平穏の中の不穏
「お勉強熱心ね」
「ぷぇっっ」
突然後ろから声を掛けられ、ルカは棚に戻しかけていた本を落としそうになった。
中央棟横、学園図書館。
本をほとんど買わないルカは、参考書すらここを頼っている。
何処にいても絵になる銀の髪を靡かせて、セピアの書棚の間を縫ってイサドラは、ルカを人気のない閉架書架へ誘った。
また青服の警備兵が外に立っている。
「何でしょうか。今更、王太子がリリィに近付き過ぎるのを阻止しろなんて指令が出たんじゃないでしょうね。僕には無理ですからね」
王太子の初恋の相手というリリィだが、当人は全く覚えておらず、相変わらず控えめで三歩引いている。
ルカから見ても、とても賢いリリィだし、心配には及ばないように見える。
「そういう頭ならもっと早くに指令を出しているわよ。サロンだって、最近の貴方たちの安定した様子に、このまま触れないでおこうって方針よ」
「それはどうも」
「またアーサーの言った通りになったのがちょっと忌々しいけれどね」
「へえ、いつ言ったのですか」
「朝の停車場で、リリシアがフッ飛んで来た時よ」
「そんなに早く?」
「『これ、大いなる力が働いて、もう逆らわない方がいいのでは?』なんて言い出して。あの時は『大丈夫? アーサー』って思ったけれど、結局その通りで今は上手く収まっているんだもの」
「アーサー様、そういうこと言う方だったんですか?」
「意外とスピリチュアル寄りのロマンチストなのよ」
「はあ、それで何で婚約者決まらないんでしょうね」
「……何ででしょうね」
「本日のご用はそれだけでしょうか」
「そっけないのね」
「庶子ですから」
「おうちと連絡取ってる?」
「……もう行っていいですか?」
「あ、あの、ね、」
イサドラは一度上げた手を下ろしてまた上げた。
「サロンが、ね……」
「はい?」
「今、意見が別れているの」
「えっ、サロンが!?」
そこでイサドラはハッとして頭を振った。
「あ、今のは無し、忘れなさい」
「そこまで言い掛けてやめるんですか」
「忘れなさいってば」
「多少の内情をさらして、僕を味方に着けようって魂胆ですか」
「本当に可愛くない」
「何をすればいいんです?」
「ルカ?」
「貴女とダミアン様には味方しますよ。何をすればいいんです?」
「…………」
「イサドラ様?」
「ごめんなさい、ダミアンと私も意見が割れているの」
「まさか」
「貴方、どっちに着く?」
「…………」
そこで喋れなくなってしまったルカに、イサドラはいつもの貴族の微笑みに戻った。
「今のままでいなさい。少なくとも、私たち全員、貴方たち四人が子犬みたいに朗らかにランチしている様が好きなの」
そう言って書架を出て行った。
ルカには分からないし、分かりようがない。アーサーの奥底の真意だって分からない。
ただ、今日のイサドラは何だかちぐはぐで、いつもの鮮やかなキレが無かった気がした。
***
学園に入学してそろそろ三ヶ月に届こうとしている。
中庭の木々は青々と繁り、毎日のランチは草息れの中。
ルカ、ロッチ、リリィ、そしてローザリンド殿下。ここで四人で昼食を取り勉強会をするのが、すっかり定着してしまった。
「この料理は始めてだな」
「牧羊の国のスパイスです。ケイトの家の新しい輸入品。感想を聞いて来て欲しいと頼まれました」
「さっぱりして今ぐらいの季節にピッタリだ。リリィの料理の腕も上がったな」
「おそれいります。まだまだジェフさんに教わってばかりのヒヨコです」
殿下とリリィはお互いに節度を保って対峙している。見ていて安心。
どちらかというとロッチの方が馴れ馴れしい。
「リンド殿下、ついに手に入りましたよ~、革職人に依頼していた、太くて丈夫な長手綱」
「本当か、放課後が楽しみだな」
「ロッチ、何を作っているのか、いい加減教えてよ」
「な~いしょ! ね、殿下」
「ふふ、ルカ、もう少し待て」
なんとこの二人、ブルー家の週末作業だけに飽き足らず、とうとう学園の厩横に空き倉庫を借り、何やら大物を制作し始めたのだ。暇さえあればロッチとそちらで作業して、殿下はますます年相応の顔になって行く。
(のどかだなぁ)
見上げると、爽やかな空に流れる綿雲が二つ三つ。
来月には嫌~~な試験だが、それが終われば初めての連休。
殿下はまた王妃に交渉し、『首席を保てば願いをひとつ聞いて貰える』の約束を取り付けたらしい。
「今度は負けませんよ、殿下」
「わたしも譲れない」
「二人して全科目満点を取ればいいじゃん」
「簡単に言わないでよ」
中央棟のサロンメンバーは、たまに姿を見かけるが、穏やかに挨拶するだけ。ジークは目が合うと手を振ってくれる。
誰かと誰かが仲違いしている風には見えない。意見の相違というのは解消されたのだろうか。
もう、リリィの出生も、王太子の穢れの事も頭から離れ、変わらない平穏な今日が、明日も明後日も続いて行くんだと思えた。