07 未解決事件
「そんじゃー行ってきまーす」
「行ってらっしゃい、気をつけてな」
玄関に出て、大学に行く塁を見送った。
現在時刻は朝の8時30分。
今朝は8時になっても起きてくる気配が無かったので、部屋まで塁を起こしにいった。あいつのオカンか、おれは。
塁がいなくなった家は、途端にひどく静かなものに感じられた。おれがこの身体になってから、初めて迎える完全にひとりの時間だ。
身体中が断続的に痛む。昨夜、悲鳴と共に目覚めた際、縫合痕のいくつかが開いて血が滲んでいた。今はもう乾いているが、腕の縫い目に指を沿わせると皮膚が熱を持っているのが分かった。
洗濯物を洗い、干し、家に掃除機をかける。
全ての家事を終える頃には、昼前になっていた。
リビングのソファにごろんと寝転がる。厚手のコーデュロイに身体を預けて、ふう、と息を吐く。身体の節々が、昨日までの張り詰めた緊張から解放され、緩やかに弛緩していく。
……昼ごはんは、まあ、食べなくてもいいだろう。
暖房で温められた部屋の中、昨日の夜のことが、はっきりと脳裏に蘇ってきた。
昨晩、飛び起きてから朝の5時まで、おれは塁のノートパソコンに張り付いていた。あの荒唐無稽な悪夢が現実であるという、妙な確信に突き動かされたためだ。
そして、気になるものを見つけた。
7年前、水角市で発生した未解決殺人事件。
被害者女性の名前は羽田 夏凪子。当時21歳の大学生だった。山中で見つかった遺体は、両脚の付け根を大ぶりな刃物で乱暴に切り落とされた状態で見つかり、その両足は未だに行方不明だという。
おれは、ネットで拾った羽田夏凪子さんの顔写真を見て、息を呑んだ。
間違いない。あの夢の中で、おれを悲壮な瞳で見つめていた女性たちのひとりだ。夢の中の彼女は、両脚が無い姿で水面に立っていた。
この事件を、おれは昨晩調べるまで知らなかった。
事件のことを知る前に、犠牲者が両脚を失って立っているのを夢で見た。
夢で見た内容をどこまで信用すべきかは、客観的にみて疑問符が残るところだ。
だが、これを単なる偶然の産物だと片付けられるほどおれの神経は図太くない。
夢を信じて、この身体の持ち主たちの最後の足跡を辿ること。
それが犯人を見つけ出し、自分の身体を取り戻すための唯一の手がかりに思えた。
警察が真相を見つけられなかったのに、おれなんかが首を突っ込んで何ができるかと言われれば、その通りだ。
それでも動かずにはいられなかった。
昨晩得た情報では、羽田夏凪子さんが水角大学の学生だったということ、最後に連絡が途絶えたのは水角市内だったということしか分かっていない。ネット上のニュース記事は、事件のショッキングな部分を強調するだけで、彼女の具体的な足取りはほとんど伏せられていた。
もし塁に相談すれば、きっと協力してくれるだろう。だが塁はおれの事情を知って、家に引き取ってくれた。塁はけっして言葉や態度に出さないけれど、精神的にも肉体的にもものすごくストレスがかかっているはずだ。
これ以上、あいつの負担になりたくない。
「できることは、ある」
声に出してみた。自分のものではないその声が、むしろおれの背中を押した。
昨日使ったノートパソコンは、塁が大学に持っていってしまった。電子機器がないなら、物理的な手段で情報を得るしかない。
まずは市営の図書館へ行く。
そこには、古い新聞の縮刷版が多く保管されているはずだ。また地元で起こった事件なのだから、当時の詳しい記事、事件発生直後の大学の様子、彼女の所属していたゼミやサークルについての手がかりもあるかもしれない。
おれは立ち上がり、昨日塁から渡された、お下がりの白いダッフルコートを羽織った。
全身鏡で自分の姿を確認する。
オーバーサイズのダッフルコートに身を包んだ、上下灰色ジャージの女。イカれた服装である。
派手な目元や、ぷっくりとした唇は、メイクもしていないのに妙に目立って見える。自分でこんなことを言いたくはないが、確かに今のおれはかわいい。
……目立つかもなぁ。
顔はどうにもならんとして、この服装で外出するのは流石に気が引ける。
ダッフルコートのボタンを全て閉じる。逡巡の後、下のジャージを一気に脱ぎ捨てた。ダッフルコートの裾から、すらりと綺麗な生脚が伸びる。
上半身と足の付け根はだいたいコートに覆われるとして、目立つ縫合痕は足首にしかない。靴下で隠せば、それもなんとかカバーできる。
男性であれば間違いなく露出狂確定といった服装だが、大学で似た服装の女子を見たことがある気がする。こっちの方がまだマシか……?
おれは鏡の前で自分の全身を見回す。白いコートが揺れる度、なんだかひやりとする感覚に襲われた。
……これから先、何があってもスカートだけは履かないでおこう。おれには防御力が低すぎて耐えられる気がしない。
塁には、あまり遠出はするなと言われている。だが背に腹は代えられない。
今のおれがもつ唯一の財産、塁から渡されたお小遣いの3000円を、大事にポケットにしまい込む。
両手で頬を張って、気合いを入れる。
おれは静かに玄関のドアを開け、一歩外へ踏み出した。
自分で作品を読み返し、気になった表現などを都度改稿しています。
物語の展開が変わることは無いので、作者の自己満足と思ってスルーしていただければと思います。




