぞ、お務めくださいませ」
リリアの顔が青ざめる。
「そんなの、私、聞いて……」
「エレオノーラ!」
ユリウス殿下が叫んだ。
私は最後に、もう一度礼をした。
「殿下。どうぞ、お幸せに」
その夜、私は王宮を去った。
背後で、王宮の魔道灯が一つ、また一つと消えていった。
◇
翌朝。
王都から、光が消えた。
完全な闇ではない。
太陽は昇っている。
けれど、王宮の白壁はくすみ、神殿の聖水は濁り、貴族街の噴水は止まった。
夜明けと共に稼働するはずの浄化水路は沈黙し、王都結界は薄氷のように不安定になった。
そして何より、王都中の魔道灯が沈黙した。
人々は、その日初めて知ったのだ。
夜を照らす光が、当たり前ではなかったことを。
「どういうことだ!」
王宮では、ユリウス殿下が怒鳴り散らしていたという。
報告に来た侍女が、少しだけ困った顔で教えてくれた。
「神官長様が、真っ青なお顔で説明なさったそうです」
「何と?」
「聖女様の奇跡は、アルヴェイン公爵家の魔力供給によって増幅されていた、と」
私は、紅茶のカップを置いた。
自室の窓からは、王都の一部が見える。
魔道灯の消えた街は、いつもより少しだけ寒々しかった。
「聖女様は、偽物ではないのよ」
「はい?」
「癒しの力は本物。ただし、王都全体を支えるほどの力ではない。それだけ」
リリアに罪がないとは言わない。
けれど、彼女はおそらく知らなかったのだろう。
自分の奇跡が、自分一人の力ではなかったことを。
そして、自分が奪おうとした席に、どれほどの責任が伴うのかを。
「お嬢様」
侍女のマリアが、少し心配そうに私を見る。
「本当に、よろしかったのですか」
「何が?」
「殿下との婚約です。お嬢様は、ずっと……」
好きだったのか。
その問いを、彼女は最後まで言わなかった。
私は窓の外を見た。
「そうね。好きだった時期もあったわ」
幼い頃のユリウス殿下は、今よりずっと優しかった。
転んだ私に手を差し伸べ、花冠を作ってくれた。
王になったら皆を幸せにすると、真っ直ぐな目で語っていた。
けれど、人は変わる。
王太子という立場に酔い、周囲の称賛に慣れ、自分の望みこそが国の望みだと思い込んだ。
私は変わらなかったのではない。
変われなかったのだ。
彼の隣に立つために、ただ学び続けてしまった。
「終わったのよ、マリア」
私は小さく息を吐いた。
「終わったなら、次の契約を考えなければ」
「お嬢様らしいです」
マリアは少し笑った。
その時、扉が叩かれた。
「お嬢様。王宮より使者が参っております」
「早かったわね」
私は立ち上がった。
使者は、王宮書記官だった。
昨日まで私に対してどこか上から物を言っていた男だが、今日は額に汗を浮かべ、深々と頭を下げていた。
「エレオノーラ様。王太子殿下より、至急王宮へお戻りいただきたいとのご命令です」
「命令?」
父が低く笑った。
応接室の空気が、少し冷える。
書記官は慌てて言い直した。
「い、いえ。お願いでございます」
「内容は?」
「王都結界の再稼働と、魔力供給契約の即時復旧を」
「婚約は?」
私が尋ねると、書記官は一瞬だけ言葉に詰まった。
「そ、それにつきましては、殿下が寛大にも再考してもよいと……」
「お帰りください」
父が言った。
書記官の顔が引きつる。
「し、しかし!」
「娘は昨日、正式に婚約を解消された。王太子殿下ご自身の宣言によりな」
「ですが、王都が……!」
「王都の維持は王家の責任だ」
父は、手元の契約書を机に置いた。
「それとも王家は、婚約者でも臣下でもない娘一人に、王都の命運を押しつけるおつもりか」
書記官は何も言えなかった。
それでも彼は、最後に私を見た。
「エレオノーラ様。どうか、慈悲を」
私は、少しだけ目を伏せた。
慈悲。
便利な言葉だと思う。
努力している間は冷たいと言われ、
線を引けば慈悲がないと言われる。
「王宮へお伝えください」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「契約再締結をご希望の場合は、まず国王陛下の署名、王妃陛下の承認、議会の同意、そして前契約終了に伴う違約精算金をご用意ください」
「違約精算金……?」
「はい」
私は微笑んだ。
「金貨八十万枚です」
書記官は、椅子から落ちかけた。
「は、八十万!?」
「婚約解消に伴う魔力炉切替費、王都結界再調整費、神殿聖域安定化費、騎士団防護紋章再登録費、貴族街浄化水路の再契約費。お安い方です」
