第7話 野望と執愛
風もない、静かな夜。
派手な外套に身を包んだクロード・オルグランは、薄闇に沈む薔薇庭園を苛立たしげに見渡した。
ここでマリエラ・ヴァレッティを待ち伏せするのは、いったい何度目になるだろう。
仕事を終えた彼女は、必ずこの薔薇庭園を通り抜けるはずだ。
(とにかく……もう一度、マリエラと話さなければ)
彼女は、ランベール公爵と婚約したと言っていた。
だが、そんな出来すぎた話を信じるつもりは毛頭ない。
(嘘に決まってる。俺を遠ざけるために、適当な名前を出しただけだろう。
あんな貧乏伯爵家と公爵家の縁談が、そう簡単にまとまるはずがない)
クロードは無意識のうちに、指先を落ち着きなく動かしていた。
彼にとってマリエラは、感情の伴わない“目的のための駒”でしかない。
(俺は王族と並んでも引けを取らない見目を持ち、家の財は並の貴族がひれ伏すほどにある。
あとは歴史と権威さえ手に入れれば――俺は、この国の頂へ登り詰めるべき男なんだ)
そのためには、円卓権を持つヴァレッティ家と繋がるのが最も手っ取り早い。
(マリエラは美人だが、真面目で融通が利かない。少し強引にでも俺のものにしてしまえば、あんな強がりなんてすぐに消えるだろう)
クロードは柱の影に身を潜め、来るはずの彼女を待った。
――その時だった。
薔薇庭園の奥から、黒い影が三つ。
音もなく、忍び込むように姿を現した。
(……魔法師?)
黒マントに身を包んだ男たち。
王族直属の魔法師が持つ、独特の冷たい空気が漂っている。
彼らは、ベンチの下、花壇の裏、植え込みの影を――まるで何かを必死に探すように、片端から覗き込んでいる。
「ここには、いないんじゃないか」
最初に口を開いたのは、疲れた声の壮年の男だった。
「夜に真っ黒な子犬を探せ、なんて……見つけにくくて仕方がない」
「文句を言うな。犬の状態のままで捕えよ――それが、リリアンヌ様の御命令だ」
その名を聞いた瞬間、クロードの眉がぴくりと動いた。
(リリアンヌ様? 第三王女の?
こいつら、リリアンヌ様の専属魔法師か)
ランベール公爵にご執心だという噂の、第三王女。
社交界では、美しく傲慢で気まぐれな存在として知られている。
(そういえば……リリアンヌ様とランベール公爵の婚約話もあったな。
あの噂は、どうなった?)
考えていた矢先、低く押し殺した声が続いた。
「昼間の姿――ランベール公爵のままでは、さすがに手が出せん。だが、犬の状態なら首輪で拘束できるだろ?
だから夜にやるしかないんだ」
小太りの男が、引き攣ったように笑う。
「まったく、リリアンヌ様も厄介な呪いをかけてくださる……」
クロードは息を飲んだ。
鼓動が、全身に反響するほど速まっている。
(昼は公爵、夜は子犬……?
呪い? リリアンヌ様……
…………いやいや、待て待て)
混乱の中で、記憶が次々と繋がっていった。
(マリエラが“飼っている”という、あの忌々しい子犬。――まさか、あれが公爵なのか?)
背筋がぞくりと震えた。
その時、魔法師たちが少しずつこちらへ歩み寄ってくる。
(……気づかれたか?)
逃げるか、様子を見るか。
一瞬で思考が巡り――
クロードは一歩、柱の影から踏み出した。
「……お探し物があるようですね」
薄闇の中で、口元だけが冷たく歪む。
自信と打算、そして底知れぬ野望が滲む笑みだった。
***
王宮の奥深く――
金糸で織られたカーテンが静かにそよぎ、白檀の香がゆらりと漂う豪奢な私室。
真紅のドレスを纏った第三王女リリアンヌは、一枚の肖像画の前に立っていた。
闇を溶かしたような漆黒の髪。
金の焔にも似た瞳。
――レオンハルト・ランベール。
美と冷徹さを併せ持つその横顔に、リリアンヌはそっと指先を滑らせた。
「……あなたは、私だけのものよ」
冷たい狂気を滲ませ、甘く囁くリリアンヌは、妖しいまでに美しかった。
けれど、その美貌には、すぐに苛立ちが浮かぶ。
「それで? 私の“飼い犬”はまだ見つからないの?」
側に控える側近へ、棘のような声音が突き刺さる。
「も、申し訳ありません。夜の捜索は手間取りまして……。
いっそのこと、昼間、人間の姿の時に拘束してしまえば――」
「お黙り!」
鋭い一声とともに、彼女は手にしていた扇を側近へ投げつけた。
「公爵家に手を出せば、父上だって黙っていないわ。
レオンハルトが私を拒否し、父上もそれをお許しになった……
――でも、“犬”を飼うのならいいでしょう?」
真紅の唇が妖艶に弧を描く。
「犬の姿のまま連れていらっしゃい。
そのまま首輪をつけて――二度と逃げられないように、可愛がってあげるのだから」
レオンハルトに拒まれた記憶が、胸の奥で黒く蠢く。
それでも――彼が欲しい。
再び肖像画の中の愛しい人を見つめると、リリアンヌはうっとりと語りかける。
「あなたが“私を愛する”まで――きちんと、そばに置いてあげるわ。そうしたら、私たちは永遠に結ばれるのよ」
歪んだ空気が室内に立ち込めた。
その時――重厚な扉が、コン、コン、と叩かれる。
「良い知らせなのでしょうね?」
リリアンヌがゆっくりと振り返ると、入ってきた魔法師たちは、ひとりの男を伴っていた。
細身で軽薄な色気を纏う青年。だが、その目だけは、飢えた野犬のように鋭い。
「王女殿下にご挨拶申し上げます。
私は、オルグラン伯爵家――」
「挨拶はいいわ。用件だけ言いなさい」
リリアンヌの手が、面倒そうにひらりと振られる。
クロードは恭しく頭を下げ、口角を上げた。
「殿下がお探しの“子犬”――私が連れてまいりましょう」
「ほう……?」
リリアンヌは、品定めするように男をじっと見つめる。
クロードは背筋を伸ばしたまま、対等な取引を持ちかけるような不遜な態度を崩さなかった。
「お前の望みは?」
「円卓会議の席をひとつ。そして、殿下の後ろ盾を頂きたい」
リリアンヌは一拍置いてから、弾けたように笑い出した。
扇の先でクロードを指す。
「気に入ったわ。私の“飼い犬”を連れてきなさい。
そうすれば、お前の望みはすべて、私の名において叶えてあげる」
その瞬間、クロードの瞳に獣じみた光が灯った。
第7話をお読みいただき、ありがとうございます。
ついに裏で動いていた思惑が、ひとつの線で繋がり始めました。
野望と執愛が交錯する中、次回は物語が大きく動き出します。
続きもお付き合いいただけたら嬉しいです。。




