昼休み・Ⅰ
「ふぅん、……よし」
息急ききってノックしたサロン、しかして在室していたのはダミアン一人だった。
彼は緊張する二人の前で、力作の報告書を一瞥し、あっさり及第点をくれた。
「あの、他のサロンの皆さんはいらっしゃらないのですか?」
お説教が無いのは嬉しいのだが、ちょっと拍子抜け。
「サロンメンバーだって普通に学生だ。授業が終わるのも君たちと同じ時間。彼らが君たちみたいに昼の鐘と共に全力で走って来ると思うか?」
あ、それはそう……
「ダミアン様はサボ……」
「空き時間だったのですかっ?」
滑らせそうになるロッチの口をルカが押さえる。
「僕はある程度の自由が与えられている」
ダミアンはムスっとしながら答えた。
「学園の普通科で習う事は、入学前に全て修了させている。学籍は二年生だが、今はこの階に研究室を貰い、隣の棟の高等学院の講義を受講しに行っている」
「ほへ……」
高等学院は、貴族学園を卒業した後に、もっと勉強したい者が通う施設だ。
審査は厳しいが学費は国から補助が出る。
純粋な勉強ガチ勢だけの施設なので、社交だの交流だのシチ面倒くさい駆け引きだのは存在しない。
人生のレールが敷かれている貴族嫡子には関わりのない場所だが、家柄や経済状況、兄弟格差のハンデにあえいでいる者にとっては、能力で挽回出来る有り難い場所なのだ。
埋もれた才能を掬い上げたい専門機関にとっても有用で、卒業生の就職率は高い。
「報告書は確かに受け取ったから、メンバーに共有しておく。引き続き頑張るように……」
ダミアンが終わらせようとしているのに、ルカが何故か目の前にズイと迫っていた。
「何か?」
「あ、あの……学園って、スキップで早く卒業出来る物なんですか!?」
「ルカ?」
いきなり関係ない所に食い付く相棒に、戸惑うロッチ。
「誰でも簡単に出来るみたいに言わないで欲しい」
「すみません。簡単じゃないとは思います。でも、死ぬ気で頑張って勉強したら、四年かけなくても卒業資格が貰えるんですか?」
「…………」
「僕、急ぎたいんです」
「あ……」
ロッチが横から聞いた。
「おふくろさんの為?」
「母親? ルカの母親か?」
目を見張るダミアン。
「ルカのおふくろさんは入院していて、早く一人前になって会いに行きたい、って」
「そうなのか? ルカ」
「はい、ロッチの言う通りです。ハサウェイ侯爵と約束したんです。侯爵家としての振る舞いを身に付けて、学園で優秀な成績を取り続けたら、母さんを一流の病院に入れて入院費を出してくれる、卒業したら迎えに行ってもいいって」
「侯爵が……」
「僕、拉致されて侯爵家に連れて来られた時、滅茶苦茶抵抗したんだ。大暴れして自分も怪我してボロボロになって、それでも解放して貰えないからハンストして、何日か後に、侯爵がやっと約束してくれた。契約書も作って貰いました」
「へぇ、やるな、ルカ」
「本妻とボンボンたちは嫌がらせして来るけどね。あいつら図体だけでブヨブヨな癖に」
「でかい奴相手には、いかに先制して急所に一撃入れられるかだ」
「そうなの? 蹴って来たら?」
「軸足のスネを狙うんだよ」
ルカとロッチが盛り上がっている横、ダミアンは片手で口を覆って、考え込んでいる。
「ダミアン様?」
「あ、ああ……今の話をしたのはロッチだけか? 他のクラスメイトは?」
「? ……ロッチと、あと、その場にリリィもいました?」
「二人だけ?」
「はい、言い広めるような事ではありませんので」
ダミアンは何だか安堵したように肩を下ろした。
「では、その話はけして他ではしないように。リリシア嬢にも口止めを頼んでおいてくれ」
「は……い……?」
「特にサロンメンバーの前では絶対に言うな」
「えっ!?」
ルカとロッチは目を見開いてダミアンを見た。
「イサドラ様にも、ですか?」
「ああ」
「理由……って、聞いてもいいですか?」
「君の不利になる」
「…………」
常に能面か睨むかの二択だった人の表情に、何らかの感情が入り込んでいる。
二人は素直に頷いた。
「それとさっきの、スキップ卒業の件だが」
「あ、はいっ」
「僕の家……ボワイエ伯爵家が、優秀な医師治療師を多く輩出しているから認められている、我が家の子弟限定の特別扱いだ。
高等学院の医療研究所にも家門の者が大勢勤めているし。まぁいわゆる、家の力、だな」
なんだあ……と、ルカよりがっかりするロッチ。
ダミアンは静かにファイルを繰る。
「ルカ、君は入学前の事前判定で、学年三位だったね」
マジ!? と、ルカから一歩引くロッチ。
「侯爵家に入って十か月で、貴族の子がたっぷり時間を掛けて培った物を追い抜いたのか」
「侯爵に本気を示したかったんです」
「では次の試験は学年トップだ」
「え? 僕がですか? いや前回だけでも精一杯で……」
「引き取られたばかりの庶子が首席を維持し続ければ、それだけで話題になる。スキップ卒業をさせるぐらい権力のある組織に目を付けて貰える可能性はある」
「可能性、ですか……」
「チャンスは貪欲に掴みに行くのだろう?」
「……はい」
「仕事もサボるなよ」
***
サロンを出て、中央棟の階段を下るルカとロッチ。
「話を長引かせてごめん」
「いいよ、俺にも実になった話だし」
「ロッチもスキップ進級を狙うの?」
「俺の読み書き能力を知ってそれを言うのか? そんな大それた野望は抱かないよ。ただ、貴族って一口に言っても、身分の上にアグラかいてる奴ばっかりじゃないんだなって」
「そうだね……」
「リリィがお腹空かせてるぞ、早く行ってやらなくちゃ」
二人は中央棟を飛び出して、待ち合わせ場所の中庭へ走った。
昨日横切った時、偶然ベストな場所を見つけていたのだ。
周囲を灌木で囲まれた、平らな芝生。
昼休みは食堂のカフェテリアや、べンチテーブルのある噴水広場が人気で、椅子の無い中庭には人は来ない。
でも僕らは芝生の地面で十分。
繁みを入って行くと、灌木の向こうにリリィの藤色の三つ編みが見えた。
「リリィ……」
駆け寄りかけて、二人はその形のまま固まった。
芝生に広げられた敷布。
何でそこに純白の王子さまがいるんだよおぉお!!