「そ、そんな金額、すぐには……!」
「では、すぐには再契約できませんね」
私は立ち上がった。
「お話は以上です」
書記官は、青い顔で帰っていった。
◇
三日後。
王都は大騒ぎになっていた。
結界が完全に消えたわけではない。
王宮の旧式魔力炉が、かろうじて王都中心部だけを守っている。
だが、貴族街の浄化水路は止まり、神殿の聖水は薄まり、騎士団の防護紋章は半数以上が使えなくなった。
魔物が出たわけでも、敵国が攻めてきたわけでもない。
ただ、今まで見えなかった支えが消えただけ。
それだけで、王都は傾いた。
ユリウス殿下は、ついに我が公爵邸へ自ら来た。
隣には、リリアもいた。
けれど、昨日の夜会で見せた華やかさはどこにもない。
ユリウス殿下は目の下に隈を作り、リリアは怯えた小鳥のように震えていた。
「エレオノーラ」
応接室に入るなり、殿下は言った。
「戻れ」
父の眉が動いた。
私は、静かに問い返す。
「どちらへでしょうか」
「王宮に決まっているだろう」
「何のために?」
「王都を救うためだ!」
殿下は、拳を握りしめた。
「君だって王国貴族なら、この状況を放っておけないはずだ。僕との婚約解消も、なかったことにしてやる。リリアのことは……側妃として置けばよい」
リリアが息を呑んだ。
私は、殿下を見つめた。
この方は、本当に何も分かっていない。
「殿下」
私は言った。
「私は昨日、泣いてすがるべきでしたか?」
「何?」
「婚約を解消しないでください、捨てないでください、どうか私を選んでくださいと。そうすれば、殿下は満足なさいましたか?」
ユリウス殿下の表情が歪む。
「何を馬鹿な……」
「殿下は、私を冷たい女だとおっしゃいました」
私は、淡々と続けた。
「けれど殿下が見ていなかっただけです。私がどれほど王宮のために動いていたか。どれほど殿下の失敗を埋めていたか。どれほど、この国の未来を守ろうとしていたか」
「それは、君が勝手に……!」
「はい。私が勝手にやめました」
ユリウス殿下は、言葉を失った。
「殿下が私を不要だとおっしゃったから。聖女様がいればよいとおっしゃったから。ですから私は、不要な者として退いたのです」
リリアが、震える声で言った。
「あ、あの……エレオノーラ様、私は……私、知りませんでした。ユリウス様が、あなたに婚約者がいることは知っていました。でも、こんな大変なお仕事をなさっているなんて……」
「リリア様」
私は彼女へ視線を向ける。
「知らなかったことは、罪ではありません」
リリアの瞳に、わずかな希望が宿る。
「ですが、知ろうとしなかったことは、あなたの責任です」
その希望が、砕けた。
「あなたは、未来の王妃になると皆の前で受け入れました。ならば、その席の重さを知るべきでした」
「……はい」
リリアは、泣きながら頷いた。
少なくとも、彼女には恥じる心がある。
ユリウス殿下よりは、まだ救いがあるのかもしれない。
「エレオノーラ!」
殿下は、私に手を伸ばした。
「いい加減にしろ! これは国の危機だぞ!」
その瞬間、応接室の扉が開いた。
「国の危機を招いた者が、ずいぶん大きな声を出すのだな」
入ってきたのは、国王陛下だった。
ユリウス殿下の顔色が、一瞬で変わる。
「父上……!」
陛下の後ろには、王妃陛下と数名の重臣が控えていた。
国王陛下は、疲れ切った顔でユリウス殿下を見た。
「ユリウス。お前の王位継承権を停止する」
「なっ……!」
「王家承認なき婚約解消。聖女の政治利用。王都維持契約への無理解。さらに、正式な謝罪ではなく命令による復旧要求」
陛下の声は、低く、重かった。
「王太子として不適格だ」
「違います! これはエレオノーラが勝手に!」
「勝手に契約を解消できるような条項を、お前は理解していなかったのか」
ユリウス殿下が黙り込む。
陛下は私へ向き直った。
「エレオノーラ嬢。王家として、正式に謝罪する」
国王陛下が、頭を下げた。
その場にいた全員が息を呑む。
「婚約解消は、ユリウスの独断である。王家はあなたとアルヴェイン公爵家に対し、深く非礼を詫びる」
「陛下。頭をお上げください」
私は静かに言った。
「謝罪は受け取ります」
陛下は顔を上げた。
「そのうえで、魔力供給契約の再締結を願いたい。条件は、そちらに従う」
父が私を見た。
決定権を、私に委ねている。
私は、あらかじめ用意していた書類を差し出した。
「再締結の条件は三つございます」
「聞こう」
「一つ。ユリウス殿下の王位継承権停止を、正式に公示すること」
