12 「?」
朝の光がまだ柔らかいうちに、おれは警察署にやって来た。
塁は一緒に行くと言ってくれた。しかし、後で結果を報告するという条件で、1人で警察署に来させてもらった。
塁がおれに割く時間や気力を、少しでも減らしたい。独り善がりだとしても、今はそれが最善だと思えた。
自動ドアを潜れば、消毒液の匂いと蛍光灯の淡い光に迎えられる。窓口で名前を告げれば、すぐに奥の面談室に通された。
良いことではないのだろうが、警察署の空気にもすっかり慣れてきてしまった。紙コップのお茶を指先で揺らしながら、人を待つ。
やがて部屋のドアが開き、若い警察官が入ってきた。その優しげな顔に覚えがある。
羽田夏央だ。
おれの視線に気がついたのか、彼は軽く会釈をし、椅子に腰を下ろした。
「畠山さんですね。今日は来てくださってありがとうございます。今回対応させていただきます、羽田といいます」
やはり、羽田さんの声を聞いていると妙に落ち着く。羽田夏凪子の影響を受けているからかもしれない。
続いて、眼鏡をかけた痩身の中年男性が入室してくる。男性の腕には、分厚い書類の束があった。あれが、検査結果なのだろう。部屋の空気が急に重くなった気がする。
おれの緊張を感じ取ったのか、羽田さんは柔らかく笑ってから言った。
「では、報告を始める前にひとつだけ確認させてください。畠山さんは、ご自身の血液型を覚えていらっしゃいますか?」
もちろん、覚えている。
新しい友人ができるたび、どこかのタイミングでほぼ確実に血液型の話題は上がるものだ。
「男性だった時は、B型でした」
そう答えると、羽田さんの表情がほんの少し強張ったのが分かった。
「──ありがとうございます。それでは、検査で分かったことをお伝えしますね。担当の松永から説明させていただきます。分かりにくいところがあったら、遠慮なく聞いてください」
羽田さんの視線を受け、松永と呼ばれた中年男性は、数枚の書類を机の上に差し出した。
「こちらが検査結果です」
おれは身を乗り出し、紙面を覗き込む。
しかし書類には専門用語と数字が踊っており、思わず眉間に皺が寄った。
松永さんは、書類を手のひらで指しながら、落ち着いた口調で説明を始める。
「まず血液検査の結果からお話します。DNA検査も含めて、あなたの血液はB型の男性のものではなく、『AB型の女性の血液』だと認められました」
覚悟はしていたつもりだったが、頭を鈍器で殴られたような衝撃が身体の中を駆け抜けていく。
ほんとうに、おれはおれじゃなくなったんだと、科学的に証明されてしまった気がした。
松永さんは一度言葉を切り、おれの反応を確かめてから続ける。
「さらに詳しく調べたところ、血液中に壊れたDNA断片が複数検出されました。分析の結果、私たちはそれらを六人前後の別人女性のDNAだと結論づけました」
悪夢で見た光景が、即座に脳裏に蘇る。
妙に喉が渇いて、無意識のうちに唾を飲み込んだ。
「臓器移植後に似た反応が見られることもあります。しかし、一度に六人分というのは例がありません。加えて、あなたの身体には目立った拒絶反応も見られない……率直に言って、医学的に説明がつきません」
気味の悪さと同時に、妙な安心感が胸に広がるのを感じていた。
あの夢は、妄想ではなかった。
現実として受け取っていいらしい。
つまりおれは本当に、女性死体のキメラだというわけだ。
「ふへ」
喉から、思わず変な笑いが漏れる。
余程顔色が良くなかったのだろうか。
羽田さんがすぐに口を挟む。
「松永さん、一度休憩を——」
「大丈夫です。続けてください」
自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。
先延ばしにしても結果は変わらない。ならば今、聞いておきたい。
羽田さんと松永は顔を見合わせる。
しかし、しばらくして松永さんが再度、おれに向き直った。
「それでは……難しい話になりますが、続けますね」
松永さんは頭を掻き、書類とおれの顔を交互に見ながら、何か言いづらそうに口元を歪ませる。
この1週間で、22年間積み上げてきた価値観や常識は全てぶち壊されてしまった。
今更、多少のことでは驚くまい。
そんな風に考えていれば、松永さんは慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「もう一点、特徴的な所見があります。あなたの血液のテロメアには、劣化が見られません……簡単に言えば、老化の兆候が確認できないんです」
暖房の音が、妙に大きく部屋に響いて聞こえた。
「……はえ?」
想定の斜め上の報告に、思わず変な声が口から漏れる。
老化していない?
それはつまり、どういう意味だ。
おれは今、歳を取らないということ?
冗談だと思いたかったが、松永さんの表情は固いままだ。
頭上に「?」マークをたくさん飛ばしているおれを見ながら、松永さんは言葉を続ける。
「畠山さん、まとめますね。あなたの血液そのものは一人の女性のものです。ですが、血中のDNAの一部やテロメアは、正常とは言い難い状態にある」
松永さんは、眼鏡を片手で押し上げながらそういった。
彼としても理解に苦しんだのかもしれない。所作に、疲れが滲み出ているように見えた。
「だからこそ、慎重に、段階を踏んで調査を進める必要があります。理解の及ばない点を曖昧にしたまま、先へ進むわけにはいかない」
羽田さんが身を乗り出し、松永さんの言葉を継ぐ。
「まず、プライバシーの観点からも、外部に情報を出すことはありません。警察内部で必要な専門家の協力を得ながら検査を進めます」
おれが頷いたのを確認するが早いか、羽田さんは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「畠山さんの身体は現在、いつ、どのような形で身体の機能不全や、悪性の変化を招くか、予想すらできない状況です。より精密な身体検査を行わせてください。できれば、今日今すぐにでも」
2人の視線が、おれに重なった。
一周回って、他人事のように思えた。
「おれの方からも、お願いします」
おれは、2人に頭を下げる。
声はかすれたが、迷いなどなかった。
ーーー
検査はすぐに始まった。
病室に連れて行かれ、白衣の看護師と、数人の技術者が淡々と手順を進める。
血液採取、エコー、心電図。
配慮されてか、検査室にいるのは女性の看護師や女性医師が殆どだった。
……今のおれに対して、どんな配慮を正解とするかは非常に難しいところだが。
全身の縫合痕を中心に、より詳細な検査も行われた。指示されるがまま、冷たい検査台の上に横たわる。
まずはX線とCTスキャン。
醜い縫合痕の下で、骨はどのようになっているのかを確認するためだ。
その後は、血管と筋肉の流れの検査だった。
全身検査のために、おれは服を脱がなければならなかった。
服を脱ぎながら、ふと男だった頃を思い出す。これほど大勢の異性の前で裸になるなんて、検査とはいえ恥ずかしくてたまらなかったはずだ。
だが今は、不思議なほどに冷静でいられた。
最後に、皮膚組織の採取が行われた。
局所麻酔を打ち、縫合痕の際と、腹部、脚の異なる部位から、ごくわずかな皮膚片を採取していく。
検査が全て終わり、再び面談室に戻された頃、窓の外はすっかり深い闇に覆われていた。




