脱出
リアクション、コメントありがとうございます。とても喜んでいます。
完結まで公開が終わってから、大切に拝見させて頂きます。
ユタが目を覚ますと夜明け前の薄暮で、ルカはもう何処かへ出掛けて、細い窓へ戻って来た所だった。
「引っ張って下さい」
「自力で戻れないなら出るなよ」
「ワインくすねて来たのに」
「先に寄越せ」
ワインをラッパ飲みする老人の横で、やはり厨房から黙って貰って来たチーズをかじりながら、子供は盗み聞いて来た事を報告する。
四か国の学者たちは、早くに起き出して朝食のち出発の予定だったが、強行軍に苦情が出て足並みが乱れている。
本来の予定では、もう馬車で出発している時間。
谷の街道を登り、石の壁の少し前にある展望台まで行く。階段を登って領を一望できる場所に立ち、土地改良の議論を交わす。そんな予定。
裏を手繰らば朝早くからそんな所へ登らされ、『あれはなんだ?』をやらされる為の早朝スケジュール。
『そもそも高台から河川の形状を見るだけなら、そんなに急ぐ必要はあるまい』と、西イ国の役人。
『そ、それは、あの場所から見る朝陽が大層素晴らしく、是非堪能して頂きたいと……』
『え、別にいいよ、朝陽なんて』
『ちょっと寝直して来ていい~?』
小国二つの学者たちは、大国がとうとうキレてくれたので、これ幸いと便乗する。
東ア国の女性学者はハンカチを口鼻に当てて、共和国の者に近寄ろうともしない。
各国とも部屋で、
『招いておいて学ぶ姿勢が無い』
『説明させてメモも取らない』
『すべてにおいて段取り悪い』
『本当に灌漑事業をやる気があるのか? 何か別の目的があるのではないか?(ピンポン)』
などと不満たらたらだった。
それに加えて昨夜、子供虐待現場を目撃したから尚更だ。
『そもそも灌漑技術っていったら王国と東ア国の二大巨頭でしょ。何で王国招いてないの?』
『そ、それは、王国の直属灌漑チームが、自国内の仕事で出払っていて……』
『招待状を出しておらんかったのか?』
王国が仲間外れにされていることにも不審があるようだ。
『王国と言えば最近、旧帝国史に一石を投じる文献資料が見つかったと聞くぞ』
『ほほぉ、共和国さん、知っていました? 元ご自身の国ですよね?』
さすが大国は耳聡いな。そしてまた嫌味を言われる共和国職員。
そんな感じで喧々している所に、長官に伴われた教祖様登場。
『失礼致します。皆様に清浄な朝陽の下ききりの神さまの祝福をと依頼され呼ばれたのですが。予定が変わられましたのか?』
『あ、神職の方?』
どこの国も宗教は様々だが、出先ではその国の宗教を尊重するのがマナー。
四か国とも、教祖には礼を取った。
で、神職を前に怒っていた鉾を納め、結局時間遅れで、このあと出掛けるらしい。
早くしないと遺体片付けられちゃうもんね。
聞いて、ユタは肩を竦めた。
ピエロにされる学者たちも気の毒だが、間に挟まって言われた仕事をやらねばならない下端の者も可哀想だ。
「山での刃傷沙汰はもう終わったのだろうか」
「ラツェット翁の事だから、『生け捕り』方向で動いたと思います。農民百人弱なら刃物を出させる暇も無かったと」
「一瞬で三人捩じ伏せる子供が最低ラインだものなぁ」
「網とか使ったんじゃないでしょうかね。普通の刃物で切れない丈夫な奴」
「そんな物があるのか」
「ないない言ってても誰も助けてくれないから、自分たちで作れるようになるんですって」
下の者が安心して働ける活気ある組織を、ユタは何とも眩しく思った。
程なく、昨日来た各国の馬車が、谷の街道を登って行った。
「西イ国の馬車、重そうだなあ。坂に向いていないんだよね、あの国って山なくて平地ばっかだもん。あーぁ、馬が可哀想」
「また興味が他所へ行っているな」
「ユタさん足は?」
「あ? 腫れは引いたぞ。領主のくれた湿布、高い奴だったんだろうな」
「それは良かったです。じゃあベッドの下へ潜って下さい」
「はあ?」
この子供といると何もかも唐突だ。
「客人も去ったし、そろそろ僕を連れに来るでしょう。いざという時の交渉材料にでも使うつもりなんでしょうか」
「ああ」
ユタはあいまいに返事をした。
教団としては、この子供の身柄を条件にラツェットを黙らせたいのだろうが、向こうにとってこの子の価値は、それほどでもない気がする。使えないと判断されると、教団は残酷な見せしめも平気でやる。
中央に売られる可能性もあるが、貴族でもないただの人質は、逃げられない措置を身体に施される。自分は兵士時代に散々その悲鳴を聞いて来た。
「お前、窓から抜けられるんだから、とっとと逃げたらどうだ」
「はい。連れに来た者に窓の外にいるのを目撃させてから、逃げます」
「そんなもの待たずに逃げればよかろう」
「だからユタさんはベッドの下」
ルカは床に敷いていた毛布を拾い、ベッドを雑に覆った。
「ベッドが一つの部屋には、一人しかいないと思うのが自然です」
「…………」
四か国を迎えて慌ただしい中、飛び入りで来た客の人数なんてどうせ共有されていない。食事すら運んで来ないのだ。
「もぬけの殻だと、家捜しされます。
窓から逃げた所を見せれば、即、追い掛けてくれます。
ユタさんは人が居なくなってから抜け出して、二階を目指して下さい。四か国の客人エリアですから、他国の使用人のフリして脱出できます」
「…………」
確かに、自分は生かしておかれる理由が無い。むざむざ教祖の所へ戻ったりせず、逃げた方がいいのだろう。しかし……?
