26話「姉妹」
26話「姉妹」
カイはレポートを読み終えて、呆然としていた。
「あぁ、そこにあったのね。返してもらえる?」
気づけばレポートの著者、ツヴァイアが目の前に立っていた。
「実験してたのか……」
「そうよ、竜を捕獲した協力者ってあの変なおじいさんのことよ、あんたのお師匠さん。」
資料を勝手に見ていたカイに対し、事もなげにレポートを取り上げて女医は言う。
「こんなこと、ずっとしてるのか、この国は…?」
「いいえ、むしろ逆よ、全くしていなかったの。だから、古い資料と経験則を元に無意味に多量の体液を抜き取っていたわ。」
事態はむしろ悪い、そう言われカイはさらに動揺する。
「私はね、あの子の苦しみを少しでも救ってあげたいの。……どうしたって代わってあげられないから、せめて少しくらいはあの子の境遇を変えたい。」
女医の目は真剣そのものだ。
「だからあなたのこと、嫌いだったわ。事情も何も知らず、ただあの子を振り回す。けどね……」
「ノインを救ったのはあなただったのね、数年前まであの子は毎日のように泣いていたのに、ある日を境に『祈り』にも前向きになったわ。おそらくあなたと知り合ってからね。」
数年前、それはおそらく地下水道の管越しに少年と少女が知り合った頃だろう。
「さて、何か質問は?著者に質問できるなんて機会そうそうないわよ。」
覚悟を持って巫女の主治医をやっている、そう感じさせる顔つきに、いつの間にかカイは思わぬ言葉をかけていた。
「あんたがノインをそこまで気に掛ける理由はなんだ?」
ツヴァイアは虚を突かれたように目を丸くするが、すぐに真剣な顔つきに戻るとカイにしっかりと言い聞かせるように言い放つ。
「あの子が私の妹だから」
「え?あぁ、そういやノインも言ってたな、お姉ちゃんみたいに思ってるって……」
「違うわよ、本当の姉妹なの。」
続けざまに放たれた衝撃的な言葉。
「母親は違うけどね。私が現国王の二番目の子供で、あの子が九番目の子。」
「いいわ、説明してあげる。これも特一級の情報よ。」
「そもそも巫女の継承には匂いの遺伝的な継承が必要なの、でも匂いが継承されるかどうかは生まれるすぐにはわからない。だから王家の人間は複数の子供を産むのが当たり前なのよ。」
「私は二人目の子供で、そして匂いの素質が辛うじてあった。でもそれ以外の子供には全く素質がなかったの。だから私は8歳くらいまでは巫女の候補として育てられたわ。」
「でも九番目の子が生まれた、生まれたばかりの時からすでにすさまじい素質を持っていた、あの子がね。」
「素質のない子供は物心つく前に城下町の孤児院とかに預けられちゃうのよ、だから私にとって初めての妹だった。丸くて小っちゃくて柔らかくて、私の手を握る小さな手を幼いながらに守らなきゃいけないって理解したわ。」
「そんな子が、私がされている搾取を代わりにしなきゃいけないって聞かされた時、心がぐちゃぐちゃになる気がしたわ。」
「当時の私は唯一の巫女候補、当然『祈り』の儀式をやっていた、でも効果は明らかに薄かった。そんな時生まれた圧倒的な素質を持って生まれた子。」
「私が泣きながらやっているあの儀式をこんな小さな子に押し付けないといけないなんて、心が張り裂けそうだった。」
「それからよ、私はあの子の主治医になると決意したの。」
少しの間の沈黙、それはまるで決意した少女が大人になるまでの時間を凝縮して思い出していたかのようだった。
「……あの子は多分、私が姉だって気づいてない。その一線を越えてしまったら私はあの子に近づけなくなる。」
「そう……か。」
カイは何も言えなかった。
カイにはカイの考えがあってノインを思って行動している、だがそれは他の者にとっても同じことだった。
「今じゃ、会話なんてできる立場じゃないけど。これを許してくれたのは国王様なのよ。あんたはあの人を誤解してそうだけど、ただ冷徹なだけの人じゃないわ。」
女医が抱えていた想像以上に深い事情を聴いた後で、女医の言葉はすんなりとカイの頭に入ってくる。
(そりゃそうだよな、自分の娘を搾取の対象にしないといけないなんて…)
「それに国王様も当然先代の禰宜、そのつらさをご存じないわけない。」
さっき読んだ本にもそう書いてあった。
巫女や禰宜は次代の王になる、逆に言えば王は先代の祈り手だ。
突きつけられた事実にカイは何も言えなくなってしまう。
「ハイ、質問タイム終わり。残りの本片付けたら帰っていいわよ。あぁ、あの子に会ってくんだっけ?」
「いや、今日はやっぱりやめとく」
カイは今この気持ちを抱えたまま、少女とどんな顔で会話を交わせばいいのか分からなかった。
「怪我の調子は順調だ、心配すんなって伝えてくれ」
「そう、まぁ何かあったらまた来なさい」
カイの心情を察してかツヴァイアはすぐ引き下がる。
カイは女医を書庫に残し、城を後にした。
城下町を出て、ふと振り返る。
そこにはスラムで育ったカイにとって見慣れた高い壁とさらに高くそびえる城が見える。
見慣れたはずのその景色は、この数か月で様変わりしたように感じていた。
かつてはいけ好かない貴族が住む憎悪の対象と思っていた強固な石造りの城が、今や数多の犠牲を飲み込んでようやく立っているボロボロのあばら家にも見えた。
守るべき人々、それらを守るために摩耗していく王族たち。
人々を守るための仕組みが巫女の少女を苦しめる。
もはや何が正義で何が悪か、判別のつかない混沌としたそんな状態を抱えながらも表面上は静寂を保つ白亜の城。
カイ自身も何が正しいと言い切れないもやもやとした気持ちを抱えながらも、城を眺めていても何にもならない、と踵を返すと拠点へと戻った。
拠点に戻るころには日も暮れていた。
拠点ではいつもの如く管理人室のソファにふんぞり返って酒を煽る男が一人。
だが、カイを出迎えた竜狩りはその表情から何かを察したのかいつもの皮肉は言わなかった。
カイにとっても竜狩りは不気味な男だ、だがひと月以上は一緒に居てわかったことがある。
この男は伊達や酔狂で、つまりは意味もなく竜狩りをやっているわけではないということ、それは竜狩りと言う男の深い知識や考え方、立ち振る舞いからカイは実感していた。
「あんたも、なんか事情を抱えてんだろ?」
ふと、カイの口をついて出た言葉は宙を舞い、部屋に染み入る。
竜狩りはカイの言葉など聞こえなかった、と言わんばかりに大声で言う。
「俺はもう寝る。お前も早く寝ろよガキ、明日から遠征に出るぞ。数日はここを離れるからな。」
竜狩りは酒瓶を片手に部屋を出て行った、どこで寝ているのかすらわからぬ男だったが寝酒を楽しむ男ではないとカイは知っている。
今だに今日の衝撃冷めやらぬカイは管理人室の資料を今一度改めて見直しながら夜を過ごした。
「あんた”も”……か。ククク」
拠点を出て夜空を眺めながら竜狩りはひとり呟く。
老いた竜狩りは、若き竜狩りが何かに気づき、そして戦う意思を掴み始めていることを感じ取り、酒を煽る。
今、彼は猟犬の成長に満足気な表情を浮かべているのだろうか、それとも憎々し気な表情を浮かべているのだろうか。
月明かりの元でも、その表情はガスマスクに覆われ、誰にも知りえなかった。




