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Episode.5 雲行き

現世パート

【日時】西暦2019年7月9日(火) 4時30分

    X DAYまであと2日

【場所】五十嵐家 自宅



 街の奥で、小鳥たちが朝の旋律(せんりつ)を奏でていた。


 その声は夜の(とばり)をほどき、世界を静かに目覚めさせる。

 まだ影の濃い街並みに、陽の光がそっと触れていく。


 灰色に沈んでいた屋根が、ゆるやかに色を取り戻し、

 温度を持ちはじめたアスファルトが、眠っていた街の輪郭を浮かび上がらせた。


 朝陽は、五十嵐家の屋根にも降り注ぐ。

 リビングの窓辺に、光の筋が伸びる。

 二階の部屋では、白いカーテンが扇風機の風に揺れ、

 その隙間から、少年の頬に淡い光が触れていた。

 まるで、陽の精霊たちが舞い降り、静かに祝福を捧げているようだった。


 まぶしさに顔をしかめ、陸斗はゆるく目を開ける。

 まだ夢と(うつつ)のあわいにあり、視線は虚空をさまよっていた。


 次第に焦点が定まり──


 ガバッ!


 寝具をはねのけて跳ね起きる。

 自らの手を見つめ、手のひらを裏返し、また表に戻す。

 まるで現実の質感を、指先で確かめるかのように。

 そして、肩を落としながら小さく息を吐いた。


 ふと視線を動かすとのんがこちらを見つめている。


「おう、おはよう」


 のんに声をかけながら、時計を見やる。


「……まじかよ」


 どこにもぶつけようのない空虚(くうきょ)が胸をかすめ、

 陸斗はふたたび布団に潜り込んだ。

 だが、目を閉じたまましばらく動かず──静かに起き上がる。

 頭をかきながら、階下へと降りていった。


 階段脇のカラーボックスから将棋盤を引き出し、テーブルへ。

 無言で駒を並べはじめる。

 それは彼にしては、珍しい静かな反復だった。



 ────────────



【時刻】6時00分



 みさとが、朝の空気を連れてリビングに入ってくる。


「あれ? りっくん、何してるの?」

「おはよう。なんか、変な時間に目が覚めちゃって……寝れそうになかったから暇つぶし」

「ふふ、珍しいわねぇ」


 エプロンをつけ、慣れた手つきで朝食の準備に取りかかるみさと。

 包丁の音と野菜の香りが、静かに空間を満たしていく。


 ふと、手が止まり、くすっと笑いが漏れる。


「どうしたの?」

「これ、見つけちゃった」


 彼女の手には、短冊。

 見覚えのある文字を見た瞬間、陸斗の頬に赤みが差した。


「ちょ、やめて!」

「『結婚したら、そらみたいな子を作る』……ふふ、可愛いじゃない」

「返してよ!!」

「反抗期かな?」

「そーじゃないって……てか、人のやつ勝手に見るなよ!」


 柔らかく笑いながら、短冊を返すみさと。

 その笑みは、母という存在のぬくもりに満ちていた。


「そーちゃんは、たしかにものすごく可愛いもんね」


 陸斗が、小さく拗ねた声でつぶやく。


「……可愛くなくて悪かったな!」


 ふてくされたように口を尖らせる。


「りっくんも、かいくんも、すっごく可愛いわよ」

「や…やめてってば……」


 照れくさそうに顔を伏せる陸斗。

 みさとは少し遠くを見るようにして、言葉を継いだ。


「お父さんなんてね、三人とも生まれるたびに、お母さんの実家の神社に行って祈ってたのよ。

 普段はおちゃらけてるのに、その時ばかりは真剣な目でね。

 『家族は命に代えても守る』って」

「……意外」


 静かに頷きながら、陸斗は短冊を手に取り、みんなの願いを見比べる。


「兄貴の夢はやっぱぶれないなあ」

「ほんとね。お父さんにそっくり」

「そらは……『家族みんなで幸せに暮らせますように』だって」

「そうね。それが一番ね」


 ふたりで、静かに笑い合った。


「あれ?母さんのは?」

「んー?」

「えー、見せてよー」

「人のを勝手に見てはいけません」

「いや、どの口が……」


 階段を降りてきたのは、彰人だった。


「なんだなんだー?楽しそうだなあ」

「父さんは短冊、書いたの?」

「はっはっはっ、内緒だ!」

「ケチかよ……」


 やがて、そらと海斗もリビングへと降りてくる。

 そらはまだ眠たげに目を擦りながら。


「朝からなにー?」

「みんな元気だね」

「おはよう!そら、家族みんなで幸せに暮らそうな!」

「あー!陸にぃ、短冊見たの!?」

「兄ちゃんは、そらが家族のこと思ってくれて嬉しいぞ」

「もー!」


 そらが陸斗をぽかぽか叩く。


「みんなー、ごはんの準備手伝ってー!」

「「「はーい」」」



 ────────────



【時刻】7時00分

【場所】通学路



「三人とも、おはよう!」

「おはようございます!」


 そらが元気いっぱいに返事をする。

 いつもの道に立つ、おばちゃんへの挨拶はすでに日課だった。

 陸斗と海斗も、軽く会釈を交わす。


 そのまま、公園へと続く坂を三人で歩いていく。


「将来の夢かあ……」


 先ほどまで話していた話題が、ふとした間に戻ってくる。


「兄貴みたいに明確なのは、まだないんだよな……たださ、ぼんやりとだけど、あの先の公園で朝からゲートボールしてるおじいちゃんたち、いるだろ?なんか、あんな感じになるのかなって」

