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きよらかな王子さま  作者: しらら
きよらかな王子さま
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朝の停車場・Ⅰ

    


 学園入学三日目の朝。


 ルカとロッチは早くに起きて寮食堂で待ち合わせ、朝食を素早くかき込んで、学園の門へ向かった。

 馬車の停車場は円形広場になっていて、身分が上位の者ほど校舎に近い正面奥まで乗り入れられる。男爵家あたりは手前の端っこ。


 そう、今日からリリィは馬車通学。




『あるじゃん、馬車!』

 ブルー男爵邸の庭を案内された時、廃材と一体化した格納庫に馬車を見付けて、ロッチは吠えた。

 覆布がかけられているが、正真正銘ブルー家の家紋の入った乗用馬車だ。

 この屋敷の老夫人は足が痛いと外出を嫌い、もう長い事放置されていたのだ。


 荷物を運ぶ小型の荷馬車はあり、そちらは普段使いされていて、馬も二頭養われている。

 庭師のトムは馬車の扱いに慣れていた。


『馬車通学……ですか?』

 家人はそんな反応。

 馬車で通学するという概念が無い。

 この屋敷に子供がいた数十年前、四人の男の子が毎日元気に坂を駆け上がっていた記憶しかない。

 男の子たちは全員活発な剣術クラブで、身体を鍛えるついでもあったのかもしれない。

 歳の離れた末の女の子はどうするつもりだったのかと聞くと、『う――ん?』と首を捻る。多分父(当時の男爵)か兄の誰かが何らかの準備をしていたのだろう。


 毎日前の道を通学の馬車が通るのに、徒歩通学している子供なんかいないのに、気にならなかったのだろうか? 気にならなかったんだろうな。年寄りって視界が狭い。当のリリィは平気な素振りだし。


 だけれどそれはまずい。

 リリィは王妃殿下のお墨付き。公表されていないと言っても、知っている者は知っている。自分たちが知っている位だし。

(せめて一人で歩かせるなよ、誰か付き添えよ!)

 と思ったが、男爵家は吹けば飛ぶような高齢者ばかり。リリィが年寄りを介助しながらゆるゆる坂道を歩くという、本末転倒な構図になってしまう。

 あぁもお! 何かあってからじゃ遅いのに!


『ぐだぐた言ってるより手を動かせ、だよっ』


 言って、ロッチは馬車を被っていた帆布を引っ剥がした。



 ***



「まさか少々古くたって王都貴族のオーダーメイドだろ? って思ってたけど、本体見たら、見なきゃ良かったってレベル。

 うちの馬車よりオンボロ。元が装飾の多い高級品だから余計に。メンテしろよな、勿体ない」


 それでも暗くなる前に、駆動系の劣化を応急処置して試運転までこなしてしまったロッチってば凄い。


「うちの地元、都と違って物資が豊富じゃない。無い物の方が多い。何か注文しても来るのに何ヵ月もかかるし、だったら自分たちで作れるようにならなきゃ。無い無い言ってたって誰もどうにもしてくれない」


