28話「峡谷に潜む影」
28話「峡谷に潜む影」
峡谷はあたり一面が赤茶けた土と砂に覆われている。
乾燥した空気は呼吸のたびに体から水分を奪うが、谷地は日差しを遮り暑さはそこまで感じない。
この峡谷は主に険しく切り立った崖のような亀裂で出来ていた。
今、カイと竜狩りが歩いている谷底はわずか数メートルの幅しかない。
頭上を見上げれば左右に迫る壁のような崖と一本の青い線と化した青空が見える。
会話もなく二人は歩く。
辺りに気配はないがそれは気を抜く理由にはならない、ましてや視界の狭い谷底だ、地を踏み締める足にも力が入る。
前を歩く竜狩りが右手を挙げる、止まれという指示だろう。
ふと、カイの鼻がほのかに匂いをとらえる。動物の腐敗臭だ。
曲がりくねった谷地を道なりに進むと、そこには何かの生き物の死骸が転がっていた。
人間ほどの大きさの、おそらく四足歩行の動物。
体には大量のウジが湧いておりほとんど原型を保っていなかった。
辺りには手のひらサイズの大きな鱗が散らばっている。
「四足歩行型の竜だろうな、おそらく草食の至って温厚な種のタイプだ」
竜狩りはウジまみれの死骸を一切意に介せず、手に持ったピッケルでつつきまわしながら淡々と話す。
「死因は転落か?こっちの崖から落ちたのかな」
カイは右手側の崖を見る、他の崖はまっすぐな壁のように切り立っているのに対し、その斜面を何かが滑り落ちたように少し崩れている。
「もともと上に居たのは間違いない、この辺りの草木では餌には足りんだろうからな」
谷底には苔や低木がまばらに生えるばかりで、体の大きさを考えれば谷底で生きる種ではないだろう。
「…だが、それが直接の死因とは限らんがな」
竜狩りは不穏な一言を放つ。
「転落させられたってことか?何に?」
「知らん、だがただ落ちただけでこんなに鱗が飛び散ると思うか?」
確かに奇妙だ。
竜の体に生えていたであろう鱗は死骸を取り囲むように散らばっている。
ただ転落しただけなら今頃この鱗もあのウジの群れの中だろう。
竜を喰らう竜、ロード。
ふと頭をよぎるカイの右手に大きな傷を負わせた強敵『アイアンメイデン』を思い出す。
大量のウジを見ていると気分が悪くなってきて、カイは辺りを見回す。
二人が歩いてきた数メートルほどの幅の谷は丁度突き当りになっている。
「ここからどうする?戻って別の道探すか?」
「そうだな…」
竜狩りは転落の跡を残す斜面を見る。
「…ここなら登れそうだな、ピッケルとロープよこせ。」
カイは背負っていた袋から道具を取り出して竜狩りに渡す。
竜狩りは器用にピッケルを突き立てながらひょいひょいと斜面を登っていく。
明らかに簡単に登れるような勾配ではないのだが……
竜狩りはついに崖の上にたどり着き、周囲に生えていた木にロープを括りつけると下に紐をおろす。
登ってこいと言うことだろう。
右手は怪我で動かないが、ピッケルを使い斜面を登れと言われるよりは幾分かましだろう。
カイはほぼ垂直の壁をロープの補助と途中途中にある人一人分程度の足場で休憩しつつ何とか上りきる。
崖を登り切った先は平らな地平が広がっていた。
この辺りの谷や崖を形成する岩は一定の高さの台地になっている。
峡谷は台地を雨や風が浸食することによってできた一部分にすぎず、おそらくこの台地はもとは一つの巨大な岩だったと言われている。
故にこの土地は峡谷台地と呼ばれている。
「見ろ、おそらくさっきの死骸と同種の竜だ。」
竜狩りが指さす数百メートル先に3頭の竜が群れを成し、台地に生える草木を食んでいた。
「このまま台地の上をいくぞ。周囲に警戒しろ、身を隠すものなんて無いぞ。」
台地は谷底よりは自然が豊富ではあるが、辺りにある岩や草木は移動しながら身を隠せるほどではない。
あの竜を突き落とした何者かがきっといる、カイは気を引き締めなおすと竜狩りの背を追った。
台地の上を歩きながら、研究所の痕跡を探す二人。
時に谷底をのぞき込んだり、双眼鏡を用いて斜面や台地をくまなく観察していたが一向に見つかる気配はなかった。
「なぁジイさん、本当にあるのかよこんなところに。研究者のメモってのは信用できんのかよ」
カイの疑問ももっともだろう、しかし竜狩りは確信したように言う。
「ある。」
日差しを遮るもののない台地の上で消耗しているカイも短く聞き返す。
「なんで?」
竜狩りは大きな溜息をつくとこちらを振り返る。
「竜に関する研究は秘匿された研究だ、当然公的な記録など残っていない。だが、研究者が意味もなくありもしない研究所の愚痴など書くと思うか?」
竜狩りの理論も筋が通ってはいる。
だが、こんな土地に本当に研究所があるのだろうか。
カイは足を止め考え込む。その瞬間だった。
「走れ!!!」
いきなり竜狩りが叫ぶとカイに背を向け急に走り出した。
カイは竜狩りの血相を変えたような行動に瞬時に反応し、同じ方向へ走る。
走ると同時にカイは瞬時に背後を見る。
一瞬ではあったがカイの目はその影を捉える。
数十メートルほどの距離に、小型の一頭の竜が忽然と姿を現していた。
「どっから来た!?」
問いかけるカイに竜狩りは答えない、知らないという答えと喋る暇はないという答えを示しているかのように。
全速力でカイの前を走る竜狩りだったが、急に立ち止まる。
カイの目にもその理由は明白だった。
正面の崖に前足をかけてよじ登る、二頭の竜が姿を現したからだ。
土地に紛れる赤褐色の体、小回りが利く1メートル程度の体高、肉付きの薄いしなやかな体、二足歩行する体のバランスをとる細長い尻尾、細い歯が並ぶ口。
器用な手足とそこに生える太いかぎ爪はこの峡谷台地を文字通り縦にも横にも縦横無尽に駆け回るのに最適な体であった。
立ち止まった竜狩りに背中合わせになるように追いかけてきた竜と向かい合う。
台地の上、二人と三頭はにらみ合う。
雲一つない大空に座す太陽のみが、このぶつかり合いに熱気を帯びた視線を投げる唯一の観客だった。




