昼休み・Ⅱ
「席を変わって貰った礼を渡したくて、探していたのだ」
王子さまは、ルカと同じに声変わりをしていないボーイソプラノで、軽やかに言った。
朝一緒にいたリリィの珍しい髪色を覚えていたらしい。
当のリリィは、王太子にいきなり声を掛けられ座っていいかと訪ねられ、断れる術もなく、関節に棒が入っているかの如くギクシャクと、最低限の受け答えをしている。
ルカとロッチを見て、闇夜に灯台を見付けた遭難者のような顔になった。
「これからここでランチと聞いた。少しだけご一緒させて貰ってよいか?」
王子さまはとても恐ろしい事をサラリと言う。
さすがのロッチも唾を呑み込んでいる。
ルカが見渡すと、離れた所に侍従と護衛。
Aクラスの学生とランチなら構わないが、Fクラスの男爵令嬢が混じっていて、しかも地べたに座って物を食べるなんて、想定外もいい所なんだろう。
迷っていないでとっとと止めに来てよ。
ふと、コンコンコンコンと小さなサイン音。
見上げると、中央棟四階のサロンの窓から、五人のメンバーが覗いている。全員朝と同じに真っ青だ。一日に二回もあの人たちのあんな顔を見てしまうなんて。
一番前でダミアン様が、両手で一所懸命バッテン印を作っている。……だよね。
さてどうやって断ろう、と思う暇もなく、
「すっごい! かっけえ――!」
ロッチの叫び。
見ると、何処から湧いて出たのか息急ききった新たな侍従が、手のひらに収まる程の四角い何かを王子さまに渡している。ロッチはそれを覗き込んで興奮しているのだ。
っていうかロッチ、いつの間にちゃっかり王子さまの隣に座ってる?
「ルカ見ろよ、めっちゃ精巧な四輪馬車の模型。車輪が回るんだぜ」
「…………」
確かにロッチが興奮するだけあって、殿下の手の中にあるのは、朝に見た馬車がそのまんまの見事なミニチュア。獅子にオリーブの紋章もちゃんとある。
「窓辺の席を譲ってくれた親切なハサウェイ卿に礼を賜らせたく、好きな物は何かと侍従に聞き回らせたのだ。馬車が好きだと教えてくれる者がいた」
おそらく朝の会話を聞いていたイサドラ様かダミアン様だろう。だけれど馬車フリークはどっちかって言うとロッチっ。
「馬車の模型なら、最近作った物があったので。侍従の一人に王宮のわたしの部屋へ取りに行かせた。昼休みに間に合って良かった」
わざわざ王宮まで取りに?
「ええ――っ、じゃあこれ、王子さま、じゃなくて、王太子殿下、が、自ら、お作りあそばしたんですか!?」
食い付き所の違うロッチ。
しかし王子さまには喜ばしい反応だったようで。
「わたしは模型作りが好きなのだ……」
目の下の桃色を増やして、はにかんで俯く美少年…… 宝石みたいな瞳、吸い込まれそう……
ルカは頬をパチパチ叩いて意識を戻した。
(駄目だろこんな存在を野放しにしておいたらっ!)
侍従を見ると、止めさせる事を諦めたようで、ルカに『どうぞ混じってください』サインを出している。
嫌だよサロンの人たちに怒られる。
中央棟を見上げると、窓辺に四人…… ん、四人?
「ルカ、ここにいたのか!」
繁みの反対側の垣根から、ガタイのいい赤銅色の髪がぬっと出た。
ジークさまぁ! フォローに来てくれたんですか!
中央棟の窓を見ると、もう他のメンバーの姿は無かった。うん、王太子をじっと見下ろしているのはよろしくないよね。
「ダミアンに数学の問題を聞きに来て、参考書を忘れて行ったろ。そそっかしいなぁ」
平静を装っているけれど、最上階から駆け下りて来て息ひとつ乱していないのは、さすが宮廷騎士の家系。
「あ、ありがとうございます……」
身に覚えのない参考書を受けとる。
渡し際に、にこやかだった目に一瞬鋭い光りが走った。ひいいっごめんなさいっ、でも僕のせいですかっ!?
