悪魔のクソガキ
「馬車が来ましたね、一台じゃなくて、三台、五台、六台目……立派な作りです、あの揺れ方、東ア国式ジャイロタイプじゃないですか。最新技術だ、凄い!」
細い窓に顔を押し付けて外を眺めるルカが、興奮気味に言った。
「は、何だって?」
ユタは、くるくる変わるこの子供の話題に、先程から辟易している。
「あ、あっちのは西イ国の六輪馬車だ。ほらほら、後輪のシャフトが二層構造で後ろに突き出していて……なっが! どうやって曲がるんだろ、あれ」
「何の話をしている?」
「あっ、すみません、友人に馬車模型マニアが二名ほどいまして」
「そのすぐに興味が反復横跳びする癖は、直した方がいいぞ」
「しょんぼり」
「要するに、こんな夜更けに複数国の馬車が来ているという事か?」
「そうですね」
東ア国や西イ国など地続きの隣国は馬車で陸走して来られるが、船で訪れて共和国の馬車を使う遠来の客もいるかもしれない。カンテラに浮かぶ客人の衣裳は様々だ。
「複数国の要人が集っているのか? こんな田舎に、何故?」
「う――ん、王都にいた時、そんな話題聞きませんでしたし、要人じゃなくてもっと大衆レベルの……例えば何かの国際連盟の学会とかシンポジウムとか?」
「ふむ」
「まぁ少なくとも馬車愛好会ではなさそうです」
「馬車から離れろ」
「推測だけしていても埒があきませんね、ちょっと客人に探りを入れて来ます」
「え」
言うが早いか、ルカは細い窓に頭を差し入れ、横向けでニュルリと脱出した。
「やっぱりラツェット邸と規格が同じだ。あっちでも抜け出した事があるので、行けると思いました」
友人の家で何をやっているのだこいつは。
「しかし貴族の服装とはいえ、お前、山歩きで相当ドロドロだぞ。そんなので客人の側へ行って怪しまれないか?」
「何とかします」
言って、ルカは飾り屋根をスルスル伝い、バルコニーから建物内へ入って行った。
「……なんなんだ、あの子供は……」
ユタはベッドにゴロンと転がった。
大人びて冷静かと思ったら、いきなり子供っぽい理由で怯えたり、考えてやっているのか自棄になっているのか、見た目で判別出来ず、隣にいるとひたすら振り回される。
(岩山で会ったあの子供たちは、よくあんなのと友達をやれているな)
……いや……
自覚があるから、友達と距離を置きたがっているのかもしれない。
ひとつ確実なのは、自分に関しては、彼といると、膜を張ったようだった周囲の景色がどんどん剥がれ落ちて、別の景色になって行く事だ。
かつて教祖に会った時もそう感じた気がしたが、今は恐ろしく浅はかだったと分かる。
***
「ユタさ――ん、引っ張って下さ――い」
ルカの声に、ウトウトしていたユタは身を起こし、細い窓からヒラヒラさせる手を引っ張ってやった。
「下見たら怖くて動けなくなりました」
「今更か」
「三階だったの、忘れてました」
言いながら入って来た子供は、ポケットから干菓子やらキャンディボンボンやらを引っ張り出して窓辺に並べている。
そんなのをポケットに入れていたから通れなかったんじゃないのか。
「皆さん良い人でした」
「そいつは良かったな」
「灌漑事業のシンポジウムですって」
「ほお?」
共和国が、これから河川周辺の農地整備に力を入れるという政策を打ち出し、他国の専門家や役人を招き、対象地を幾つか共に見て回ってアドバイスを乞うという企画。技術交換も兼ねて四か国が参加しているらしい。
「まともそうだな」
「皆さん文句タラタラでしたけれどね。『プライドばかり高くて、招いておいて教わる姿勢がない』って」
「随分込み入った話まで聞けたのだな」
共和国からは通訳含め役人が五人出張っている。トップはどこかの庁の長官だが、爵位で言われないと、ルカにはどの程度偉いのか分からないらしい。
「その人の部屋に教祖は入って行きました」
「お前、間者の素質があるぞ」
