16話「密林の緊急事態」
16話「密林の緊急事態」
竜狩りは、先ほどのやり取りで完全にカイを切り捨てたかのようだった。
一度も背後を振り返ることなく、迷いのない足取りで密林の深部へと突き進んでいく。
あの老体のどこにこれほどの馬力が隠されているのか。
根の張った密林の中、足を取られることもなく、一定のペースで、ただ前へ、前へと足を運ぶ。
一方で、カイは見失わないように食らいつくのが精一杯だった。
「ハァ、ハァ……どんだけ体力あんだよ、あのジジイ……!」
これまでのフィールドワークも過酷だと思っていたが、今の竜狩りはその比ではない。
「今まではお前の歩幅に合わせてやっていただけだ」――その背中が無言でそう告げているようで、カイの胸の奥には、悔しさと共に燃え立つ気持ちを感じていた。
『ギロチン』の刃はまだ怪しく光る。何か言いたげに。
「うるせえよ、てめえに勝ったのは運なんかじゃねえ、特等席で見せてやるから待ってろ……ハア、ハア。」
数分後、歩みを止めない竜狩りが、初めて右手を高く掲げた。
言葉はなくとも、空気が変わったのが分かった。
近くにいる、と。
竜狩りは無造作にカイの左手にある巨木を指差すと、自身は近くの木を猿のような身軽さでスルスルと登っていく。
(……登れ、ってことか)
カイも指先を木の皮に食い込ませ、慎重に木を登った。
音を立てれば、次の獲物はこちらになる。
そんな予感に指が震える。
中腹にある太い枝によじ登り、隣の木にいる竜狩りに目をやる。
竜狩りはすでに双眼鏡を取り出し、静かに正面の竜を射抜いていた。
カイは木々の隙間からその影を見つける。
――数百メートル先、密林の僅かな空白地帯に、ヤツはいた。
ぐちゃ、ぐちゃ……。 静寂の中に、何かが肉を咀嚼し、骨を砕く不快な音が反響している。
最初に目に入ったのは、大きな岩盤のような巨体と、それを支える丸太のような四本の脚だ。
その巨躯から伸びる鞭のような長い首。
その先にある頭は、確かに今、罠にかかり、鮮血を流す死体を貪り食っていた。
だが、その怪異の異質さはそれだけではなかった。
体から伸びる首は、一つではない、 二つ、三つ……。
絡まり合うように、うごめくように、数えることすら困難なほど無数の首が体のあちこちから生え、竜の死骸に群がっていた。
それぞれの頭が、あるものは脚を、あるものは内臓を、勝手気ままに食いちぎり、飲み込んでいる。
そして一部の首は、食事を止めて周囲を周到に警戒していた。
全方位に向けられたその「目」に、死角など無いと知らしめるように。
禍々しさと、神々しさ。
おとぎ話や神話の挿絵でしか見たことのない。
そんな異形の生き物が、そこには確かに居た。
あまりの衝撃に、カイは呼吸を忘れ、ただその怪異を見つめていた。
岩のような大きな体から伸びる多頭のうごめき。
それが「生物」であると理解するのを、本能が拒否している。
カイは隣の木から届いた「チッ、チッ」という鋭い鳥のさえずりのような音に、強引に現実へと引き戻された。
隣の木の枝で、竜狩りがこちらを睨み、指を下に向けている。
「降りろ」という合図だろう。
カイは生唾を飲み込み、木の皮を剥がないよう細心の注意を払って地面へと降りた。
遅れて音もなく着地した竜狩りが、ガスマスクの奥からくぐもった小声で告げる。
「ありゃあ……俺が昔『ヤツアタマ』と呼んでた個体だ。数えたら八つ頭があったんでな。そのままつけた」
意外にも、それは竜狩りの知る個体だった。
「昔、あいつの首を四、五個ほど刈り取ってやったことがある。だが、痛み分けだ。俺も手痛い一撃を食らって、撤退せざるを得なかった……」
