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きよらかな王子さま  作者: しらら
ききりの神さま
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蜂蜜とろとろ



 一人で邸を飛び出そうするルカを押し留めて、ユーリとロッチ、そしてイヴァン隊長と二名の兵で、国境近くの展望台へ向かった。

 上から見られぬよう、街道でなく山道を通る。

 登り口に目立つ馬車が数台停まっている。一行はまだ上にいるのだろう。領主、自分の城が攻められているのに、いいのか?

 見上げると、木々の間に柱状摂理の崖群、あの一つが展望台。麓から緩い階段が刻まれ、上までは徒歩十五分ほどらしい。

 即登ろうとするロッチの服を、ルカが引っ張った。


「僕一人で行かせて」

「何でだよ!」

「僕、昨日、四か国の人たちと知り合ってる。上手く立ち回れると思う」


「理由になっていない」

 隊長が断じた。

「一人で行きたい事情があるのだな?」

「…………」

「話してくれぬと、我らはそなたに『間者』の疑いをかけねばならない」


「兄貴っ、ルカにそんな!」


「我々は領民と下の者を守る為、常に最速で最適な判断を下さねばならぬ」


「分かりました」

 ルカが真っ直ぐに隊長を見た。

「イヴァン隊長だけ同行して下さい。他の皆は、ここで待っていて下さい」

「だからなんでっ!?」

「まあ待て」


 またルカの胸ぐらを掴みに行くロッチを、イヴァンが制した。

「一般人の信頼を得に行くのに、多くの兵士を背に置くのは悪手だ。そういう事か?」

「それもあります」

「だったらそう言えよ。ルカはいつもちゃんと言ってくれないから」


「時間がない」

 イヴァンは、ロッチの言葉を切って顔を耳に近付けた。

「俺が上ですべて見聞きし、問題ないと思ったらお前に話す。それでいいな」


 ルカが口を結んでじっと見ているので、ロッチも渋々承知した。

 隊長と二人で階段を登って行く親友を、ロッチは遠くに眺めた。昨日の昼から随分離れてしまった気がする。



    ***

 


 ルカと隊長は注意深く階段を登った。

 展望台の少し手前、教祖の興に乗った声が聞こえて来た。

 案の定、隣の領に如何に苦しめられて来たかを訥々と語っている。

 聞いている方は、一応聖職者の言う事なので、文章が途切れるまで待ってあげている感じ。でもそういう時の弁者って、空間を埋める事だけが目的なので、言葉を結ばない。

 皆 寝不足なのに可哀想。


「隊長、ここの岩陰で待っていて下さい」


 声が聞こえるだけのその場所で、ルカは言った。

「結局一人で行きたいのか」

「僕一人で行った方が攻撃力が上がります」

「こうげきりょく……?」

「あいつを完膚なきまでに叩き潰して来ます」


 可愛い顔で物騒な事を言って、子供は額の包帯を外してスタスタと登って行った。



「!!??」


 突然現れた貧弱な子供に、一同の注目が集まった。

 教祖はまだ喋っていたが、言葉二つぐらい暴走させてから気付いて止まった。


 丸馬場ぐらいの展望台。

 四か国の学者たちが、付き人を入れて十人程。

 共和国側は、主催者である長官、通訳含めた役人、領主に教祖、灰色衣装の同行信者、合わせて十数人。

 眺望は良いのに雰囲気がギスギスしていて、景色を楽しむどころでは無い。


「あぁっ、ひどい!」

 東ア国の女性学者が悲鳴を上げた。

 それほど、夕べ出会った子供の様相は一変していた。

 痛々しく腫れ上がった頬、切れた口端、額の擦過傷は生々しく、錫色の前髪が血で固まっている。


「一体どうしたのだ、先程領主邸に見えたのは、本当に侵略者だったのか?」

 西イ国の役人も動揺して聞く。



「りょうしゅさまのへいたいさんに……」



 下の段で聞いていたイヴァン隊長は、思わず展望台を見上げた。

(何なんだ、今の声は?)

