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きよらかな王子さま  作者: しらら
きよらかな王子さま
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サロンの事務仕事・Ⅰ

 



 王立学園中央棟。

 最上階、学園自治会特別執務室、通称サロン。

 かつては野心を持った大勢の学生で賑わった物だが、今代は五人、しかも先日までちょっとだけ意見が割れていた。


 土曜の午後を潰して執務に励むのは、マリサとイサドラの二人きり。

 先週の、下町キレットに掛かる旧橋の崩落事故。サロンメンバーと数名の学園生徒が現場に居合わせた事で、上や下への報告に追われているのだ。


「アーサーは?」

「関係各位に根回し」

「ご苦労様ね」


 処理しても処理しても減って行かない書類。


「ジークはともかくダミアンがいないのがキツいわね」

「有り難みって、いなくなって初めて身に染みる物よ」

「本当に惜しい人を……」


「勝手に亡き者にしないで下さいっ」


 扉がひとりでに開いて、両手を包帯でグルグル巻きにしたダミアンが入って来た。手だけでなく、右に左にぎくしゃくと傾きながら歩いている。普段使わない関節に一気に負荷を掛けた事で、動く度に激痛が走るのだ。


「父に寛解(かんかい)証明を出させたので、本日より業務に戻ります」

「大丈夫なの? 全然寛解していなさそうだけれど」

「ペン、持てるの?」


「包帯がまだ取れないので、『手』を帯同して参りました」


 入り口を見ると、先程扉を開けた人物が、罰悪そうに扉の隙間から覗いている。


「ルカ……」


「本日は僕の『手』です。人権も人格もありませんので気遣い無用です。喋るのも禁止にしているので話し掛けないで下さい。

 おい、『手』、こっちに来て椅子を引け」


 ルカは神妙に入って来て、本当に口をつぐんだまま、ダミアンの横で黒子のように書類作業を手伝い始めた。

 表情は死んでいるが、栄養状態は悪くなさそうだ。

(物を食べられるようになったのね……)


「まずはサロンの通常事務だ。これはそっちの書式を写すだけでいい。こっちのは今から口頭で言うから書き留めろ」


 健気に作業に従事するルカ。

 マリサとイサドラは、言われた通り気にしないで自分たちの仕事をする事にした。




 あの日。

 一番の重症はロッチだった。

 骨や神経こそ無事だった物の、胸回りぐるりと皮膚が裂け、しばらくは息をする度に呻き声を上げていた。まだ学園付属病院に入院中。

 次がダミアン。見ての通り。

 殿下はダミアンが多少なりとも庇ったお陰で、手の怪我だけで済んだ。それでも王太子の両手に怪我をさせてしまった失態は大きい。


『そうは言っても、殿下がいなければ一発であの場所に辿り着けなかった』

 と語るジークは、踏み抜いた板で手足を血まみれにさせていたが、本人に言わせると怪我の内に入らないらしい。

 リリィも繋いでいた腕の筋を痛め、折れた欄干の切っ先で頬に創傷を作っていた。


 対して、一人無傷のルカ。そりゃ居辛い。


 王宮からはまだ何のお達しも無い。

 殿下が声を上げてくれているのだろうが、王も王妃も感情で動く訳には行かない。

 差し当たり、当事者たちは自宅待機を命じられている。


 公には、あの場には、ローザリンド殿下もハサウェイ侯爵も居なかった事になっている。

 有り体に曝すと、裁く範囲が広大になり過ぎて、殿下のお心に障りがある。(この『殿下の心に障りがある』は便利に使われ過ぎて、最近は宰相の作為を感じる)


 もっともハサウェイ侯爵家は、兼ねてから内定が進められていたいけない薬の密輸が明るみに出て(トドメを刺したのは匿名の告発文)、存続は絶望的。真面目に役所勤めをしていて蚊帳の外だった侯爵には多少の同情の声だけがあがった。


 ルカはなんと、出生時、侯爵家に籍が入っていなかった。侯爵が命じた筈の手続きを、本妻が握りつぶしていたらしい。

 学園入学申込み時に気付いた侯爵が慌てて手続きをしたが、入籍時期的に無関係とされ、連座を免れた。

 で、今なぜか、ダミアンの実家、ボワイエ家預かり。

 ブルー家も強く名乗りを上げたが、一族の心療系の医者の元へ預けると告げると、素直に手を引いた。


『僕、どこもおかしくなんかないですよ』

『おかしくない人間などいませんよ。ちょっとおかしいか、沢山おかしいかの違いです』


 さすが医者の家系ボワイエ。

 こんな種類の医者も存在するのかと引き合わされた心療医は、二十代の、黒髪をきっちり結い上げた女性。ダミアンの叔母だという。


『まず、身体をきちんと作ろうね、骨が鳥みたいだけれど貴方は鳥と違って飛ぶ必要はないからね。いっぱい食べて、寝て、お日様に当たって、ちょっと運動もしよっか。怠るとダミアンみたいになるわよ』

『叔母上、それ、今言う必要ありますか』

『あら、いざという時友達ひとり引き上げられないなんて情けなさ過ぎるわ。そのリリシアというお嬢さんは凄いわね、きっと貴族令嬢の立場に甘んじず、普段から身体を研鑽していたのでしょう。だから手を離さない勇気も持てた。

 いい? ルカさん、貴方の身体は貴方だけの物。貴方の好きなように成長させていいのよ。背も筋肉も、これから、幾らでも』


 話すスピードは違うけれど、何となくソフィーおばあちゃんに似ている……と思いながらルカは、言われるままにボワイエ家の離れで規則正しく過ごした。

 そして今日。どうせ書類処理が追い付いていないんだろうと、無理矢理に登校するダミアンに、襟首掴んで引っ張って来られた。


「僕、皆に合わせる顔が……」

「『手』が顔なんか気にするな。黙ってひたすら書類を書いていればいいんだ」







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