サロン・Ⅲ
「あら、忘れ物かしら?」
一度出た扉をノックして戻って来た少年は、さっきは左端の隅で、一言も声を発さなかった子だ。
小柄で他の男の子に埋もれていたが、単独で見ると、青みがかった錫色の瞳は鋭く、華奢で真っ直ぐな立ち姿には妙な存在感がある。
「僕は家に持ち帰らなくていいので、今すぐ立候補します」
声変わりがまだの、幼い声。
「名乗りを許す」
アーサーは手を組み直し、マリサは歩いて彼の右後ろに立った。
ジークは左側に立ち、イサドラとダミアンは三人から離れて壁側に並んで立った。
これが役職に沿った正式な配置らしい。
「ルカ……・ハサウェイ、です」
少年は雰囲気に押されそうになりながらも、勇ましく声を出した。
「ハサウェイ侯爵家の新入生は、三男のランスロット様だった筈」
ダミアンが黒い革表紙のファイルを繰りながら、事務的に言った。
「この世に生み出された時に母から頂いた名はルカで、僕はそちらが本当の名前だと思っています。忠誠を誓う場所では本当の名を名乗った方がいいと思いました」
「お母様と、お家で、名前が違うの?」
「もう少し理由を付け加えたまえ」
「庶子です」
少年は短く言った。
その一言で、貴族社会なら何となくの事情は伝わる。
もっともダミアンのファイルには、もう記載済みな事だ。
(元の名を一文字も使わないのね……)と、イサドラが独り言のように呟いた。
「家門の長の不在な場所で、自ら道を切り開きたいか」
アーサーの声は、さっきまでの物柔らかな感じと違う。
「はい、庶子には何の権利もないですから。目の前にチャンスがあるならば、貪欲に掴みに行きたいです。
ただ……『清らか』とはどういう物なのか、上手く理解出来ず考えあぐねています」
「だからまず、自分にとって清らかな方の名をさらそうと思ったの?」
マリサの問い掛けに少年はハッとして、「はい、そうです」と答えた。
「分かった、サロンではそちらの名で呼ばせて貰おう。正メンバーになれるよう精進を期待する」
「ありがとうございます」
少年はホッと肩を下ろした。
と、彼の後ろの扉がまたコンコンとノックされた。
少年が慌てて避けると、扉が薄く開いて、戸惑いながらの顔がノソリと覗いた。
鳶色の髪に長身にソバカスは、さっき失笑を買った田舎伯爵の子息だ。
「あの、これ……」
ピロンと提示された小さなメモ紙は、走り書きで『後で一人で来るように』とある。
「退出の時にマリサ様に渡されたんだけれど、俺……僕に、どんなご用でしょう?」
扉の横にいる、同じ新入生でも宮廷仕え侯爵の子息を見て、ドギマギしながら部屋に入る。
「国境地方領主、ラツェット伯爵子息のロッチ様、で間違いないですね」
ダミアンが書類を見ながら確認する。
「あっすみません、まずは名乗らなくちゃ。ロッチ・ラツェットです。えっと、うちホント、田舎で山賊相手にチャンバラばかりやってるような脳筋な家で、街場の常識に欠けているっていうか……来る前に勉強はしたんだけれど」
「構わない、用事があって呼びつけたのはこちらだ。ああ、ダミアン、予定と違うが……」
アーサーが他メンバーを見渡した。
「ロッチに頼もうと思っていた仕事、ルカと二人組で取り組んで貰おうと思うのだが」
「異論ありません」
「そうね、良いと思うわ」
「二人組の方が警戒もされないだろうし」
「意外とベストな組み合わせかもしれないわ」
新入生二人は目を見開いてお互いを見た。
今日クラスメイトになったばかりの初対面。
何の仕事を振られるっていうの?
特にロッチの方は、普段接点も無い侯爵家の人間と組む事にされて、真っ白になっている。
「ストラスフォード大公令息アーサー様」
声変わりしていない高い声。
「ここではアーサーでいい。なんだい? ルカ」
「ラツェット伯爵子息は、先程『持ち帰って親と相談したい』と申し出ていました。彼に対しては強制なのですか?」
「ああ、言い方が悪かったな。仕事と言ったが、勿論断ってくれても構わない」
アーサーは立って二人の方へ歩き、ロッチの肩に両手を置いた。
「ただし、『君だけ』にメモ紙を渡して呼び出した事は、他では喋っちゃ駄目だよ」
そこだけ先刻と同じ、優しい声と微笑み。
ルカが横目でロッチを見ると、蛇の前で抵抗出来ない雛鳥みたいに固まっている。
「は、はい……でも、あの……俺が選ばれたって事は、俺が適任って事、なんですよね」
少年は頑張って震えを抑えている。
「うん、そう。君だからこそ頼める、サロンから、君個人への、お願いだ」
(ああ、これでおちるな)と思いながら、ルカは周囲を伺った。
先輩がたは皆、表情どころか視線すら読ませてくれない。さっきまでの緩い感じと大違い。
(この中で上手くやって行かなくちゃ。そして、一日も早く結果を出すんだ……)
***
「さて仕事だが、一人、近付いて調査して貰いたい新入生がいる。君たちとは違うクラスだ」
アーサーは涼し気に切り出した。
「不穏分子ですか?」
ルカが即座に聞いた。
ロッチは肩をビクッと跳ねさせる。そんな重いこと自信がないよって顔だ。
「いや、警戒はしなくていい。おそらく悪い事は考えていない」
「は……」
「ただ、友人レベルに仲良くなって、沢山会話をして、周囲の環境や思想、予測される行動を逐一サロンに報告してくれればいい」
