二人の決意(人物紹介・1)
翌朝
ルカとロッチは、夕べ話し合って出した三つの決意を、実行に移す為に動いた。
まず、毎朝校門の馬車停車場まで、リリィを迎えに行く事にした。
そういうのは婚約者や恋人の役割だから、妙な噂を立てられてもよくないと、重そうなバスケットが気になりつつも、遠慮していた。
しかし、気を使っていても噂をひり出されるんならもういいやと、堂々と荷物を持ってやって、三人並んで登校する事にしたのだ。
「じゃあね、リリィ、またお昼に」
「ありがとうございます」
ロッカーにバスケットをしまい、「失礼したね」と教室内を一瞥して踵を返すと、閉めた扉の向こうで雀の巣のようなキャアキャアいう声が聞こえた。
「女子って意味もなく騒ぎたがるよな」
錫色の前髪をかきあげて、下手な女子よりピンクの唇のルカが言う。
「ま、まぁ、女子は戯曲の恋物語とか好きだし、現実の男の子が気になるお年頃なんじゃない?」
「ああ、ロッチ背が高くてカッコイイもんな、そりゃ騒がれるか」
「え? そ、そんな事ないよ……?」
「はああ、僕もロッチみたく高身長に生まれたかった。ぜんぜん背が伸びなくて、いつまで経っても子供っぽくてさ」
「…………」
――マジか……?
ロッチは目を丸くして隣の相棒を見た。
(こいつ、自分がAクラスの教室で、高位貴族の令嬢たちにどんな視線を送られているか、気付いていないのか? 一階と違って民度的に雀の巣になんないだけだぞ?)
先日の嫌な噂だって、ヤッカミ半分も含まれていたんだと思う。
「ルカ、きちっと作れば結構モテると思うけど」
「えっ、まさか、気休め言わなくていいよ。ロッチこそ彼女出来たら遠慮せず言えよな」
「…………」
なんだか言い返すのもバカバカしくなって、ロッチはその話題に触れるのはやめた。
それから、二つ目の実行。
二階へ上ると、廊下に既に見知った近衛兵士が立っていた。もう登校しておられるようだ。
教室の扉を開くと、いつもの窓際に、ローザリンド王太子が座っている。二人は自分の席に付く前にそちらへ歩いた。
「おはよう、ハサウェイ卿、ラツェット卿」
「おはようございます、ローザリンド王太子殿下。本日もご機嫌麗しく」
通り一辺の挨拶を済ませたあと、
「ブルー家では良いスズキが手に入ったそうです」
「うむ?」
「本日のランチはスズキの香草焼きとフリッターです。昼が待ち遠しいですね」
「…………」
「殿下?」
「わたしは、本日もランチを共にして、よいのか?」
王族らしい静かな表情の奥に潜む感情に、二人は全力で注視する。
「あ、もしかして、ランチを共にするのは一度きりのご予定でしたか。申し訳ありません、勘違いしておりました」
「いや……」
殿下は教室の隅に控える侍従を見やった。
侍従は相変わらず日和見で、殿下の希望には逆らわない感じだ。
「昨日は非常に楽しく、今後も機会があればああやってランチを共にしたいと、強く思っていた。お誘い頂けるのなら嬉しい事だ。本日は是非ブルー家のスズキ料理を堪能させて貰いたい」
「承知致しました」
ルカはにっこりして、侍従の方を見た。
彼は一礼して、伝達事項を伝えるために教室を出て行った。
昼の護衛の段取り等を組み直すのだろう、手間をかけて申し訳ない。
これが同等の友達相手なら、「今日も一緒に飯食わね?」で済むのだが、王族めんどくさい。
最後、三つ目の実行は、昼休み前に済ませてしまいたかった。
「行くか」
二限目と三限目の間の長い休憩時間。
二人は終了の合図と同時に、中央棟四階のサロンを目指して、教室を飛び出した。
サロンメンバーも学生だから、いつも詰めている訳ではない。
誰も居なかったらドアポストに手紙だけ置いて帰る予定だ。夕べ二人で話し合いながら書き上げた手紙。
サロンには鍵が掛かっていたが、奥の小部屋から黒髪のダミアンが出て来た。
そういえばこの階に研究室を貰っていると言っていた。
「君らの足音はすぐに分かるな。もう少し静かに階段を上れないのか」
「すみません。手紙だけ置いてすぐ帰るつもりで」
「サロンへの手紙か?」
「はい、僕ら、もうリリィの調査員を降りたい、って内容です」
キッパリと言う二人。
ダミアンは少しだけ眉を動かした。思ったより驚かない。
「本当は、手紙なんかじゃなくて、直接言いに来るべきだと思います。今日の放課後に改めて伺いたいと、手紙にも書いています。
