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17話「糸引く祈りの雫(前編)」

17話「糸引く祈りの雫(前編)」



「で、今回は?」


女医はいつもと同じ、冷たい態度をとる。

いや、これはもしかしたら緊急事態であるという発言に対して、彼女なりに手早く済ませようという意図なのかもしれない。


「汗と、あと・・・よだれが欲しい。」


言うのも憚られるような要求に少し寒気を感じるが、あの怪異を思い出すとそれ以上に悪寒がした。


「汗のストックはあります、昨日採取したものを密閉容器に保管しています。すぐに用意させます。涎……唾液についてですが…」


女医は紫色の髪をかき上げながら手元の資料を目を落として言う。


「現在ストックはありません、ですが。本日採取の予定がありますので、そちらで良いでしょう。」


運よく、今日は涎の採取予定日だった。


「ノインは準備中よ、来なさい。」


女医はカイを連れ、祈りの塔へ向かう。




祈りの塔はいつもの通り、甘い香りで充満している。

部屋に居たノインはいつもの静謐な衣服に身を包んでいた。

今日は拘束具や注射器の類は身に着けていない。



「こんにちは、カイ。」


こちらの事情を知ってか知らずか簡潔だが欠かさず挨拶をしてくれる。


「ごめん、ノイン、緊急事態なんだ。今すぐに君の涎が欲しい。」


いきなり変態みたいなことを言ってしまうカイであったが、その気迫から緊急性をうかがってかノインは小さくうなずいた。


「今日はもともと唾液の採取予定だったでしょう。彼に手伝ってもらいなさい。」


部屋に入ると女医は淡々といくつかの説明を始めた。


「まず、ノインは今少しの空腹状態になっているわ。これは唾液の分泌を最大化するため。ノイン、水分は十分にとったわね?」


「うん」とノインは小さく返事をする。


「それからこれね、唾液の分泌を増やすための薬湯。と言っても中身は柑橘類のエキス。要は酸っぱさで唾液の分泌を促すわ。採取中は定期的にこれを滴下しなさい。」


「あと、マッサージね。唾液腺の刺激はここ、顎の付け根から顎先にかけてのライン、それから耳の下のここ。手を当てて揉んであげなさい。」


そう言うと女医は少女の耳下腺と顎下腺に優しく触れ撫でるように揉む。


「……待てよ、俺がやんのか?」


「あなた以外に誰がいるのよ。」


「いや、あんたでもいいんじゃ・・・」


女医は鋭い目つきでカイを見据える。


「私ならこんな生ぬるいやり方しないわよ、この椅子見える?」


女医はヘンテコな形の椅子を指し示す、古びているが手入れされている木製の椅子に手や足の部分には拘束具がついていた。


「その昔に唾液の採取を目的として開発された骨董品よ。前傾姿勢を保ちつつも被験者を支えて、口を開きっぱなしにするモノなの。」


「私ならこれを使ってやるけど、いいのね。」


これはダメだ。カイは直観的にそう感じる。

この椅子は座らせた人を道具扱いするための椅子だ。


「…わかった。俺がする。」


カイは決意し、女医から果汁のエキスが入ったスプレー瓶を受け取る。


「あとはノインに聞きなさい。唾液なら中ビン一つが限界よ。それ以上なら日を改めてもらうわ。」


女医はひとしきり説明を終えると部屋をあとにする。

部屋を出るときに女医はノインに目を合わせると何やら意味ありげな笑みを浮かべ、ノインも笑顔を交わす。




祈りの塔の中、少年と少女は二人になる。


「じゃあ、始めるね。」


ノインの声が静かな岩壁に染み込んでいく。


「…俺、何すればいいかな」


「えっとね、私からも説明するね。」


ノインは両側に銀色の金具がついたゴム紐でできた拘束具を取り出す。


「唾液を呑み込まないために、この器具を装着するの。あ、痛いやつじゃないから大丈夫だよ。」


金具を口の左右の口角に付ける仕草をする、ゴムは後頭部に回して頭部に固定するらしい。


「ビンは私が持って、そこに唾液を垂らすから。カイにはさっきの二つをお願いしたいの。」


ノインは可愛らしく手を合わせてお願いしてくる。


「一つは私の口の中にそのスプレーを滴下してほしいの。シュッてしてね。大体一分に一回くらい。酸っぱくて顔しかめちゃうかもだけど気にしないでね。」


「あともう一つはさっきのマッサージをお願いしたいの。それと同じ刺激ばかりだと効果も薄くなるみたいだから他の場所も触っていいからね」


(触っていいと言われても・・・)

カイはどこを触ればいいのか少し困惑する。


「ごめんなさいカイ、あと、もう一つお願いしていい?唾液の分泌が悪い時は指を口の中に入れてかき混ぜるの。脳が食べ物と勘違いして唾液の分泌が増える効果があるの。」


「……」


あまりの刺激的な要求に少し頭がぼーっとしてしまい、カイは沈黙してしまう。

それを拒絶と捉えたのかノインはしゅんとなり、頭を下げる。


「ごめんなさい、汚いよね……。今のは忘れて……。」


「あ、いや!そうじゃないんだ。俺の指のほうが汚いかもって思っただけ。さっきまで森に居たし。って、さすがに洗うから!大丈夫だから!」


ノインの悲しそうな表情を見て、カイは慌てて否定する。


「ふふっ。」


必死なカイの否定を見て、ノインに笑顔が戻った。


「じゃあお願いね。」


カイにゴム製の拘束具が手渡される。



手渡されたゴム製の器具は、ノインからの信頼の証のように感じる。


今から彼女の雫を、今度は唾液を、また自分の手で搾り取る。

その事実が、カイの心臓を激しく打ち鳴らしていた。


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