「はい……」
ルカはまた隣のロッチを見た。
確かに、この緩い感じの令息は、自分と違って友達を作るのが上手そうだ。
では自分もアピール所を作らなくては。
「どういう情報を望みますか? 親や他家との繋がり等を探りますか?」
「親の話は最初はタブーだ。両親を早くに失くしている」
「はい……」
「孤児だ。数週間前まで教会の孤児院にいた」
「へっ? はぁっ!?」
ここって、王立の名門校。平民もいるけれど、貴族顔負けの裕福な家の子ばかりだ。
「何かよっぽどの才能があるんですか? 学業とか芸術とか、または秘密の血統?」
「学業は底の方、突出した報告は受けていない。今は男爵家の養子だが、実の両親は平民だ」
「だったら何故?」
「件の治療師殿の、遺児だ」
新入生二人は目と口をパカンと開いた。
そのままダミアンの、赤でマル秘と書かれた報告書の読み上げを聞く。
流れ者の治療師は元々教会に身を寄せていたが、王子の治療後は診療の仕事をやめて寺男をしていた。
日を追う毎に痩せ細り、城での一夜の無理がたたったのかもしれないが、本人は何も言わず、一年もたたずに亡くなった。
子供が一人いて、教会の孤児院が引き取った。
一ヶ月前、たまたま慰問で訪れた王妃が、治療師とまったく同じ容貌の孤児を発見し、院長に確認して驚愕した。
「何てこと、やはりお節介でも追跡して世話を焼いてあげればよかったわ。
王子を治療した時、『自分の子供と同じくらいの幼子が苦しんでいるのを見て、つい絆されてしまった』と、ぼやいておられたのよ。ならばこの子は間接的に王子の命の恩人だわ」
言って王妃は暴走し始めた。
遺児に願い事は無いかと聞いたら、「お腹一杯食べたい」「大きい犬と暮らしたい」「学校に行きたい」などの子供らしい願いを述べたのだが、それが、『大きい犬を飼っている男爵家に養子として放り込み』『王立学園の新入学へ捩じ込む』所業に繋がった。
本人の希望にどこまで沿ったか知らないが、上澄みしか知らない王妃には『ほどほど』は不可能だったのだろう。
***
「ルカ、いやランスロット……ハサウェイ侯爵子息? やっぱりランスロット、様?」
「ルカでいい、でも公式な場とか大人の前ではハサウェイ卿で頼む」
サロンを出て階段を下り、夕方の廊下を歩くロッチとルカ。
ルカがズンズン歩き、頭ひとつ背の高いロッチが合わせて着いて行く。
「オッケ、違う……了解? いや、御意?」
「いいよもう、無理されるとこちらも疲れる。君の話し慣れた言葉で喋ってくれ」
「そう? サンキュ。貴族って呼び方が一杯あって大変だね」
「君も貴族だろう?」
「うちなんか他とほとんど付き合いの無い田舎伯爵だもん。やっぱ都会の上級貴族って違うよなあ、髪の毛一本乱さないで背筋がシャキンと伸びてさ」
「…………」
「あ、ごめ……失礼しました……」
「だから気を遣わなくていいって。僕は会話が苦手ですぐに返事が出て来ないだけだから。黙ったからって怒っている訳じゃない」
「了解……」
「それからあんまり田舎貴族、田舎貴族って言わない方がいい」
「そう……?」
「貴族って家門にプライド持つのが当たり前だから、自分ちを卑下ばっかりする奴がいたら、何だこいつ? って胡散臭がられる」
「えっ、そうなの?」
「謙遜したいなら、心置きない間柄になってからの方がいいんじゃないかな」
「分かった。教えてくれてありがと!」
ルカは、一所懸命話しかけてくるソバカスの少年を改めて見た。
『謙遜』も『教えてくれてありがとう』も、貴族の会話ではどちらかというと嫌味に使うのだが、ロッチの言葉はそのまま素直に伝わって来る。
(僕には無いものだ……)
それにしたって、王立学園に来るのは分かっていたんだから、もっと真剣に貴族教育を受けて来いよ。僕と違って時間はあっただろうに。
(僕は本当に短期間に、死ぬ気で勉強したというのに)
二人はサロンのある中央棟の玄関を出て、中庭を突っ切った。
この学園の新学年は早春。冬は積雪量が多くて閉じこもりの季節になる為だが、中庭の低い木々には若芽が見え、始まりの季節という感じがする。
新入生専用の旧棟へ向かう。
手には使い古された小さな聖書。さっきマリサに渡された物だ。
『その遺児の持ち物よ。拾得物として届けてあげるといいわ。探していると思うから』
『……はい、分かりました』
「何でそんなのを持っているんだろうなっ」
「それをあの場で聞かなかったのは、君にしては頑張ったな、ロッチ」
「そりゃ、俺だって空気ぐらいは読むさ。でも本当に、生徒の失くし物が何でサロンにあるの? 俺、怖くなって来たんだけれど」
「そこは信用するしかないね」
「でもさあ」
「貴族にだって平気で盗みをする奴はいる。欲しいからじゃなくて、例えば下に置きたい奴が狼狽える様を見て楽しむ為だとか」
「…………」
「サロンの人たちがそっちの種類の貴族だとは思えない」
「へえ、流石に侯爵家ともなると、そういうのをパッパと読めるんだな」
「まぁね……」
あの人たちならやると決めたらそんな幼稚なぬるい事をやっていないで、もっと狡猾に、遥かにえげつない所業をやってのけるんだろうな・・って思うだけ。




