13 名刺
警察署を出るとき、羽田さんがわざわざ一緒にエントランスまで来てくれた。
自動ドアの向こうで、闇の中に雪の結晶がちらついている。
長い一日だった。
思わずふう、とため息をつく。
「今日は長時間お疲れさまでした。検査結果がまとまり次第、こちらからご連絡します」
羽田さんがそう言って、丁寧に会釈をした。
遠回しでマイルドな、「もう帰れ」の合図だと分かる。
毎度ご迷惑をおかけしております、と心の中で頭を下げた。
──けれど。
今を逃したら、羽田さんと2人きりで話せる機会はもう無いかもしれない。
そう思うと、すぐに警察署を後にする気にはなれなかった。
喉が鳴るのを誤魔化すように、息を吸う。
「こちらこそ、ありがとうございました。……あの、羽田さん」
呼び止めると、羽田さんは一瞬、意外そうに目を瞬いた。だがすぐに表情を緩め、おれに視線を合わせてくれる。
「はい、どうしましたか」
聞きたいことは決まっている。
羽田夏凪子の事件。
どこまで調査が進んでいるのか。
犯人像は。
凶器は。
断片的な情報で良いから、何かを掴みたい。
だが、この場でそれを口にするのは、あまりにも無神経だろう。
職務中の警察官に向ける言葉としても、姉を殺された人間に向ける言葉としても。
そのどちらの正解も、おれには分からなかった。
羽田さんとの繋がりを維持する。
今は、これが最善に思えた。
「おれ、今……自分の身に起きたことを、少しずつ調べてまして。警察の方の意見も、聞けたらと思っていて。もしよければ、今度あらためて、少しお時間をもらえませんか」
言い切ると、胸の奥がひりついた。
断られても仕方がない。
羽田さんにとって、これに応じるメリットは一つも無い。
沈黙が、警察署のロビーに広がった。
自動ドアの向こうで、雪が静かに降り続いている。
やがて羽田さんは、ほんのわずかに視線を落とし、考えるような仕草を見せたあと、制服の内ポケットに手を伸ばした。
「……分かりました」
そう言って差し出されたのは、一枚の名刺だ。
「直接こちらに連絡してください。勤務時間外でも構いません。出られないときは、折り返します」
一瞬、理解が追いつかなかった。
うまく、いった?
名刺を受け取る。
指先が少し震えているのが、自分でも分かった。
「あ、ありがとうございます」
そう言うと、羽田さんは軽く首を振る。
「こちらこそ。畠山さんの件は……こちらとしても、慎重に見ていく必要がありますから」
その言い方に、ほんの一瞬だけ違和感を覚えた。何か含みがあるような、けれど問い返すほどではないような、そんな違和感。
だがその意味を考える前に、羽田さんはいつもの柔らかい表情に戻っていた。
「気をつけてお帰りください」
その言葉に背中を押されるように、おれは今度こそ警察署を後にする。
背後で自動ドアが閉まり、冷たい夜気が頬に触れた。
「……帰るか」
ーーー
家に帰ると、机の上にメモ書きが残されていた。
『飲み会入ったんで帰り遅くなるかも。晩御飯は俺の分は作らなくていいよ。先に寝ててくれ。いつもありがとう 塁』
丸っこい癖字で書かれた文字を見て、思わずふっと笑みが漏れる。
こういう時、スマホがあると便利だなと思う。
メールができれば、「楽しんでこい」の一言でも返してやれたのに。
それじゃあ、お言葉に甘えるとしよう。
風呂に入って、身体を洗う。
今日の出来事を思い返す気力もなく、ただぼんやりとシャワーに打たれた。
スキンケアとヘアケアを済ませ、ソファで横になる。
部屋は静かで、時計の音だけが大きく響いて聞こえた。
毛布に包まると、すぐに眠気がやって来た。
とにかく疲れていた。
背中から疲れがソファに染み出すような感覚と共に、意識は沈んでいった。




