059 ビオラ様
魔術学院へ出発するまであと10日になった。
あれほど積もっていた雪はもうすっかりない。どこへ消えたのと言うぐらいスッキリだ。
この現象には、世界樹の生態がきっと関係している。うん、やっぱり基礎研究仕放題を一日でも早く実現しないといけないな。
エル達が作成していた、ベニザクラ号に装備するユニットが完成した。どうやら、雪に埋もれた工房にこもってずっと試行錯誤していたらしい。
シンティが発見したときは、10日は何も食べていない状態だったとか……なんてうらやましい。本当なら、私もそんな生活をするはずだった。
工場で製造するトイレ用の紙は、他の場所でもいろいろ使えることが分かり、さすがに○○○紙というわけにはいかないと、名前をどうするか検討した。
大樹の森に自生している魔力草が原料なので、『薄魔草紙』という名前に落ち着いた。それは、工程を工夫することでいろいろな厚さの紙が作れるからだ。
ロスナールさんがその研究をしている。将来は、安価な植物紙が『魔草紙』の名前で大量に作られることになるだろう。
雪がやんだ2月辺りからどんどん業者が入って内装工事をしていた。もう、ほとんど完成していて、ロスナールさん主導で試作品がどんどん作られている。
その試作品は、全て私が買い取っている。たぶん魔術学院でたくさん使うことになるからだ。
サクラさんは、芸術関係の総仕上げということで、毎日大劇場に行っていろいろな芸術家達と交流をしている。何でも、臨時のコンサートが開催されるらしい。サクラさんも演奏者として参加する。私の所にも招待状が来た。うん、素直に嬉しい。楽しみだ。
私は、ナツメさん、ランタナさん、そして、レサリオさんと、あることの下準備を着々と進めている。もちろん、権力者達に一泡吹かせてやるためだ。魔法陣に詳しいということで、エル、シンティ、パーソンさんにも協力してもらった。
ナツメさんが、あまりにも嬉しそうに悪巧みの計画をしている私を見て、「過去になにか嫌なことがあったのかい」と心配してくれた。
ええ、予算交渉接待の席で、散々嫌みを言ったあの組織の役人達に対する恨みなど一切ありませんとも、ええ、ありませんとも!
ツバキさんとも、これから各国と交渉する時の重要な切り札になるある装置の開発を進めてきた。禁則事項に該当するか心配したが、今レベルの事なら許容範囲のようだ。なんとか、その実験は成功した。
ツバキさんは興奮して、『革命よ』と大騒ぎだったが、軍事利用につながる技術なので、もちろんギルドの最高機密契約をした。
私達が魔術学院で直面するだろう各国の思惑にからんだ様々なトラブルに対抗するための下準備は、こうして着々と進んでいる。
この交渉は、入り口の町の自治権を守る戦いにもなる。町全体がひとつになって、自分たちの自由を守るためにできることをする。今は、それが大事だ。
イグニス達は、最低限の貴族マナーを身につけるために、カボーグ邸で執事のまねごとをしている。イグニス以外は、順調に仕上がっている。ディナさんは指導者としても優秀だ。
イグニスは、多分脱落する。まあ、想定内だけど。彼には彼の役割がある。めげないやつは使い道が多い。
つくも(猫)は、猫なので自由だ。今日もどこかにお出かけだ。
「カナデさん、ちょっといっしょにお茶でもいかがかしら」
突然、サクラさんの母親であるビオラ様からお茶会に誘われた。
出発まであと5日というタイミングだった。
「どうかしら、準備は進んでいますか」
ビオラ様が心配そうに聞いてきた。
「はい、一番の懸念だったサクラさんの芸術部門の底上げが終わったので、後は細々としたことだけです」
私が正直にそう答えると、
「ごめんなさいね。カボーグ家では、貴族教育は2周期からなのよ」
はい、知っています、でも、そうなるとツバキさんはどうなるのだろう?