「そんな先のこと、聞いてない!」


 陸斗の曖昧な答えに、そらが頬をふくらませる。


「高校卒業したらどうするのかって話してたのに、なんで老後の話になるの!」

「昨日の発表じゃ、『サラリーマンとして社会の歯車になります』って言ってたよね?」

「それは……何も考えてなくて、無難に言っただけなんだけど……」

「陸にぃって、サラリーマンって感じしないよね」

「えー……じゃあ、何だったら似合うの?」


 そう尋ねると、そらは真剣な顔で考え込む。


「んー……親玉?」

「なんのだよ」


 吹き出す二人。


「じゃあ兄貴は?」

「えーと……みんなを守る人?」

「警察官とか、そういう?」

「兄貴に捕まっちゃわないかな?」

「大丈夫!親玉強いから!」

「何にだよ!」


 三人の笑い声が、朝の空に溶けていく。


「でもさでもさ、本当に卒業したらどうするの?」


 ふと、そらが問い直す。


 陸斗は少しだけ考えてから、ぽつりと口にする。


「……実はさ、一個だけ、やってみたいことがあるんだ」

「なになに!?」


 目を輝かせて身を乗り出すそら。


「世界を旅して、冒険したい」

「ええ!?陸にぃ、いなくなっちゃうの……?」


 あまりに唐突な言葉に、そらの顔が曇る。


「そ…そらを置いてくわけないだろ!」

「……ほんとに?」

「ほんとだって!卒業したら、一緒に少しだけ旅行しよう」

「やったー!約束だからねっ!」

「おう。一生の約束だ」

「ほんと、陸って、そらに甘いよね……」


 そらは嬉しそうにその場で跳ねる。

 その姿を、陸斗と海斗は目を細めて見守っていた。


「でも……その前に、昇級試験に受からないとな」


 海斗の現実的な一言に、そらの笑顔が一瞬でしぼむ。


「今、この空気でそれ言う!?海にぃ鬼畜だよぉ……」


 他愛もない、けれど確かな夢の話。

 彼らはまだ知らない。

 このささやかな朝が、やがて来る未来の光となり、希望となることを──



 ────────────



【時刻】7時20分

【場所】埼玉県 某中高一貫校 校舎



「じゃあ、そら。僕ら、朝練行ってくるよ」

「うん! いってらっしゃい!」

「そらも変な虫に気をつけろよ?」

「だいじょうぶだよ〜」


 軽口を交わしながら、陸斗と海斗は剣道部の朝練へと向かっていく。

 二人は近隣でも名の知れた実力者。

 明日から始まる夏の予選に向けて、部内の空気にも緊張が走っていた。


「今年もかなりいいとこまで行きそうだな」

「双子で全国ランカーって……どんな双子だよ」


 朝の道場に、竹刀が交わる音が鋭く響いた。



 ────────────



【時刻】12時40分

【場所】高等部二年三組 教室



 昼休み。


 陸斗と海斗は、浩之とうたと共に昼食を取っていた。


「やっぱすげぇよ、二人とも!」

「え、やっぱり?」


 浩之の称賛に、調子に乗る陸斗。


「うん、すごい!」

「ありがとう」

「そこー、いちゃつき禁止ー」


 拗ねたように肩をすくめる陸斗。


「でもさ、何がすごいって、文化系部活動と兼部してて結果出してるのがすごいよな」

「あー、あれは基本趣味みたいなもん」

「将棋で地区大会優勝するレベルは趣味じゃねぇだろ……」


 陸斗の認識が常人ではないことを突っ込む浩之。


「なんか将棋の思考力って、剣道にも意外と役に立つんだよね」

