岩山・Ⅲ
水平線と隣国が見える山の上。
風景を見に来たルカたち子供六人と護衛騎士二名の一行は、越境して山菜採りに来ていた隣の国の農夫らに出くわした。
普段から隣国の野盗や山賊に悩まされているラツェット家の面々は険しい顔。
そも、一般人だろうと無許可かつ故意の越境は、その場で斬り捨てていい事になっている。国同士でそう取り決めてある。
一般人に偽装する野盗などゴロゴロいる中で、いちいち取り調べろと言うのは、国境警備に身を粉しているラツェット兵に死ねと言う愚だ。
ただ、それは建前上の規則で、実際は、見るからに農夫は、現場判断で見逃される事が多い。
この、どう見たって無害そうなお爺ちゃん五人と女の子一人のグループも、見逃してもいいのだが、ここには当主直系のロッチがいる。一般兵士と同じ事をやっていては示しが付かない。
しかして当のロッチは、『待って』を掛けてくれたルカに、密かに感謝をしていた。幾ら何でも無抵抗の農民六人を処分なんて、嫌だよ。
二人の騎士は、主が命じればやらねばならない。
しかし、成人越えたばかりのミックは真っ青になっておたおたしている。
年上のユーリだって、賊と闘った経験はあるかもしれないが、無抵抗の一般人を手に掛けるなんて、父兄に知られる前に自害してしまいそうな勢いで動揺している。
そんな訳で、「待って」の声は一同を大いに助けた。
当のルカは、自己満足な ぬるい善意だと恐縮して小さくなっているが。
「ルカ、情報取りたいんだろ、何でも聞いていいよ」
「うん……」
しようがないなぁ、という感じで、ロッチは六人に向き直る。
「あんたら、この人が止めてくれたから助かったんだからな。何でも答えるんだぞ」
「答えたら帰して下さるんで」
「約束を二つ守ってくれたら、帰す」
「へい、守ります、守ります」
「内容聞いてから言えよ。そういう所だぞ」
「へい……」
「見逃して貰った事を誰にも喋らない事、二度と国境を越えない事。いける?」
「へい、へい」
「じゃ復唱して」
「??」
「ダメじゃん」
六人全員、二つの約束を声に出して三回復唱させられた。
「じゃあ、ルカ、答えたらこの人たち帰れるから、聞いてあげて」
ルカはお辞儀ひとつして、錫色の瞳で真剣に老人たちを見渡した。
「各々、『ききりの神様』『藤色の髪』『クナ族』について、知っている事をお教え下さい」
それから筆記具とメモ紙を出して、(ダミアンを見習って携帯している)三人娘に記録を頼んだ。
「ききりの神様は、クナ族の信仰する森の神様ですじゃ」
「藤色の髪と瞳はクナ族だけが持つ特徴です」
「不思議の力を持つ部族で、大昔、帝国があった時代に、北の森に住んでいたと聞きますじゃ」
この辺は聞いた部分だな……とロッチが思っていると、リリィが思い定めたように進み出た。
「あの、お話をしながらでいいので、怪我の手当てをさせて下さい」
確かに老人たちは捕まった時に受けた暴力で怪我をしている。
「放って置けばいいでしょう。帰ったら自分で手当てをするわよ」
「ごめんなさい、少しだけでも」
「しようがないわね」
ニーナが背負っていた袋から布と薬を取り出した。
***
「ぎゃあっ」
「はい、これで関節は入りましたよ。お次は貴方。ユーリさん、しっかり押さえていて下さい」
「はい」
「お、お嬢ちゃん、お手柔ら……ぐああっ」
ロッチみたいに体格の劣る子供が複数の大人を押さえ込むには、一撃で動けなくさせる必要がある。ロッチに捕らえられた三人の老人は、関節を外された苦痛に顔を歪めながら縛られていた。
それがリリィには耐えられなかったのだ。
にしても、ニーナの接骨術は凄い。瞬く間に三人の関節を入れてしまった。
ミックが捉えたシワクチャ老人は、逃げて岩山から落ちた時に頭を切ったのと打撲。
ユーリに捕らえられた老人と娘は、素直に投降したので無傷。
だがユーリは、もし自分が男三人の方に居たら、視界の悪い真柏の茂みで三人を、こうも鮮やかに捕らえられるかと、冷や汗を垂らす。
(ジーク様がラツェット家と結ぶ事を進言されたのは大正解だ。末っ子ですらこの動き。何でこの一族が今まで放置されていた?)