 先程までとは似ても似つかない、舌っ足らずな甘えた声。口中を切ったと言っていたが、傷が開いたのか? いや……


「にげようとしたのを、りょうしゅさまのへいたいさんに見つかって、床にたたきつけられて、けられて、目玉をくりぬくって、コルク抜きを当てられて……」

 

 女性学者が、子供の言葉の度に、しゃっくりみたいな嗚咽を漏らす。


「そしたら、別の兵隊さんが来て、助けてくれました。おとなりの国の兵隊さんで、さんぞくを追いかけて来たんだって」


 幼い容姿と小さな身体を、ルカはコンプレックスに思っている。だけれど、使える物は何でも使う。


「嘘だ! 侵略に来たに決まっている! 子供だからごまかされているんだ。大体、何でお前がここにいる? どうやって来た?」

 領主が叫んだ。


 下段の隊長も、まあそこは突っ込まれるだろうと思っていた。だがあの子供は当然答えを用意しているだろう。


「その助けてくれた兵隊さんが連れて来てくれました。僕が、教祖さまにご用があるって言ったら、ここまで付き添ってくれました。一人で行きたいって言ったら行かせてくれました」


 子供はゆらゆらと教祖に寄る。


 教祖は身構える。言葉を遮っては他国の者に示しが付かない。何を言うつもりなのか。何を言われても論破してやらねばならない。

 そんな教祖に子供の第一声。


「なんでおいてけぼりにしたの?」


「は?」


「領主さまに挨拶に行くだけって言うから、一緒に行ったのに、いなくなるんだもん」

「そ……」

 そんな普通の子供みたいな事を普通の子供の声で聞かれても。


「僕、怖かったんだよ。領主さまの家来に連れて行かれた部屋で、ベッドが一つで、大人の男の人と二人きりにされて、鍵かけられて」


 女性学者が卒倒しそうになり、小国の学者に支えられている。

 西イ国の役人も、呆れ返った目で領主と教祖を見る。公用で客人が宿泊している時に何やってんだ、プライベートでやれプライベートでっ! という顔。


 ――ちなみにルカは、ここまで一つも嘘は言っていない。


 下段の隊長は、ロッチが留め置かれた理由がちょっと分かった。これ、友達の聞いている所ではやりたくないわな。


「教祖さま、この人にも」

 いきなり指さされて、共和国の長官は目を丸くした。

 自分は蚊帳の外で、

(あ――あ、やっちまったな領主、早く終わってくれないかなぁ)

 って感じで傍観していたのだ。


「『変わった毛色の子供を手に入れたから買わないか』って言った」


 四か国の人間の目が一斉に、この事業の責任者の癖にあまりやる気の感じられなかった男性を見た。

 まさか行く先々で領主相手に『そういう接待』を要求していたのか?

 長官だけでなく周囲の役人までも巻き添えで白い目で見られ、慌てて距離を置いている。


 ――ちなみにルカは嘘は言っていない。夕べ、盗み聞いた窓の外で、教祖は確かにこの台詞を言っていた。


「この人が一番(ラツェットに対して)しつこくて、(ラツェットの)痛みが分からなくて、(ラツェットに)酷い事をした!」


 長官は相変わらず『え、誰?』という顔でルカを見ている。それはそう。

 教祖が先に崩壊した。


「その子供を黙らせろ! 言わされておるのだ、操られておるのだ! 邪教の悪魔が憑いておるのだ!」


 下段のイヴァン隊長は顔を上げた。バラバラと足音がするのは元兵士の集団だという同行信者か? 暴に移行するなら自分が行ってやらねば。

 数歩あるきかけた所で、しかし


「来ないで!」


 子供の声。これは自分に対してなのか? 

