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11 オムライス

翌朝、鏡の前で黒い上着を羽織った。

インナーは白のパーカー、ボトムはタイトな黒ズボン。どれも塁が買ってくれた服だ。

唇が乾いている気がして、リップクリームを塗った。

鏡に映る顔は、昨日より少しだけ健康的な艶を帯びていた。


「行ってくるよ」


塁はもう大学に出ている。

誰もいない家に、小さな声で告げた。


ーーー


大宮さんに指定された住所まで、塁の家からは電車で二駅だった。

駅を出ると、曇り空の下で黒い外壁が鈍く光る大きなマンションがそびえている。

オートロックマンションに入るのは初めてだ。

慌ててしまわないように、塁のノートパソコンで手順をしっかり予習してきた。


タッチパネル式のインターホンに部屋番号を打ち込み、呼び出しボタンを押す。

数秒後、ディスプレイ越しに大宮さんの、起き抜けの眠そうな顔が映った。


『おっすー、いらっしゃい』


その声と同時に、背後でカチャンと軽い音がする。オートロックが解除されたらしい。

扉を押し開けてロビーに入ると、背後で静かに、しかし確かな音を立てて施錠される。


エレベーターで指定の階へ向かう。

部屋の前に着くと、もうドアが開いている。

緩めのスウェット姿の大宮さんが、片手で髪をかきあげながらおれを迎えた。


「お、昨日よりもべっぴんさんやーん。まぁ上がって」

「ありがとうございます、お邪魔します」


大宮さんに続いて部屋に入ると、そこは不思議な空間が広がっていた。

光るモニターが三台、ぴかぴかと広い部屋を照らしている。床には絡まり合ったケーブルが這い回っており、エナジードリンクの甘ったるい臭いが部屋を満たしていた。

生活感があるのかないのか分からない、独特の空間。

塁の、モデルルームのように整然と片付いた家とは対極にある場所に思える。


「うわ、すごいですね……」

「せやろ〜? これぞ現代の錬金術師の工房よ」


渡されたノートパソコンは少し古い型だったが、十分に高性能だ。

今日任された作業は、切り抜かれた動画にテロップを入れること。

大学で簡易的な編集を触った程度だが、この規模なら問題ない。頭を空っぽにして、ひたすらにテキストを打ち込んでいく。それだけの仕事が、今はとても楽しく感じられた。


背後から覗き込んでいた大宮さんが、感心したような声を上げる。


「お?フォントも違和感無いわ。さては相当オレの動画予習したな? 」

「ちょっとだけです。合ってて良かった」


大宮さんは満足げに頷く。


「この分なら、SEもお願いしよかな。いけるー?」

「行けます、任せてください」

「お、良いねぇリョーコちゃん。優秀やーん?」


それからは会話も少なく、お互いが画面に向き合って動画を編集する時間が続いた。

五時間以上が経った頃には、数本の動画が形になっていた。


完成した動画を、大宮さんと一緒に見直す。

画面の中の「ミヤペー」さんは、まさに口から生まれたかのような勢いで喋り続けていた。

ミヤペーさんは、わずか半年で中堅配信者と言えるまでに視聴者数を伸ばした。

ネット記事やSNSの発信をまとめると、「大手と積極的に絡み、アンチを抱えることを承知で話題性を取りに行った」ということらしい。

より多くの人の目に触れたことで、ミヤペーさん元来の喋りのうまさにもスポットライトが当たり、人気が爆発したのだという。


大宮さんは自分の切り抜き動画で爆笑した後、おれににかっと微笑んだ。


「ええやん! 完璧! いつもなら2日かかる作業が1日で終わったわ〜ありがとうなリョーコちゃん」


大宮さんは「そうや」と言って分厚い財布をごそごそと取り出し、1万円をおれに差し出した。


「ほいこれ。今日の分ね」


単純計算で時給2000円だ。

「こんなに」と驚いて大宮さんをみる。彼はおれの口を人差し指で封じると、にやりと笑った。


