サロンの事務仕事・Ⅱ(付録付き)
「じゃあイサドラ、私たちは一休みにしましょうか」
「そうね、そもそも誰かさんが私たちに隠し事なんかしなければ、未然に防げた項目は沢山あったわよね」
イサドラの、ダミアンを責める言葉に、ルカは思わず顔を上げて「それは」と言いそうになった。
「お前は『手』だ。感情は無い、手以外の器官は閉じていろ」
無茶を言うダミアンに釘をブスブス刺されて、書類の清書に戻る。
「イサドラ、お茶が飲みたいわ」
「いいわよ、とびきり美味しいのを入れてあげる。マリサも大変だったものねぇ」
「一番大変だったのはアーサーよ」
「苦労性よね。どんなに駆けずり回っても、『上位貴族だから権力を振りかざして何でも出来る』って思われて終わりだもの。
権力があったって何でも簡単に通せる訳じゃないのに」
「軽々こなしているように見せているからね」
「退学届けの差し止めも、学長の呼び出しも尋問も証人喚問も、人を使わないで彼が直接出向くから延期して貰えるんだし、それも散々嫌味を言われながら」
「おい、『手』! 手が止まっているぞ!」
「あらあら、泣いちゃった」
「泣かせちゃった。悪いんだぁ、イサドラ」
「私のせい!?」
「な、泣いてないですっ」
「『手』が口をきくな! 次に喋ったら叔母に進言して夕食の皿はピーマン山盛りだぞ」
「えっ、ルカ、ピーマン食べられないの? お子ちゃま?」
「ダミアン、育ち盛りのお子さまに食事の体罰は感心しませんわ」
「先輩がた、『手』はまだメンタルが不安定なんです。あんまりつつかないで貰えますか」
言われて、イサドラは腰に手を当てて開き直った。
「私たちはぁ、ただ、アーサーが優しくて優秀だってお話をしていただけだわ」
「いちいち言わなくても、アーサー様が優しくて優秀なのは周知の事実です」
「いざとなったらマリサんちのカンタベリィも、フロレインもその寄り子も、後ろ楯に付く心づもりがある程度には、優しくて優秀よ」
「いざという時なんか来ませんよ。何度蒸し返したら気が済むんですか。サロンで散々議論をしたでしょう?
第一、肝心のストラスフォード家が、大公様も宰相様も、ローザリンド王太子推し一択で揺るぎません」
――え? いきなり何の話を始めるの、この人たち?
なるべく聞き流そうとしていたルカだが、手の中の書類を取り落としそうになった。
もしかして、以前サロンで意見が割れてたのって、今現在の王太子以外の者を推挙する……いわゆる『クーデター起こすかどうか』で議論したって事ですか? 何それ、サロンこっわっ。
「『手』の手が、完全に止まってしまってしまったじゃありませんか」
「あら、困るわ、私、今晩は外せない食事会がございますのに」
「では、『手』の妨げになる会話はお控え下さい」
「軟弱な『手』ね」
三人(ルカは『手』なので)で頑張って、山だった書類は捌けた。
片付けの時、窓から中庭の芝生が見えた。無人のその場所は寂しそうに草が色褪せていた。
「もう口を開いてもいいぞ」
帰りの馬車。
ムスッと腕組みをしたまま、ダミアンが言った。
「先に言っておく。くだらない質問には答えない」
「今日は連れて行って下さってありがとうございました」
「あざといな」
「まずはそれだと思いました。イサドラ様に罵られると元気が出ます」
「……それは良かったな、叔母上に報告しておこう」
ルカは一拍置いた。
「イサドラ様たち、何で『あの話』を僕に聞かせたんでしょうか?」
ふぅん、ルカが一番に聞くのはそこか・・そういう顔をして、ダミアンは答えた。
「味方になって欲しいんだろう」
「僕、もう侯爵家じゃないし、何の力もありませんよ」
「カンタベリィやフロレインにとって、ハサウェイ侯爵家の子息ごときの身分、平民と誤差の範囲でしかない」
「酷い……」
「君は自分で思っている以上に重要な存在なんだ」
「まさか。学園に残れるかすら怪しいのに」
「そこは、能力次第でボワイエで拾う準備がある。次の試験で結果を出せ」
「試験勉強ぜんぜん出来ていませんよ」
「うちが手放したら、大喜びでブルー家が迎えに来るだろう。ただ、リリシアより下位だと、もう昼食の恩恵に預かれないよな、ルカ先生」
「…………」
「何よりもローザリンド殿下が君を放っておかない。分かったか、身分関係なく、君を味方に付ける事には価値がある」
「…………」
みんな、僕のせいで怪我したのに……
「でも、ストラスフォード家……アーサー様の家は、ローザリンド殿下イチ推しなんでしょう?」
「それどころかアーサー様自身が全力で拒否しているからな」
「そうなんですか」
「『あんなビカビカ光る天然オカルト王子と玉座争いなんか、絶対にやりたくない!』と。かなり真剣に眉間に縦線を入れて」
「…………」
気持ちはちょっとだけ分かる……
「元より、表に立って称賛を浴びるよりも、裏で思い通りに操ってほくそ笑むのが好きな方なんだ」
「は、はい……」
え? それじゃあ?
「そもそも誰がアーサー様を立てたいんです?」
「そういう派閥は以前からある。ローザリンド殿下が虚弱だったからな。継承権二番目のストラスフォード大公も、三番目のアーサー様も、それなりの準備教育は受けている。
殿下の健康が安定したので下火になったが、何故か今、マリサ様とイサドラ様が蒸し返しているのだ」
「本人が嫌がっているのに?」
「そうだよなあ」
ここ一ヶ月、そういう事を言い出した二人に、ジークとダミアン、そして当のアーサーが争って、議論を闘わせていたという。
「それこそ、何でまた?」
「『アーサー様が立太子すれば、身軽になったローザリンド殿下が誰と恋愛しようが、サロンも王妃殿下も、誰も気を揉まなくて済むでしょ』だってさ」
はあああ!?
ルカは、深海に沈んでいた心をいきなり海上まで引き揚げられた気分になった。あっぷあっぷ。
「うぅっ、ごほごほ」
「どうした、大丈夫か?」
「ぜぇぜぇ、何ですか、その恋愛脳。本当にイサドラ様たちがそんな事を言ったんですか?」
「ああ。省略したが概ねそんな感じだ」
「国王って職業を何だと思っているんです」
「僕とジーク先輩も、だいたいそんな事を言って説得した。それで一度は収まるのだが、忘れた頃に、今日みたいに蒸し返す。ルカがいる場所でまで話し始めるとは思わなかった」
「…………」
もやが掛かっていたみたいな思考が一気に研ぎ澄まされて行く。
ルカは、疲れて身体が痛そうなダミアンに、申し訳なさ気に言った。
「あの……ロッチのお見舞いって……今行ってもいいですか……?」
***
~付録:ぬりえ~
二人は仲良しイサドラとマリサ




