繋いだ手・Ⅱ
――あ――あ…… 思いっきり毒をぶちまけちゃった。
僕もう、消し炭だよ、
まっ黒クロだよ
――ルカは清らかだよ。だって私は清い物にしか触れていられないもの
――なにそれ
――お父さんの聖書が
――――バシィッ!!
思いきり左手が引っ張られる。
放そうとした手をリリィが離してくれなかった。
足の下には何もなく、ルカはただリリィの小さい右手にぶら下がっている。
さっきまで立っていた欄干がギシギシと橋から剥がれて行き、リリィは反対の左身で、息を詰まらせながらそれにすがり付いている。
朽ちた部品が足下の彼方へ落ちて行く。
橋は半分が無くなっていた。
ボロ橋にとどめをさしたハサウェイ公爵の六人の僕は、全員無事で、向こう側の崖縁に這い上がって腰を抜かしている。
「離して、リリィ、一緒に落ちちゃう」
「やだ」
「母さんが居ないんだ。もう頑張らなくていいんだ、だから離し……」
「阿呆ォ! 離すなしっかり掴んでろ!!」
野太い声が響いて、ジークの逞しい腕が伸びて来た。
崩れかけの橋に腹這いになって、リリィの胴体に腕を回して、背筋と腹筋で二人一気に引き上げようとしている。
しかし肝心の床板が、
メキッ、バキバキバキ
「うあ、」
リリィの乗っかっていた部分が落ちて、完全にジークの腕にぶら下がる形になってしまった。
そこかしこに亀裂が入り、どこにも力の掛けられない危うい状況で、橋全体がユラユラ揺れている。まずい。
リリィの握力が失せ、ルカは一度握りかけた指をまた離した。
(リリィ一人なら引き上げて貰える)
体重に任せて手が滑り落ちる。
(こんなに高いんだもの。きっと痛いと思う暇もない)
「だああああ――――!!」
ジークの後ろから空中に身を踊らせる長身はロッチ。
今まさにリリィの手から離れようとしているルカの所まで落ちて、身体をガッシリ掴んだ。と同時にガクンと止まる。
二輪馬車の長手綱や馬具を繋いでロープにし、身体に巻き付けているのだ。
ロープの端は欄干に引っ掛け、殿下とダミアンが必死の形相で引いている。
「あぅう・・」
「重い・・」
「よっ、ルカ、おひさ」
「ロッ……チ」
「引き上げて――」
「う、動けない・・」
「肉体労働に向いていないんだ、僕は」
ロープを掛けた欄干だって無事じゃなさそうで、ギシギシと嫌な音を立てている。
殿下とダミアンは慌てて引こうとするが、力が全然足りていない。
「ダミィ、もう一か所何処かに引っ掛けて力を分散しろ!」
「そんな余裕無いですぅ」
「だったら、死ぬ気で引けえぇ!!」
「うぎいいいい!」
「殿下だけは逃げろ! 安全な所へ!」
「出来ない! そんな事出来ない!」
「あああ、もお、クソッタレ!!」
ジークは自分のやるべき事に切り替えねばならなかった。
「おい、小僧ども、今から娘の身体を離す」
「ええ……」
「お前らが受け止めろ。俺はロープを引き上げる方に回る。このままだと全員落ちる。俺は殿下を最優先で護らにゃならん。分かれ」
「そんなあ」
二人がぶら下がっているのはリリィの真下ではない。
リリィの方が先に肝を固めた。
「飛びます。一度だけ反動を付けさせて下さい」
「おう」
リリィが大きく足を振った。
「行きます、・・えいっ!」
「ちょっリリィ!」
「思いきり良すぎ・・ぐふ!」
リリィは見事にロッチにしがみ付き、三人抱き合って、ミノムシみたいにロープにぶら下がった。
ロッチの胴に回した手綱に、三人分の体重が食い込む。
「ギュウ、俺、千切れちゃぶぶ」
ルカは慌ててロープを掴んで、体重をそちらへ分けた。リリィも真似をした。
「頑張れ」
身軽になったジークは、そろりと這って、ロープを持つダミアンと王太子の元へ移動する。
今リリィが飛んだ衝撃で、更に橋の部品が落ちて無くなっている。
二人の立つ場所はまだ橋桁が健在だが、荷重が増えた事でロープ先の欄干が今まさに折れようとしている。それでも必死にロープを支える二人。王太子はともかくあのダミアンが、みじんも諦めてくれる様子が無い。
急いで、慎重に、早く――
――ミシ、メリメリ
腐食した床板がたわんだ。
(駄目か……)
やるべき事…… 殿下を体当たりで安全な場所まで突き飛ばし、出来ればダミアンも逃がし、それが終わってまだ余裕があれば、ロープを掴んで三人を引き上げる。
(……三つ目はおそらく無理だ)
分かっている、やるべき事、優先順位、生まれ持った家系、幼い頃から刷り込まれた騎士の責務。
・・何でこんなに躊躇してしまう!
――メキッ ・・欄干が折れる!
「クソッタレエェ――――!!」
イチかバチか、床板を踏み抜きながら全力で突進した。
途中でロープを両手で掴み、引きずられる二人に体当たりしてまとめて橋の外まで突き飛ば……
「!!??」
何でロープが軽い??
肩透かしを食らった勢いのまま、三人まとめて橋の出口まで転がって行った。
今の振動で、橋の残っていた大部分が崩れて落ちて行く。
(離しやがったのか? ロープを、馬鹿野郎、あいつら・・!!)
茫然とするジークの正面で、仰向けに転がった王太子とダミアンが、別の感情で呆然と口を開けている。
視線を辿って振り返ると、ロープに繋がって抱き合ったままの三人が、橋の瓦礫の向こうから、まるで軽々と、ボールのように飛んで来て、ジークの上にボフッと落ちた。
「ぎゃっ」
しかし三人分の体重には感じなかった。
「うう……」
「痛ぁ……」
「ロープ、ロープ緩めて。息が止まるっ」
ジークが慌ててナイフを出して、ロッチの脇の下に食い込んだ革手綱を切ってやった。
所々衣服が破れて血が滲んでいる。
「骨、大丈夫か?」
「うぅ……まだ分かんない」
「胸板鍛えてといて良かったろ」
「うぃ……」
(声が出せるんなら大丈夫だ)
「さてお前ら、一発ずつ殴らせろ」