ユタは何か腑に落ちない物を感じながら、ベッドの下へ潜った。
「ああ、そうそうユタさん」
子供の声が遠いのは、既に窓の外へ出ているのか。
「ここへ着いて来てくれてありがとうございました」
「いきなり何だ?」
「手を引っ張ってくれてありがとうございました。一晩話し相手になってくれて、横で寝てくれて、ありがとうございました。
ユタさんが居なかったら、僕、怖くて正気でいられなかったかもしれません」
「は、何を殊勝な……」
――ドン!
扉を蹴る乱暴な音が響いた。
バタバタと入って来る二人分の足、領主の直属兵士の靴だ。
ユタは息を潜める。
「じゃあね!」
窓の外から子供の声。煽ってないで早く逃げろ。
兵士たちは窓に走り寄って掴もうとするが。
「ああっくそ!」
「ベランダだ!」
戸口へ引き返す音。
しかし
「このガキ!」
窓の外から三人目の兵士の声がした。
ザリッと窓枠にこすられて、子供の身体が室内に押し込まれる。
夜と違って、飾り屋根に立っている所を外から見付かってしまったのだろう。
だから早く逃げろって……
中の兵士に叩き付けられたのか、軽い子供は石の床の上で紙屑みたいに跳ねた。
悲鳴もあげない、すでに気を失っているのか? 違う、口を固く結んで悲鳴が漏れないようにしている。あんなにペラペラ喋っていた子供が。
ユタはやっと、腑に落ちなかった事の正体に辿り着いた。
俺は何て鈍いんだ。
この子供は夕べから、逃げようと思えばいつでも逃げられたのだ。
この時まで待ったのは、俺を逃がす為。
俺をもう、この子が恐れる教祖の元へ戻らせない為・・!
***
「おい、死なせたらドヤされるぞ」
「子供は柔らかいからそう簡単に死なねぇよ」
「違うだろ、簡単に死ぬのが子供だ」
「まだ縛ってなかったのかよ」
ベランダから回った三人目の兵士が入って来た。
「金目の物ねぇか」
言ってベッドに寄って毛布に手を伸ばそうとする。ユタは思わず身構えるが、
「痛ってぇ!」
兵士は引き返してルカを蹴り飛ばした。転がされて扉にぶつかる子供。
「こんな物持っていやがった」
ふくらはぎに浅く刺さったワイン用のコルク抜きがカランと落ちた。
「クソガキが!」
「まだ何か持ってないか?」
「俺は許さねぇ、こいつを目玉に突き刺してやる」
「おいおい」
「お前、そいつ押さえろ」
「やめとけよ……あぅおっ!?」
そりゃ驚く、ベッドがいきなり持ち上がって、三人に向かって突進して来たのだ。
「うおおおお!!」
「ぐえっ」
「ぎゃっ」
完全に不意を突かれた三人は壁とベッドに挟まれた。
「小僧、立て、逃げろ!」
渾身の力でベッドを押さえて叫ぶユタ。
相手は若い兵士三人だ、長持ちする訳がない。
ルカは扉を掴んで立ち上がって、傾きながら廊下へ走り出た。
(ユタさんも)と言おうとするが、切れた口の中から血が溢れるばかりだ。
「逃げられると思ってんのか!」
「なに必死ブッこいてんだよ、キモいんだよ、ジジィ!」
「あんな子供守って何になるんだ」
「お前らの主人より百万倍上等だ!」
言ってユタはベッドを離して外へ駆けた。
――と? お・・?
身体一杯の激痛に床に転がってしまう。
そうだよなぁ……あんなごついベッド、ノーダメージで持ち上げられたのなんて二十代の頃迄だよ。
子供は……廊下のドン詰まり、階段の所まで走っている。……よし。
ユタは這いつくばったまま構えた。
部屋から出て来たこの三人、止めさえすればいい、足を掴んですがり付いて、噛みついてでも。
――!!??
ユタの前に小さい足が立ったと思ったら、廊下の長燭台を構えたルカだった。
「なに引き返してんだ、阿呆!」
老兵士を庇うように立ち塞がる子供に、兵士三人は気勢を削がれて一瞬止まった。
「ラッエアァアラアッヘヒ」
「無理に喋るな血を撒き散らすな汚えなもお!」
兵士の一人が落ち着いて喋り出した。
「子供よ、それを降ろして従ってくれぬか。もう手荒い事はしないと約束する」
「お前に勇気があるのは十分分かったから、ここは大人しく捕まっとこう? な?」
「お前ら何甘い事言ってんだよ、俺はそいつの目をくり貫くまで気が収まらねぇからな!」
――ゴギ
「からな!」の「ら」辺りで破壊音が重なった。
「ぎぃああ!」
後ろから、コルク抜きを持った手首をネジ上げて、関節外しを決めるソバカスの少年。
「誰の目をくり貫くって?」
「ロッチ……」
ルカは燭台を握ったままヘナヘナと座り込んだ。