「ああ、聖女様、聖女様」
痛む関節を布で固定してくれるリリィに、老人は手を合わせる。
「何よ、私は聖女じゃないの?」
同じ事をしているのに無視されて不機嫌なエイミ。
「聖女様は、『ききりの神さま』がクナ族の中に遣わされる、救世の乙女なのじゃ」
「どう違うのよ」
「藤色の美しい髪をしておられ、誰よりも優れた不思議の力を持ち、我々を救って下さる」
リリィはエイミと目を見合わせ、肩をすくめて首を横に振った。
「『ききりの神さま』とは、クナ族以外にも信仰される宗教なのですか? 何教とかの名前はありますか? いつ位から、共和国のどの範囲に広がった宗教なのですか? 帝国貴族がクナ族を狩ったと聞きましたが、関係していますか?」
ルカが投げる質問には、老人たちは首を傾げてモゴモゴするばかり。
宗教って、末端の信者にはそういう物なのかもしれない。
「宗教の名前は知らないけれど、私たちは『ききりの神さま』って呼んでいるわ」
一人だけ混じる娘が答えてくれた。雰囲気から、誰の孫でもない感じ。
「私のお母さんも信じていたし、お隣のおじさんもおばさんも、『みんな』信じているから、きっと大きな宗教よ」
「隣近所だけじゃないの?」
エイミが馬鹿にしたように言った。
「失礼ね、ひとたび教祖様が声を上げれば、広場一杯に人が集まるんだから」
「教祖様っているんだ?」
ルカが目を見開いた。
「いるわよ、『ききりの神様』の教えを説いて、私たちにヤスヤギとアンネンを与えてくれるわ」
「安らぎと安寧じゃないの?」
「ヤスヤギとアンネンは、ヤスヤギとアンネンよ、煩いわね、バチ当たるわよ」
「エイミ嬢、少しの間、抑えて下さい」
ルカに丁寧に頼まれて、エイミはふふんと黙った。
「教祖様ってどんな方ですか?」
「優しい声でお髭が立派で、優しくて平等で優しくて……滅んでしまったクナ族の為に『ききりの神さま』を後世に伝えて行くのが使命だと言っていたわ」
「クナ族とは違うんだ?」
「血を引いているんじゃないかしら。『みんな』そう言っているし」
「『聖女』って言葉、その教祖様が最初に言ったんじゃないかな?」
「へ、えっと?」
ニーナたちの曾お祖母さんの言葉の中に『ききりの神さま』はあったけれど『聖女』なんて無かった。
ルカはリリィの顔を見た。彼女もまた困った風に首を横に振っている。
「沢山ってどの位の人が集まるの?」
「たくさんはたくさんよ。教祖様の連れて来た信者さんたちと、隣とその隣の村からも。夕べだって……」
「夕べ?」
娘が黙ったと思ったら、隣の老人に足を踏まれている。彼女だけに質問を集中させ過ぎるのは良くないかもしれない。
ルカは、仕切り直して六人全員を見渡した。
「貴方がた、本当に山菜採りに来たんですか?」
「さ、山菜採りじゃよ。本当に山菜採りじゃよ!」
「山菜採りだけで、捕まったら処刑される越境をして、こんなに奥まで?」
「それは……トトド爺さんが……」
「トトド爺さん?」
頭に包帯を巻いたシワクチャの男性に、残り五人の視線が集中した。
「わ、わしのせいじゃ。わしが生きている内にひと目、聖女様のお姿を見たいとワガママを言うたせいで」
トトド爺さん、泣き声で両手を合わせて首を差し出して来た。
「祈りの聖女様の気高きお姿を見られた、もう本望じゃ、どうかこの老いぼれの命で他の皆を見逃してくだされぇ」
いや全員見逃すって言ってるよね。人の話を聞かないお爺ちゃんだな。
「少し前から、隣の領にクナ族のような藤色の髪の娘を見たと、山帰りの者が騒いでおった」
「するといつもは巡回するだけの教祖様が、信者を大勢引き連れて現れ、『聖女様が顕現された』と告げたんじゃ」
「すぐに大騒ぎになったわな。あれはやっぱり聖女様だったのだと」
「それで爺さんの信仰魂に火が付いちまって」
うへぇ…… ルカはロッチの方を見て、口をへの字に曲げる。
やっぱ『聖女』って後付けじゃん。それを元からあったみたいに思い込むの、怖い。
(この分だと、自分達に都合のいい教義を、幾らでもデッチ上げ放題なんだろな)
リリィの綺麗な髪色は遠目にも目立つ。アクティブに外乗りに出ていたから山から見られてしまったのだろう。しかし全然知らない宗教の象徴に奉り上げられているなんて、そんなの用心出来る訳ないじゃないか。
「トトド爺さんがどうしても山菜採りに付いて来ると聞かなくて」
最初は国境付近で大人しく山菜を採っていたのが、いきなり向こうの峰を指して、『聖女様!』と叫んで走り出し、誰も追い付けず、結局こんな所まで来てしまったという。
途中から他の者にも、山頂で祈る娘たちが見え、こわごわと近付いて、捕まった。
「天の御遣いの三天使を引き連れ、祈りを捧げる聖女様。奇跡じゃ、ありがたきお姿。爺はいつ死んでも構いませぬ」
何回死ぬんだよ。
「あら私、天使?」
エイミが手を頬に当てて呟いた。
「ふうん……」
盛り上がっているお爺ちゃんには悪いけれど、ルカは別の事に意識が行っている。
――これ、放っといたら駄目な奴だ・・
錫色の瞳が、六人の農夫を見渡す。何かを一心に見定める。




