王子さまとランチ・Ⅴ
二人に追い付いたのは教室前の廊下だった。
丁度ランチから戻ってきた生徒たちで賑わっている。
「うおっ」「わぁっ」
純白の王太子に慣れていないFクラスの子たちから悲鳴が上がる。うん、最初は眩しいよね。
「王太子殿下? 何かお忘れ物ですか?」
バスケットをロッカーにしまっていたロッチとリリィが、突然迫って来た王太子に驚いている。
「ああ、勉強会の予定を決め忘れていた」
「勉強……会?」
「そうだ。リリシア・ブルー嬢、貴女に勉強を教える約束だ。いつにしようか?」
穏やかだが良く通る声が、結構な範囲に響いた。
「ハサウェイ卿ほど教えるのが上手かどうかは自信が無いが」
何故この人が追い掛けて来てここでそういう台詞を言うのか、リリィは素早く察した。そして一所懸命頭を働かせた。
「はい、入学時のドン尻から九番にまで引き上げて頂いたのです。ブルー家あげてお祭りのような喜びようでございました。
この上、王太子殿下にまで指導頂けるなど、恐悦の極みでございます。お時間はいつでも殿下のご都合の宜しい時で」
「では早い内に決めて侍従に連絡させよう。ああ、本日の鶏料理は絶品であった」
「祖母と料理長に伝えておきます。感激で眠れぬ夜となりましょう」
週二回の淑女教育、効いてる効いてる。
ロッチも上手く口を挟む。
「ソフィーおばあちゃんの、『胃袋掴んで成績上げよう作戦』、大成功だったね」
周囲の学生たちは口を引き結んだ。
――男爵令嬢が侯爵子息に昼食をたかられている・・
ちょっと考えたら分かる事なのだ。
不自然な、悪意に満ちた作り話だと。
だって侯爵子息は学年二位、男爵令嬢はドン尻から一気に九位に躍り出た。この事実は揺るがない。
噂を鵜呑みにしていた者、聞き齧っただけで吹聴して回っていた者、……頭の回線の整った者から順に、恥じ入って俯いた。
これで尚理解しようとしない者は、もう相手にしなくてもいい輩だ。
ハッシと、リリィの腕を掴む手があった。
赤毛のケイト・ベぺーだ。走って来たのか、いつもは綺麗に整えた髪を乱している。
「絶交されても仕方がない。でも最後に少しだけでも弁解させて。平民出身の貴女に成績を抜かれて、兄たちに酷くからかわれたの。
つい、『あの子は学年二位の男子をランチで釣って勉強を教えて貰っている』なんて言い訳してしまった。兄たちは卒業済みだし、そんな家内の会話が学園に漏れるなんて思わなかったのよ」
リリィは眉を八の字にしてケイトを凝視している。
怒っている顔ではない、困っている顔だ。
おそらく、個人的には許したいが、ルカとロッチの心情も尊重したく、揺れている所だろう。
「ベぺー家は、節度ある家と覚えめでたい。派閥に入らずとも多くの家が交流したがるのは、口が固く公正だからだ」
王太子の、穏やかだけれどよく通る声。
その場の者はまた注目した。
「ところでこの学園には珍しい色の蝶が飛ぶ」
――え?
「外庭でも見掛けた事のある蝶だが、先日は、とある場所の繁みにとまっていた。ベぺー嬢が、ブルー嬢たちと昼食をとっている後方だったか」
――・・・・
「上階の窓からは良く見えるのだよ」
王太子の宝石の瞳がするりと滑り、教室の中頃にいた二人の女生徒に皆の視線が集まった。
外庭で王太子を見て雉みたいな声を発していた二人だ。
赤とピンクの大きなリボンを蝶みたいに揺らし、青くなって抱き合っている。
この子達なら、いつもと違う場所へ昼食に向かうケイトの後を付けたりするだろう。繁みに潜んで盗み聞きなんかもやっちゃうかもしれない。
一瞬で、そこまで頭に浮かべた者が、多くいた。
「なにそれ! 私たちのせいじゃないわ!」
「そうよ! 『みんな』面白がって聞きたがったじゃない!」
自分で白状しちゃった。
・・・・
結局、リリィはケイトに、『頭から疑ってごめんなさい』と謝り、ケイトは、『見ていない場所で言い訳に使ってごめんなさい』と謝った。
クラスが違ってもこれからも仲良くしようねと、小指を絡ませてから別れた。
近衛に先導され、王太子とロッチの間で二階への階段を上りながら、ルカは思う。
アーサー様たちがこの王太子を、『居るだけでいい』と立てようとする気持ちが分かった。
だって今この人、誰を糾弾する事もなく、穏やかな世間話と視線だけで、その場の人心をひとつ方向へ向けたのだ。
(こわい……)
ルカは正直、引いた。ロッチまで珍しく黙っている。
「ハサウェイ卿、ラツェット卿」
「は、はい」
「はい……」
「わたしは立場上、ブルー男爵令嬢の友達にはなれない」
「はい」
「だが、彼女の友達を守る事ならば出来ると思った。どうだろう、出来ていただろうか」
「……は、」
「……はいっ」
「「出来ておられました!」」
「そうか」
王太子は振り向いて、宝石の瞳を凝縮して微笑んだ。
噂話で他人を貶める奴にも、孤児だ庶子だ田舎者だと馬鹿にする奴にも、ルカには怒る資格が無い。
だって自分だって同じだった。
自分もこの人に、『きよらかな王子さま』などとレッテル貼りをしていた一人だったのだ。
ルカは滲んだ気持ちを抱えながら階段を上った。