ユリウス殿下が叫びかけたが、王妃陛下の視線で黙った。
「二つ。リリア様を王太子妃候補から外し、神殿にて聖女としての教育を受け直させること」
リリアは泣きながらも、深く頭を下げた。
「三つ。アルヴェイン公爵家による供給範囲を、王都全域から王宮・神殿・騎士団の中枢部のみに縮小すること」
陛下が目を細めた。
「貴族街と商業区は?」
「今後、王家主導で独自の維持機構を整備なさるべきです。我が家に依存し続ける体制は、国のためになりません」
陛下は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頷く。
「正論だな」
「それと、違約精算金ですが」
私が言うと、陛下の肩がわずかに跳ねた。
「分割払いも承ります」
父が横で咳払いをした。
王妃陛下が、少しだけ笑った。
こうして、王都は完全な崩壊を免れた。
ユリウス殿下は王太子の地位を失い、離宮で謹慎となった。
リリアは神殿へ戻り、聖女として一から教育を受け直すことになった。
そして私は、王太子の婚約者ではなくなった。
◇
季節が一つ巡った頃。
アルヴェイン公爵領の魔力炉視察に、隣国から一人の客人が訪れた。
クラウス・ヴェルゼン。
隣国ヴェルゼン王国の第二王子であり、魔道工学に深い知識を持つ変わり者として知られている方だった。
「素晴らしい」
魔力炉の前で、クラウス殿下は子供のように目を輝かせた。
「これほど安定した循環式魔力炉は初めて見た。出力を支える術式も見事だが、負荷を分散する補助紋が美しい。誰が設計を?」
「基礎設計は祖父です。現在の調整式は私が改良しました」
「あなたが?」
クラウス殿下は、驚いたように私を見る。
そしてすぐ、楽しげに笑った。
「なるほど。王都を一度暗くした令嬢という噂は聞いていたが」
「不名誉な噂ですわね」
「いや、最高に愉快だ」
私は瞬きをした。
クラウス殿下は、真剣な顔で私を見た。
「あなたは、奪ったのではない。返してもらっただけだ。自分の家が差し出していたものを」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「そう言ってくださる方は、あまり多くありません」
「見る目のない者が多いのだろう」
「王子殿下らしからぬお言葉です」
「よく言われる」
クラウス殿下は笑った。
その笑い方は、誰かに守られることを当然と思っている人のものではなかった。
「エレオノーラ嬢」
「はい」
「私は、あなたと契約を結びたい」
また契約。
そう思ったのに、不思議と嫌ではなかった。
「どのような契約でしょうか」
「まずは共同研究契約から」
クラウス殿下は、少しだけ視線を逸らした。
「その後、あなたが嫌でなければ、個人的な契約も申し込みたい」
「個人的な?」
「婚姻契約だ」
魔力炉の音が、低く響いていた。
私は、少しだけ笑った。
「随分と率直ですのね」
「回りくどく言って、あなたの時間を無駄にしたくない」
「私は、王妃教育を受けた女です。可愛げはありませんよ」
「可愛げより、判断力の方が好ましい」
「規則と契約ばかり口にします」
「国家運営に必要不可欠だ」
「冷たい女だと、言われたこともあります」
クラウス殿下は、静かに首を横に振った。
「冷たい人間は、十年も国を支えたりしない」
その瞬間、喉の奥が詰まった。
ああ。
私は、この言葉が欲しかったのかもしれない。
愛しているでも、美しいでも、君が必要だでもなく。
ただ、私がしてきたことを、見てほしかった。
「クラウス殿下」
「はい」
「契約書を拝見してから考えますわ」
そう答えると、彼は満面の笑みを浮かべた。
「もちろん。あなたに不利な条項は一つも入れないと誓う」
「それを判断するのは私です」
「では、厳しく見てほしい」
私は、今度こそ声を出して笑った。
窓の外では、夕暮れが近づいていた。
アルヴェイン領の魔道灯が、一つ、また一つと灯っていく。
王都を照らすためではない。
王家のためでもない。
私たち自身の暮らしを守るための光。
私はその光を見つめながら、静かに息を吸った。
婚約者が聖女を選んだ日、私はすべてを失ったのだと思っていた。
けれど、違った。
私はようやく、返してもらったのだ。
自分の時間を。
自分の誇りを。
そして、自分の未来を。
だから私は、もう一度だけ微笑んだ。
今度は、誰かの隣に立つためではなく。
私自身の足で、前へ進むために。




