15話「刃を持つ犬」
15話「刃を持つ犬」
あれから数日後、カイは新しい武器を手にしていた。
『ギロチン』の爪を加工した、二つの刃。
数日間にわたる油の含浸を経て、爪は闇を溶かし込んだような黒光りを放っている。
ケラチン質が剥がれないよう、根元から中ほどにかけて細いワイヤーが緻密に巻き付けられ、手元は握りやすいよう形を整えられた後、獣革が硬く締め上げられていた。
丹念に研ぎ澄まされた剣先は、光を吸い込み鈍くきらめき、次の獲物の肉を裂く瞬間を待ちわびているかのようだ。
カイは二本の刃を両の手に握り、空を薙いだ。
風切り音が室内に響くようだった。
「また、おもちゃ遊びか? ガキ。使う時は一本ずつにしとけよ」
背後から、皮肉げな竜狩りの声が飛ぶ。
カイは振り返らず、新調した「牙」の重みを掌で確かめながら言い返した。
「っるせえな。いいだろ、俺の武器なんだから」
口では反発しているが、カイの心は高揚していた。
実際に構えてみると、確かに片手で扱うには少し大きく、何より実戦では両手で一本ずつ使う、複数用意したのはいわばスペアとしてだ。
だが、自分を死の淵まで追い詰めたあの『ギロチン』の爪が、今は自分の意思に従う道具になっている。
この高揚感はおそらく、この武器を使う機会がなかったことも起因していた。
ギロチンを狩ってから、すでに2週間は過ぎていた。
始まった竜狩りとの共同生活は、想像していた血生臭い激闘の連続ではなく、驚くほど「平穏」なものだった。
唯一、カイの予想を裏切ったのは、竜狩りの「庭」とも呼ぶべき活動範囲の広さだ。
拠点の周辺に広がる深い森はもちろん、あの死闘を演じた草原地帯。
森の南側には、太陽の光さえ届かないほど鬱蒼とした密林が広がり、
西側には足を踏み入れれば命取りになる底なしの湿地帯が横たわっている。
竜狩りが言うには、険しい岩肌が剥き出しの山岳地帯や、砂が舞う荒地まで足を伸ばすこともあるらしい。
「今日は南の密林だ。罠を回るぞ」
竜狩りに促され、カイは新武器を背負って外に出る。
日課は地味だ。
各所に仕掛けた罠を確認し、食事の残骸や足跡から、竜たちの動きに異変がないかを読み取る。
だが、これだけ広大な領域を回りながらも、竜狩りは決して竜を積極的に狩ろうとはしなかった。
見える範囲に小さな竜が横切っても、竜狩りはガスマスクの奥で冷たく見送るだけだ。
「罠にかかる程度の雑魚に、わざわざ貴重な『聖水』を使う必要はない。」
それが竜狩りの理屈だった。
小さな竜であったとして人間の膂力では正面切っての戦闘は不利である、これはカイもあの研究用個体との戦闘で痛いほどに知っている。
竜狩りにとってのターゲットは罠にかからない知能を持ち、聖水の効きが悪い『特殊個体』だけだ。
カイ達は、静まり返った密林を慎重に進んでいた。
施設の森の南側に広がる密林は、大きな木々や体ほどの大きさの葉っぱが生い茂る自然の迷路のような地形をしている。
太陽すら覆うほど密集する木々と足元を這う木の根は人から方向感覚を失わせ、
くぐもった空気は熱気を帯びて蒸し暑さを助長し体力さえも奪う。
何より10メートル先が直線的に見えない視界が必要以上に警戒心を必要とさせて、二人の精神的疲労を蓄積させる。
密林の深部、巨大なシダの葉を掻き分けた時だった。
先を行く竜狩りが、不意に足を止めた。
その背中に漂う緊張感に、カイも反射的に新調した『爪』の柄に手をかける。
周囲を警戒しながら、大きな木の根につまずかぬように慎重に近づく。
腐敗臭とは違う、鼻を突く強烈な血の匂い。
そこには、一、二メートルほどの小型の竜が、無惨に食い荒らされた姿で横たわっていた。
「……竜の死骸だな。何かに殺されたのか?」
カイが呟くと、竜狩りは死骸の傍らに屈み込み、考え込むようにその傷口を見つめた。
「……竜どもは、基本共食いをせん。理由は不明だが、それは別の種であってもだ。兵器として開発された結果、やつらは何でも食える。故に、この豊かな密林で食べ物に困るはずがないんだ」
竜狩りの声は、ガスマスク越しに低く響く。
「つまり、この死骸は異質だ。食い荒らされた跡だけじゃない。見ろ、この周囲の惨状を」
彼が指し示した先には、巨大な爪で引き裂かれたような樹皮や、何かが激しく暴れ回ったかのように踏み荒らされた地面があった。