 そんな訳で、自ら仕上げた馬車の初出勤を迎えたくて、二人で朝の広場へ来たのだ。


「ロッチは馬車とかそういうの、好きなの?」

「うん、走る物全般が好きだよ、立ち乗りの二輪馬車とかカッコイイじゃん。知ってる?」

「南の国で競技が盛んな奴? お祭りで一回見たことある。めっちゃ迫力だった」

「俺、地元に持ってるんだ、兄貴のお下がりだけど」

「マジ!?」

「来たら乗せてやるよ」

「うわっ、乗りたい!」



 ――くす


 声がして振り向くと、銀の髪がサラサラと、木漏れ日の中にイサドラが立っていた。

 隣には相変わらず黒革ファイルを抱えたダミアン。


「お、おはようございます」

 二人は足を止めて正面向いた。


「おはようございます。楽しそうですね」

「な、何か変だったでしょうか」

「いいえ、昨日の今日で随分仲良くなったなぁと思って。ルカなんて最初サロンに入室して来た時とは別人みたい」


 あだやかな麗人スマイルに圧倒される。


「えええ、そんなに別人でですか」

「別人よ。眉間にギュギュッとシワが寄っていたもの」 


「そんなっ」と言ってルカは思わず自分の額を押さえた。

 隣でロッチが面白そうに覗き込む。


「お二方こそ、朝早くから何で停車場に?」


 サロンメンバーは皆自宅住みで馬車通学と聞く。

 停車場は身分の低い者程早く来てすみやかに空け、上位貴族はゆっくり、というのが不文律だ。

 この人たちは家柄から言ってゆっくり組な筈。


「本日は王太子殿下の初登校なので、サロン一同でお出迎えするの」


 彼女の視線を見やると、一番奥の馬車停めに、アーサー、マリサ、ジークが待機している。

 同じ制服なのに、何であんなにシルエットが違うんだろう。遠くから見てもめちゃくちゃ気品がある。

 早くに登校した下位の生徒たちはビビりながら礼をして通り過ぎている。

 目が合ったので二人も敬意の礼をした。

 三人とも貴族の外向きスマイルで返してくれた。


「僕たちも加わ……何かお手伝いする事はありますか?」

 聞き掛けてダミアンに睨まれたので、途中で変えた。


「貴方たちはまだお試し期間中だからいいわよ。それより、寮住みの貴方たちがどうしてここにいるの?」

「リリィを迎えに来ました」

「あら」

 イサドラは目を細めた。

「リリシア・ブルー男爵令嬢と、もうそんなに仲良しになったの?」


「はい、昨日は自宅まで送り届けました。ブルー男爵家は主人の前男爵夫人と従業員五名、邸内の人間関係は良好と見受けられました」

「ルカ、あと犬がいるよ。でっかいのが二匹。立ち上がると俺とおんなじ位あって、最初ビビったよな」

「あ、ああ……」

 ロッチが会話に参加して来てルカはひやひやした。

 本当は自分が彼の言葉遣いを注意せねばならないのだが、彼と話すのがあまりに楽しくて、つい放置してしまっている。


「そういえばサロンに報告するんでしたっけ。今しちゃいます?」

「箇条書きに書き出して、昼休みに持って来て下さる? でも今、少しだけ聞きたいわ」

 イサドラは涼しげにロッチに向いた。

 後ろでダミアンがペンを出して筆記の準備をしている。いついかなる時も書記な人だ。


「リリィを送って、ブルー男爵邸を斥候して来ましたっ……です。

 とにかくソフィーおばあちゃんが強烈……じゃなくて世話好きで、夕食に噛みきれないほど分厚いステーキをごちそうになりました。

 セバスチャンさんはネクタイを上手に結ぶコツを教えてくれるし、べティさんは飴くれるし、働いてる人が皆名前で呼び合って、なんかホッとする家だったです。リリィ、めっちゃ大事にされてました」


 イサドラは綺麗な瞳を真ん丸にし、後ろのダミアンまで口をポカンと開けている。


「ただ、爺ちゃん婆ちゃんばかりで価値観が前世紀止まりだから、行き届かない所が多々あるって感じです。

 リリィも、教えてくれる人がいないんじゃ、何が不足か分かりようが無いんじゃないでしょか」


 ルカはハッとしてロッチを見た。


「そうなの。分かったわ、淑女教育に関しては早急に手を打ちましょう。

 一日目でそこまで内情に食い込めるなんて、凄いわね、二人とも」


 誉めて貰えて良かったなぁ! って顔でロッチは隣を見たが、ルカは固い表情で俯いている。


「……ロッチの功績です」


 ロッチは驚いて口を半開きにし、イサドラは首をかしげ、ダミアンもじっと二人を見据えている。


「僕は、ただ一緒にいただけで、凄いのはロッチです、ロッチの功績です」

「そんな事ないだろ」

「馬車を修理して喜ばれたのもロッチだし」

「ルカだって、抱き付かれて感謝されていたじゃないか」


「えっ?」

 イサドラと、ダミアンも、仰天の表情。


「違うっ、違いますって! 抱き付いて来たのはソフィーおばあちゃんっ!」



 その時、門に一番近い停車場に、小さな、古式ゆかしい馬車が滑り込んで来た。


「あっ、あの馬車!」

「ブルー男爵家の馬車?」

「はい」

「行っていいわよ、またサロンでね」

「はいっ」



 ***



「私、まだまだ修行が足りないみたいね」

 駆け去る男の子たちを見送りながら、イサドラはしみじみと呟いた。

「ルカにこのお仕事は合わないと思っていたの。あの子、余裕が無さ過ぎるもの」


「それは、その通りかと……」

「まだまだ私、マリサにもアーサーにも遠く及ばないわ」

「そんな事はないです」

「来年にはあの二人は卒業してしまう。凄く不安だわ」

「結局去年の新入生は僕ひとりしか残りませんでしたからね」

「あの子たちは残ってくれるかしら……」




 イサドラとダミアンがアーサー達の所へ戻ると、三人ともニヨニヨしながら出迎えてくれた。


「どうだった? 彼ら」

「ブルー男爵邸で噛み切れない程のステーキを御馳走になって、メイドのおばあちゃんに飴を貰ったんですって」

「わぉ……!」

「私たちだと、とてもそうは行かないわね」

「アーサーとマリサがあの二人を適任だと判断したのがつくづく分かったわ」

「ダミィも納得かい?」

「僕は、最初から不服なんて……」


 ダミアンがモゴモゴ言っている背後、いきなりジークが「うおっ!」と声を上げた。

 一同、振り向いて彼の視線を辿ると……


「あらまぁ」

「へええ!」

 女性陣が目を見張る。


 視線の先、入り口近くの停車場、小さい馬車から少年二人にエスコートされて降りて来たのは、昨日と同じ藤色三つ編みのリリシア・ブルー。

 しかしブカブカだった制服が、見事に修正されている。


 切って詰めて小さくしたのではない。

 素材そのままに形を変えたのだ。


 雑に絞られていたウェストを、後ろに規則正しいギャザーで集めてソフトコルセットで留め、ちょっとしたクリノリンスタイルを作っている。

 足首丈だったスカートは全体的に少し上がり、それでも他の女子生徒より長いが、クラシックな雰囲気に丁度良く収まっている。

 ブレザーは長過ぎた裾を折り返して短くまとめ、細いウエストを強調して、大き過ぎる身幅を目立たなくさせている。

 めりはりの効いた中々のシルエットだ。


「ルカの母親は針子だったそうです。サイズ直しの名人だったとの証言があります」

 ダミアンが手元の資料を繰りながら言った。

「お母様のお手伝いをしていたのかしらね」

「ねぇアーサー、こんな事まで折り込み済みだったの?」

「いや……」

 アーサーは金の前髪をかき上げる。

「偶然だ。全く何に導かれているんだか、僕たちは……」


 五人が立ち尽くしている所、カラカラと上質の車輪の音が響いて、獅子にオリーブの紋章の、純白の馬車が滑り込んで来た。




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