表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/10

第4話 月夜の告白は、もふもふの耳に

 一日中、あの子のことが頭から離れなかった。

 夕闇が王宮をやわらかな紫に染め始めるころ、仕事を終えた私は、再び薔薇庭園に立ち寄った。


(もし、またあの子が迷い込んでいたら……)


 柱の影、花壇の裏、壁のきわ――。

 それとなく視線を走らせるけれど、そこにあるのは冷たい石畳と、夜の香りを孕み始めた風だけ。


(……何してるのかしら、私ってば)


 昨夜あれほど震えていた子犬は、朝には跡形もなく消えていた。


 無事なのか。

 あの追手たちに捕まってしまったのか。

 それとも、飼い主のもとに戻って──私のことなんて忘れてしまっているのかも。


(……うん。それなら、それでいいんだけど)


 寂しさを振り切るように、寮へ戻る。

 階段を上って廊下を曲がった、その時だった。


 私の部屋の扉の前に、見覚えのある黒い塊がちょこんと鎮座していた。


「……っ、わんこちゃん!?」


 声を上げた瞬間、丸まっていた塊が弾かれたように顔を上げた。

 金色の瞳が私を捉えたかと思うと、


 ぱたたたたっ!


短い足を懸命に動かして駆け寄ってくる。


「ちょっ、そんな全力で走ったら転ぶわよ!」


 笑いながらしゃがみ込むと、子犬は勢いのまま私の胸へと飛び込んできて、「くぅ〜ん!」と甘えるように鳴いた。


「もう……心配したんだからっ」


 嬉しさで、思わず声が弾む。

 無事だった。

 それだけで、胸の奥がじんわりと熱くなった。


***


 部屋に入り、すぐ子犬の様子を確かめる。昨日の傷は、かなり落ち着いているようだ。

 ほっとした直後──子犬のお腹から、きゅるる……という可愛らしい音が室内に響いた。


 私はくすくす笑いながら、急いで夕食の支度を整える。

 温かいスープとパン。それから子犬用に蒸したさつまいもを小皿へ。


「はい、お待たせ……お口にあうかしら」


 お皿を差し出すと、子犬の瞳がぱぁっと輝く。よほどお腹が空いていたのか、夢中でもぐもぐ食べ始めた。


「ふふ、いい食べっぷりね」


 一人暮らしの静かな部屋に、誰かの食事の音が響く。

 それがこんなに温かいものだなんて、忘れていた。

 私は自分用のワインを少しだけ口に含み、熱を帯びた頬を手のひらで押さえた。


「ねぇ、聞いてくれる? 今朝ね、薔薇庭園でレオンハルト様にお会いしたの」


 子犬相手に何を言っているんだろう。

 そう思いながらも、一度溢れた言葉は止まらない。


「『座るか?』って……隣に座らせてくださったのよ。ただそれだけなのに、私、心臓が止まるかと思ったわ」


 朝の光の中で見た、あの凛とした横顔。

 思い出すだけで、指先まで熱がぶり返す。


「……実はね。レオンハルト様は、私の初恋の人なの」


 ぽつりと零した瞬間。

 さつまいもを食べていた子犬が、ビクッと身体を震わせ、食べかけの欠片をポロッと落とした。


「えっ……なに? その反応」


 思わず吹き出してしまう。

 理解しているはずがないのに、まるで動揺しているみたいで、可愛くて仕方ない。


「ふふ……初恋っていっても、そんな大した話じゃないの」


 私は膝に乗ってきた子犬の柔らかい耳を撫でながら、遠い日の記憶を紐解いていった。


***


 十年前。

 父に連れられて見学した剣術大会。

 私はひとりの少年に出会った。


 濡れ烏のような深い黒髪。

 太陽の光を纏った金の瞳。

 大人に混じって剣を振るい、自分よりも大きな相手にも臆せず挑んでいく。


 その凛々しい剣捌きと、ひたむきさを宿して輝く瞳は、今でも私の瞼の裏に、はっきりと焼きついている。


 少年は順調に勝ち進んだものの、惜しくも敗退。

 それでも表情ひとつ崩さず、静かに剣を収めて一礼すると、剣技場を後にした。

 その後ろ姿に、観客は惜しみない拍手を送っていた。


 でも。

 ……本当に心を奪われたのは、そのあと。


 大会後の懇親会。私は偶然、彼を見つけた。

 誰もいないバルコニーで、ひとり小さくしゃがみ込んでいた。

 おでこの擦り傷に血がにじんでいたけれど、気にも留めていない。

 こぼれる涙を拭おうともせず――ただ、悔しさに身を任せていた。


 私に気づくと、「放っておいてくれ」と言わんばかりに顔を背けたけれど、私は彼の隣にそっと腰を下ろした。

 気の利いた言葉なんて思いつかなかった――ただ、そばにいたかった。


 ようやく涙が止まったころ。

 彼は小さく笑ってくれた。

 強がりと照れが混じった、不器用な笑顔。

 私が持っていた薬草の軟膏を、おでこの傷にそっと塗ってあげたら、「変な匂いだな」なんて言いながら、耳の先まで真っ赤にしていた――


 初恋だった。

 ぶっきらぼうで、負けず嫌いで、まっすぐな瞳をした、私の騎士様。


「ずっと騎士見習いの男の子だと思ってたの……まさか、彼がレオンハルト様だったなんて……。補佐官室に配属されるまで気づかなかったのよ!?」


 私はふっと力を抜き、グラスの残りを飲み干した。

 子犬はじっとこちらを見つめてくる。

 ……こんな昔話を子犬相手に語っているなんて、急に自分が恥ずかしくなってきた。


「べ、別に今さら告白しようとか、そういう話じゃないの。

 あちらは公爵様だし、私のことなんて忘れてるわ……。これは、ただの思い出話だから」


 言い聞かせるように笑って、私はベッドに横たわった。

 子犬は当然のように腕の中へ潜り込んできて、私の指先をぺろりと舐めた。

 まるで――まるで、ここが自分の居場所だと言わんばかりに。


「……おやすみ、わんこちゃん」


 そっと毛並みを撫でると、子犬は気持ちよさそうに小さく鳴いた。

 その温もりに包まれながら、私はゆっくりと意識を手放していく。


 その夜、私は夢を見た。

 幸せで、不思議な夢を。

第4話をお読みいただき、ありがとうございます。

月夜にこぼれた初恋の告白は、もふもふの耳へ――。

次回、ふたりの関係は思わぬ方向へと動き出します。

続きも読んでいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