「経験上、竜を喰らう竜は『聖水』が効きづらく、ユニーク化していることが多い。そして……」
竜狩りは立ち上がり、血に濡れた土をブーツの先で弄んだ。
「もしかすると、竜を統べる付近の王――『王竜』になっているかもな。クク」
ロード。初めて聞く言葉に、カイは眉をひそめた。
「ロードってなんだよ。ユニークとは違うのか?」
「俺らからすれば同じだな。狩るべき竜という意味では変わらん。だが、やつらにとっては恐るべき存在だろうよ。」
竜狩りは辺りを警戒しながら静かな声で説明する。
「竜を捕食する竜……当然、他の群れからは恐れられ、避けられる。避けられるからこそ、捕食の機会は少ない。その分、生き延びるために圧倒的な戦闘力を持つことが求められる個体だ」
「でもよ、竜を喰ってるだけなんだろ? 俺らにとっては、共倒れしてくれた方が好都合なんじゃないのか」
「クク。そうだな。それだけなら何も問題はない。だがな、生態系ってのはそんなに単純じゃない」
竜狩りは、死骸から視線を外し、暗い森の奥を見据えた。
「やつらは獲物を求めて他の竜の縄張りを荒らす。結果、住処を追われた竜はパニックを起こして移動し、新たな食事を求めて、ついには人里へ溢れ出す。……俺は、『ギロチン』はこのタイプだったと思っている」
カイの背筋に、冷たいものが走った。
あの強力な個体ですら、別の何かに追い出された「敗者」に過ぎなかったというのか。
「そしてもう一つ。このままロードが肥大化し、より強くなればどうなる? やつらが周辺の竜を喰い切った時、次の食べ物を探し出す。それが人ではないという保証はどこにもない」
竜狩りは腰のナイフを抜き、検分するように死骸の傷口をさらに深く探り始めた。
「この痕跡を調査する。調査にかまけて辺りを警戒するのを忘れるなよ。……お前が次の餌になりたくないならな。クク」
残された骨の形状から、それは本来、四足歩行の種だったと推測された。
竜狩り曰く、輸送目的などで開発された温厚な草食型の種だろうとのことだ。
周囲の樹木や地面には、逃げ惑い、もがいたであろう凄惨な跡が刻みつけられていた。
だが、その死骸で最も異様だったのは、残された喰い跡だ。
鋭い牙による噛み跡は、体中の至る所に執拗に残されていた。
まるで、どの部位が一番柔らかいか、どこに最も脂が乗っているかを吟味するように、小さな穴がそこかしこに穿たれている。
そして、仕上げと言わんばかりに、腹周りの肉すべてを抉り取ったような跡、いやもはや跡と言うよりは何も残っていない空虚な空間だ。
最高のご馳走を見つけ、それを最大限に楽しんだかのような痕跡がありありと残されている。
周辺をさらに探ると、木々の根っこの合間に、いくつかの巨大な足跡が残されていた。
「おそらくだが、大型の四足歩行の竜だな。俺はそのまま『四足竜』と分類している」
以前、竜狩りが口にしていた分類というやつだろう。
カイはまだ見ぬ強敵を前にして背負った新武器の重みを確かめつつ、低い声で尋ねた。
「どうする? この足跡を追うのか?」
問いかけに対し、竜狩りはガスマスクを左右に振る。
「この密林で足跡を追うのは得策じゃない。草や葉が深く、地面が露出した場所は限られている。どうせ追跡の途中で足跡は消える」
「じゃあ、罠を張るのはどうだ? 竜の肉でも置いておけば、誘い出せるんじゃないか?」
「おそらくだが、やつは生きたモノしか食わん。今までこの密林にいくつも罠を仕掛けてきたが、掛かっていれば俺が殺している。」
「……じゃあ、どうすんだよ」
手詰まりを感じたカイに、竜狩りは告げた。
「……罠を張る」
「さっき否定したじゃねえか。俺と同じこと言ってるぞ」
「……クク、いいや?」
カイは少し考える。
こういう時、このジジイは決まって碌でもないことを企んでいる。
「罠だけど、罠じゃない……。そうか。生きた竜なら喰うんだな?」
少し残酷な答えに辿り着き、カイの頬がわずかに引き攣った。
「別の竜を罠にかければいいのか。罠に掛かった、生きた竜。それを餌にして出てきた『ロード』を、さらに俺たちが狩る。こういうことだろ?」
「クク……。鼻が利くようになったな。」
竜狩りは満足そうに喉を鳴らした。
「まあ、そういうこった。だが、いきなり狩りをするわけじゃねえ。『ギロチン』の時と一緒だ、まずは偵察だ。敵を見極めてから狩る。……まあ、お前が今すぐ死ぬ気でやりたいって言うなら、止めはしねえがな」