「参加者のお一人が、『段取り悪くて夜中の移動になるし、明日は早朝行動で何か高い所へ登らされるらしいし』とぼやいておられました。明るくなって朝一番に、『惨劇現場を目撃させる為』でしょうね」
「・・なるほど・・」
この企画その物が茶番で、最終目的がそちらなだけなのかもしれない。
ああ疲れたと、ルカはベッドに倒れ込んだ。
「何か行動しなくていいのか?」
「後はラツェット翁が何とかしてくれるでしょう、僕にやれるのはこの辺までです」
言って欠伸をする子供に、ユタはギクリとした。
上衣の下のチュニックのボタンが飛んで、襟が引き千切られている。あらわになった首筋や鎖骨が妙に生っ白い。
「お前……何を、やって来たのだ……?」
「何をって何です? 寝かせて下さいよ」
「襟元、そんなになっていなかっただろ!?」
「ああ、自分で千切りました」
「自分で?」
「客人が一人で廊下を歩いて来るタイミングを見計らって、この姿で暗がりにうずくまってシクシク泣いているんです。
十中八九『どうしたのだね』って訪ねてくれるので、『匿って下さい』って瞳を潤ませたら大概部屋に入れて貰えます」
「お、おぅ……」
「ソファに座ってココアとか与えられて『あったかぃ……』ってフニャッと笑うと、もう、聞いた事何でも喋ってくれます。
あっちの客室、ソファとかあるんですよ、ベッドも人数分あるし。やっぱり酷いですよね僕らの扱い。
あ、そんで、十分に情報取ったら『もう嫌だおうちに帰りたい……』ってグズグズ泣き始めます。
所詮、通りすがりの客人なんかに何も出来ません。もて余して『信頼出来る大人の人に相談してみなさいね』とか言ってお菓子くれて放流です。関わりたくないので他言もされません。
別の窓から舞い戻って、招待された国の数だけそれをやって来ました」
「……悪魔だな……」
「天使みたいな子って言われましたよ」
「悪魔だっっ! 大体そんな事どこで覚えたっ?」
「ケイト・べぺーが好んでる小説の中で……」
「誰だって?」
「リリィの友達の」
「聖女にそんなのを近付けるなっ!」
胸ぐらを掴もうとしたがそこに布が無いのでユタは諦めて、大きく息を吐いて床に座り込んだ。
「……ヒントくれたのユタさんじゃないですか」
「俺のせいにするなっ」
「この国がラツェットにやろうとしている事に比べたら、こんなの耳に入ったタンポポの綿毛程度です」
「まぁな……」
「東ア国は女性学者だったので、『共和国の長官が執拗に……』って名指しでちょっと盛っておきました。あそこ女王統治で貞節厳しかったですよね。何年あの国の技術貰えなくなるんでしょうね、あはは」
――クソガキ!!
「ユタさぁん」
「なんだ」
「僕、頑張って来たんですよ。ちょっとは褒めてくれてたっていいでしょう?」
「はぁ?」
「褒めて下さいよぉ」
唐突に甘え出す少年に、
「あぁあ、もお、よしよし」
ユタは仕方なく手を伸ばして頭をわしゃわしゃと撫でてやった。
髪は細くて上等な猫を撫でているような感触だった。
「お前な、最初に情報取れた時点でやめるべきだ。やり過ぎを咎めてるてんじゃないぞ。
お前みたいな貧弱な子供、大人の本気の力で押さえ込まれたらどうにも出来んだろうが。もっと危機感を持て」
「…………」
「聞いているのか?」
「……くぅ……」
寝てる。
オヤスミ五秒かよ! 子供か!
……子供なんだよな……
だから知恵が回って小賢しい割に経験値が少なくて、背筋が寒くなるほど恐ろしい場所に平気で飛び込んで行く。
***
夜中ふと、ユタが目を覚ますと外はまだ暗くて、ルカは錫色の瞳を大きく見開いて、窓から外を凝視していた。
「何か見えるのか」
「いいえ、真っ暗です」
「もう少し寝ておけ」
「そうします」
子供が素直に床に就いたので、ユタも目を閉じた。
ケイト・ベペー、登場しないのに大活躍




