悪い予感
「ルカ!」
隊長に担がれて戻った親友に、ロッチは駆け寄った。
「貧血起こしてるだけだ。身体が小さいからちょっとの出血で目を回す。普段からもっと肉を食わせろ」
「こいつ少食だから無理」
下ろされて倒木に腰掛けさせられたルカは、そのまま軟体動物みたいにぐにゃりと二つ折れになった。
崖の上の方に、四か国の面々が階段を下りて来るのが見える。
大分間を空けて、教祖や長官一行も歩いている。
彼らには、今のラツェットの権限では、罪に問う事も拘束する事も尋問する事も出来ない。下りて来ても黙って通すしかない。(本当は領主にはお礼を言われなきゃならないんだけれど)
だが、見るからに、四か国の客人との間に不信の溝が出来ている。
「天晴れな物だった。俺は出る幕が無かったぞ」
「マジ? 見たかった、何をやったの?」
「それがな、いきなり声が蜂蜜みたいにトロトロ……」
「隊長サン、イワナイデ……」
二つ折れルカから頼りない声がした。
「あれは友達に見せたくないわな」
ガラの悪い声は、兵士二人の間からした。一人で先に下りた信者が、不貞腐れた顔で立っている。
「イヴァン様、この者は信者兵士の一人でしょうか。一応足止めしております」
ユーリが言う。
ルカはピクリと震えた。今何かに気付いて、考えを巡らせている顔。
「おいおい、あんたの顔を立てて、剣を預けて大人しくしているんだぞ。もうあの連中に付き合うのは懲り懲りだ。とっとと解放しろ」
隊長は男の目の前まで詰めた。
「上の者が下りて来るまで出来るだけ多く答えてくれ。教祖の後ろにいるのは?」
「あの長官だ」
「その背後は?」
「知らん。俺やユタは新参の部類だ。衣装の襟に飾りが付いてる奴が古参だからそいつらに聞け。さぁ俺の剣返せ……ぁん?」
二つ折れになっていた子供が蒼白なままフラフラと、男の眼前まで歩いて来ていた。
「なんだ?」
「弓兵は?」
「え?」
「展望台に信者は九人しかいなくて弓を携えている人はいなかった。弓兵二人はどこ?」
「あいつらはその辺に潜んで教祖を護衛しているんだろ?」
イヴァンはハッとした。弓兵の存在を頭に置いていたから、この子は一人で登ると言ったのか?
弓兵は、四か国の者がいるからそうそう射っては来ないだろうが、万が一、逃げ場の無い狭い階段で狙って来られたら、たまったもんじゃなかった。
(しかし一緒に登った俺には言っておく必要があっただろうに……いや、聞いたら俺は行く事自体を禁じただろう)
この子は、頭が先回りし過ぎて、物事を言わずに呑み込んでしまう癖がある。なんて困った習性だ。
「どうして貴方は射たれないの? 明らかに教祖から離反して、隊長をスルーして下りて来て、剣を預けて尋問を受けている最中も」
男はビクッと揺れて、怯えた様子で身を縮めた。
「そういえばそうだ。俺、射たれてもおかしくないよな? 剣、剣返せよ」
隊長は男をじっと覗き込む。演技では無さそうだ。
「弓兵は別行動なのか?」
「知らんよ、古参はいつも偉そうにして俺らに何も教えない。特に弓のペデリオは最古参で教祖の片腕だとか言って俺らを見下していやがる。早く俺の剣!」
イヴァンは、部下に命じて剣を返してやった。男はとっとと自分の馬を連れて木陰に避難する。
「ルカ様!?」
ユーリの声に、面々が振り向いた。
今度はルカは、乗って来た馬によろめきながらにじり寄っている。
「何やってんの、ルカ!」
ロッチが駆け寄って肩を掴んだ。
「い、い、行かなきゃ」
「何処へ行くんだよ、ちゃんと言えよ」
「ラツェット邸……」
「何で……?」
「ハッキリ言いなさい、命令だ、判断は俺がする」
イヴァンが怒鳴って、ルカは揺れながら振り向いた。
「朝、西イ国の人が、ラツェット邸の蔵書発掘の話を皆の前でしていた。その時点ですぐ気付くべきだった。そんなの聞いたら教祖が動かない訳がないのに」
隊長は目を見開いた。
「燃やしに来ます。教義を覆す証拠になる大量の原本、一番に隠滅したいでしょう」
後ろで支えているロッチも揺れた。
「誘拐や暗殺と違って、本を焼くという行為はとても簡単だ。本は逃げられない、自分で身を守れない。だから旧帝国の記録は絶滅させられたんだ」
ロッチが馬に飛び乗った。
「兄貴、俺は行くからな!」
返事を待たずにもう遥か彼方だ。
「あいつ、相変わらず判断が早過ぎる」
隊長は嘆息、考えを巡らせる。
まだルカの想像の範疇だ、だが……
(捕らえた農民を管理するため兵士を割いている、こちらにも小隊二つ、国境警備も強化中。確かに、邸に残るのは未成人ばかりで手薄になっているかもしれない)
「僕も行かなきゃ……」
ルカがまた馬によじ登ろうとジタバタしている。
『この子供の言動は無視出来ない』
ラツェット翁が注視していた。
勘が鋭い反面、唐突で自己管理出来ないので要注意だと。
「お前は駄目だ。そんな様子では馬から振り落とされる」
「でも、リリィが……リリィは絵本コーナーの窓辺が好きで、いつもあそこに座っているんだ。ひ、火の付いた油矢が飛んで来たら……」
喋っているルカを後ろから引っ張り上げる手があった。
自分の馬に跨がったユーリだ。
「イヴァン様、私が二人乗りでお連れします。ここが手薄になってしまって申し訳ありませんが」
「あ、いや構わぬ。そのまま本邸の警護に移行してくれ」
「承知いたしました。参りますよ、ルカ様」
「ふにゃ」
駆け去る騎馬を見送っていると、まだ立ち去らなかった男が、木陰から顔を出した。
「人出不足なら、時給くれたら番犬くらいはやってやるぜ」
スキマバイトに余念のないおじさん。
端役の中で一番好き。




