帰る段取り
中央からの客員が来て一週間が過ぎた。
灌漑班も書庫保存班も、伯爵邸内に部屋を宛がわれ寝泊まりしているが、連日遅くまで精力的に動いていて、特に書庫組はいつ寝ているの? という感じだ。
雇用や食料買い上げで地元がちょっぴり潤って、好意的に見られている。
写本のアルバイトは若者に喜ばれて、夜は執務用に貸し出された広間が賑わった。
ラツェット領は平民貴族関係なしに兵務教練を受ける義務があり、読み書き計算は幼児期に教わるので、識字率だけなら王都より高かったりする。
ロッチは父兄に着いて領内を回って家業の勉強をしているが、馬に乗り慣れたルカも同行させて貰えるようになった。
夜は写本で小遣い稼ぎ。帝国語の筆記も出来るので学者たちに喜ばれている。
リリィはなんと絵本の描き写しを始めた。殿下におみやげにするそうだ。優しい。
「『ききりの神さま』って、帝国語の辞書で調べてみたわ」
「おお、どうだった?」
「『ききり』が、『光る』とか『キラキラした』とかいう意味で、神様に関する引用は出て来なかったわ」
「キラキラか。神様って光が付き物なんだけどな」
「口ずさんでいる内に気に入っちゃった。『ききりの神さま』、『ききりの神さま』、何だか可愛いんだもの」
「はは、リリィが言うと何でも可愛くなる」
ダミアンは図書室の奥に潜って、独自の研究を始めてしまった。もう何をやっているのか分からないレベルなので四人の専門家も触れず放置している。
そこへ臆せず突っ込んで行くジヨアナは凄い。
「ダミアン様! 沢に青い蛍が出たんですって、見に行きましょう!」
「何故だ」
「その年最初の青い蛍を男女で目撃すると幸せになれるんですよ、早く早く!」
「ただの酵素と酵素の化学反応だろう」
「いいから行きますよっ」
最終的には連行されて行くダミアンを見ないふりしながら、ルカは写本に勤しんだ。あのふにゃけた顔、イサドラ様に見せてやりたい。
もう何日かで連休が終わる。
大人たちの仕事はまだしばらく掛かるようで、灌漑は雪が来るまでの段取りを組み始めている。
ルカたちは帰りの日にちを考え始めねばならなかった。
***
「学園開始に合わせて王都に戻る灌漑関係者の馬車に空きがあるから乗せて貰えるって。三泊三日の超強行軍だけど、どうする?」
「ありがたくお邪魔させて貰おうよ」
「ルカ大丈夫?」
「初日に寝込んだのは馬車酔いだけが原因じゃなかったから」
「ま、まぁ、それは……」
湯船の中で問答を強制され、湯あたりで寝込んでいる所に使者としての義務を促され、翌朝フラフラなのに乗馬で山中を連れ回され、正式挨拶のち婦人連中に弄ばれ、書庫の掃除に大伯爵の説得……
「ごめん、半分くらいうちの祖父ちゃんのせいだな」
「その分便宜を図って頂けたから、ありがたかったよ」
貧弱な使者にも関わらず、しかも子息を怪我させた張本人……そんな者を快く迎え良くして貰えたのは、一族のトップが真っ先に受け入れてくれたからだ。
「私は一日でも長くラツェット領を目に焼き付けていたいので、帰り厳しくても頑張ります」
リリィの言葉にルカも頷き、ロッチも嬉しそうに鼻の下をこすった。
護衛騎士の二人はまた強行軍になると不満を漏らすかと思いきや、二つ返事で承知。彼らもここの水が肌に合ったようで、離れがたい様子を見せる。
ジーク様に頼んだらきっと出向させて貰えるよ、冬とか雪掻き楽しいよっ。
そして書庫の奥から面倒くさそうに出て来たダミアンは、
「資料をまとめるのにもうしばらくかかる。先に戻ってくれ。アーサー様に手紙を書いたから届けて貰えるか」
ずしりと分厚い書簡を渡された。
「凄く嫌な予感のする手紙です」
「勘がいいな。僕がいない間の書記業務はルカに委任するからコキ使ってくれという内容だ」
「うへぇ」
「元々サロン入会希望だったろ。もう正式入会してしまえ。下っ端業務ぐらい引き受けてくれ、僕はいい加減解放されたい」
「はいぃ……」
「サロンメンバーともなれば少々席順を落としても特待生から外される事はない。就職も有利だ。何だったら高等学院への道も開ける。給金の良い所に就職してとっとと借金を返してしまえ。そしてボワイエへ来い」
「最後だけ嫌です」