「へえ……二つやることで、相乗効果で能力が増してる……てことかな?」

「なんというか、思考がスッキリするというか、深く集中できるって感じ」

「それは、面白いね」

「でもさ……将棋じゃ父さんに勝ったことないし、剣道でも兄貴に勝てないんだけどな……」

「剣道は陸の方が強いよ。陸が僕とやる時だけ手を抜いてるんだと思う」

「そんなことないけどな……」

「いや、お前らの話がレベル高すぎて、よくわからん」


 浩之が苦笑交じりにつっこむ。


「かいくんの絵もすごく上手だよね。こないだもアーティストさんの個展ともコラボしてたし」

「確かに! もはやプロレベル!」

「お母さんも兄貴も、めっちゃ絵上手いよね」

「お母さんに似たのかな?」

「二人とも親の遺伝子強すぎだろ……」


 そのとき、教室の扉が開く。


「陸斗氏!放課後、部室に来てください。我と手合わせしましょう!」

「おう! また昼飯代かけ──」

「おかげさまで金欠なので、やめときます!」


 扉がピシャリと閉まる。


「ケチー!」


 皆が陸斗に視線を向けた。


「な…なんだよ?」

「りっくんって、スポーツもできて、かっこいいよね」

「急に何!?」

「そうそう。ノリも良くて、なんだかんだ友達思いで優しくて」

「お…おう?」

「そして頭の回転も早くて、家族思いのいい弟」

「……なんなんだよ!?」


 浩之が代表して言う。


「モテないのは、将棋部の影響だろうなって」

「う…うるせえ!」



 ────────────



【時刻】16時30分



 放課後、それぞれが兼部している部活動に顔を出す。

 海斗は美術部へ。

 入室と同時に歓声が上がり、部員数は以前より格段に増えていた。

 うたとも、ここで親しくなった。


 陸斗は将棋部へ向かう。

 “そら親衛隊”と呼ばれる濃い面々に囲まれながら、淡々と駒を並べる。

 入部者が増えたのは陸斗が入ってからだが、癖の強いメンバーの目的も含め、他の生徒たちからは敬遠されがちだった。

 それが、彼の“モテなさ”の決定的要因でもある。


 ──このまま今日という日は、静かに終わるはずだった。


 けれど、ふと見上げた空には、朝の光を忘れたような色が(にじ)んでいた。

 雲は低く垂れこめ、空の奥でひときわ白く、閃光が走る。


 音はまだない。

 ただ、世界が一度、息を止めたかのようだった。


 校庭にいた生徒たちは、誰に言われるでもなく、足早に屋内へ戻っていく。

 制服の裾が揺れ、声なきざわめきだけが風に乗った。

 その中に、ただひとりだけ、動かぬ影があった。


 ──そら。


 瞳は焦点(しょうてん)を結ばず、何かを見ているようで、何も見ていないようでもあった。

 呼吸は浅く、両手は力なく下がっている。

 だが、その身に宿る“静けさ”は、ただの放心ではなかった。


 静かに揺れる肩。 風に靡く髪。

 わずかに開かれた唇が、唐突に沈黙の境界線を越える。


「……始まる」


 それは囁きだった

 だが、次の瞬間──


 ──迅雷(じんらい)


 空が裂けるように激しい音が鳴り、どこからか叫び声が聞こえる。

 ひと呼吸遅れて、大地を叩く激しい雨。

 世界に張りついた透明な膜が、破ける音がした。


 日常の終わりと崩壊を告げる鐘のように雷鳴が轟き続けた。

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