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きよらかな王子さま  作者: しらら
きよらかな王子さま
31/89

繋いだ手・Ⅰ



「ランスロット」


 心底どうでもいい男性の声がした。


「ここに居たか。手間を掛けさせるな。私の時間をどれだけ無駄にしたと思っている」


 橋の手前に、立派な貴族帽を被った、髪色しかルカと似ていない男性。

 後ろに侍従と護衛を三人ずつ従えている。


「手間を掛けたくなければとっとと籍から抹消すればいいのに」


 ルカは木製の欄干に立ち上がった。

 手を繋いだままのリリィは黙って彼を見上げている。


「母親の件でごまかしを言ったのは済まなかった。だがあの時そうとでも約束しなければ、お前は水も口にしてくれなかったではないか」


「へえ、僕の事を心配したの?」


「当たり前だ。ルゼがお前を連れて別宅から失踪してから、どれだけ探した事か。あらゆる時間を犠牲にして探し回ったのだぞ。まさか子供の性別を偽装していたとは」


「ふうん。そんなに子供が欲しいんなら、頑張って新しく作れば良かったのに。『何と言われようとも信じている本妻』がまだ邸にいるんでしょ」


 怒りの形相で思わず踏み出した侯爵だが、橋がきしんで全体が大きく揺れたので、慌てて引いた。

 ルカは欄干に立ったまま、ユラユラと揺れるに任せている。


「お、お前は心を病んでいるのだ。学園へ行かせるには早過ぎた。しばらく邸で静養しよう。さ、こちらへ来なさい」


「ギフト商会、河川敷第三倉庫」


 公爵がピシリと凍り付いた。


「何か悪い事やってるな~ぐらいには思っていたけれど、あんなのが転がり出るなんて、調べてくれた親切な先輩もビビっていましたよ。

 一番やっちゃいけない物を密輸していたみたいだね、貴方の息子さんがた」


「な、何を、突然何を言い出すのだ、お前は」


「今朝、呼び出された時、てっきりそっちの件でだと思ったんだ。あ――あ、とうとう逮捕されちゃったかって。学生の先輩にだってすぐに調べがつくぐらいだもの。

 それがまさか一ヶ月以上も前の幼稚な噂の件でだったとは。どれだけズレた世界線で生きているんですか。だから家族が長年何をやっていたのかも全然目に入らなかったんですか」


 リリィもびっくりして、手を繋いだままルカを見上げている。


「今から思うと、母さんも薄っすら気付いていたんじゃないかな。それであんなに怯えていたんだ。

 まぁ、今日、急に捜査が進み出したのは、公安部に告発文が届いたからです。僕が書きました。

 本当は、貴方をそれで脅迫して母さんの病院を聞き出すつもりだったんだけれど、すべて嘘だったって分かったんで、さっき邸から逃げた足で、支所へ行って提出して来ました」


 公爵は赤くなって青くなった。

 宮廷の役所勤めに専念していた自分の足元で、身内のほとんどが手に染めていた最悪な犯罪。気が付いた時にはとっくに手遅れだった。

 公になる前に、形だけでも血縁のあるクリーンな繋ぎ手を確保しておかないと、侯爵家の存続が危うい所まで来ている。こんな家に養子を出してくれる者などいない。


「僕に執着していた理由、母さんへの思慕がちょっとでもあってくれたと思いたかったんだけれど、違ったみたいです。残念」


 公爵は般若みたいな顔になった。

 何故だ、やっと見付けた息子が何で思い通りにならない。貧民街から上級貴族に引き上げてやったのに!



「リリィ、もう離れて。危ないよ」

「お願い。手を繋いでいさせて」

「…………」



「き、貴族家の子供は、家の為に身を捧げる物だ。どこの家でもそうしている。十二歳にもなってそんな事も分からんのか」


「貴方の子供は五歳で死んだよ」


「またそのような痴れ事を」


「本当だよ、貴方の妻子につけ狙われて、疲れ果ててこの街に来た時、雑貨屋の女将さんに声を掛けられなかったら、僕を抱いたままここから飛び降りていたんだもの」


 リリィは息を呑んだ。

 ハサウェイ侯爵は動揺していないふりをしたが、後ろの侍従と護衛は感情の動いた顔をした。


「一度死んだ僕は、ルカって名前の女の子になった。『大きくならないで』『首も細いままで』『声変わりしないでね』、毎日毎日呪文のように言われていたら、本当にそうなっちゃう物なんだね」


「ルゼは狂っていた」


「命の危険を感じるほど怖い時に、頼りにしたい人が全然信じてくれないんじゃ、そりゃおかしくなるよ。狂っていたんだとしたら、原因は貴方」


「いい加減にせんか。誰に向かって口をきいているんだ」


「ハサウェイ侯爵さま。

 毒の後遺症がどんなに苦しい残酷な物なのかも知らない、ハサウェイ侯爵さま。

 信じなきゃいけない時に信じなかった事で全部を失くす、ハサウェイ侯爵さま」


「捕まえろ! こいつを捕まえろ! 捕まえて黙らせろ!」


 後ろの使用人が動いた。でも動きが鈍い。護衛の内二人は明らかに忠誠を失くしている。


 それでも六人の大人が一斉に橋に踏み込み、傷んでいた橋桁が限界の音を立てた。



 ***




 ・・

 ・・・・


「あそこに橋が出来るの?」

  「そう」

    「凄い。誰が作るの?」

「ここに橋があったら皆が便利になって助かるなぁ、って思う人だよ」


  「へえ、神さまみたい」







 ――――神様!!




 自分が落ちるのは構わない。

 元から、侯爵に全部失わせてやるつもりでいた。


 でも、リリィが、繋いだ手を放してくれなかった。





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