先んじて手紙を届けたのは、今日の昼休みの前に宣言しておきたかったからです」
「俺たち、これから、殿下とリリィと、濁りの無い無色透明な間柄になろうって決めたの。一緒にランチするのも、ブルー家に遊びに行くのも、仕事じゃなくて、自分の意思で行きたいんだ」
ダミアンは無表情で聞いていたが、ふと腕組みを解いてルカの方を見た。
「サロンメンバーになる道が遠退く可能性もあるが、いいのか?」
「はい。そりゃ、サロンに入れればいいけれど、……あれ、やっぱり入れない方がいいのかな?」
「何だそれは」
「僕、ローザリンド殿下のことがちょっと好きになりました。これから更に好きになって行きそうな気がするんですよね」
「うわっ、ルカ、よく言うな、こっ恥ずかしくない?」
「殿下を好きになり過ぎたら、サロンメンバーは務まらないと思います」
「…………」
少し時間をおいてダミアンは脱力したように「それはそうかもしれない」と言った。
「リリィに関する報告書も、最近は新たに書く事が無くなっていたし。結局リリィは何も知らない平凡な子だもん。俺たちってあんまり役に立たなかったんじゃ……」
「そんな事はない」
ロッチの言葉を、ダミアンは即座に遮った。
それから少し思案してから、二人に「来い」と促した。
『ダミアン・ボワイエ 研究室 関係者以外入室禁止』
と書かれたドアを入ると、ルカとロッチは目を見張った。
狭い、鰻の寝床のような部屋だが、壁に向いた机周り一杯に、二人がこれまで提出した報告書がベタベタと貼られ、よく分からない統計や心理学から神学、占星学に至るまで、様々な分析がなされている。
棚には外国語の分厚くて難しそうな背表紙がギッシリ。
溢れて横積みになった本から大量の付箋が覗いている。
「僕はずっと研究し続けている、八年前に起こった奇跡を。あれを道理の通った現実として名前を付けて発表する為に。例え人知を越えた超常力のような物でも、そこには何らかの定義がある筈なんだ」
「は、はい……」
二人とも机周りの、点描みたいなビッシリしたメモの羅列に目を白黒させている。
「それが僕に課せられた道だ。それしか、墜ちた家門の名誉を回復する術がない」
「…………」
「……僕がロッチの補佐に名乗り出るつもりだったんだ。ルカが来なければ」
「えっ・・!」
「そこは気にしなくてもいい。君で正解だったんだ。僕にはスカートなんか縫えないし」
「あんなの誰だって縫えないよ」
「彼女からあれだけ多くを引き出せたのは、君ら二人だったからだ。僕だったら体力的にとてもロッチに着いて行けないし、君を制止するばかりで何も進まなかったろう」
ロッチは肩を竦め、ルカは誉められ過ぎて居辛くなった。
「だからすまない、何か特殊な事があった時だけでいいから、教えに来てくれないか。研究を続けたいんだ」
「それは……」
「いつか発表する時は、ブルー嬢の存在は伏せる。約束する。サロンは通さない。個人的な頼みだ」
「承知しました、引き受けます。……あの、代わりと言っては何ですが、一つ、調べて欲しい事があるんです。サロンの情報網を使ったら、可能な事だと思うのですが」
「ルカ?」
「……言ってみろ」
***
結局その週、ローザリンド王太子殿下は毎日、中庭でルカたちとランチを共にした。何となくの流れでそうなった。
王妃と懇意にしているというブルー家の、バスケットの中身が四人前に切り替わっている事に気付いていたが、誰も話題にしなかった。
リリィの監視を辞した日の放課後、サロンを訪れ厳しい言葉を覚悟したが、アーサーはじめメンバー全員、拍子抜けする程寛容に、『君たちの意思を尊重する。殿下のお相手については今後も宜しく頼む』と、言われただけだった。
サロンの方針が切り替わったのだろうか?
ルカたちは何も教えて貰えない。何も言われないってことは、このまま殿下がリリィに接近するに任せていてもいいのだろうか?
もっともリリィは節度を持って弁えているので、心配するような事にはならなさそうだ。
『クビにはならないって事? 俺ら期待されてるの?』
『期待って、何をだろうね』
『俺の将来性とか?』
『ロッチのことは読めないって言っていたよ』
『ルカこそ読めないよ』
そんな台詞を言いながら寮に戻ったのだった。