「言うたやろ? リョーコちゃんみたいな美人さんにはお駄賃弾むって。それに、優秀な働きにはきっちり対価支払うんが筋やろ」


淡々とした言い方だった。


ありがとうございますと頭を下げる。

この一万円が、塁の恩に報いるための、最初の一歩だ。


ーーー


「ただいま」


帰宅したのは、夜の7時を少し過ぎた頃だった。家の中は真っ暗だ。塁はまだ帰ってきていないらしい。

ほっとしたような、少し寂しいような、奇妙な感覚を覚えながらリビングの明かりをつける。


冷蔵庫の中身を確認し、冷やご飯と鶏肉、卵を取り出す。

今日はオムライスにしよう。

段取りよくチキンライスを炒め、卵を焼き、皿にふわりと乗せた。

あとはケチャップをかけるだけだ。


おれは鼻歌混じりに、新品の瓶入りケチャップを手に取り、蓋に手をかけた。


「……んっ?」


開かない。

新品だからだろうか、蓋がありえないくらい硬い。力を込める。滑らないように布巾を被せて、もう一度捻る。

だが、蓋はビクともしない。


「ぐ……!」


間抜けな声が漏れた。顔が熱くなるほど力を込めても、指と腕が痛むだけだ。前の身体なら、こんなものに苦戦はしなかったと思う。

あと一歩。最後の仕上げなのに。


自分の非力さに愕然としていると、玄関の鍵が開く音がした。


「ただいま〜。お、良い匂いー」


塁がスーパーの袋を抱えて入ってくる。

おれは慌てて瓶をもう一度強く捻るが──やはり開かない。


「ん? どした?」


塁が後ろから覗き込んでくる。

おれが赤くなって瓶と格闘しているのを見て、彼は「あー」と苦笑した。


「貸してみ?」

「だ、大丈夫。これくらい自分で──」

「いいから」


塁はひょいと俺の手から瓶を取り上げる。

そして、大した力を入れた様子もなく、ポンッ、と軽快な音を立てて蓋を開けてしまった。


「はいよ」

「……あ、ありがとう」


開いた瓶を受け取る。

塁は、おれの肩に手を置いた。


「お前さ。力仕事は無理せず俺に言えー?」


悪気のない普通のトーンで、さらりと言われた。その言葉に、胸の奥がざわつくような感覚を覚える。……男のときは、塁よりも筋肉あったんだけどな。


顔を上げれば、塁と目が合った。

そのまま数秒間、動きが止まる。気まずくて視線を逸らしても、塁はどこかぼうっとした様子で、おれに視線を浴びせているのが分かった。

……いくらなんでも見過ぎじゃない?


「塁?」


そういって首を傾げれば、塁はハッとしたように俺の頭から手を離す。


「いや……わりー。疲れてるかもだわ。てかオムライス最高。腹減った〜」


そう言って、伸びをしながら食卓につく。

おれは釈然としない気持ちをぶつけるように、オムライスに真っ赤なケチャップをかけた。


ーーー


食後、ソファでお茶を飲んでいると、静まり返った部屋に固定電話の音が響いた。

この家で電話が鳴るのを聞くのは初めてだ。

塁がソファから飛び起きて、受話器を取る。


「はい、梔子です。……ああ、はい。……ええ、います。少々お待ちください」


塁の背中が強張るのが分かった。

彼はゆっくりと振り返り、受話器をおれに差し出した。


「……警察からだ」


心臓が早鐘を打つ。

おれは震える手で受話器を受け取り、耳に当てた。


『もしもし。「畠山さん」ご本人で間違いないでしょうか』


低く、事務的な男の声。


「……はい、そうです」

『夜分遅くに申し訳ありません。DNA鑑定の結果が出ましたので……少し複雑なお話になりますが、都合のよい時に警察署までお越しください』


ついに来た。

期待と、不安と、自分でも名前をつけられない感情が押し寄せる。


夢で見たことが正しければ、おれの身体は数人の女性の身体を継いで作られた。では、おれの血はどうなっているのか。

DNAは何を語るだろう。


怖い。

でも、知りたい。


明日行くと約束して電話を切った。

心臓が大きく脈打つのを感じていた。

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