5話「獣の洗礼」
5話「獣の洗礼」
竜は姿勢を低くしながらカイを観察する。
カイの小柄でやせた体型、泥のような匂い、そして疲れの雰囲気を感じ取っていた。
だがそれでもその獣は決して目の前の小柄な人間を見くびらなかった。
慎重に気配を感じ取りながらいつ飛び掛かるべきかを考えるように足を曲げじっと獲物をにらみつける。
一方で奇妙なことにカイも似たようなことを感じていた。
先ほど森で見た大型の竜は体格で確実に圧倒されるであろう健康的な肉付きと捕食者としての矜持のような強い自信を持っていた。
しかし、この目の前の小柄な竜は違った。
森で見たものと違い体長は小さめに見える、カイよりは大きいだろうが大人の人間と大きさで言えばそこまでの差はなさそうに見えた。
そして、その不健康なまでに細った体が、万全の状態でないことを何よりも示していた。
竜は先ほどから姿勢を変えず一定の距離を保つ。
喉元が鳴り、呼吸のたびに空気を吐き出す小さな音をあげること、定期的に舌先を口の外に出し獲物の匂いを探るように動かすこと以外は徹底して身動きをしなかった。
鍔迫り合いのようなにらみ合いのさなか、カイは部屋そのものにも注目していた。
部屋は地下をくりぬいて作られており、一部の床や壁には金属の板を張ったような形状をしていた。
背後には先ほど竜狩りに施錠された頑丈な鉄扉があり、正面上方に小さなライトがある。そしてライトを挟んでにらみ合う二匹の獣。
暗さに目が慣れてきて、カイは右側の土壁に何やら棒状のものが立てかけられているのを見つける。
武器かどうかはわからない、だが、あれを拾えるかどうかが勝負だ。カイはそう察した。
ゆっくりと壁のほうへカイが足を動かそうとしたその時。
ぐぐぐ!と竜がさらに低い姿勢をとる。
瞬間。カイは嫌な予感を感じ取り、瞬時に壁のほうへと跳躍する。
ガシャン!
カイの悪い予感は当たった。竜は折りたたんだ足をグイっと延ばすとカイの先ほどまでいた場所に跳躍しその鋭い爪を振り回していた。
爪は空を裂き、跳躍した体は鉄製の床をガシャンと鳴らした。
間一髪でよけたカイは棒状の何かが見えた壁を背に姿勢を立て直す。
「・・・フゥ」
いつものカイの独り言も出ない、緊張の連続。
カイは視線をそらさずに後ろ手で棒状のものを手に取ると正面に持ってきた。
皮で包まれた柄を持ち手とする、金属製の鍔と1メートル程度の両刃の刀身、誰が見ても明らかな武器であった。
いわゆるロングソードと呼ばれる武器を手にしてカイはほのかな期待を持っていた。
次の飛びつきのタイミングでヤツの腕ごと横っ腹を切りつけてやる。
そう考えカイは剣を両手で構える。
剣の扱いなど知らなかったが両手で持ち、腰くらいの高さでしっかりと重心を低くして構えた。
狙いを知ってか知らずか竜はまた足を折りたたみ、ぐぐぐと力をためる。
二度目の跳躍。
カイの狙いすました一閃はどんぴしゃりと竜の腕をとらえた。
グエ!という声とともに壁に叩きつけられ、そのまま倒れこむ。
「あ、あれ・・・?」
カイは確かに飛び掛かる竜の腕に向けて剣をふるったはずだった。
実際に剣は読み通り腕に当たり、竜の腕と剣の競り合いになった。
なるはずだった。
圧倒的な膂力を持つ竜は人間との鍔迫り合いなど存在しない。
力と力の押し合いになればどれだけ飢えていたとしても竜の力に勝る人間などいない。
無情な捕食者が近づいてくる。
「う、うわぁ!」
混乱するカイは持っていた剣を残る力で振り回した。
だが力なく振り回されるそれを竜は一瞬うっとうしそうに避けると大きな足でカイの左腕ごと踏みつけた。
「あああああ!」
爪が腕に食い込む、片足だけでも数十キロはある、カイはじたばたと動くが倒れこんだ姿勢では何もすることはできない。
