黒革のファイル
本日は昼にも投稿します
屋根の傾いた貧民街。
歪んだ窓に沿って太陽は斜めにしか入らず、建て増し建て増しの建物は、もうどこからどこまでが誰の責任かも分からない。
それでもここに流れ着き疲れた足を投げ出す者には、優しい寝床であったのだ。
「前に……」
薄暗い廊下、埃っぽい西陽に、藤色の三つ編みの下半分が浮かぶ。
「前に、下町アパートの話をしたじゃない。大昔の地割れ跡のほとりに、五本足の給水塔があって……って」
コツコツと学生靴の足音が、灰色の廊下に響く。
「それでピンと来ていました。五本足の給水塔って珍しいもの。向こうに突き出している三角屋根が、孤児院のある教会。割と近い所に住んでいたんですね、私たち」
暗がりの廊下のドン詰まり、小さく小さくしゃがみこんだ少年の錫色の頭を、少女は両手を回して抱いた。
「よかった、居てくれて」
「……リリィ…………」
「私一人よ。昼休みの後すぐ学園を飛び出して走って来たから。へへ、サボりになっちゃった」
「……ダメダロ、サボッタラ…………」
「そうね、明日から挽回します。またお勉強教えてね」
「……アシタ……」
「あのね、下の階の、雑貨屋のおかみさんが、仲良しだったのね、ルカのお母さんと。この場所を教えてくれたわ」
「……………………」
「みんな聞いたよ、ルカ……」
***
もう放課後まで待てなくて、ロッチと殿下は、五現目が終わった時点で、旧棟を出て中庭へ走った。
「侯爵より先にルカに辿り着きたい。遅れを取ると二度と会えなくなってしまう気がする」
「そんな大袈裟な……って言いたいけど、殿下の勘って当たるもんなぁ」
「庶子は就学させる義務が無い、嫡子に比べてあらゆる権利が無いのに何の将来も与えて貰えず、飼い殺され使い潰されるケースが少なくない」
「殿下、意外とそういうの知っているんだね」
「良い子の宮廷人ばかりじゃなかったから。宰相がかなり癖が強くて」
「えっ? 宰相さん、悪い人?」
宰相は、確かアーサー様の叔父(母の兄)で、穏健派の筆頭だった筈。
「悪人ではない。わたしに『お飾りじゃなくちゃんとした王様になって欲しい』と言うのが口癖だ。家庭教師が教えてくれぬような話を沢山教わった。母上が卒倒しそうな場所へもこっそり連れて行ってくれた」
宰相、『穢れ』は気にしないのか?
「殿下が妙に落ち着いているのって、そういう下地があるんだね」
二人は目立たぬように中庭を横切り、サロンのある中央棟の前で別れた。
殿下は建物に入り、ロッチは入り口に背を向けて、建物に沿って歩く。
侍従と近衛はロッチを気にしながらも、殿下にゾロゾロと着いて行った。
ロッチは歩いて、建物の中央付近で立ち止まった。
見上げると、真上に四階サロンの窓。ルカが、昼食中にたまにサロンメンバーが見えると言っていた。
見上げたままじっと待つ。
十秒、二十秒、三十秒……
ドタドタと窓辺に寄る足音。
次の瞬間窓ガラスがバンと開き、黒い革表紙のファイルが降って来た。
――ドササ!
地面に落とさぬよう頑張ってキャッチする。
おもっ!!
「すまない、明るい所で見ようと」
殿下の声。
「だからお見せ出来ないんですってば! 個人情報のカタマリなんですからっ!」
ダミアンの声。
そう、ダミアンのファイル。ありとあらゆる情報の詰まった。
「あ、丁度、下に人が。ねぇあなた、それを持っていてくれませんか、すぐに」
「すぐに取りに行きますからっ 中を見ちゃ駄目ですよっ!」
即走り去る足音。
ロッチは「はぁい」と返事をしながらページを開いた。
第一案は、殿下が隙を見てファイルを盗み見る案だった。
が、やはりそんな隙は無かったようだ(肌身離さず抱えてるもんな)。
で、第二案、『奪って窓から落っことす』。
(いじめっ子みたいじゃん)
ダミアンが駆け下りて来るまで何秒か。その間に調べる。
何でも書いてある黒革のファイル。
ある筈、今ルカが行きそうな場所、求めるならばお母さんの現在地。
――あった、ランスロット・ハサウェイ。
新入生、Aクラス、瞳 錫色、髪 錫色
父、ロバート・ハサウェイ侯爵
母、ルゼ 家門無し
・・・・
――え??
草を踏む音がして、黒髪を振り乱した荒い息のダミアンが来た。
少し遅れて殿下も来る。
「見たのか」
口を結んで頷くロッチ。
「愚か者が」