 隊長は、辛うじて見える高さまでそろりと登って、目だけ出して草の間から展望台の様子を見る。


 子供の真正面に教祖らしき派手な衣装の男性、その脇に領主、反対側に長官、離れた隅に学者たち。

 同行信者と思わしき灰色の長衣を着た一団が、腰の剣に手を掛けて、その形で止まっている。

 同行信者の内の二人が、子供を庇うように対峙しているのだ。


「教祖、この子供に本当にそんな事をやったのか」

「昨日婚約式を挙げたばかりで幸せそうにしていたこの子供に」

 二人は、教会への道で、メムの傷跡をいたわるルカを見ていた。荒んだ世の中だがこいつらには幸せになって欲しいと思っていた。


 小国の学者の一人が世にも悲壮な顔をして、自分の国の神の名前を呼びながら、両手を組んで天を仰いだ。


 同行信者がもう一人、教祖の側を離れて階段の方へ歩いた。

「ユタを切り捨てた時から、もう着いて行けねぇと思っていたんだ」


「ど、何処へ行く、天罰が下るぞ」

「俺は他の奴と違って信仰心なんかねぇよ、金払いがいいからくっ付いていただけだ」


 男性はさっさと階段を降りた。隊長と目が合ったが黙って表情を動かさず、狭い階段を身を横にしてすれ違って去って行った。


 南ア国の女性学者がルカに駆け寄って額の怪我にハンケチを当てた。「あぁ何てこと、酷い、何てこと」とずっと呟いている。

 西イ国の役人が、「とんだインチキ教祖だ。ききりの神様など聞いた事もないと思っていた」と吐き捨てる。


「ききりの神さまはいるよ」

 ルカがまた、澄んだ子供の声で言った。

「僕の知っているおばあちゃんが話してくれた。優しくて綺麗な森の神さま」


「そうなの?」

 女性学者が、口端をぬぐってやりながら優しく聞く。

「うん、ききりの神さまは、憎んだり恨んだりしない。故郷を追われても、寂しい事だけ受け入れて、いつも誰かの幸せを祈っている、優しい優しい、清らかな神さま」

「そうなの」

「うん、だから」


 子供は顔を上げて、正面の大人たちを見た。


「誰かの悪口を言うのに、神さまを利用しないで」



 ***



(完膚なきまでとはこの事か)


 下段の隊長は思った。

 確かに、鮮やかな手並みと言えるかもしれない。

 教祖は立場を失い、目的の『国際社会にラツェット及び王国の悪流言を広める』は不可能になったろう。

 領主や長官は、共和国内の法律で罪に裁かれるのかどうかは知らないが、東と西の二大大国に嫌われたらもうどうしようもない。


(しかし、背後に、まだ大物が潜んでいるかもしれないのだ)

 特に長官の方は、個人的に恨みを買ったのが厄介だ。大人の世界は、そういうのに折り合いを付けて、尾を引かせないよう譲り合う物。

(やはり子供だ。そろそろ俺が出て納めよう)

 一歩踏み出しかけた時、


 子供の息遣いが聞こえた。


 見ると、その場に膝を付き、胸に手を当てて、深呼吸するように、ゆっくり、ゆっくり、息を吸って吐き出している。


「神さまの加護を」


 え?


「どうかその場所で貴方の幸せを見つけて下さい。貴方のいるその場所で、幸せになって下さい。遠くを見て羨み、奪おうと手を伸ばしても、そこに貴方の幸せはありません」


 ?? ルカという子供は、こんな風に唐突に祈り出す子供だったか? リリィなら教会育ちだから分かるが……


「ひえっ」

 小国の学者が悲鳴を上げて尻餅を付いた。

「おぁっ」

 もう一人の小国の学者、そしてその助手も声を上げ、うずくまって彼らの神様の名を呼び始めた。

 続いて同行信者、共和国役人の中にも声を上げておののく者が現れる。


「ど、どうしたの?」

 ルカの横にいた女性学者がキョロキョロするが、膝をついて手を合わせる西イ国の役人に、

「ひ、光ってるだろ、その子の、胸が、光が立ち昇って、あわわ」

 と言われて、驚いて覗き込む。


(ひ、光ってる、のかしら? 確かに白っぽい気はするけれど)

 とりま、指を組んでお祈りポーズをとっておく。


 そんな訳で、まったく光が見えずオロオロする者数名を残して、その場のほとんどの者が祈り始めた。


(どうすんだ、これ……)

 イヴァン隊長は茫然。ちなみに彼には光は見えない。

(そういえばロッチの手紙に、友達の光がどうたらって書いてあったな。見えたり見えなかったするって。この子の事だったっけ?)



「隊長さん」

 真横から声掛けられて飛び上がり、子供が自分の所まで下りて来ている事に気が付いた。

「お待たせしました。行きましょう」


「あ? ああ……」

 上を見ると、まだ祈っている者、茫然としている者、様々だ。

 教祖は心折られた様子で座り込み、長官は蒼白になってガタガタ震えている。


(完膚なきまで、か……)


「何をした?」

「祈りました」

「それは見ていて分かったが」

「リリィの真似です。お祈りするって疲れるんですね」

 声はまた普通のルカに戻っている。


「お疲れ様だな。おぶってやるか?」

「いいですよ、赤ちゃんじゃあるまいし」

 と言って歩き始めたルカだが、十歩で貧血を起こし、おぶさるどころか担がれて帰った。


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