そう言うと竜狩りは移動しながらいくつか罠を仕掛ける。
密林の中は罠の材料にあふれていた。
しなる木を見つけるとそのしなりを最大まで高めた状態で、ワイヤーで括り罠を作り出す。
少し開けた場所で地面を掘って穴を作ると、枝の先端を削り尖らして穴の中に仕掛けて、即席の落とし穴を作る。
大きな木の上に大きな枝と石を絶妙なバランスで仕掛け、地面とツタで繋いで、頭上から落下する罠を作る。
「猟犬がいると楽だな。クク」
そうは言うがカイがやったのはあくまで木を押さえたり穴を掘ったりした程度だ。
手際の良さは知っていたがここまで一時間もかからずいくつもの罠を作る竜狩りに感心する。
「ここからは忍耐との勝負だ、竜が罠にかかるか、そしてその罠にかかった竜を見に、ユニークが釣れるか。何時間、いや何日かかるかわからん。」
あれから二日が過ぎた。
カイと竜狩りは、太陽の光さえ届かない鬱蒼とした密林の奥で、泥と苔にまみれたサバイバル生活を送っていた。
「おい、ガキ。お前が食料調達班だ。俺は偵察をする」
竜狩りは体よくカイに面倒な仕事を押し付けると、毎日、朝に夕にと罠の巡回へ消えてしまう。
二人は、根元が大きく空洞になった巨木のうろを臨時拠点と定めていた。
カイの仕事は、慣れない森での食糧調達だ。
小川から飲み水を汲み、名前も知らない木の実や野生の果実を探し出す。
竜狩りは非常用の干し肉をいくつか持ち歩いており、それを「取引」と称して、カイが持ってきた果物の半分と引き換えに数枚だけ寄越してくる。
「まあ、いいさ。あっちはあっちで命がけの偵察をしてるんだからな」
一人でぶつくさと文句を垂れながら、カイはバナナに似た実や野生のベリーを採取して歩く。
臨時拠点の「うろ」に戻ったのは、太陽が真上に登り、一回目の巡回から竜狩りが戻ってくる頃だった。
竜狩りは一足先に拠点に戻り、ナイフを手入れするように弄りながら待っていた。
「遅いぞガキ。……生き餌が捕まった。近くで張り込むぞ」
「本当か!」
その言葉を聞いた瞬間、カイは抱えていた戦利品の果実を地面に落とした。
はやる気持ちを抑えきれず新品の武器を携え、すぐにでも飛び出さんばかりに外へ足を踏み出す。
しかし、背後で竜狩りが、木のうろの中から冷徹な視線で自分の背中をじっと射抜いていることに気づいた。
「……なんだよ。早く行こうぜ、ジジイ」
振り返るカイに対し、竜狩りは低く、重い声で問いかけた。
「お前は、何だ」
「はぁ? 何って、そりゃ……竜狩り、だよ」
口にした瞬間、自分の中にその自覚が芽生え始めていることに驚いた。
スラムのドブさらいだった自分が、今や『武器』を持ち、竜を狩ろうとしている。
だが、そんなカイの自負を、老いた竜狩りは容赦なく踏みつぶした。
「違うな。お前は猟犬だ。それも二流のな……あくまで昨日までだが」
「……何だと?」
「今のお前はただの『犬』だ。餌を前に我慢が効かず、足も口も止まらない」
竜狩りは立ち上がり、カイの鼻先を指差した。
「猟犬なら使ってやるつもりだったが、それ未満の『駄犬』なら足手まといだ。……着いてくるな」
有無を言わせぬ強い拒絶。
竜狩りはカイの横を一瞥もなく素通りすると、振り返ることなくスタスタと密林の暗がりに溶け込んでいく。
一人取り残されたカイは、地面に転がった果実と、握りしめた『武器』を見つめた。
自分はただ、新しく手に入れた『武器』を試したくて、浮ついていたのか。
昨日まで自分を奮い立たせるほどに格好良いと思っていたあの刃は、密林の薄明かりに照らされてぎらつくその刃はまるでカイをあざ笑っているように見えた。
「うるせえよ・・・」
口をついて出る悪態。それは誰に言った言葉か、宙に消える。
これはカッコいい武器なんかじゃない。
竜を狩るための非情な道具の一つに過ぎない。
カイが戒めるように唇を噛み締めると唇から血が垂れる、そして遠ざかる竜狩りの背中を見つめ返した。
そして思い出す、ノインに立てたあの誓いを。一流の竜狩りとなってすべての竜を狩ると。
「……着いてくるなって言われて黙ってられっか。」
竜狩りの後を追うカイの目つきは先ほどまでと打って変わって、命のやり取りに向けた獣の表情をしていた。