竜狩りの声に、微かな苦さが混じる。
「しかし、妙だ。あの時に刈り取った首が再生したのか、それとも新しく生えてきやがったのか。……数が元に戻ってやがる」
「再生……? 落とした首が戻るって言うのかよ」
「それだけじゃない。あいつは元来、臆病な生き物のだったはず。以前戦った時も、偶然遭遇し戦闘しただけで、その際も好戦的な種じゃなかった。その後は完全に姿をくらませていたからとっくに首を切られて死んだものと思っていたが……」
竜狩りは、竜のいる方角を睨みながら、忌々しげに吐き捨てた。
「生き延びていただけでなく、あの時に俺の『匂い』を覚えやがった。だから俺が仕掛けた罠を、執拗に避け続けていたわけだ。」
一瞬の沈黙。竜狩りはカイの肩を掴み、真っ直ぐにその目を見た。
「おい、ガキ。俺はここでやつを見張る。移動するかもしれんが、気合で俺を探し出せ。移動したなら、木の上に何かしらの痕跡を残しておいてやる」
「……俺は何をすればいい。」
「決まってる。城へ戻り、『聖水』を取ってこい。やつに俺の匂いが警戒されている以上、俺が直接近づいて手を下すのは難しい。だが、今回は共闘だ。貴様がやつと戦いための方法は、戻るまでに考えといてやる」
竜狩りが「共闘」という言葉を使ったことに、カイは内心で喜んでいた。
だが、続く言葉にカイは困惑する。
「今回の聖水は、『汗』だけじゃ足りん。――『涎』も採取してこい」
「よ、涎って……。」
ノインとの密会を思い出し、途端にカイの顔に困惑の色がさす。
「つべこべ言わず早く行け! やつが本当に好戦的な種に変異したのなら、それはもうユニークどころじゃない。完全に王竜化している証拠だ。放置すれば、この密林の生態系は混沌とした地獄に変わり、いずれ人が住む場所まで飲み込むぞ」
竜狩りは懐から、銀で細工された何かしらの装飾品を差し出した。古めかしいが、紋様が刻まれた重厚な品だ。
「これを持っていけ。城の兵士に見せれば、国王まで繋いでくれるはずだ。……走れ、猟犬。一刻を争うぞ」
銀の重みを受け取り、カイは力強く頷いた。
カイが密林を出発したのは昼すぎだったが、城に着いた頃はすでに夜を越え、今や辺りは朝日で白んできた頃だった。
まぶしい日の光に眠そうに目をこすりながら外壁の門番に銀の装飾品を見せると、スラムのガキと舐めた視線をしていた門番は敬礼し、直立してしまう。
(通っていいってことか。)
カイは城下町を抜け、城へと急ぐ。
城に着くとまた、あの執務室に通される。
石像かと思うほど以前と国王は全く同じ姿勢で書類の山と格闘している。
「……緊急事態なんだ、ノインの力を借りたい。」
国王はこちらを見向きもしないが、耳だけはこちらに意識を向けていると信じ、カイは嘆願を続ける。
「密林の奥地にユニークが出た。竜狩りは竜を捕食する竜だって、言ってすごく警戒してる。今も向こうで監視を続けてるんだ、だから早く頼むよ。」
国王は顔をあげ、カイの目を見る。
「ロード、か。」
「知ってんのか?」
「巫女の主治医につないでやれ。」
カイの質問には答えなかったが、承諾は得られた。
部屋付きの官吏がカイをあの女医の元へ案内してくれるらしい。
「ありがとな。」
国王に言うにはあまりに気安い礼だったが、国王からは思いがけぬ言葉が返ってくる。
「あの男を信用しすぎるな。」
「…え?」
その発言を最後に書類に目を落としてしまった国王は、もうカイには興味が無いようだった。
何も言うつもりがない、と言う雰囲気を察し、カイは部屋を後にする。
だが、兵士に案内されながらもその言葉がどこか引っかかっていた。