きっと、私が考えていたことが顔に出ていたのだろう、
「ツバキは例外よ。あの子は、どの周期でも研究一筋なの。でも、それはそれであの子の生き方だから認めているのよ」
立派です。母様。
「丁度良いわ、エルフのこと、少しお話ししておきますね。知っておかないと学院で困ることもありますからね」
はい、これがこのお茶会の本題ですね。
「エルフはね、この大陸では、かなり特別な種族なの。まず、3種族の中では一番の長寿よ」
人族、ドワーフ族、エルフ族のことだな。
「周期の話しは、聞いたわね。長寿のエルフは、400年以上生きるわ。なので、人族の感覚で言うと、3回から4回分の人生を生きていることになるのよ」
だから、ナツメさんみたいに、S級案内人とA級冒険者を兼務できるのですよね。
人族の人生では、すごい才能があるか、かなり無茶しないとできないよな。
「それとね、これは他の種族には内緒にして欲しいんだけど、純粋なエルフは生まれたときに白い世界樹の実を授かるの。この実を食べると、一生病気にならないのよ」
あのー、たぶん、私も他の種族だと思うんですが……。聞いてよかったのでしょうか。
「次に、エルフの考え方よ」
いいんですね。なんだろう、この信頼感は……。
「エルフは、基本個人主義よ」
うーん、人族もそうなんじゃないだろうか。
「寂しいとか、一緒にいたいとか、相手に依存したいとかいう感覚は、人族ほど強くないの」
ああ、なるほど。うん、わかります。
「だからね、結婚観も、人族とは多分違うの」
……詳しくお願いします。
「エルフの結婚は、契約みたいなものよ。もちろん、愛情はあるわよ。私もカルミアには特別な気持ちがあるわ。でもね、どうしても引き留めたいとか、一緒にいないと不安だとか、そういう執着するという感情はないのよ」
嫉妬するとか、独占したいとか言う気持ちかな。ストーカー行為もしないということだな。
「ほとんどのエルフは、3回から4回伴侶を変えるのよ。100年一緒に生活していれば、人族の言う飽きたという事ね」
この時だけ、ふっと、ビオラ様が微笑んだ。
「ナツメはね、もう1回目の結婚生活は終わったの。いっしょに生活した人族の方は、世界樹の空に旅だったわ」
他界することを、『世界樹の空に旅立った』とこの世界の人は表現している。
「ランタナは、ランダナが変人過ぎて、多分無理ね。でも、エルフは基本個人なので、1人でも誰も気にしないわ」
うん、私もランダナさんは、無理だと思う。
「まあ、私とカルミアみたいに200年以上一緒にいるなんて言うエルフはごくまれよ。だから、エルフの結婚は、100年間の契約なの。その間は、信頼して、協力しましょうってね」
おう、カルミア様は200歳以上なんですね。
「まあ、人族とエルフの大きな違いはこんなところね。ドワーフのことは私も詳しくないから、カルコス親方にでも教えてもらいなさいね」
素直に教えてくれるかなー。
「サクラはね、そんな特別なエルフの中でさらに特別なエルフなのよ」
そう言って、ビオラ様が私を正面から見た。
「カナデ君も、きっと、かなり特別な人族よ。それにね、探求者の寿命は、誰も知らないの。噂では、1000年とも2000年とも言われているわ」
すみません。私にもわからないです。でも、きっと、何千年という感じなんじゃないかと思っています。
「あなたたちが、お互いを大事に思い、尊重し、守りたいと思っていることは、見ていれば分かるわ」
……。
「今後の事は、まあ、なるようにしかならないから、今は10層の試練に向けて集中していく事ね」
はい、肝に銘じます。
「とにかく、私達は、あなたのことを歓迎します。そして、サクラを任せられる人格だと確信しています。サクラのことをよろしくね」
そう言って、ビオラ様は優しく微笑み、私の頭を撫でてくれた。
そう、今は、10層にサクラさんを届ける。これに集中するんだ。
いろいろな国の思惑がうごめいている。魔術学院での生活だって、きっとすんなりとはいかないだろう。それに、10層に行けば、きっと、いろいろな事が自然に決まっていく気がするんだ。
さて、では、お茶会はお開きかな……と、思い、椅子から立ち上がろうとしたときに、あの、できるメイド「ディナ」さんが、次元箱を抱えて入ってきた。
「さて、ここからが本題よ」
ビオラさんの目が輝いた。
ちょっとまったー。さっきの話が本題じゃなかったの、あの話より大事な話って何ですかー。
「これよ、まだ、完成ではないけど、かなりの出来映えよ」
次元箱から出てきたのは、なんと、猫の人形だった。いや、日本でならフィギュアと呼ばれている物に近い完成度だ。
「この、毛並みのつやを出すのに、かなり苦労したのよ」
そう言って、猫人形にスリスリと頬をこすりつけた。
うん、エルフの秘密よりもこっちの方が大事なんですね。ビオラ様。
私は確信した。ランダナさんは、母に似たんだと。
「カナデさん、ねこちゃんはね、もう、この町にはなくてはならないほど大事なねこちゃんなのよ」
そう言って、猫の人形を私に一つ渡してきた。
「これを、ねこちゃんを待っている人たちに配りなさい」
ん、どういうことですか。
「いきなりいなくなるのは駄目よ。別れるなら、きちんと会って、『お世話になりました』と言って別れなさい。じゃないと、残された人が気持ちを切り替えられないのよ」
はい、理解しました。その通りです。
エルフは個人主義、執着はしない。と口では言っているけど、ちゃんと、人族の気持ちを理解しているんだ。さすがは、サクラさんを育てた親だ。
で、このフィギュア、いくつ作ったんですか。
次話は本日12時10分投稿
最終話になります
新しい活動報告があります。もしよろしければご覧ください。