「ジーク・ガヴェイン卿?」
王子様の声に、ジークは今気付いたように振り向いた。
「おお、王太子殿下、これは失礼致しました」
「構わぬ、今朝は出迎えご苦労であった。そなたはこの者たちと友人なのか?」
「はい、そうだよな、ロッチ。これからお昼かい?」
「は、はい……」
「殿下、我々も昼食に致しましょう。サロンでメンバーが待機しております」
「そうか、そうだな、朝言われていたな……」
残念そうな王子さま。しようがないよね、毒見されたら僕たちの分無くなるし。
「ブルー男爵令嬢、楽しいひとときであった。また話をしてくれ」
(((……ハハハ、ハイ……)))
次々登場する高位貴族に、ガクブルのリリィ。可哀想に……
そんな彼女を殿下から遮断するように、ジークは間に入った。本当に徹底しているな。リリィの何がそんなに要注意なんだろ。
「王太子殿下、模型ありがとうございました!」
「ありがとうございました……(貰ったのは僕なのに?)」
侍従と護衛は慌てて付いて行く。
あの人たち全然頼りにならなかったな。王族が下の者に簡単に物くれちゃ駄目だろ、しかも紋章入りとか何考えてんだよ止めろよ、と思いながら、中央棟へ消える集団を見送った。
***
「リリィ、ごめんね遅れて。お腹空いたろ」
「いいえ、わたくしは、へいきですわ、はさうえいきょう」
「……どした?」
「クラスの女子に教えて貰ったの……です。上位の殿方と仲が良いのは構わないけれど、礼節を持って接していないと、悪くなくても悪く噂されちゃうって」
「ふうん……」
「お祖母様もマナーの授業とかしてくれるけど…… 学園では王太子様もその辺を普通に歩いていらして話し掛けて来るなんて、私、考えもしなかった」
いや今のは特殊だよ、普通じゃないよ。
「せめて失礼のない言葉使いだけでも早急に覚えなくては……」
リリィ、真面目だな。
「その、教えてくれた女子って、集団で取り囲んで来たりしたの?」
「いえ、いえ、休み時間にそっと一人で、小さな声でよ。一番後ろの席から来てくれたわ」
そうか、心配はないみたいだな。親切で忠告してくれるクラスメイトもいるんだろう。
「でも、僕らだけの時は……」
言いかけてルカは躊躇した。
自分が楽しいからって、リリィやロッチが恥をかくような言葉使いを放置しているのって、良くない事……だよな?
「気にしなくていいのに。俺らだけの時は普通にしていてよ。な、ルカ」
横からロッチがサックリと言ってくれた。
ルカは思わず頷いた。そうだな、ロッチの方が正しい。自分は考え過ぎだ。
(それにロッチの物怖じ無さに、僕の方が助けられている事が多い……)
「ねぇ、早く早く、お弁当見せて。……わぁお!」
籐の蓋を開けると香ばしい匂い広がって、肉や野菜、パンにフルーツが色とりどりに詰まっている。ジェフさん、朝から気合入れたな。
レモネードの瓶と携帯用の小さなカップ、カトラリー、小皿もあるのだが、ロッチは早速手掴みでワシワシ行っている。
「うまっ、うまっ」
「ロッチ、少しはリリィのお手本になってやれよ」
「俺の真似をしてはいけないという手本になってやるよ」
「もう……」
ルカだってのんびり食べたいのに、二人して悪い見本になっている訳には行かず、上品に皿に取り分けてフォークでつつく。
「下の段はケーキとビスケットです」
「うおお」
「ロッチ底無しだな」
ルカは丸いビスケットを一口大にパキパキ割りながら、口に入れる。
見ると、リリィも一所懸命真似をしている。リスみたいで可愛い。
ふと、自分たちが近付いたのは、サロンからの指令だと知ったらどう思うだろう……と、怖くなった。
(バレたくないな……)
バレずにやり過ごして、仕事が終了して報告書を出さなくてよくなっても、このまま友達を続けていたい。
「そいえばリリィ、お願いがあるんだ」
ルカは、ダミアンに言われた、母に関する事の口止めを頼んだ。
「え……」
「どうしたの? もう誰かに言っちゃった?」
「ごめんなさい、喋ってしまいました。先程王太子殿下に、『ハサウェイ卿の一番に好きな物は?』と聞かれて、『多分お母さんだと思います』って。この位しか言っていないけれど……」
どうなんだろ? そういえばダミアン様は、どの部分が引っ掛かったのだろうか?
「大丈夫なんじゃない? お母さんが一番好きって、どこにでもある普通の話だし」
ロッチが言ってくれて、リリィも不安な表情を緩めた。そう、大丈夫だよ。
「殿下、馬車の模型を用意したのに、まだ聞いておられたの?」
「席を変わって貰ったのが余程嬉しかったのかしら」