「グルル・・・」
飢えた獣の声が、冷たい視線が目の前に迫る。
ガラス玉のような眼球、爬虫類特有の瞬膜と呼ばれる瞼代わりの膜がシャッターのように切られる。
ああ、思ったより竜って瞳がきれいなんだな。そんな場違いなことを考えつつもカイは今日起きたことを走馬灯のように思い出していた。
ノインの誕生日にプレゼントをあげたくて城にもぐりこんだこと。
あられもない姿を見たこと。非道な行いを見たこと。
侵入者として追われたこと。森に逃げ込んだこと。
衛兵に殺されそうになったこと。大きな竜に殺されそうになったこと。
竜狩りに助けられたこと。竜狩りから聞いた竜のこと。巫女のこと。
カイは懐に右手を入れ、渡しそびれていたプレゼントを探し出す。
日々の唯一の救いだったノインへの、温かさとどす黒さが相まった感情があふれ出す。
ノインに会いたかった。
ただ、笑ってほしかった。
あの世界から救い出したい。
壊してやりたい。竜も、国も、何もかも。
懐を探る手からチクリと痛みがする。痛みはカイを意識の底から引きずり起こす。
今まさに口を開き竜が噛みつこうとしたその時、カイは懐から取り出したものを竜の瞳めがけて振り上げた。
医療用のナイフ、あの時、医者から奪ったものだった。
「ガアアアアア!」
今度こそ竜の雄たけびが響き渡る。
カイは竜狩りの話を思い出していた。「装甲が薄いのは目と喉元だ」
噛みつく勢いは皮肉にも振り上げる勢いと相まって鋭い刃を深く目に突き刺した。
カイは痛みに悶える竜の首元にしがみついた、森の中で見た竜狩りの動きをマネしての行動だ。
そして瞳から喉元へとナイフを動かし突き立てると深く差し込む。そしてしがみついて離さない。
竜が暴れるたびにナイフが大きく傷口をえぐる。
暴れまわる竜は壁に体を何度もこする、そのたびにカイの体も鉄製の壁や土壁に叩きつけられる。
疲労はもはや限界を超えていた。カイの頭部が土の壁に叩きつけられ腕の力が抜けてしまう。
ついに、竜から引きはがされる。
「ハア、ハア・・・」
もはやどちらの呼吸かもわからない。
土と血まみれの二匹は立ち上がり互いをにらみつけていた。
竜がグググと足をたたみ低い姿勢をとる。
先ほどよりもさらに低い姿勢になり、力をためて次の跳躍の準備をする。
その姿勢のまま、竜は完全に静止した。
失血かあるいは呼吸困難か、竜は息絶えた。
極限状態でいつ来るんだと身構えていたカイも10秒も動かない竜を見て、そして流れる大量の血を見て死んだことを確信して気が抜ける。
「ハア、ハア、死んだのか・・・?」
死亡確認をする気力も残っていない。だが、ここまで気の抜けた姿勢を見て襲い掛かってこないということはそういうことだろう。
「よお、最後のほうは結構よかったじゃねえか。ククク」
いつの間にか開かれていた鉄扉には酒瓶を片手にどこか満足そうな竜狩りがいた。
「俺のサービスはどうだった?手入れはしてねえから錆びてたかもしれんがな」
おそらくロングソードのことだろう。
だがカイは確信していた、意地の悪いこの男のことだ、わざと置いてあったのだと。
長剣が有効な武器でないことを分かっていながら放置してあったのだろう。
だからこっちも皮肉を返すことにした。
「ああ、あんたのサービスのおかげで目と喉元に狙いを定められたよ。錆びたアドバイスをどうもな。」
その皮肉が気に入ったのか、
竜狩りはまたクククと笑うと、出てこいと言わんばかりに親指を外へ向けるようなジェスチャーをした。
「腹減った、もう竜の肉でも何でもいいからなんか食わせてくれよ。あんた飼い主なんだろ」
今日は逃げ回って戦って何も食べていなかった。
非道な飼い主であっても猟犬は餌をねだるしかなかった。




