Episode.4 魔法
【日時】ミルス歴400年6月2日 1時30分
深夜。
奴隷小屋の扉が、わずかに軋んで開いた。
月明かりを頼りに、五つの影が、屋敷の裏手へと忍び足で進んでいく。
「ば…バレないかな……?」
怯えた声を漏らしたカスに、ゴミがそっと応じた。
「大丈夫。この屋敷、広いし……誰も俺たちに気が付かないさ」
「奴隷は多いもの。いちいち見張ってなんかいられないわ」
クズが続ける。
ここは──ログリアの街の端、裏社会をも掌握する大商人ガンサイの屋敷。
“黒獣”とまで呼ばれたその男の本拠地は、砦のような威容を誇っていた。
本館は、周囲の建物の五倍はあった。
裏手には離れが構えられ、庭園、馬小屋、池、小さな資料館までもが揃い、すべてを石の壁が囲む。
唯一の出入口には、常に二人の門番が立っていた。
敷地内の最奥──
そこに、彼らは押し込められていた。
複数の部屋に区切られた小屋。五人一組の檻。
部屋には番号が振られ、彼らの部屋は〈一〉。
その脇に口を開けるのが、闇に沈む階段。地下牢だった。
──前日の暴力。
あのとき、ほんのわずかでも運が違えば、ゴミはあの階段の底にいたかもしれない。
彼らに見張りはいない。
代わりに、二つの“鎖”が彼らを縛っていた。
ひとつは、教会が魔族に刻む魔族隷術。
もうひとつは、すべての奴隷に刻まれる“意志を縛る印”──奴隷紋。
それは、自由を奪い、希望さえも許さない拘束。
だが──今、彼らは動いている。
願って──望んでいる。
禁じられたはずの「変化」を、求めていた。
その綻びに気付いたのは、クズだけだった。
彼女は、語彙を持たなかったゴミに言葉を与え、
文字を知らない者たちに読み書きを教え、
そして今──“魔法”の講義を始めていた。
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「魔法はね、イメージがすべて。
身体の中を流れる“何か”を感じて、それを形にするの……やってみて」
クズの教え方は簡潔で、理に適っていた。
だが、皆は苦戦していた。
「イメージ……か」
ゴミはぽつりと呟き、掌を空に向けて目を閉じた。
──火を灯す条件は三つ。
燃料。酸素。そして、点火。
知識が、頭の中に浮かぶ。
思い描いたのは、蝋燭に灯る小さな炎。
静かに、淡く、しかし確かに揺れていた──あの光。
その瞬間、周囲にざわめきが走った。
目を開けると、仲間たちが固まっていた。
バカですら、呆然と口を開けている。
ゴミの掌の上に、小さなオレンジの火が、淡く揺らめいていた。
「う…うわっ……!?あっつ……あれ……?熱く、ない……?」
ゴミが驚いて集中を乱したことで、火はゆらりと消え去った。
「……火が、出た」
アホが呟くように言った。
「す…すごい……」
皆が感動する中、クズだけは動揺を隠しきれていなかった。
「こんな……すぐに──!?あ…あり得ない……」
「そんなに……おかしいことなの?」
言葉を選びながら、語り始める。
「……私たち魔族は、本来魔素に敏感なの。でも“魔族隷術”で魔力の流れが封じられてるから……普通は、感じることすら難しいはずなのよ」
「ま、魔素……?」
「魔法を使うためのエネルギーのこと」
クズの声が震えていた。
彼女はしばらく沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。
「……どうやって出したの?」
「え? 普通に……蝋燭の火を想像しただけ」
「ろ…うそく……?」
「うん。火をつけるには、燃料と空気と着火が必要だろ?
マッチで火を灯す時の……その瞬間を、思い浮かべた」
ゴミは少し誇らしげに語った。
だが──返ってきたのは、沈黙だった。
「……ゴミ。あなたの言ってること、私にはわからない」
クズが、困惑気味に眉を顰めた。
「え?」
その反応に、逆に戸惑うゴミ。
「んー……ゴミが育った場所の風習なんちゃう?」
アホが笑ってごまかす。
「そうだよ!クズでも知らないことを知ってるなんて、やっぱりゴミすごいよ!」
カスは純粋な笑顔を浮かべた。
だが──
(……おかしい)
蝋燭。火の三要素。
誰もが知っていて当然の“常識”のはずだった。
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「一度、休憩にしましょう」
クズが言うと、皆が地面に座り込む。
月の光が、静かに彼らの背を照らしていた。
「……ゴミの故郷って、どんなところだったんだろうね」
カスが隣に座りながら喋りかける。
「僕の村では、子どもが少なくて、僕が一番上だったんだ」
「へぇ……」
「でも……去年、人族が攻めてきた。
『この街は法を破っている』って言ってさ」
拳を握りしめるカスの肩が、小さく震えている。
「父さんと母さんが……僕を逃がしてくれたんだ……!」
「カス……」
「僕は……早く戻らなきゃいけないのに……」
誰も、言葉を返せなかった。
気休めは、今の彼を癒せない。
──そのとき。
ザッ……ザッ……
砂を踏む足音が、沈黙を破る。
すぐに立ち上がるバカ。
カスも小声で警戒する。
「……だ…誰!?」
影が揺れた。
使用人だった。
「あなたたち、何をしているの……!?」
その声に反応して、門番が駆けつけてくる。
「どうした!?何事だ!」
「とにかく……ガンサイ様に報告を──!」
使用人が走り出そうとした、その瞬間。
「待て!」
低く、重い声が響いた。
「ッ……!?」
「ガンサイ様への報告は、私が行う。お前は仕事に戻れ」
「は…はい……!」
使用人は頭を下げ、足早に立ち去る。
緊張が場を包む。
門番が、短く言い放った。
「とにかく、お前らは小屋へ戻れ」
「……はい」
誰からともなく頷き、五人は静かに小屋へ戻っていった。
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その頃。
【場所】エルフ国 首都アンダルト
「どこだ! 奴はどこに行った!?」
「完全に姿を消したぞ!」
「全域を捜せ! 街の外も抜かるな!」
怒声と鐘声が、夜の街に響いていた。
篝火の明かりが、石造りの路地を照らす。
ざわめく兵士たちを、離れた丘の上から見下ろすフードの女がいた。
しばしその光景を見つめ──
やがて、霧の中へと、その姿を溶かしていった。




